11話『冬馬白雪のやり方』
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「――いや、まだ八木原との交際の話が残ってる」
「…………………………は?」
思いもよらぬ言葉。まるで見えない場所から狙撃でもされたような完全なる不意打ち。
それを見事に食らった二年の女王蜂――七瀬七海は、ついに間抜けな声を上げた。
絶対なる優位性を持っているのは自分。どうあがいても自分が勝者で、眼前で情けなく座り込んでる冬馬白雪が敗者。
そう思っていた思考が、先入観が――根底から覆る。
否――俺が覆す。
「ずっと疑問だった。君もその仲間も、かなり過激なことをしてたろ。教科書をボロボロにするのも、ジャージを切り裂くのも、水攻めをするのも、普通はバレる」
「…………」
「それにSNSがここまで発達した時代だ。そんな古典的なやり方じゃなくて、メッセージを無視するとか、恥ずかしい写真を拡散するとか、そういうことだってできたはず。でもそうはしなかった。当然だ。ネットは学校を介さず、直接警察沙汰になる」
「……そうね」
「だからアナログな手段を取った。そっちなら問題にならない自信があったんだろ。学校が隠蔽してくれるかもしれないし。何より自分を守ってくれる駒として――教師の恋人がいたから」
俺は不敵に笑って、七瀬を見返した。
夕焼けが眩しい。しかしその中でもはっきりと分かる。
七瀬の先ほどまでの恍惚とした表情は、すっかりと消えていた。
あまりにも冷たい鉄の眼差しが、向けられる。
「それがどうして、八木原先生なの?」
「あの人は顔もいいし、清潔感があって女子に人気のタイプだ。だから君のお眼鏡にかなった。いい男は分かりやすくステータスだからね。それに君がつけてる香水と同じ匂いが八木原からしたんだ。成人男性が絶対につけないような甘い香りが――」
と、言ってはみたものの、八木原との関係に確信を持ったのには別の理由がある。
だがそれを言うのはもう少し先だ。
「……ッ」
「――さて、もう一度聞こうか。君がもう夏野に何もしないんだったら、俺もこの場で話したことは誰にも言わない。君の地位は守れるよ。どうする?」
「……本当……呆れたわよ」
大きなため息を吐いた七瀬は、しかし精神的余裕を維持し続けた。
天秤はまだ自分のほうに傾いていると、彼女はそう思っている。
「確かに少しは知恵があるみたいね。でもそれを言ったところでどうなるというの? ふふ、この会話をあなたは録音してない。でも……私がこれまでの会話を録音してないなんて、一言も言ってないわよね?」
「…………」
「ふふふっ、あははは! あなた、結構いいわね。ほどよくピンチを与えてくれて、ほどよく気持ちよくさせてくれる。でももうおしまいよ。私が録音した音声は加工して、あなたがあらぬ罪で脅迫を行った証拠にさせてもらうわ」
再び彼女は恍惚とした表情を浮かべた。
少女とは思えない妖艶なその顔は、ねっとりと見下すように俺を見て――そして嗤う。
まるで魔女のよう。
だが――この現実に魔法は存在しない。
七瀬の言葉を借りるなら、そう。
現実は、そううまくいかない。
「これなーんだ」
俺は満面の笑みを浮かべて、自らの勝利を確信している彼女に見せつける。
左手に握った――七瀬七海のスマホを。
「…………え?」
脳が理解することを拒むような声にならない声が、夕暮れの教室に響きかけて霧散する。
だから俺は、追い打ちをかけるようにちゃんと言葉にしてやるのだ。
「答えは君のスマホ」
「な、なんで……どうして……?」
「さっきビンタされたときにポケットから抜いた。いやほんと痛かったよ。今でも頬がひりひりしてる。まあでも、録音は止めて削除したし、ほかにも八木原とのメッセージの履歴とか、別の悪事の証拠とか、全部確認できたからチャラにする」
「ろ、ロックは……⁉ 指紋……いいえ、絶対ありえない。ならパスコード? 嘘、絶対分かるわけないのに……!」
「……君の短所は思い込みが強くて慢心するところだ。よく思い出して。君なら分かるだろ? 俺が最初に君と会ったときのこと」
放課後、彼女は一人でこの教室に向かっていた。
その途中で、俺はタイミングを見計らって故意に七瀬とぶつかった。
すべてはそう、彼女のスマホを泥棒するためだ。
女子の制服のポケットの位置は、あらかじめ夏野の制服を触っておくことで把握していた。
そしてスマホを入れるのにちょうどいいのがブレザーのポケットってことも。
七瀬が右利きで、スマホを入れるなら右側だってことも。
全部、分かっていたのだ。
「あのときに一度盗んだのね……、だけど、パスコードはどうやって……っ、まさか!」
「そう。君からスマホをスった俺は、用意していた液体のりをセンサーボタンの部分にくっつけて、指紋認証が使えないようにした。それから君にスマホを返し、起動チェックを促した」
「そんな、そんなこと……」
液体のりに関しては一瞬で固まるかとか、センサーの精度によっては無意味なのでぶっちゃけ賭けの部分が多かった。
なのであのときは内心、心臓バクバクだったのだが、まあそのことは言わなくてもいいだろう。
