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55話『失うことの痛みを、知っているから』

 体育祭当日。

 第二種目の綱引きが終わったあと、俺は教団の人間が席を立ったところを見計らい風見(かざみ)夫妻に声をかけ、織姫のことで話があると言って、東校舎三階にある三年一組の教室に(いざな)った。


「こんなところに呼び出して……。あなたの家に織姫(おりひめ)がいるというのは本当なの?」


 そう尋ねるのはワンピースにストールとシンプルながらも上品さが漂う恰好をした女性――風見舞歌(かざみまいか)。織姫先輩の母親だ。


「――――」


 その隣に立つのが風見宗玄(かざみそうげん)。風見舞歌の夫であり、織姫の父親。

 信念を宿した瞳が特徴的な、大企業風見グループのトップを担う男。


「ええ。改めまして俺は冬馬白雪(とうましらゆき)です。今日はお二人にお話があって、この場を用意させてもらいました」


「御託はいいわ。織姫は返してもらいます。いい加減、気持ちの整理もついたことでしょうし」


「織姫先輩は風見グループがこのまま教団『イノセント・エゴ』に乗っ取られることを望んでいません」


「それは――織姫本人から現在我々が置かれている状況について話を聞いたということか」


 風見宗玄の厳かな声が向けられる。場を一瞬で支配できるほどの芯があり重みがある声。

 俺はそれに怯むことなく、平常心を意識しながら頷く。


「そうです」


「君とは初対面だ。言葉を交わすためにも、なぜ織姫に手を貸すのか、その理由を教えてくれないか?」


「それは――」


 彼の疑問は当然だった。

 どこの馬の骨とも分からない高校生が、こうして他人の家の事情に首を突っ込むのだ。

 その理由を提示しない限り、俺の言葉に重みや説得力なんてものはないだろう。


「俺には理解できるんです。このまま家族の繋がりを失いたくないと言った織姫先輩の気持ちが」

 

 願わくば最初に打ち明けるのは散々迷惑をかけた夏野だったら――なんて場違いな思いを抱きつつも、それでも俺は決めたんだ。

 己の意志で呪われた過去を曝け出すことを。


 織姫の告白によって、俺は閉ざしていた心の扉を開けることができた。

 だから変に言い訳して隠すようなことは――もうしない。



「一昨年のクリスマスに起きた十七夜月(かのう)事件、俺はその生き残りです」



 夫妻の顔色がほんの少し変わった。十七夜月事件は隣の盞花町(せんかちょう)で起きた事件だが、あれだけのことがあったのだ。無関係な人の記憶に刻まれていても不思議じゃない。


「あの日、家に帰ると家族が殺されていた。犯人は捕まっておらず、バラバラにされた遺体からは未だ頭部が見つかってません。日常が不意に崩れ去って、寄りかかっていたものがなくなって――」


 あのときの光景がフラッシュバックする。

 仄暗い部屋、微かに聞こえるオルゴールの音色、机に並べられた特別な"プレゼント"。


 声がかすれそうになる。胃液がせり上がってくる感覚がある。

 けれどそれでも、つっかえそうになる言葉を手繰り寄せるのだ。


「失うことの痛みを、俺は知ってる。だから織姫先輩に同じ思いをしてほしくなくて、こうして話をしに来たんです。お願いします。『イノセント・エゴ』と手を切ってください」


 恥も外聞もない。ただ頭を下げて言葉を紡いで行う――説得。


 言ってしまえばただのお願い。けれどこれが今回の俺にできることだった。

 なんて頼りないのだろうか。

 それでも純粋な願いは、ときに何よりも人の心を動かす。

 

「君の事情は把握した」


 顔を上げると、風見宗玄は拳を強く握りしめながらも表情を変えずに言葉を続けた。


「しかし我々の内情を聞いたのなら、理解しているはずだ。教団との関わりを絶てば経営が悪化し会社は潰れる。冬馬君――私には上に立つ者としての責任がある。家族か会社か。天秤がどちらに傾くか、想像は難しくないだろう」


「ええ。それは承知しています。でもこんなやり方をする『イノセント・エゴ』に、未来があるとは思えません」


「そんなことは私だって理解しているさ。だが切りたくても切れないんだ」


「いや、そんなことはない。今ならまだ状況をひっくり返せる手段が――」



「――待ちなさいな」



 風見舞歌による割り込み。内心、俺は来たと思った。それを待っていたのだ。


 今の会話から俺と風見宗玄の認識として"教団は拒絶するべきものである"という部分は共通していることが分かった。けれど彼女は違う。

 それがたとえ誘導された意志であろうと、教団側に立っている彼女は黙っていられないはずだ。


「あなたは教団の何を知っているというの? 宗玄さんもよ。このままいけば私たち家族は幸せになることができるの。何も悪いことなんてない。どうしてそれが理解できないの?」


