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8話『二年前。『僕』はただ、それを見ていた』

「…………、ここ、は……、っ、手錠……?」


 淡く白い光に照らされた自分の体を確認する。

 どうやら私――風見織姫(かざみおりひめ)は今、手足を手錠で拘束され、パイプ椅子に座らされているようだ。


 ここは、どこだろうか。

 白いコンクリートで囲まれた、あまりにも無個性な一室。

 天上はあまり高くなく、広さは会議室ほど――と部屋を見回したところで、その姿が目に入った。


 私を。そして美原(みはら)君、高砂(たかさご)君、琴平(ことひら)君、さらに見知らぬ彼女を誘拐し、この部屋に連れ込んだ男。


神無月(かんなづき)……!」


 横並びに、椅子に座らされている私たちの正面。

 上質なジャケットをパイプ椅子の背もたれに掛け、黒いベストに白いシャツ、スラックスと、紳士然とした恰好で読書をしている男――神無月秋夜(かんなづきしゅうや)


「――目覚めたか」


 彼は不敵な笑みを浮かべ、読んでいた洋書をぱたんと閉じた。


「え……? なん、ですか……ここ……」


「……手錠? アンタが俺たちをここに……?」


 続いて意識を取り戻した琴平君と高砂君が呟く。

 私の右隣に座る美原君も目覚めており、すでに状況を把握して神無月を冷たい目で睨んでいる。


「一応言っておこうか。余計な真似はするな。じきに客人が来る。それまでは大人しくしてもらうよ」


 詩でも朗読するような穏やかな声で、神無月は――この場にあまりにもそぐわないので、おそらく持ち込んだのであろう――ティーテーブルに手を伸ばし、その上に置かれている拳銃を見せつけた。

 

 武器を持っている。

 そう示されるだけで確かに、無理やりこの場所から逃げようだなんて考えは消え失せた。


 テーブルの上にはほかに、ティーカップが置いてある。

 どうやら私たちが寝ている間、呑気に紅茶を飲んでいたらしい。

 余裕だろうか。これまで何人も殺してきた連続殺人鬼としての……。


「さて、忠告は済んだ。こんな扱いをしてしまっているが、君たちも客人だ。僕なりに歓迎しよう」


「何を……」


 神無月は綺麗に磨かれた革靴の足音を響かせ、五つ並べられた椅子の左端へと近づく。


「――君らは彼女を知らないだろう。紹介しよう。彼女は七瀬汐音(ななせしおん)七瀬七海(ななせななみ)の姉だ」


「っ……!」


 七瀬君の姉。そう紹介された彼女は、自分の名前が呼ばれたことに酷く驚きを見せ、体を震わせた。

 姉――確かに言われてみれば横顔は似ている。


 しかし伸びっぱなしの黒髪に、荒れ気味の肌、パニック気味のその態度は、妹であり桔梗高校の二年の女王と呼ばれる七瀬七海とはどうにも対照的だ。


「やあ、久しぶりだね。七瀬汐音」


「ひ……、わ、たし……何も……何も……、あなた、知らない、です……っ、か、かえしてください……家に……」


「やれやれ。まあ当然か。僕は二年前と顔が違うし、ちゃんとした自己紹介もしていなかったからね」


「に、二年……ま、え……あ……ぁぁ…………っ」


 二年前。七瀬汐音はその単語に、これまでで一番大きなリアクションを見せた。

 対して神無月はそっと膝を折り、彼女の左手首、右手を見た後、口元に手を添えてこう言う。


「やせ細った体。焦点の合わない目。左手首にはカッターによる切り傷。右手の甲にあるタコ――歯は、まだ胃液で溶けてはいないようだが。そうか、君はそこまで傷ついていたんだね。安心しなさい。僕の前で無理に隠すことはないよ」


