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43話『さよなら、冬馬の白雪』

 冬馬白雪(とうましらゆき)の復讐が終わりを迎えてから、早くも数日が経過した。


 相変わらず俺の日常は落ち着くことを知らず、今日はやっとの思いで手に入れた休日だというのに、疲れきった体はだらしなくソファーに寝転んでしまう。


「……」


 夏野(なつの)と一緒にいることを選んだあのあと、俺は警察の応援を待ってから念のため彼女を病院へ搬送した。

 それに平行しておこなったのが、捜査員の事情聴取に応じての状況説明だ。


 俺は警察からホワイトキラーと繋がりを持つ人物――あるいは張本人だと疑われていたので、その嫌疑を晴らすためにとにかく必死だったのを覚えている。


 しかしそんな思惑とは裏腹に、警察は水波(みななみ)署をはじめとした各所轄にホワイトキラーの協力者を多数抱えていたことで、組織内に少なからずの混乱が発生した。

 その結果、『冬馬白雪が十七夜月さくら(ホワイトキラー)を逮捕した』というシンプルな事実は、未だ完全には認められていない。


 そもそもとして、さくらを逮捕した際の罪状は夏野を拉致監禁した現行犯なのだが、そこから殺人、殺人教唆、死体遺棄、身分の偽装など、立証しなければならない余罪の数を考えると、やはりある程度時間が必要なのだろう。


 加えてさくら本人が聴取にどれだけ協力的だったとしても、情報の裏取りや書類の手続きなどの業務に司法側が忙殺され、それでようやく裁判までこぎつけてなお、刑の確定とそれが執行されるまで一体どれだけの月日を要するのか――当事者とはいえ気の遠くなる話だ。


 何より遠くない未来。さくらは多くの人から崇拝されることになるだろう。

 彼女の生涯は傍から見るにはあまりにも劇的だし、そういった犯罪者に惹かれてしまう性質――ハイブリストフィリアと呼ばれるそれを持った人間は、現実に存在している。


 人々に連続殺人鬼という先入観を持たれるようになったことで、さくらの"特別扱い"がどう変化するのかまでは分からない。けれど歴史をなぞるなら、彼女の物語が美化されて映画になる可能性だってある。


 改めて思うが、俺の復讐は確かに終わりを迎えた。けれど十七夜月さくらを巡る事件は、まだ本当の意味では終結していないのだ。


 多分この先も……終わることはない。


 だって、世界というには少し大げさかもしれないけれど、世間の善悪をちょっとばかり揺るがせた十七夜月さくらという存在は――充分すぎるほど後世まで語り継がれるだろうから。


 いつか義父(とう)さんが言っていた。誰かが覚えている限り存在は終わらない、と。

 情報は生きた証となり、その人の死後も作品は残り続ける。同じことだ。何より俺自身が、彼女を憎み続けると決めたのだから。

 永遠に赦さず、風化させず、戦う覚悟だって……。

 

 とはいえ、さくらの逮捕は決して悪い面のみを持っているわけではない。


 もし、次に彼女と似た境遇を持つ存在が現れたとき、今回の一件を教訓に、今度はその存在と分かり合うことができるかもしれないからだ。

 それは言うならば、希望。

 

