39話『十七夜月さくら』
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あれはまだ、俺が十七夜月白雪という名前だった頃のこと。
一昨年の六月。
当時中学三年生だった俺は修学旅行で京都に行ったんだ。
そして今回と同じように体調を崩した。
確か原因は修学旅行の直前に風邪を引き、症状が軽くなってきたところで京都行きを強行したことにあった気がする。
二泊三日。一日目はなんともなかったけれど慣れない人混みの中を歩き続けたことや、そもそも集団行動が得意ではないこともあってか、二日目は完全にダウンしてしまった。
我ながら昔から自己管理が下手というか、向こう見ずなところがあるものだ。
その日の夜。
貴重な一日を寝て過ごした俺は、少しばかり楽になった体で浴場へ向かっていた。
旅館は学校側が貸し切っていたので、当然規律を重んじてあらゆる時間が定められてはいたけれど、体調が回復に向かっていることを教師に報告したら特別に時間外の入浴を許可された。
「……」
――特別。
普通や一般とは違うと、はっきり別扱いすること。
もしも故人――十七夜月さくらを一言で例えるのだとするならば。
それは非常に難しいことだけれど、それでも強いて言うなら――俺はどうしたって"特別"という言葉をあげるのだと思う。
「――白雪」
道すがら可愛らしくも落ち着いた声に、名前を呼ばれた。
それが誰だか振り返らずとも分かる。
「さくら」
名前を呼ぶと、小さな足音と共に十七夜月さくらが俺の前に躍り出た。
浅葱色の浴衣を着ていて、それがとてもよく似合っている。怖いくらいに似合いすぎている。
「体調を崩したと聞いたが、顔色を見る限り元気そうで何より。安心したよ。……ふむ、なるほど、それで時間外の入浴に向かっているわけだな」
俺が頷くと、さくらは自分の推理が当たっていたことを喜び、ふふんと鼻を鳴らした。
「そういうさくらは?」
「私も同じさ。担任が余計な気を回してな。まったく、いかに私の容姿が美しいからといって女子同士の入浴にトラブルが生じるとは思えないが……まあ私のために何かしたかったのだろう。いつものことだよ」
話し方は織姫先輩のようで、背丈やちょっとした仕草は花灯に似ている彼女。
その容姿は周囲の人間が例外的に特異扱いをするほど格別で、どこまでも――特別だ。
十七夜月さくら――白銀の髪に青色の眼を持つ少女。
アルビノというものを知っているだろうか。
先天的なメラニンの欠乏により髪や肌が白く、血管が透けて見えるので目が赤いと形容される体質を持つものがこの世には存在している。
人間だけでなくほかの動物、イメージしやすいところで言えばシロウサギもそうだ。
そしてさくらもまた、そのアルビノだった。
もっとも彼女の場合はメラニンを生み出す能力が僅かながらに残っているとかで、髪は真白まで行かず白銀に、眼は赤色ではなく青色だった。
まあそれでも、周囲の人間と違った容姿を持つ少女であることに変わりはない。
幼少のときから、あるいは生まれたときから、外見的差別を受けてきた特異な姿。
差別というとどうも普通ではない容姿を馬鹿にするとか、悪意のあるイメージが先行してしまうが、彼女の場合は真逆。
さくらはこれまで、異常なほどに愛でられて生きてきた。
まるで絵本の中から出てきたかのように美しき少女は、好奇の視線に晒されるというよりは、むしろ逆に神聖視され、崇拝されていたと言っても過言ではない。
本人曰く――『私は目も当てられないほどに美しすぎた』らしい。
他人はその容姿に嫉妬や嫌悪を抱くのではなく、慈愛や罪悪感を覚えて自浄を促されるのだと、自嘲気味に語っていた覚えがある。
つまり見下されるのではなく、どこまでも見上げられる。
それこそが十七夜月さくらが受けた差別。差をつけて扱われることだった。
「やれやれ、女神のように崇められるというのも困りものだ。普通が望めないことは理解しているが、普通に溶け込むことすらさせてもらえないとはね」
普段は憂いを帯びた微笑みを顔に張り付けている彼女だけれど、俺の前ではこうして本心を吐露する。
それも当然か。
このときすでに十七夜月家に引き取られてから二年が過ぎていたので、さくらとはそれなりに親密な仲だった。
彼女の両親を含めても、おそらくは一番近しい存在だったんじゃないかと俺は思っている。
「……そうだ」
ふと何かを思いついたようにさくらが袖を引っ張り、顔を寄せてきた。
「白雪、一緒にお風呂に入ろう」
生暖かい吐息が耳にかかり、フローラル系のいい香りが鼻孔をくすぐる。