「な……な、……やぁ……ぁ…………」


「おい、アンタ! もうやめろよ! その子の怖がり方は尋常じゃない。一体何を……‼」


 私の左隣に座っている高砂君が叫んだ。人助けを趣味とする彼らしい、彼女を心配した言葉だ。

 しかしそれを聞いた神無月は呆れた顔で高砂君を一瞥し、七瀬汐音にこう語りかける。


「何もしていないさ。行動したのは彼女だ。七瀬汐音、僕はね、あの場にいたんだよ。二年前、君が人を殺した――あの場にね」


 二年前の七月。

 あれはまだ、スコールと呼ばれるような激しい雨風が突発的に吹き荒れる、梅雨の季節のことだった。

 

 とある休日。妹は蒸し暑い家の外に出たくないと駄々をこね、私は一人で、別居している祖父の家に向かっていた。


 理由は何だっただろうか。

 両親から何かお使いを頼まれたからかもしれないし、夏休み前の期末テストでとても優秀な成績を残せたから、その自慢をしに行ったのかもしれない。


 祖父は昔から、私や妹が勉強やスポーツでいい結果を残すたびに、近所の喫茶店でパフェをご馳走してくれた。


 我ながら現金な性格だと思うが、いい結果を残すことを当然とする両親のそっけない言葉よりも、頑張ったねとご褒美をくれる祖父の一言のほうが好きだった。


 その日、目論見通り私は祖父にパフェをご馳走してもらうことになった。それに加えて、妹の誕生日が近いこともあって誕生日プレゼントを用意しようという話になったのだ。


 祖父は気を利かせてお金を出してくれようとした。しかし使い古された札入れには紙幣がほとんど入っておらず、まずは銀行に向かったのだ。



 私と祖父はそこで――銀行強盗に巻き込まれた。



 この世のものとは思えない光景だった。目出し帽を被った三人の男が拳銃を持って銀行員を脅し、大量の紙幣を鞄に詰め込ませていた。


 そのとき周りにいた巻き込まれた人たちは、建物の隅で震えながらその光景を見ていた。


 束の間、窓から差し込んでいた日光が遮られた。銀行員の一人が非常ボタンを押してシャッターを下ろしたのだ。


 強盗犯はそれに激昂し、引き金を引いた。

 それは私が、生まれて初めてこの目で目撃した殺人だった。


 迷わず引かれた引き金。目にも留まらぬ速度で放たれる弾丸。あっけないほど簡単に消える命。


 今にして思えば、その光景が網膜に焼き付いていたからこそ、私は後にあのような行動を取ってしまったのだろう。


 シャッターが閉じられてから数分。強盗犯たちは焦っていた。多くの場合、非常ボタンと警察への連絡はセットで行われる。じきに警察が来ると思い、建物から脱出できないこの状況に危機を感じていたのだ。