「当然、指紋認証は使えない。だから君はパスコードを打ち込んだ。もちろん画面は見えない角度だったけど、目の動きや手元を見れば大体は割り出せる。あの接触にはこういう意図があったんだよ。そしてあとは君を慢心させて、手に入れたスマホから証拠を掴むだけ」
「……随分、コケにしてくれたものね……」
「まあね。君は自分が賢いと思ってるタイプだ。だから自分の行動で手に入れた結果を疑わない。見え見えの罠に絶対引っかかると思ったよ。……でも、俺のスマホを壊したのは本当に許さないぞ。電話くらいしか使わないって言ってるのにやたら高いのを貰っちゃったんだから」
多分日本で一番ポピュラーな機種だと思うんだけど、最新の高性能タイプで十万越えるって全然ポピュラーじゃないだろ……。
プレゼントとして貰うにしても気が引けるってのに。
憂鬱だ。二年の先輩に壊されたって言ったら納得してくれるかな。
いやこの状況からでも入れる保険が――あるわけないか。
「冬馬白雪、いつか絶対に後悔させてやるわよ」
「どうかな。このスマホに入ってた記録はだいぶ覚えた。記憶力には自信があるほうなんだ」
「ッ――このッ‼」
瞬間、拳を握った七瀬が力強く一歩を踏み出そうとして――、
「ちょ、ちょっと待った! 俺は男だから喧嘩しても勝ち目はないぞ。それにここまで用意したんだ。ポケットに別のスマホもあるし、何ならこの教室にもいくつか録音装置を取り付けてある……!」
怒れる魔女を何とか言葉と挙動で制する。
ちなみにポケットのスマホは本当だが、教室に仕掛けた録音装置というのは嘘だ。
さすがにそんな数の機材を用意することは不可能だった。
だが、ここまでの差を見せたのだ。
七瀬は俺の言葉に半信半疑にならざるを得ないだろう。
「あー……とりあえず以上。いいか、これは取引だ。夏野にはもう何もするな。あと田中にも。というか他人を貶めようとするな。まじめにやれば君は何でも大成する。それで時々、カラオケとかジムとか行ってストレス発散すれば人生バラ色だ。いいね?」
「……なによ、それ」
「それで、君が何もしない限りは俺もこの場で知ったことを口外しない。墓まで持っていくと約束する。でも次に悪さしたら、躊躇なく君の秘密を暴露する。もう音声のバックアップも取った。いいね?」
「…………」
両手の拳を握って、下唇を噛んで眉間に力が入ってる。
明らかに納得いってない様子だ。
だがこちらが弱みを握ってる以上、言うことを聞くしかないだろう。
「じゃあね、いい夜を」
引き際を見誤るべからず。成すべきことは成した。
七瀬のスマホを床に置いて、俺はそそくさと教室を退散して廊下へ出る。
「おつかれ」
そして俺と七瀬が駆け引きをしている間、ずっと見張り役をしてくれていた高砂楓に勝利を告げるように笑いかけた。
「そっちこそ」
楓が右の拳を出してきたので、俺も合わせて拳を出す。
それから七瀬と鉢合わせないようにそそくさと一年三組の教室へ移動を始めた。
「にしても、マジで驚いたぜ。ああいう心理戦っていうの? お前、得意なんだな」
「まあね。というか、どのくらい話聞いてたのさ」
「そりゃ教室の前で見張りしてたんだから、ほぼ全部。あーあ、俺はもっとシンプルに人を助けるのが性に合ってるってのに、なんで先輩の脅しのネタ知っちゃうかな……」
「だから事情を話したくなかったんだ。一応言っておくけど、悪用するなよ。これは脅しでもあり、ちゃんとした取引だ」
「わーってるよ。このことは絶対に誰にも話さない。神にだって誓うさ」
正直、協力を取り付けるためとはいえ楓に事情を話したことには、若干の後悔がある。
別に楓が勝手に情報を漏らすとは微塵も思っていないが、しかし人間、隠しごとが一つあるだけでさまざまな葛藤が生まれるものだ。
言い方を変えれば、眩しいほどにいい人である楓が変わってしまわないか、心配だ。
なんて、お節介なことを考えてしまう。
「で、スマホはいつ返してくれんの? お前のはあの先輩に壊されたんだろ?」
「あー……それね。俺のはあとで回収するとして、録音データはそのまま預かっててくれ。で、準備ができたら俺が預かる形で」
「りょーかい」
いじめを受けた当事者である夏野に渡すという手もあるが、今回の作戦の内容は彼女には知らせていない。
七瀬にも夏野から頼まれてやったわけじゃないと言ってあるし、これ以上面倒な立場にしたくない気持ちもある。
なのでやはり、この秘密は俺が管理するのが一番だろう。
「……楓。これは今ふと思った疑問なんだけど、訊いてもいいかな」
「なんだ?」
「もし誰かに助けてくれって言われたら、今回みたいな面倒な、場合によっては危険なことにも首を突っ込むのか?」
「ん、ああ」
何の躊躇いもなく、楓はそう言い切った。
嘘じゃない。自然な声音で、体もリラックスしてる。
百パーセントの本音であることが、俺には分かる。
「そりゃ、俺にだって限界はあるし、できないこともあるけどさ。けど俺、好きな漫画で好きな台詞があるんだよ」
そして続いた楓の言葉は、俺が予想するまでもなく予想もつかないと断言できる言葉だった。
「――見殺しより、人殺しがいい」




