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41話『いつか二人で、世界に忘れられたら』

 十七夜月(かのう)さくらが絞首台へ上がるように、席を立つ。

 向かい合った彼女の姿は――あまりにも綺麗で美しい。

 過剰なまでに整った顔、蒼穹を映しているような青色の瞳、さらさらと雪のように揺れる白銀の髪。


 それが"十七夜月さくら"としての完成形だと言わんばかりに、二年前から、ともすれば五年以上前から変化のない外見。体つきは今や俺のほうが大きく、加減を間違えれば簡単に壊してしまいそうなほど、彼女は脆く見える。

 

 その表情は――人というより人形。生物というより非生物。

 確かな覚悟を秘めているはずなのに、何も宿っていないようにも見えてしまう。まるで見た者の心象を映し出す鏡のようで、残酷なほどに完成された外面だ。


 もはや悲しく微笑むこともなく、さくらは子供のように小さな足音を立てて俺の眼前へ。

 そして差し出すのだ。己の、両手を。


 強く、手錠を握った。ひんやりと冷たいそれに、俺の熱が宿るほど強く。

 視線は吸い寄せられるようにさくらと重なる。


「――――」


 ――ああ。どうして君はそんなにも、美しく散ろうとするんだ。


 この世に天賦の才を持って生まれた神童が、己の才能に絶望し、恵まれすぎる己に絶望し、俺という雛を巣立たせるために、わざわざ自滅を選ぶようなこの物語。

 そして俺は初恋の相手であり殺人鬼である彼女を、穢すという形で救う。

 なんて悲劇的。なんてドラマティック。


 名は体を表すと言うが本当に、一瞬の輝きを魅せたまま散り往く(さくら)のようじゃないか。


 でも、俺は知っている。理解している。十七夜月さくらは決して神様などではない。完璧などではない。俺にとってはどうしたって特別な存在だけれど、でも彼女は、その心は普通の――十七歳の女の子なんだ。


 だからこそ思う。

 今、()()()()()()()()()()()()()()()()()()。――――と、そのような思考が脳裏をよぎった刹那。


白雪(しらゆき)


 優しく、名前を呼ばれた。



「このまま二人で逃げよう」



「……」


「私にとって警察を撒くことなど児戯にも等しい。そうして二人で海外へ飛び、周囲に民家も何もない見晴らしのいい草原に家を建て、そこで暮らすんだ。金なら椅子に座ったままでも一生分稼げる。それか酪農でもして自給自足のスローライフを送るのも悪くない」


 その光景は――容易く想像できた。空気が美味しく、肌を撫でる心地の良い涼風。正面には緑に覆われた広大な土地が広がっていて、点在する森やずっと遠くにある山々とのコントラストが、地球を、自然を強く感じさせてくれる。

 振り返るとそこには俺とさくらの住む家があって、それは小さくまとまった家だけれど、だからこそ身の丈に合って愛着の持てる――"帰る場所"。


 農業による自給自足。それは確かに魅力的だが、俺は情けないことにひ弱で体力もないから正直上手くいくとは思えない。強い日差しのことを考えるとさくらもそうだ。肌が酷く焼けてしまう。


 海外なら日本ではあまり見かけない虫などもいるかもしれない。

 当たり前のことだがその場所は、悪いところが一つもない楽園とまではいかないだろう。


 でも少しずつそういった生活に慣れて、とても穏やかな時間が流れる中、昼下がりには一緒に紅茶を飲みながら、他愛もない話に花を咲かせて。

 

