46話『無事に家に帰るまでがデート』
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「ところで冬馬君はどこで暮らしているんだ? 以前墓地で会ったとき、私はてっきりあの近辺に住んでいるのかと思ったのだが、全然見かけないじゃないか」
午後八時半。カラオケ店から出て大通りを歩いていると、織姫からそんな疑問を投げかけられた。
「墓地?」
と後ろを歩いていた夏野は首を傾げたが、あまり突っ込んでいい話ではないと思ったのか、それ以上は何も言わなかった。
「あの辺は滅多にいかないかな。俺は南坂の方面、というか坂を登ったところにある洋館に住んでるんだ」
「ん、なるほど。あそこか」
「知ってるの?」
「ああ。私が高校に進学する際、不動産屋があそこを買わないかと父に話を持ち掛けてきたんだ。父は私が一人暮らしするための物件を探していたからな。まあ結局、母が反対して購入も一人暮らしも水に流れたのだが」
確かにあの洋館を丸ごと買い取り、そこで娘に一人暮らしをさせるというのは少々大げさというか、やりすぎだろう。反対する気持ちも分かる。
あそこ広いけど決して住みやすいというわけでもないし。リフォームするにしても余計にお金がかかる。
あの母親らしい堅実的な考えだ。
そういえばあの後、風見家の親子関係、母子関係はどうなったのだろう。
さきほど話に出た墓地での一件を思い出す。
風見の娘としての在り方を強要する母親と、ただ自分らしくあろうとする娘。
織姫はいつもと変わりない様子だから、判断がつかない。
かといって今は夏野もいるし、無遠慮に尋ねることでもない、か。
いや、でもそう考えるとおかしな点が一つ。
「あれ、でも今、会長さんホテル暮らししてるんですよね。実家のリフォーム的なアレですか?」
俺の疑問を夏野が言葉にしてくれた。
織姫はそれに対してやはり変わった様子もなくこう答える。
「いや、言ってしまえば試泊というやつでな。オープン前のホテルにモニターとして宿泊させてもらっているんだ」
「なんかさっきの不動産の話といい、マジでお金持ちムーブしてますね……」
「ふふ、過度な謙遜は嫌味に聞こえるだろうが、それでもあえて言うならこれも家の付き合いというやつだよ。スタッフはやたらと気を使ってくるし、媚を売ってくるものもいる。あまり良いものでもないさ」
さらりと言ってのける織姫に、俺も夏野も苦笑いを浮かべる。
確かにそう言われると、あまりいいイメージは湧かない。
犬や猫は構いすぎるとストレスが溜まるというし、人間も同じようある程度放っておいてくれたほうが気が楽なこともあるだろう。
「……」
構いすぎる、周囲が過保護になる。
まるで連想ゲームのように彼女の姿が浮かび、俺は首を振った。
「さて、ホテルも見えてきた。私は一足先に失礼するよ。二人とも今日はありがとう。楽しい休日になった」
「こちらこそ、いい歌をありがとう」
「風邪、気を付けてくださいねー」
そんな言葉を交わして、織姫は雑踏の中に紛れていく。
残った俺と夏野。
互いの帰路は真反対とは言わないまでも、南と東くらいには別方向。
「帰ろう、夏野。もう夜だし送るよ」
「ん、いいよ? ウチのほう来たら白雪くん遠回りになっちゃうでしょ?」
「構わない。ちょうど、そっち方面に用事もあるし」
「んー……じゃあ、まあお言葉に甘えます」
用事なんてなかったけれど、まあ、嘘も方便というやつだ。
きっと夏野も分かっている。分かったうえで乗ってくれた。
冷たい夜風が吹き抜ける。
冬の風にも似た、けれど水気のある心地いい空気が、一日中歩いて、話して、笑って、楽しく疲れた体を優しく包み込む。
そうして歩くこと二十分と少し。繁華街を離れて住宅地に入ったところで、夏野が一歩先に躍り出た。
薄暗い路地を照らす街灯の下。
スポットライトを浴びるように、夏野の姿が夜闇に映し出される。
