幕間『すれ違った想いを交差させる準備』
✿
日曜日。体育祭を三日後に控えた、最後の休日。
なんて、さも今日が特別な日であるように言ってはみたものの、わたし――琴平花灯にとっての今日は、いつもと何ら変わりない一般的な休日です。
むしろ特別といえば昨日がそうで、学校の先輩であり友人の美原夏野さんと人生初のタコパをしたんです。
父の一件で友達を失い、以降は周囲と距離を置くスタイルを取り続けたわたしからすれば、それはもうお誕生日やクリスマス、お正月に匹敵するほどの特別な日だったと言っても過言じゃあないでしょう。
まあその実態は直前に冬馬くんとのいざこざがあって、話を聞きながらわたしが落ち込む美原先輩を慰めるという、一般的なタコパのイメージからかけ離れたものだったのですが、そこはそれ。
美原先輩は普段あまりお料理をなさらないとのことで、たこ焼きはほとんどわたしの手で製作されていたのですが、それはそれ。
何を差し引いたとしても失われたと思っていた青春を――取り戻した青春を実感した、まさに特別な一日でした。
なので今朝、冬馬くんから"話があるから午後に例の洋館に来てほしい"とメッセージが来たときも、決して昨日を超えるような特別な出来事があるとは思いませんでした。
わたしの予想としては、昨日の一件でようやく美原先輩に昔のことを話すつもりになったので、仲直りに協力してほしいという旨の話なのではないかと。
つまりそれは、美原先輩にとっては特別な日になるかもしれないけれど、わたしにとっては青春のお手伝いをするだけの何でもない日になると――昨日の今日でハッピーな気分だったわたしは、そんな風に楽観的になっていたのです。
「――花灯、単刀直入に言うよ。織姫先輩の問題を解決するために君の許しが欲しい」
昼下がりの洋館。
アンティークな雰囲気の漂うリビングで、冬馬くんからそう言われるまでは。
✿
「――これが織姫先輩の、ひいては風見家の現状。そしてこの絶望的な状況をひっくり返せるかもしれない唯一の方法なんだ」
「……はあ」
革張りのソファーに座り、お茶を用意されてからおよそ二十分。
向かいの席に座る桔梗高校の生徒会長――風見織姫にまつわる話を一通り聞いたあとの感想がそれでした。
母親が悪い宗教にハマり、父親の経営する会社が乗っ取られようとしている。
このまま行けば風見織姫は知らない男と結婚させられる。
確かに重い事情です。昨日、美原先輩に何も言えなかったのも納得がいきました。
一見、すべてが詰んでいるようなこの盤面で打てる手も、なるほどそれしかないでしょう。
少なくともわたしにはそれ以外思いつかない。
理屈で考えれば断る理由、許さない理由なんてありません。というか許すとか許さないとか、そういうことじゃあないとも思います。
でも……でも、相手がよりにもよって風見家だというのは……。
「どうして、勝手にやってくれなかったんですか。こんなの知りたくありませんでした」
「ああ、変に希望を持たせるのが最も残酷なことだってのは分かってる。でも話さないで勝手に利用するのは……もっと酷いと思ったんだ」
「ならその誠意を美原先輩にも見せてあげてくださいよ。あの人昨日、沢山泣いてました。冬馬くん、どうして追い付いてあげなかったんですか?」
「……返す言葉もない」
「そっちの会長さんも、冬馬くんに頼りっきりじゃないですか。冬馬くんの家に転がり込んで、美原先輩に勘違いさせて、どうして貴女やその家族は、わたしたちの日常を壊そうとするんですか?」
「……君の言葉は正しい。こうも巻き込んでしまったことを本当に申し訳なく思っている。だが、それでも、わがままを承知で言わせてくれないか。私はこのまま家族を失いたくない。一緒にいた時間は少ないけれど、温かい思い出なんてほとんどないけれど、でも……家族だから……」
風見織姫はそう言って、深く頭を下げました。
わたしは思わず目を逸らします。かつての嫌な光景が、フラッシュバックして。
