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57話『ただいま、おやすみ』

 ――体育祭は無事、終わりを迎えた。


 過ぎてみれば何ともあっけなく思えるが、それとは逆に高ぶった気持ちが治まりきっていない感覚がある。


 風見夫妻の説得を終えて、夏野(なつの)との関係が改善された午前の部。

 目先の障害を乗り越えお昼を跨いだ午後の部は、いい意味で何も考えず体育祭に熱中することができた。

 

 そうして体育祭終了後。後片付けやらなにやらを済ませ、時計の針が午後六時を示したところで俺と織姫(おりひめ)は、へとへとになりながらも洋館に戻ってきた。


「さすがに今日は……疲れたな……。すまない、荷物をまとめる前に汗を流してもいいだろうか?」


「もちろん。俺ちょっとコンビニに行ってくるから、好きに使って」


 ジャージ姿の織姫が玄関で聞いてきたのでそう答えた。


 ――荷物をまとめる。


 そう。織姫がこの洋館に戻ってきたのには、すれ違った家族関係から逃げていたこれまでとは別の理由があった。


 風見家の家族関係は今回の一件で改善に向かう。

 ゆえに織姫は広げた荷物を取りに戻ってきた。――実家に、帰るために。


「お言葉に甘えさせてもらうよ。髪が蒸れてとても鬱陶しいからな……」


 生徒会長の役目や一生徒として競技の参加など、体力消費が人一倍激しかったこともあって、織姫は浴場へ向かった。


 それを見届けた俺は、私服に着替えて財布の中身を確認し、再び洋館の外へ。


 目的地はコンビニ。珍しく夕食を買うつもりだった。今日は本当に、疲れたから。


 ここ二、三日は織姫が作ってくれることも多かったけれど、そんな生活は今日で終わりだ。

 また一人で過ごす時間が増えて、時々涼子(りょうこ)さんが来てくれて、でも夜は眠れない。

 そんな日々が戻る。


 なんだか少しだけ、物悲しい気分だった。誰かとこうして長い時間一緒にいるのは本当に久しぶりで。

 織姫にはいろいろ気付かされ、思い出させられたな。

 それに見合うだけのものを俺は返せただろうか。もし足りないなら、その分もちゃんと返さないと。


 ――全部、終わらせて。


 さて、そろそろ織姫もお風呂から上がっている頃だろうか。

 コンビニで適当に夕食を見繕い、早足で坂を上り、鉄格子の門を抜けて正面扉に手を開ける。


 扉を引くと隙間から漏れ出る暖色の明かり。

 そして目の前に構えた人影。



「――おかえり、冬馬(とうま)君」



 人影の正体は、お風呂上りでジャージ姿の織姫だった。


「えっと……ただいま……?」


「うむ。湯船の掃除をしておいたから、君も汗を流すといい。疲れが取れるよ」


「ああ、うん。ありがとう」


「それとしばらくドライヤーを借りるよ。何分、乾かすのに時間がかかってね」


「分かった」


「それじゃあ、いい湯を」


 なんだか変な気分だ。

 こう、変な例えだけれど妻が出迎えてくれる仕事終わりの旦那の気分というか。


 いや――そうか。

 俺と織姫は決して夫婦ではないが、彼女がこの洋館に来た日、俺は言った。

 ここを自分の家だと思っていい。俺を家族だと思っていい、と。


 だから織姫は俺の帰りを出迎えて、おかえりと言って――そして俺はこの家に帰ってきて、言うのだ。


 ただいま。


 そういえばいつか思ったっけ。

 この洋館を自分の家だと思える日が来るのか、帰る場所を作ってもいいのか。


 本当にふとした瞬間――その答えが出たような気がする。


 たった数日間の共同生活だったけれど、得たものは確かにあったんだ。


 入浴を済ませた俺は髪を乾かそうとして、ドライヤーが見当たらないことに気が付いた。

 織姫がまだ使っているのかとも思ったが、三十分もあればさすがに乾かし終わっているだろう。


 となると、一枚壁を隔てているとはいえ俺の入浴中に脱衣所に入ることを躊躇った、とかだろうか。


 いずれにしてもこのまま濡れた髪でいるのは不衛生だし、進捗状況を確認するためにも俺は織姫の部屋を訪れた。


 扉は半開き。軽くノックしてから中を覗く。

 ドレッサーの前に置かれた椅子に腰を下ろした織姫の姿が目に入る。


「織姫先輩?」


 声をかけると、織姫は手に持っていた写真立てをそっと裏向きに置いてから俺のほうを向いた。

 

「ドライヤーの順番、空いてる?」


「ああ……」


 何かを考えているような曖昧な返事。どうかしたかと首を傾げると、織姫は視線を左に向けてからそっと横髪を耳にかけた。


 そのとき、何かの記憶が呼び起こされる感覚があった。

 はっきりとは思い出せないけれど、どこかで見たことがあるような、いわゆる既視感。

 