「誰も追ってこない、誰も私たちを知らない場所で、二人だけの平和な時間が永遠に続く。――そうして少しずつ、私たちは世界に忘れられるんだ」


 それはまるでおとぎ話の、ハッピーエンドのその先に続くような――幸せな日々。


 だけど。


「二人きりに飽きたのなら子供だって――」


「――さくら」


 彼女の言葉を遮るように、名前を呼んだ。

 もう充分だ。さくらの真意は最初から理解している。


 二年前と同じ。さくらは俺から拒絶させるために、敢えて二人で逃げようなんて言ったんだ。俺が一瞬でも、さくらをこの場で逮捕していいものかと考えてしまったから。

 それでは目的が達成されないかもしれないから。

 だから、叶わない夢物語を紡いだ。

 でも違うんだよ。

 俺のことになると気がはやってしまうというのは、人間らしい、喜ばしい側面だけれど。

 とにかくそれ以上、自罰的になる必要はない。


「……」


 さくらの容姿は二年前――否、五年前からほとんど変化していない。

 理由は一つ。成長していないからだ。

 もっと言えば、第二次性徴が訪れていないから。


 それが偶発的なものなのか、あるいは必然的なものなのかは分からない。

 けれど確かなのは、さくらは俺と暮らしていた頃から今の今まで初潮を迎えておらず、妊娠を、子供を産める体ではないということ。


 それも、彼女の動機の一つだろう。恋心に後悔が勝った瞬間だろう。

 しかしそれは殺人の言い訳にはならない。ただ自分を傷つけるだけの言葉でしかないんだ。


 だからもう、背中を押さなくていいんだよ。

 ちゃんとできるから。やりきってみせるから。


 そのために俺は、彼女がこの場で吐いた()()()()を破ることにした。



「――場所を変えよう」



 さくら。ここから先が本当の――俺と君だけの時間だ。


「ここなら本当に二人きり……だろう?」


 別荘の二階。西側の寝室を通り抜けてデッキに出たところで、俺は言った。

 このデッキにはいくつかランプが設置されている。

 夜闇の中に佇む、仄暗い空間。ここでなら俺たちは自分らしい言葉を紡げるだろう。


 一瞬――俺は教会の告解室を連想したが、いや、それとは似て非なるか。


 何せここでは闇に紛れて夜月を見上げることも、反対に光を纏ってお互いの顔をのぞくこともできる。

 真実だろうが偽りだろうが、本音だろうが嘘だろうが、好きなほうを好きなだけ選べるのだ。


 もう、俺たちの間に言葉は必要ないのかもしれないけれど。

 それでも俺は最後に探偵役ではなく冬馬白雪として。

 殺人鬼ではない十七夜月さくらと何も飾ることなく、話をしたかった。


 問いたいことは、聴きたいことは――ただひとつ。


 十七夜月(かのう)事件の動機、その真意だ。

 先ほどの推理では動機を二つ挙げた。一つは俺を生かすために。そしてもう一つは十七夜月さくらという存在を罰するために。

 ここではっきりさせておきたい俺の疑問とは、つまり。


「答えてくれ、さくら。君があの事件を起こしたのは、俺のため? それとも……自分のため?」


 尊い自己犠牲か。それとも身勝手な自己満足か。

 そのどちらを優先して、さくらはあの悲劇を作り上げたのか。

 それを俺は彼女の口から直接――「――私自身のためだ」


「……っ……」


 躊躇なくさくらは言い放った。俺の求めていた答えの、()()()


「先ほどの白雪の推理は正しい。生きているだけで世界を歪めてしまうという事実は、私にとってとても耐え難いものだった。周囲からの絶対的な肯定が辛かったんだよ。私みたいなやつ、赦されていいはずないのにな」

 

「……ああ」


「たとえあの日に事件を起こさなかったとしても、私はいつかきっと同じことをしただろう。私が私らしく生きるには、生まれる世界を間違えたということだ」 


 だから選んだ。俺ではなく、自分自身を。


「いや……案外、マイノリティを貫けないことこそが、私の最大の欠陥なのかもしれないな。社会や環境のせいではなく、最初から決まっていた、私自身の……」


 俺もそう思う。さくらの心が罪悪感を寄せ付けないほど冷酷なものならば、世界はきっと今以上に彼女を祝福したことだろう。

 でもそれを拒絶し、諦めたからこそ、さくらが人の心を持っているという証明になるんだ。

 そして心があるからこそ、切っても切り離せない想いがある。


「さくら。まだ、俺の聞きたいことは終わってない」


 俺の求める答えの、()()()()がまだだ。


「君はあの事件を起こすことを――望んでいたのか」


「はっ……それを私に言わせるのかい、白雪は?」


「そのために、ここに来た」


「……」


 さくらは僅かに眉をひそめて、俺の視線から逃れるように月を見上げた。


「それは……、………………」


 重いだろう。声が出ないだろう。

 俺たちはもはや言葉を必要としないほどに、お互いを理解しあっている。

 だけれど――それが、その重さが、直接言葉にすることの意味なんだ。

 

「…………、……………………ろう…………」


 束の間、さくらはごくりと唾を飲み込み、ついに俺に背を向けた。

 そのうえで、その小さな背中で悲痛に叫ぶのだ。



「……殺したくなかったに……、決まっているだろう……」



 こつんと、仮面の落ちる音が聞こえた気がした。

 これが俺の求めた言葉。利己的に事件を起こし綺麗に散ろうとした彼女の、罪を負う者として、本来なら口にすることなど許されない感情だ。


 直接的であれ、間接的であれ、彼女に命を奪われた人は望まないかもしれない。

 生命の権利を侵害した咎人の生半可な部分など、冷酷な殺人者の人間らしい部分など、見たくないかもしれない。

 でも俺は聞きたい。聴きたいんだ。

 だってここには、俺と君しかいないのだから。


「罪を償うためにより大きな罪を犯すなど……あまりにも愚かだ……! お父さんの掛け替えのない余命を奪うことも……きちんとカウンセリングを受ければ立ち直れたお母さんを殺すことも……本来尊ばれるべき遺体を冒涜することも……涼子を巻き込むことも……君を酷い目に遭わせて離れ離れになることだって、嫌で嫌でどうしようもなかった……! 本当は……私も……ッ……」