「舞歌」


 その声には少しだけ哀しみが込められていた。

 けれどそれ以上は続かない。ならば、俺がその間を取り持ってやらなければ。


「……織姫先輩は知りもしない男を結婚することになる。あなたの旦那さんは社長という立場を失い、会社を奪われるんですよ。それで何が得られると言うんですか」


「織姫は苦労せず生涯の伴侶を見つけることができて、宗玄さんは背負い続けていた重荷を下ろすことができる。それってとてもいいことだと思わない?」


 俺の指摘に彼女は何の躊躇いもなくそう問い返してきた。

 そうか。傍から見れば政略結婚と会社を乗っ取るためのクーデターだけれど、彼女にはそれが相手を幸せにする手段に見えているのか。


 ひどく歪だ。でもやっぱり、その根底にあるものは……。


「舞歌、私はその考えには賛同できない。それは己の選択権を他人に委ねると言うことだ。織姫にだって……」


「今さら父親としての役割を果たそうとしないで! ずっと仕事一筋で織姫にも、間近で支え続けた私にも目を向けないで、他人に頭を下げてばっかり!」


 始まった。これまで溜め込んでいた感情の暴発。

 少しずつ溜まった水が、ついに器から溢れ出したんだ。


「っ……忘れたのか? 織姫が生まれた日に誓ったじゃないか。私も君もかつては貧しい子供だった。だから何があっても織姫に苦労をさせないようにと"俺たち"は――!」


 結局のところ、すれ違ってしまった想いを再び交差させるには、話し合うしかない。


 しかし風見宗玄には社長としての業務が、風見舞歌には教団信者としての責務がある。

 時間に追われる毎日――ここまで話がこじれてしまったのは、こういった話し合いの場をまともに作ることができなかったからじゃないかと、俺は考えていた。


 もしかしたら教団の人間が夫婦の対話を阻害していた可能性だってあるだろう。


 だから一度話し合い、目的、手段、価値観、互いの人間性を知り直すことで関係をリセット――まではいかなくても、ある程度改善することはできるはず。


「そうよ……。私だってそう。織姫にも、それに宗玄さんにも。だから教団が導いてくれるのよ。あなたが失脚したあとは私が会社を背負う。あとは私が頑張るから、宗玄さんはもう休んでいいの!」


「な……そんなこと、これまで一言も……!」


「それが私たちのやり方でしょう? 神無月(かんなづき)さんを新しく秘書に選んだときもそう。宗玄さんだって、私に何も言わず行動した。知らないところで幸せをくれようとしたじゃない……!」


「だがそれは……!」


「だから私もそうしたのよ!」


「しかし君のそれは! 君の考えは教団に誘導されている!」


「誘導なんかされてないわ! これは私の意志で、全部利害が一致しているからやっていることなの!」


 あれ……まずい。ちょっとヒートアップしすぎてないか。

 これ以上は関係が改善するどころか修復不可能になってしまう。


「ま、まあ二人とも一旦落ち着きましょう。これじゃあ話し合いも……」


「すまないが君は黙っていてくれ……!」

「部外者は口を挟まないでくれる……!」


「……」


 思わずやれやれと両手を挙げそうになった。しかしここで諦めては織姫にも花灯にも合わせる顔がない。

 俺は周囲を見渡して、机に置いてあった紙袋に目を付けた。

 中身はお昼用に買ったのであろうパン。それを取り出して袋を空に。


 そうして口を塞いで空気を閉じ込め、あとは――。



 ――パンッ!



 不意を突く破裂音に、風見夫妻は口論を止めて意識を俺に向けた。

 よし、これで一旦リセット。

 さらにここから畳みかける。


「――一度、冷静になって。宗玄さんが仕事一筋だったのは家族に苦労をかけないため。舞歌さんが教団と手を組んだのは家族を楽にするためだ。そこは絶対に否定しちゃいけないと思います」


 織姫の話では、二人はどこか冷たいイメージだったけれど、その行動の根底にはちゃんと家族を幸せにしたいという思いがあった。

 方法が間違っていても、考え方が歪であっても、そこはなかったことにしちゃいけない。


「そして俺がここにいるのは織姫の意志でもあります。織姫は家族関係が壊れることを避けたいと思ってる。温かい思い出がほとんどなくても、それでも家族だから、と」


 夫妻の表情が変化する。

 怒りや後悔が滲んでいたものから、娘の存在があるからこそ抱く感情――慈しみを噛み締めるものへと。

 

「風見家の誰もが家族を思って行動しました。でもそれは結果的に空回りになってしまった。それぞれが胸に秘めた気持ちを知らないまま、すれ違ってしまって、気持ちの押し付けになっていた。けど今はもう、違うでしょう?」


 織姫が望む幸せはきっと、家族が一緒にいる時間があればそれでいいものだったんだ。

 唾と共に、その言葉を飲み込む。

 これを言うのは、言っていいのは織姫本人だけだ。俺じゃない。


「……君は言ったな。状況をひっくり返せる手段……何か考えがあるのか?」


 満を持して訪れた問い。俺は迷いなく答える。


 