 そして人質となった私たちもまた――。


 けれど、本当の地獄はそこからだった。



 ――突如、大地が揺れた。



 とてつもなく大きな地震。地震大国と言われるほどの国で暮らし、数多くの地震を中途半端に経験しているからこそ、直感することができた。

 この揺れはこれまで経験したことがない、本気で生命の危機を感じる、逃げ場などない大災害なのだと。


 そんなものが、よりにもよってこのタイミングで発生した。


 気が付いたとき、建物のほとんどは崩れていた。隣に座っていた人も隅で泣いていた人も瓦礫の下敷きになって、床にはおびただしいほどの血が滲んでいた。


 地震の被害に遭ったのは人質だけではない。三人の強盗犯のうち、一人が瓦礫に押しつぶされ、原型を留めることはできなかった。



 崩れた建物。

 光の届かない密閉空間。

 無力な人質と拳銃を持った強盗。

 脱出の手段はなく、また救助を待つほどの食料もない。



 拳銃で人を脅し金を奪い取る行為を、この世の光景とは思えないと形容した。


 けれど本当の地獄とは――今この瞳に映っている景色だ。


 助けが来ないまま過ぎていく時間。希望の見えない絶望。いつ建物が倒壊し、先に下敷きになった人々と同じになるか分からない恐怖。薄れゆく酸素と意識。

 徐々にすり減っていく精神はまさしく――水の中に落ちた毒。


 突如、人質の一人だった女性が叫び声をあげた。

 白いワンピースは真っ黒な泥に汚れ、擦りむいた手足からは流血し、その目はきっと、見えないはずのものを見ていたのだと思う。



 彼女は――この地獄に耐えられなかった。



 そして解放された。生き残った強盗犯のうち一人が、引き金を引いて彼女を殺したのだ。


 甲高い炸裂音が響き渡り、闇を照らす刹那の火花(マズルフラッシュ)――それは新たな悲劇の始点。恐怖に感染し、狂気は伝染する。


 号砲によって精神が崩壊する人質が続出し、最初に引き金を引いた強盗犯もまた、狂ったように銃口を突きつけた。


 そこでこれまで人質に危害を加えず、静観していた残りのもう一人の強盗犯が動いた。


 ――もう殺すな。もうやめろ。


 仲間割れ。これ以上の殺戮を止めるために手を伸ばした男は拳銃を奪い、投げ捨て、何かの格闘術で無力化を図った。


 しかし精神の、脳のリミッターが外れた狂気に、理性を保ち続けた男が一歩及ばなかった。

 男は持っていた拳銃を奪われ、銃口を突きつけられた。


 何度か繰り返される発砲。明滅する火花が照らし出したのは必死に銃口を突きつける男と、それを何とか回避する男。

 けれどその状況は長く続かなかった。


 ――この裏切り者。お前を殺す。ここに居る奴全員、どうせ顔も見られているんだ。全員殺してやる。


 怒鳴りつけるような声が暗闇の中に残響して、私の脳に刻み込まれた。


 ここであの男をどうにかしなければ、全員死ぬ。

 仲間割れを起こした強盗犯の一人も、ただ巻き込まれただけの人も、私も、祖父も。



 とっさにそばに居る祖父の手を握ろうとして――何かが手に当たった。



 それがなんであるか、考えるまでもなく手にしていた。

 先ほどの火花の明滅と、闇に慣れつつある視界のおかげでそれを向ける先は理解していた。


 迷いがあったかと聞かれたら、きっとなかったと答える。

 迷う暇なんてなく、考える暇なんてなく、とにかくここで自分が何とかしなければという強迫観念に駆られるまま――私は拳銃を構え。



 ――引き金を、引いた。



 しばらくの間、私は私が撃ち殺した人の死体を見ていた。


 右手には放そうと思ってもくっついたように離れてくれない拳銃が握られており。

 祖父はその手を優しく掴み、私の体をそっと抱き締めながら、こう訴えた。


 ――孫がここでやってしまったことを、無かったことにしてはもらえないだろうか。


 この場で起きたことは誰にも話さないで一生秘密にしてほしい。

 貴方たちの命を守った孫をどうか、犯罪者(ひとごろし)にしないでもらえないだろうか――と。


 その後、最後に生き残った強盗犯の一人がこう言った。


 ――自分は宗教団体『イノセント・エゴ』の人間です。自分は教団の名を騙り犯罪を犯していた彼らを止めるために、仲間のフリをしていました。今回のことを止められず、本当に申し訳なく思っています。


 優しい声だった。壊れた心にそっと寄りそうような、詩でも朗読しているような声。

 

 ――今回の一件、教団が全力で隠蔽することをお約束します。ここ起きたことはあくまでも地震によるものとして手を回します。それがせめてもの罪滅ぼし。どうかお願いします。自分たちの命を守ってくれた彼女が殺人者とならないように、協力してください。