「……やめてくださいよ。なんだか、こっちが悪者みたいじゃないですか」
わたしは知っている。知ってしまっているんです。
悪いことをした人やその家族が頭を下げて、周囲からあーだこーだ言われて、何も知らない人が知った風に正義を振りかざして。
確かに何も知らず、一方的に相手を嬲ることができたら、それはそれで鬱憤を晴らせたんでしょう。
でもわたしはやっぱり、一度そっち側に立ったことがあるから――。
「とりあえず顔、上げてください。もういいですよ。わたしの言葉が正しいというのなら、そんなのごめんです。ただ正しいだけの正しさなんて、相手に寄りそえない暴力と一緒ですからね」
それにわたしは――無論今だって信じていますけど――でも一度出た結論として、間違っているのはわたしたちのほうなんですから。
だからこんなわがままを言える権利なんて、本当はないんです。
「その作戦、やりましょう。わたしにもできるかぎり協力させてください」
なんて言ってみせると、風見織姫は再び頭を下げました。
「ありがとう。感謝してもしきれないよ」
「別に貴女のためじゃないですから、そういうのもいいです。あー……ところで、ずっと気になっていたんですけど。なんで冬馬くんはさながら塗装職人のように、顔や手に塗料が滲んでるんですか?」
会長さんから頭を下げられるとどうにも複雑な気分になるので別の話題を提供すると、冬馬くんが至って真面目な顔でこう答えました。
「ん、ああ、これは――看板を作ってるんだ」
「……は?」
「あ、せっかくだから花灯も手伝ってよ。さっき協力するって言ったよね」
「え? …………え~…………」
✿
本当に看板づくりを手伝わされて、時刻はすっかり夕方。
まったくあんなの何に使うんですかね。すごい気合入れて塗装しちゃいましたけど。
燃えるような光が差し込む洋館の通路。
帰宅するわたしを見送るために二、三歩後ろを歩く冬馬くん。
「……あの、美原先輩のことはどうするんですか? まだ連絡も何もしてないんですよね」
二人きりという状況もあって、聞きそびれていたことを尋ねてみました。
後ろから聞こえていた足音が止まったので、わたしも足を止めて振り返ります。
冬馬くんの表情は真剣そのものでした。
いつもはどこか余裕そうに笑顔を浮かべていることの多い彼ですが、それだけ美原先輩のことを考えているということでしょう。
「夏野には全部話すよ。それから……距離を置こうと思う」
「それは先輩を振るってことですか?」
もしそうだとしても、冬馬くんは間違っていないと思います。
美原先輩は優しいからきっと冬馬くんの過去を知っても、これまで通り付き合ってくれることでしょう。
でもホワイトキラー、そして連続失踪事件――彼が抱えているものは重すぎて、その重荷を美原先輩にも背負わせるようなことになってしまったら。
そんな状況を冬馬くんは絶対に望まない。
だから正直なところ、妥当な判断だと思いました。何となくそれが丸く収まる選択で、自然とそうなるのだと。
「――いや」
けれど、彼は迷いのない眼差しで言うのです。
「織姫の一件を終わらせたら、本格的に十七夜月事件の捜査に取り掛かるつもりだ。失踪事件のほうはまだヤツが関わっているかは分からないけど、いずれにしてもホワイトキラーは必ず捕まえる。過去を清算するんだ」
「……それは……」
「それで全部終わったら――俺から夏野に告白する」
絶望の中に希望を抱いて、瞳に映った光を見失わないように冬馬くんは宣言しました。
力強く。何よりも誰よりも自分自身に言い聞かせるように。
それから彼は年相応の少年らしい笑みを浮かべて、胸にそっと手を置きます。
「ようやく見えたんだ。この復讐の先に何があるのかを。――俺は青春ってやつを取り戻すために、この復讐をやり遂げる。新しく始めるために、終わらせるんだ」
……なんでそんなことを、美原先輩じゃなくてわたしに言っちゃうんでしょうね。
笑っちゃいますよ。
おかげで今日も、わたしにとって忘れられない日になりそうです。