「家、もうすぐそこだから、ここまでで大丈夫。ありがと、白雪くん」
にっこりと笑う夏野、俺も自然と微笑んで。
「こちらこそありがとう。夏野、君のおかげで俺は青春ってやつを取り戻せたのかもしれない」
「や、それこそさ、こちらこそだかんね。白雪くんが助けてくれなかったら、今のウチはいない。息の詰まる学生生活を送り続けて、どっかで投げ出しちゃってたかも知んない。だからホント、お礼を言うのはウチのほうで……あー、つまり……その」
次の瞬間、夏野は青白い光を浴びて輝く茶髪を乱して、俺に抱きついた。
そして耳元で囁くのだ。ほかの誰でもない俺にだけ聞こえるように密かに。
「――また、デートしようね」
直後、夏野はすぐに俺から離れて背を向けた。
「そ……そんじゃ」
「夏野!」
「ん……?」
「顔、赤いよ」
「っ――! せ、背中向けてるしこんな暗いのに分かるわけないじゃん。馬鹿……」
ああそうさ。だからこれはいつもの手だ。
ハッタリをかまして、相手の反応を見る。
そっか。夏野は今、顔を真っ赤にして、恥ずかしさを感じていて。
でも……俺ともう一度デートをしたいと望んでいる。
「夏野、また明日」
もう彼女の姿はなかったけれど、それでも俺は言葉を投げた。
さようならではない。永劫の別れではない。
また明日――会おう、と。
――ブブッ、ブブッ。
スマホのバイブレーション。画面を見る。
電話だ。表示されている名前は桐野江涼子。
涼子さん。なんだろう、こんな時間に。
「もしもし」
『白雪、私だけど今、大丈夫?』
「外にいるけど大丈夫。どうかした?」
息を飲む音が聞こえた。
いつもの涼子さんとは違う。いつものではない、となると仕事のときの――つまり警察官としての職務に準じているときの彼女の雰囲気だ。
俺は何となく嫌な予感がして、街灯の下に立ち、壁を背にした。
『――田中直紀、覚えているわよね』
「ああ、覚えてる」
田中直紀。桔梗高校に通う生徒で、夏野や七瀬のクラスメイト。
先月の半ば、父親と共に失踪した少年の名前だ。
「見つかったの?」
『……いいえ。違うわ』
刹那――俺の脳裏には最悪の光景が浮かぶ。
一昨年のクリスマスの夜。十七夜月事件と呼称される殺人の、現場の光景。
何の関連もない、ただ安易に連想してしまったというだけだ。
そんな確証なんかどこにもない。
だから声には出さない。
けれど俺は……次に涼子さんの口から出る言葉が、田中とその父親の死体が発見された――というものである可能性を考え、覚悟した。
だが、その予想は外れる。
『彼とその父親はまだ発見されてない。未だ消息不明のままよ』
無意識のうちに安堵の息を漏らしていた。
『けれど事は、間違いなく悪い方向へ進んでいるわ』
緩みかけた緊張が、まるで心臓を鷲掴みされたように再び、全身を駆け巡った。
『――今度は常盤大河とその両親が失踪したのよ』
「…………は?」
常盤大河、二週間ほど前に『別れさせ屋』の一件で対峙した桔梗高校の三年。
『田中家と常盤家、失踪した両家の共通点は、子供が桔梗高校に通っていたこと。……ごめんなさい、白雪。ホワイトキラーとの関連も疑って明日、あなたに事情聴取を行うことになる』
静かな水面に、穏やかになった水面に、再び一石が投じられた。
しかも前回の比ではないほど、大きな石が。
『時間は放課後にしてもらったわ。ほかの予定は入れないでおいて』
涼子さんの言葉はどこか事務的だ。所々俺を慮るような仕草は見せてくれたが、しかし二組目の失踪者が現れたことで、捜査の規模も増して、個人として動くことは難しくなったのだろう。
「……」
今後、場合によっては俺の過去が周囲に露呈する。
最悪の場合、近しい人間に危害が及ぶかもしれない。
それが大衆によるものか、それとも連続失踪事件に関わる者からかは、まだ判断できないけれど。
いずれにしても――ああ。取り戻せたかもと思っていた青春が崩れていく。
ごめん……デート、もう無理そうだ。
――――夏野、俺は。