「冬馬君、ここ、座ってくれないか」


 立ち上がった織姫はそれまで座っていた椅子を指して言う。

 断る理由もないので言われるままドレッサーの前に移動すると、織姫がドライヤーを片手に持ち、俺の後ろに立った。


「私が君の髪を乾かそう。……嫌かな?」


「嫌ってことはないけど、なぜ」


「別に特別な理由はないさ。ただ祖母が昔やってくれたから、私も君にそうしたい。それだけ」


「じゃあ……お願い、します」


 小さく笑った織姫は弱風で丁寧に俺の髪を乾かし始めた。細い指が髪に触れて、なんだかこそばゆい。


「しかしこうしてみると、君は結構髪が長いんだね」


「前に切ったのは……三か月くらい前かな」


 夏野にも同じようなことを言われたなと思いながら、俺はそう返した。


 この町に来る前、病院で適当に切ってもらって以来、ずっと伸びっぱなしだ。

 一応毎朝それほど気にならないように整えてはいるが、風に靡いた前髪が目に入ることもあるので、そろそろ切ったほうがいいかもしれない。


「三か月前。確か君は四月からこの町に引っ越してきたんだったな。以前はどこに?」


「前は……病院にいたんだ。入院してた」


「病院に?」


「ああ。ちょっといろいろあって。っていうのも一昨年に」


十七夜月(かのう)事件があったからかい?」


「ああ、あれがあって俺は――――え?」


 相槌を打って、その後に疑問が追い付いた。

 鏡越しに目で問う。どうして知っているのか、と。


「……十七夜月さくらとは面識があった。小学生の頃、同じピアノ教室に通っていたことがあるんだよ。コンクールにも一緒に出たことがある。ほら」


 織姫は裏向きに置かれていた写真立てを立てた。そこに入れられた一枚の写真。映っているのはピアノコンクール出場者の集合写真だ。


 正装した十数人の子供たちが並び、その中に幼い織姫、何よりその隣には白銀の髪に青い瞳を持つ少女――十七夜月さくらがいるじゃあないか。


 ……思い出したぞ。さっき織姫が見せた仕草。椅子に座ってそっと横髪を耳にかけるのは、さくらがピアノを弾く前にする仕草だ。


 十七夜月家にいたとき、さくらは稀にだがピアノを弾いてくれた。

 俺はかつて、さくらのそのルーティンとも呼べる行動を目撃していたんだ。


「彼女は天才だった。おかげで私はこのコンクールのあと、すぐにピアノを辞めてしまった。元々、数ある習い事の中の一つということもあったのだが……正直に言えば絶対的な壁を感じて、心がぽっきりと折れたんだよ」


 だから織姫の手には、親指が反っていたり、小指が僅かに曲がっているなど、ピアニストの特徴が出るほどの変化がなかった――ということか。


「けど、じゃあ俺のこと、最初から知って?」


「いいや。事件のことは知っていたが、君の経歴を知ったのはついさっきのことだ。母が君のことをね。気を悪くさせたならすまない」


「ああ……そっか。いや、いいんだ。もう変に隠すことはしないって決めたから」


「それはよかった」


 髪を撫でていた風が消える。濡れた髪は充分に乾いた。

 時刻は午後七時。そろそろお別れの時間だ。

 俺は椅子から立ち上がろうとして――そしてなぜか、両肩を織姫に押し込まれ、再び座り込む。


「お、織姫先輩?」 


「ねえ、冬馬君。立ち入った質問なのだが、その。君が夜眠れないのは事件のことがあるからかい?」


「……、ああ」


 否定することなく、俺は肯定した。数日も生活を共にしていれば気付かれないことのほうが難しい。

 十七夜月事件のことがトラウマとなり不眠症になっている――俺の経歴を知った織姫なら、そう推測することは容易いだろう。


「……やっぱり今日、もう一日だけ泊めてほしい」


「それはまた、どうして?」


「冬馬君。私は君のことが好きだ。けれどこの館にいる間、私は君を家族だと思って接してきた。君はそれを許してくれたな。これまでも、そしてこれからも――だから今の君を一人残して帰るなんて、駄目な気がするんだ」


 頭に手を乗せられて、髪を撫でられる。

 その手つきからは他人の頭に触れる緊張は感じられず、むしろ少しばかり無遠慮にされているようにも思えた。


「君にはずいぶんと醜態を晒してしまったな。だから、というわけじゃあないが……君も変に気負う必要はない。どんな君でも私は受け入れるよ」


 それから織姫は静かに体を寄せて、その腕を回した。軽く、抱きしめられる。

 抱擁。熱。――生きている証。


「これまで辛かったね。白雪(しらゆき)君はよく頑張った。偉い。大丈夫――私が君の前から突然いなくなることはない。だから今日くらい安心して休んでくれ」


 まるで赤子をあやす母親のように、織姫が俺の体をぽんぽんと叩く。

 温かい。ぽっかりと穴が開いた俺の心に、何かが注がれていくようだ。


 織姫だけじゃない。花灯も、そして夏野も。みんながくれた熱が、俺を俺にしてくれる。


「君の真似、うまくできたかな?」


「うん。結構……効いた」


 そのあと織姫は両親に断りを入れて、この洋館にもう一泊することになった。

 夕食を終えてからは、様々な事情を知ってしまった夏野と電話で話し合い。


 それから織姫と二人で散々映画を見ながら、リビングのソファーをベッド代わりにして寝落ちした。

 

 俺は久しぶりに、何の夢も見ることなく静かに眠ることができた。

 それはただ体育祭やら、風見家の一件やらで疲れていただけとも言えるかもしれないけれど、だからといって織姫の気持ちが無駄だったとは思わない。


 帰る場所。守りたい関係。大切な人。

 今回の件を通して、俺は大きく変わった。


 あの頃と同じだ。十七夜月家にいた頃と。

 でも違うところだってある。

 今の俺は、さくらに手を引かれるままだった子供じゃない。


 復讐を終えた先の未来。そこに求めるものが、今の俺にはある。


 もし――世界がまた俺から大事なものを奪おうとするなら、全力で戦ってやる。

 

 戦って、守り抜いて、取り戻して――どうか"普通"の青春を、俺は。

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