「……言っていいんだよ」


 泣きながらでいい。震えた声で構わない。悟った風に悲しく微笑まないで、感情を剥き出しにしてよ。そうして、君が捨てきれなかった想いを伝えてくれ。


「さくら」



「ッ――本当は私も……君と一緒に、普通に生きてみたかった…………」



 両腕を伸ばして、さくらを抱いた。


「俺……さくらのことが、好き……だったんだ」


 君がどれだけの過ちを重ねようが、人殺しだろうが、君が手を繋いでくれたから俺は生きることができた。

 嫌いになれるわけない。忘れられるわけない。無かったことにできるわけが、ないだろう。


 ずっと寂しかった。寂しいなんて気持ちが分からなくなるくらい、苦しかった。

 一人きりで、誰とも仲良くなれなくて、世界そのものに嫌われているとさえ思っていた。

 でもあの家で君と出会って、胸に優しくて暖かい火が灯った。忘れられない温もりを知れた。


「でも、だからこそ……同じくらい憎くて、悔しい……!」


 それは淡い雪のように、すぐ溶けてしまう――夢だった。

 

「俺、高校生になったんだ。桔梗高校に入学して、友達ができた。女の子をいじめから助けたり、林間合宿にいったり、体育祭もやった。夏休みには海にだって行った。昔と違ってみんなに認められて、なんか青春って感じで……でもさ、本当はこんなこと、言っちゃ駄目かもしれないけど……前より幸せなはずなのに、……全然満足できないんだよ……ッ!」


「白雪……」


「もっと夏野(なつの)と一緒に居たい……ッ! 花灯(はなび)たちとまた遊びに行きたい……合宿も体育祭も色々あって全然楽しめなかったし、旅行だって正直帰ってきたくなかった! 文化祭も多分参加できないし……。事件がなかったら(かえで)七海(ななみ)が遠くに行くこともなかったのに……織姫(おりひめ)とだって友達でいられたかもしれないのに……ッ、さくらが、何もしなければ……!」


 馬鹿らしいことを言っている自覚はある。

 すべての責任をさくらに押し付けることなどできない。

 どんな状況であろうと俺が自分の意志で選んだことだって沢山あった。

 その結果(たが)えてしまった約束の責任は、守れなかった責任は、俺が負うべきだ。


 でも、子供が駄々をこねているだけなのは分かっているけど、それでも――。

 どんなに終わりが避けられないものだったとしても、あの温もりを、大切な家族を、掛け替えのない時間を、君がその手で殺したという事実が、どこまでも憎い。


「どうして俺の大切なものを壊したんだよぉ……俺は……さくらさえいれば、それだけでよかった……はずなのに……」


 さくらは言った。たとえあの日に事件を起こさなかったとしても、いつかきっと同じことをしたと。

 なら、なぜあの日だった?


 その答えは、決して俺のためではない。自分自身のためであると彼女はすでに告白している。

 だから、一昨年のホワイトクリスマスに起きた十七夜月事件の、その原初の動機は……さくらがただ一刻も早く裁かれて罪悪感から逃れたかったという……そんな、自己満足なんだ。


 悔しいな。ああ、本当に。

 あのとき、さくらが俺ではなく自分を優先した事実が――悔しいよ。


 だから、裁かれたがっている君を救うなんて綺麗な外面は捨てる。

 十七夜月さくらが醜いエゴで人を殺したように、冬馬白雪もまた、醜いエゴで復讐をする。


 一生なんて生温いこと言うものか。俺はさくらの罪をずっと、ずっと、彼女が死んだあとも、俺が死んだあとも憎み続ける。責め続ける。

 たとえ世界中の人がさくらのことを認めても、肯定しても、俺は赦さない。



「――俺は君を、永遠に赦さない」



 これは罰だ。いつかこの先、さくらが罪を清算を終えて自責の念から解放されたとき、どんなに赦されたいと願ってもそれが叶うことはない。

 そして俺も、憎み続けることに疲れてさくらを綺麗な思い出にしようとしても、それが叶うことはない。

 特別(こどく)から逃れようとした君の終着点は、永遠に俺の憎悪と繋がり続けることだ。


「――――」


 夜空に浮かぶのは十五夜から二日後の、満月から少しだけ欠けた月。

 すべての終わりに相応しい、綺麗で不完全な月だ。












































「――十七夜月さくら。君を、逮捕する」










































「……私の理解者になってくれて、ありがとう」


 静かに呟いたさくらの両手首には、俺がこの手でかけた手錠が、確かに月光を受け止めている。

 

「ああ」


 耳に届いた自分の返事は、恥ずかしいくらいに震えた鼻声だった。

 覚悟はできていたはずなのに、止まれと言い聞かせれば言い聞かせるほど涙が溢れ出る。

 間違いだらけの道のりだった。もう二度と味わいたくないくらい苦しい思いもした。

 でもこれでようやく。

 

 俺は――――復讐をやり遂げたんだ。


 達成感なんて微塵もない。

 満たされた感覚も、解放されて体が軽くなったなんてこともない。

 今の俺にあるのは、果てのない悲しみだけだ。


 でも、意味はあったよ。


「私の願いを叶えてくれて……ありがとう」


「ああ……ッ」


 無駄なことだったなんて誰にも言わせない。

 

「もう、手を繋がなくても平気だね」


「……ああッ、……‼」


 これですべてが終わり、そしてまた、始まるのだから。



「さようなら。白雪――君を、永遠に愛しているよ」



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