「――はい。琴平陽光(ことひらようこう)が起こした横領事件の再捜査を警察にしてもらうんです」



 これこそ、俺があの日、夜の砂浜で思いついた風見家が抱える問題を打開できるかもしれない手段だった。


「……琴平陽光……?」


 いつの間にか、手近な椅子に座り込んでいた風見舞歌が、小さく呟いた。

 

「去年ウチの会社で横領を行った人物だ。すでに裁判も終わり、刑務所に収監されている」


 俺は頷く。


「教団がこのような手で会社を乗っ取ろうとしていると話しても、おそらく警察は動かない。でも別件なら――横領の再捜査、一度犯人が逮捕された結果が覆るかもしれないとなれば、警察は動かざるを得ない」


 きっかけは何でもいい。匿名の通報でも、マスコミへのリークでも。

 とにかく警察を介入させる理由さえ作れれば。


「教団が風見グループを欲しがる理由は純粋な利益のためだ。もし警察の手が入れば会社の信用は下がり、教団は利用できないと考えて手を引くかもしれない。そうすれば当然経営は苦しくなるでしょうが……」


「勝率は低いが、この状況を打破できる可能性が出てくる、か」


 そうだ。見誤ってはいけないのが、この方法は間違っても正攻法ではない。勝率をゼロから少しだけイチに傾ける程度の手段だ。


 リスクは大きい。警察の介入があっても教団が手を引かないことだってあり得るし、考えを見抜かれ警察に根回しされることもあるかもしれない。


 教団が手を引いても、傾いた経営が元に戻る保証はない。

 結局は問題の先送りになる。


 それでも――、抗える手段があることを知っているのと知らないのでは、多分違うと思う。


「でも……彼には一度有罪判決が下ったのでしょう? それは充分な証拠があったということよね。訴えることそのものが作戦だとしても、犯罪者の無罪を主張するのは……」


「この高校には琴平陽光の子供がいます。俺の大切な友人で、彼女は"父は今でも無実を訴えている"と言っていました。俺はその言葉を信じたい。それにこれは希望的観測に過ぎませんけど、教団がその頃から会社の乗っ取りを考えていたのなら、何かの手を使って琴平陽光をハメた可能性もあります」


「このことは琴平氏のご息女に?」


「伝えました。了承してもらってます」


「……そうか」


 ――これで風見夫妻は知るべきことを知った。

 俺がそうしたように、次は選ぶ番だ。

 なんて偉そうに言ってみたけれど、俺にもまだやることは沢山ある。


 でもとりあえず、この場やるべきことは無事終わりそうだ。


「冬馬君。君の言葉は参考になった。生憎、この場ですぐ結論を出すというわけにはいかないが、君の示した道に私は希望を見た。感謝する」


「いえ、余計な口出しでした。すみません」


「……」


 そっと椅子に座り込んでいた風見舞歌が立ち上がった。

 以前と比べていくらか憔悴しているように見える姿。やせ細り、肉が落ちた体。目の下にはうっすらと隈が見える。

 

 実際のところ、彼女が教団からどの程度洗脳に近いことをされていたのかは分からない。

 精神的にも肉体的にも弱っているのは確かだけど、それは日々に忙殺されていたからと考えられなくもない。

 母親……か。俺には難しいな。今も、昔も。

 

 さあ、仕上げに入ろう。


「ああそれと、俺がお二人と話したのにはもう一つ理由があります。っていうのも織姫先輩にはあの場所を離れられない事情があって……」


 わざとらしく足音を響かせ、俺は窓際に移動する。

 ここからならよく見えるんだ。この体育祭という大舞台で競技の進行や各委員会の割り振りなど、運営側としても頑張っている織姫先輩の横姿が。


「自分が生徒会長として立派にやってるところを両親に見せたい。先輩はそう思ってます。……だから、今度はちゃんと目を向けて、話し合ってあげてください。失くしてからじゃあ……遅いから」


「……織姫に……、けれど私、なんて言えば……」


「そうだな。ずっと織姫のためにとやっていたことが、かえってあの子を傷つけていた」


 窓ガラスに手をついて、織姫を見ながら僅かに戸惑う二人。

 仕方のないことだと思う。

 相手のためを思っていたつもりで相手を傷つけていた――そんな俺と夏野のようなすれ違いが、十数年も続いていたのだ。


 今さらどう一歩踏み出して歩み寄ればいいのか。そう思っているのだろう。

 必要なのは――きっかけだ。


 次の瞬間、織姫の真後ろに設置された巨大な看板がゆっくりと倒れ始めた。


「……あの看板……織姫先輩!」


 声を上げる。織姫をすっぽり覆うほどの大きさの板だ。下敷きになればひとたまりもない。

 最悪の光景が脳裏をよぎる。


「……織姫‼」


 母が娘の名前を叫び、どうか逃げてと目を瞑って祈りを捧げたが、その一方で父は見届けた。


 倒れた看板が確実に自分の娘を押し潰した――その瞬間を。

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