心臓がどくんと震え、顔が一秒ごとに赤くなっていくのが自分で分かった。
「だ、ダメにきまってるじゃないか……!」
「ふふ、何故だ? 生徒も教師もすでに入浴を済ませた。これからの時間、邪魔するものは誰もいないぞ? それに二年以上も一緒に暮らしているんだ。今さら何を恥ずかしがる?」
そう言われてみると、俺は何度もバスタオル一枚やら半裸やらで家をうろつく彼女とニアミスしたことがあるし、ほかにも色々と想起されることがあるのだが、それとこれとは話が違う。
「この場合、どっちかが男湯か女湯に入ることが問題であって……」
「モラルの話か。だが背徳行為は真っ当に生きていては味わえない愉悦を教えてくれるぞ」
「いやルールの話だよ! 個人的じゃなくて社会的な規則の話! ただ汗を流すだけで俺の道徳心を壊そうとしないでくれ……」
「白雪、私に常識やルールなどといった枠組みは通用しないよ。知っているだろう? でも……まあ、そこまで拒むというなら仕方ない。妥協して私が男湯に入るとしよう」
「何も妥協してねぇ……」
「いいから、一緒に、入れ」
鶴の一声ならぬさくらの一声で。
――結局妥協して俺が女湯に入ることになった。
さすがに周囲の人間から神聖視されている彼女を男湯に入らせるなんてことは、させたくなかったのだ。
まったく。もしこれで俺が女湯に入ることに対して抵抗がない人間になってしまったらどうするつもりなのだろう。
「安心するといい。さきほども言ったが、宿は学校側が貸し切っているんだ。生徒と教師が入浴を終えた以上もう誰もこないよ。この天才的頭脳を持つ私が断言しよう」
おそるおそる脱衣所に入ったところで、さくらはそんなことを言った。
「……はいはい」
まあ、彼女がそう言うからにはその見立てに狂いはないのだろう。
さくらは絶世の美しさを持つのと同時に、文字通りの天賦の才を宿しているのだから。
「言い方を変えれば、私がここで君に何をされたとしても誰も関知しないということだな」
長い睫毛に彩られた切れ長の目が、やたら小悪魔チックな笑みを浮かべている。
「……女の子がそういうこと言うのはよくないと思う」
帯を解いて浴衣を脱いで下着姿になったさくらから目を逸らし、俺は呟くように言った。
すると彼女はかあっと頬を赤くして、恥ずかしそうに小さな口を開く。
「わ、分かっているさ……だ、誰にでもこんなことを言うわけじゃないんだから、な……?」
「……」
あまりの破壊力に俺は言葉を失った。
目を背けていたというのに、声だけでこの威力。まさに計算し尽くされたような完璧な可愛さだ。
「ふ、どうだ? 少しドキッとしただろう? 耳が赤くなってるぞ、白雪」
本当に計算された可愛さだった。
「……はぁ……」
「む、つまらない反応だな。ウチに来たばかりの頃に比べればだいぶマシだが、やはり君にはユーモアが足りん。どれ、私が仕込んでやる。君が弟子で私が師匠だ。ほら弟子、私のタオルと入浴セットを持ってこい」
「自然に上下関係を構築するなんて師匠はさすがですねー」
「ふふん、そう褒めるな。照れるじゃないか」
「皮肉で言ったんだよ」
「うん。ま――いいから持ってこい。さすがに下着姿で突っ立っていては体が冷える」
そう言って、さくらは空色の下着をひょいひょいと脱いで先に行ってしまった。
彼女と話していると、たまにこういうことがある。
なんていうかこう、急に冷めた感じになるというか、会話を強引に切られる、見限られるみたいなこと。
当時の俺は彼女のことを自由気ままな猫みたいだなと思っていたけれど、今は少し違う。
さくらは誰に対しても悲しく微笑んで、その頭脳で冷静に他人を操り、壁を作っていた。
否、最初に壁を作ってしまったのは周囲の人間なのだろう。
目も当てられないほど美しすぎる少女――本人がそう自嘲するほどに、周囲の人間はさくらを傷つけてはいけないと、穢してはいけないと距離を取った。
内面に目を向けず外面だけを見て、盲目的に壁を作った。
他人にとって何をしても十七夜月さくらという存在そのものが理想で。
だから彼女は他人の理想で具現化された自分を、偶像を、演じていた。
遠慮することも、手を抜くことも許されず、演じさせられていたのだ。
今になって思う。
さくらが俺に与えてくれた沢山の感情は。
俺だけに見せてくれた表情は、言葉は、結局――失くした心に当てはまるものを求めていた俺の理想を、同じように演じていただけなのではないだろうか。
彼女の本心はもっと別の何かだったのではないかと、考えてしまう。
ならば、彼女を一言で例えるとするならば。
理解者のいない彼女に相応しい言葉は。
特別ではなく――孤独、なのかもしれない。