 俺としてはさくらのことを過ちとか失敗とか、そういう捉え方をすることは本意ではないが――いずれにしても彼女の存在は、"何か"を変えるきっかけとなるだろう。


 まあそれが、どんな価値観のもとに利用されるかは分からないけどね。

 ……なんて、いけないな。疲れているせいかどうもネガティブなほうにばかり考えてしまう。


 いいや、疲れているから、だけじゃないか。


 何かを抱くとき、何かを成そうとするとき、必ずその対極に位置するものが障害となる。

 善には悪が、悪には善が、夢には現実が、現実には夢が、といった具合に。


 それは現在俺が抱えている問題も例外ではなく――つまりこの場合、夏野と一緒にいたいという夢に対して現実が立ちはだかっている。



 ――昨日、一件の電話があった。



『どうも、冬馬くん。名取です。私のこと覚えてる?』


 相手は桔梗高校に勤務している養護教諭の名取愛衣(なとりあい)だった。彼女の声を聞くのは久しぶりだったが、忘れるはずもない。

 なぜなら俺は一度、彼女のことをホワイトキラー候補として調査したことがあったから。

 結局のところ、それはとんだ大外れだったわけだけど。


「ええ。俺に何か……いや、その前にこの番号をどこで?」


『君には謝罪と、お礼と、あと一つ大切なお話があります』


 名取は俺の質問を無視して話を進める。スピーカー越しに聞こえてくる声は普段の彼女のものとは少し違い、何と言うか、大人の声だった。責任を背負った、大人の。


『まずはごめんなさい――私は君のことを十七夜月さくらさんに話していました。この番号も、そのときに教えてもらったものなの』


「…………」


 そうか。名取愛衣はホワイトキラー本人ではなかったが、まったくの的外れというわけでもなかったのか……。


 ただ、少なくとも俺は対面したときの名取から、悪意めいたものは何も感じなかった。おそらくさくらにとって彼女は本当に、学校内での俺の様子を観察させるための駒だったのだろう。


 だったら、俺の返答は決まっている。


『これは謝って許されることじゃ――』

「これは謝って許されることじゃないから学校を辞める――って言うつもりだろうけど、それはやめてほしい」


『どう、して?』


「あなたは殺人鬼に生徒の個人情報を売っていたわけじゃない。ただ一人の女の子の相談に乗っていただけ、だと――俺は思う。だからできればそのまま、保健室の先生でいてほしいんだ」


『……そんなこと言ってもらえるなんて、嬉しいなぁ。もし私が何かの間違いですっごくいい男の人と結婚できたとしても、多分ずっと覚えてると思うわ。……冬馬くんに伝えるお礼は、それなの。君の記憶にはあまり残っていないと思うけど、いろいろ私に付き合ってくれてありがとう……って』


「いえ、俺のほうこそ。……それで、最後の話は?」


 名取がさくらの内通者だったという事実には、多少の驚きがあった。しかし事件に直接の関係がない以上、俺にとっての本題は最後の話にある。そんな予感がしていた。

 いや、本当はもっと前から想像していたはずだ。


 