 きっと誰もが、正常な判断なんてできなかった。


 極限の精神状態。危機を乗り越えたことによる、ひとまずの安心。そこに降り注いだあの男の言葉は、もしかしたら周りの人にとって、神からの天啓に思えたのかもしれない。



 そうして――私の罪は葬られたのだ。あの場にいた人たちの心に。



 目が覚めたとき、私は病院にいた。

 何があったか覚えているかと家族に聞かれた。私は何も覚えていないと言った。


 嘘だ。


 今でも私は覚えている。銃の重さ、引き金の軽さ、舞い散る花びらのような光と、関節が外れそうになるほどの衝撃。撃ったあとの喪失感。消えない硝煙の臭い。


 眠れない日々が続いた。

 両手には何度洗っても拭えない血が絡みついて、頭の奥のほうでは男の怒り狂った声が残響し続けていた。


 教団――『イノセント・エゴ』。もしあの男の言葉が嘘で、彼らに仲間が私に報復を企んでいたとしたら。

 そんなことを考え始めたら、部屋の外に出ることができなくなった。


 視線が怖くて誰にも会いたくない。いつかテレビやネットに自分の罪が晒されるのではないか、突然警察がやってきて両手に手錠をかけられるのではないか。

 

 生きる資格なんてない。そう思うたびに、食事が喉を通らなくなった。

 生きる理由なんてない。そう思うたびに、カッターで手首を切り裂いた。


 数か月後――祖父が病気で死んだ。


 唯一、私の罪を知る身近な人が、いなくなった。

 

 時折、妹が私の手を引いてくれる。けれどあの子は何も知らない。何も知らず、人殺しの私にかつての私を投影して――。


 結局、私は贖えない罪を抱えたまま、どこにも行けないまま、誰にも何も言えないまま――ゆっくりと毒に蝕まれている。


 ――これが、七瀬汐音の過去。


 ある程度要約してまとめることで、大体の流れを把握することができた。


「……」


 俺――冬馬白雪(とうましらゆき)は、椅子の背もたれにぐっと体重をかける。

 正直なところ、言葉が出ない。

 彼女が抱える罪は、俺の想像をはるかに凌駕するものだった。


 開かれた窓から冷たい風が入ってきて、空回りする思考を冷ましてくれるが、今はそれが余計に虚しい。

 七瀬七海――汐音の妹。彼女が先ほど一人にしてくれと言った気持ちが理解できた。


 一緒に暮らしていた姉の秘密。否――それは秘密と呼ぶには重すぎる。


 罪。贖うことも許されない罰。ただその事実を闇に葬り、口をつむぐことしかできない鎖。

 こんなもの、簡単に受け止められるはずがない。


「はあ――――」


 重い溜息。

 けれどそれを持って、無理やりにでも気持ちを切り替えなくてはならない。


 この事実を知ったことで、また一つ、俺の中でピースが繋がった。


 やはり神無月秋夜は――八木原出雲(やぎはらいずも)だ。

 

 殺人、誘拐――その動機も徐々に分かってきたぞ。

 もう少し、あと少しでヤツという存在を理解できる気がする。


 そのために必要な残りのピースを揃えるために。

 明日、なんとかして八木原弟と接触しよう。


「そんな過去が……七瀬君のお姉さんに……」


 にわかには信じがたい話だった。

 しかし視線を向けると、七瀬汐音は顔を真っ青にして涙と涎を垂らしている。

 

「ひっ……ぁ……ああ……」


 神無月が一歩動くだけでも、ほんの少し手を動かすだけでも、彼女は処刑人を前にした咎人のように、その剥き出しの心を震わせる。

 それが皮肉にも、彼女の罪が否定しようのない真実である証拠となるのだ。


「やれやれ。そう怯えてもらっては困るな。僕はこれでも君に感謝しているんだ。あの日、君が僕に与えられた役割を果たしてくれたおかげで『イノセント・エゴ』の洗脳が解けた。これは人生を変えられたと言っても過言ではないよ」


 神無月は汐音から離れて、再び椅子に座り直す。


「そして、人生を変えられたのは僕だけではない」


 その視線の往く先は、私の左隣に座る彼。


「――高砂楓。何を涼しい顔で聞いている?」


 足を組み、両の指を絡め、さながら探偵のようにその真実を白日の下に晒すのだ。



「君も――あの場にいただろう」



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