『冬馬くんに――転校の案内があります。あなたの将来のために』



 いつか、このときが来るんじゃないかと。


 忙しさにかまけて頭の隅に押しのけていたけれど、この数か月のことを思えば、このまま何事もなかったように歩風(ほかぜ)町にいることは難しいだろう。


 洋館や学校には常にマスコミが張り付き、ネットでも顔や名前まで晒されたことでゴシップ系配信者の小遣い稼ぎに利用されている現状。

 それらが周囲に与える影響を考えれば、やはり俺がこの町を離れることは誰にとっても最善の選択と言えるだろう。


 しかしだとしても。

 この件をどのようにして()()に伝えるべきだろうか――と頭を抱えた次の瞬間、リビングの扉がノックされた。


 俺は寝転がっていたソファーから立ち上がり、ワイシャツにジーンズというシンプルな恰好でキャリーケースを携えていた()()に挨拶をする。


「……ようこそ、夏野」


「お邪魔するわ、白雪」


「ごめんね、地下通路を使わせちゃって」


「仕方ないわよ。正面から入ろうものならカメラとレコーダーを持った人たちが押し寄せるんだから。でも……来てよかったわ。約束、少し遅れちゃったけど守れたから」


「そうだね」


 夏休みはもう終わってしまったが、復讐という目的を一つ達成し、こうして今日やっと夏野と過ごせる時間が訪れた。

 まだ警察と協力してやらなければならないことは残っている。だがその前の、ちょっとした合間の……束の間の休息というわけだ。


 俺は掴み取ったこの瞬間を噛み締めるように、夏野を見つめた。


「……」


 しかし脳裏をよぎるのは、転校のことをどう伝えるべきかという迷い。


「ああ……荷物、運んでおくよ。そこに座って休んでて」


「それくらい自分でやるわよ」


「いいって、いいって」


 薄っぺらい笑顔を張り付けてキャリーケースを取った俺は、そそくさと廊下に出た。


「……なんか、変」


 訝しむ夏野の声を、背中で受けながら。


「……はああああああああああああああああ」


 重い。あまりにも重い溜息だ。どうする。どうすればいい。

 伝えないという選択肢は絶対にありえない。

 しかしだからといって……簡単に割り切れることでもないんだ。

 ほかに選択肢がなかったとしても、それが最善だったとしても――いつだって踏み出す勇気は必要だ。


 ここまで面倒に悩めるようになった自分を恨むべきか、それとも祝福するべきなのか。

 思考はすっかり堂々巡りに陥っているが……とにかく今は機をうかがうしかない。


 二階の客室にキャリーケースを置いた俺は、少しでも今しかないと思ったら話そうという根性無しな気持ちだけ固めて、部屋を出た。

 するとちょうど、二階へ上がってきた夏野の姿が見えた。何やら神妙な面持ちだが、どうしたのだろうか。


「……夏野?」


 人間、後ろめたいことがあるとこうなると言わんばかりに心拍数を高めながら、俺は声をかけた。


「ああ、白雪。前に会長さんから聞いたんだけど、あの子の物って……まだある? 少し見ておきたくて」


 夏野の言うあの子とはさくらのことだろう。確かに二階にはさくらの私物を置いた部屋がある。

 以前織姫(おりひめ)を案内したこともあり、夏野を入れることにも別に抵抗はない。なので快諾したいところではあるのだが……。


 事件後、夏野は二度目の拉致監禁の被害者ということで、メンタルケアを強く進められているはずだ。

 もし神無月(かんなづき)のときのように何かトラウマを植え付けられていたらと考えると、さくらの私物を見せる行為は、今はまだ危険かもしれない。

 

「――前みたいに精神的なことを気にしてるなら、私は平気よ」


「……君はすっかり、心を読む側になったね」


「それだけ真面目な顔してたら分かるわよ。……白雪、おねがい」


「……はあ、分かったよ」


 それだけ真っすぐな目をされたら、断れるわけない。

 俺は夏野を連れて通路を進み、突き当たりの部屋の扉を開けた。


「ありがとう」


 窓から差し込む日の光だけが眩しい一室。


 あるのはさくらが使っていた机、椅子、ベッド、空のクローゼットと棚。元々入っていた中身は段ボールに収納して、部屋の隅に置かれている。さくらが唯一持っていたペンギンのぬいぐるみも一緒だ。


 そして中央に設置されたグランドピアノ。相変わらず、何百万もするものを置いているのに一目で物置だと分かる寂れた光景だ。


 夏野が段ボールの一つから本を取り出して、表紙を手で払いながら言う。


「……これで全部?」


「ああ。さくらはあまり物を集めたがらなかったからね。おかげで処分には手間取らない」


「捨てるの?」


「そのつもり。俺にはもう、必要ないものだ」


 これらには少なからず俺の思い出だってある。

 夏野が手に持っている本はさくらが最初に貸してくれた物だし、さくらの机で勉強を教えてもらったこともあった。俺が十七夜月家に来て初めての夜、あのベッドで一緒に寝てくれたさくらの温もりだって、忘れちゃいない。


 だからこそ、だ。

 これらがなくても、俺はさくらのことを永遠に忘れず――憎み続けることができるから。

 もう、この思い出の居場所はここじゃない。それだけ。


「……それ、少しだけ待ってもらえない?」


「それは……構わないけど、どうして?」


「白雪には白雪の考えがあると思う。でも、私も理解したいの。ほんのわずかでもあの子に触れて、何かが分かったらいいなって……」


 そう言って立ち上がった夏野の目は、先ほどと同じように強い意志が込められていた。


「――――」


 そうか。夏野がさくらの私物を見たがったのは、さくらに触れたかったからなのか。

 驚いている。美原夏野という女の子はそこまでの強さを持っているのか、と。

 己の弱さを受け入れて、俺に生きてていいと言ってくれて、そこにさくらまでも――。


 今しかない。


 俺が俺自身を信じることは、認めることは、まだ少し難しい。

 けれど夏野を信じることは、できる。


 だって思ってしまったんだ。

 夏野が俺に見せ続けたその強さになら、その背中になら、寄りかかっても――って。


「夏野。俺、近いうちに別の学校へ転校することになった」


「え……?」


「ごめん。夏野と一緒にいるって言ったそばからこれだ。正直、自分が嫌になるよ。でも昨日、名取先生から電話で言われたんだ。この選択は俺の将来のためでもあるって」


「……まさか……嘘、でしょう……?」


「ここよりも少し田舎にある学校で、一定以上の学力さえあれば俺みたいな問題児でも受け持ってくれる。全寮制だから多少閉鎖的ではあるけど、今の俺にはむしろ都合がいい」


 夏野はまるで予言が当たったかのように驚いて、呆然としている。


 当たり前だ。一度にこんなこと言われても気持ちが追い付くはずがない。ああもう、バカ。こういうときに自分の不器用さを痛感する。もう少し夏野のペースに合わせるべきだった。


 とにかく今夏野は不安を覚えているはずだ。だからそう、何か安心する言葉をかけないと。


「その、っ……ま、毎日メッセージとか電話とかする! し! 休日には必ず会いに行くよ! また遠回りになるけど、俺は夏野と一緒にいられる未来のために全力を尽くす。だから……その、許すってのは変だけど……えーっと、なんて言うかな……」


「――そっか、これが私のやるべきことなんだね」


「え?」


「よし、分かった! 白雪が未来のために頑張るなら、私もそれを応援する。一緒に頑張るよ」


 夏野は先ほどと打って変わって明るい表情を見せている。

 きちんと目指すべきものを見据えているって感じだ。


「……」


 なんだろう。拍子抜けとは違うけれど変な気分だ。

 結果としてはいい方向になったと思う。でもこう、ひと悶着あるところまで覚悟していたせいか、経験上こんなに呆気なくていいのかと懐疑的になっているのは確かだ。


「もう、そんな顔しないで。ほら笑顔、笑顔。そういうことなら今日は貴重な一日なんだから、思う存分に楽しまなきゃ損よ。そうでしょう?」


「そう……かもね」


「かもじゃなくて、そうなの!」


 勢いよく俺の手を掴んだ夏野は、とびきりの笑顔を浮かべながら部屋の外へ向かう。


「さ、まずはご飯を食べましょう。その次はこの洋館の案内、探検よ!」


「ちょ、ちょっと夏野……!」


「で、疲れたらリビングでティータイムでもして、あー、引っ越しの用意もしなきゃいけない? それから、またお腹が空いた頃に夕食。満足したら広いお風呂に入って――ベッドは一緒かしら、冬馬白雪くん?」


「ふ、不健全なのはよくないと思うかな……。というかそうだ。俺、苗字を母方の姓に変えるから冬馬じゃなくて東雲白雪(しののめしらゆき)になるよ」


「ええええええええ――⁉」


「そ、そんなに驚く?」


「一番びっくりしたわよ……!」


 何なら転校のときよりもいいリアクションなんだけど、と突っ込みを入れながら、俺は夏野と入れ替わるようにして彼女の手を引いた。


 今日という日の、幸せを噛み締めるようにして――。


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