幕間『楽しいお勉強会をしましょうか』
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とある建物の一室。部屋に入ると丁度、彼女が電話を終えるところだった。
「分かった。君の役目はここまでだ。感謝するよ」
持っていたスマホをソファーに向けて軽く放った銀髪碧眼の少女――十七夜月さくらは、私の顔を見て小さく笑みを浮かべる。
「やあ、涼子。電話相手は琴平花灯だよ。白雪がついに覚悟を決めたとさ。私の見立てではあと三日――宮下近衛の準備が遅れた場合は四日でここに辿り着くだろう」
「……そう」
相変わらず、人が質問するより先に答えをくれる姪っ子だ。
私の些細な仕草を分析し、思考を読んだのだろう。その速度、精度はやはり白雪よりも格上であるように感じる。
「これは白雪と美原夏野が頭を使った結果さ。ならば私は喜んで祝福するね」
僅かな戦慄を覚えた。さくらがまたも、疑問を口にする先に返答をくれたからだ。
このような一方通行とさえ思えるやり取りをするようになってから、およそ三年以上になるが――いつまで経っても慣れることはない。
ちなみに今の解答は『美原夏野のメッセージをわざと見逃したのは、サービスが過ぎたのではないか』という私の疑問に対してのものだ。
「本当に?」
「……ああ」
さくらは気付いたように歩幅を遅らせる。
自らの能力を悪癖のように扱い、矯正し、社会性を訴えるように私に発言権を与えてくれる。
「けれど白雪と彼女の関係は、あなたが望むものとは違うものになるかもしれない」
「そうだな」
私――桐野江涼子と、その姪である十七夜月さくらには確固たる目的がある。
何に犠牲にしてでも果たしたいと想う目的が。
ゆえに懐疑的になってしまう。この先にある未来が、私たちの望むものになり得るのかを。
「だがまあ……心配ないさ」
嬉しそうに呟かれたその一言には、十七夜月さくらという少女のすべてが込められているように思えた。
「相変わらず甘いわね」
「普通の人間らしいだろう? ふふん。さ、時間だ。美原夏野に勉強を教えてくるよ。涼子もどうかな?」
「遠慮しておくわ。そろそろウチの職場仲間も動き出しそうだし。幕を下ろす準備を進めないとね。……というか、どうしてそんなことをしているの?」
軟禁状態の美原夏野に、さくらがわざわざ教材を用意してまで教えを説いていると知ったのは三日ほど前のことだが、まだ続いていたらしい。
さくらのことだから単なる暇つぶしや気まぐれからくる行動ではないとは思うのだが、私程度ではその真意は読みきれないというのが正直なところだ。
するとさくらは伊達眼鏡をかけながら、得意げな顔を見せてこう言った。
「――そりゃあだって、学生の本分は勉強じゃないか。青春を免罪符に遊び惚けているだけでは生きていけないだろう?」
見事に得心がいく説明だった。
「……ごもっとも」
それと同時に思う。――執着だ。他人から見て理解できない行動には、必ず当人の執着が宿っている。
それは周囲に崇められる特別な少女も同じ。
彼女の場合は――と、そこまで考えたところで自分が彼女の目の前にいることを思い出す。
しまったと気付く頃にはもう遅い。
さくらにかかれば、私のこの同情まがいの思考なぞ透けて見えてしまうのだから。
「……」
目を離したらどこか消えてしまいそうな儚い表情で、さくらは窓の外を見上げた。
「今年の十五夜は、いつだったかな。私の願いが叶ってくれたらいいのだが――」
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水波市歩風町――南坂と呼ばれる長い坂を上った先にある古びた洋館に、数日ぶりに足を運ぶ。
ここ二、三か月、私の職場である水波警察署はどうにも慌ただしく、混乱した現場を抜け出して彼の呼び出しに応じることはそう難しくなかった。
神無月秋夜とホワイトキラーと呼ばれる連続殺人鬼の存在。
直属の上司である桐野江涼子先輩の負傷と謹慎。
さらにその上の人間である高梨浩平の横領自白、そして殺害――。
現在進行中の美原夏野の失踪。そのすべてに関連する冬馬白雪という少年。
八月三十一日以降、冬馬少年はまるで廃人のように様変わりしてしまった。
彼は例の事件の際にも精神に大きなダメージを負って精神病棟に入院していたのだが、その再来のように思えた。
もっとも前回と違って、今回の彼は自宅療養のようだけれど。
彼の保護者が桐野江先輩であることを考えればそれはとても不自然なことだが、しかし世界から忘れ去られたようなサナトリウムに収容されて、聴取ができなくなるよりは好都合だと思った。
ゆえに放置していた。
いつか彼から真実に繋がる糸を掴み取るつもりだった。
そしてついに、そのときが来たのだ。
リビングで穏やかに紅茶を飲んでいる冬馬白雪に向けて告げる。
「どうも、冬馬君。やっと話してくれる気になりましたか。今日は琴平花灯さんはいないようですね」
「伝言をちょっと。もうすぐそっちに行く、って。ああ、紅茶でもどうですか?」
「……結構」
一目見て、彼の様子が以前のように戻っていることに気付いた。
年齢に比べて大人びているというか、掴みどころのない独特な雰囲気を纏っているその様。
まるで死に際の老人のように衰弱しきっていた少年の姿は影も形もない。
むしろ今の彼からは余裕さえ感じられる。
それは決して自暴自棄になって考えることを放棄したとか、投げやりになっているわけではなく。何事に対しても真摯に向き合う、実直さを宿しているように見えた。
とにかく彼を正常な状態だと判断した私は早速聴取を――、
「ホワイトキラーの正体は十七夜月さくらだった」
「は?」
聴取に使う手帳を取り出そうとしたところで、思わず間抜けな声を上げてしまった。
あまりに突拍子もないことを言われたせいで、ちゃぶ台をひっくり返されたような感覚に落とされたのだ。
「一体何を……?」
すぐに先ほどの言葉の真偽を確かめるべくいちから考えを組み立てていくが、しかし彼は畳みかけるように言葉を紡ぐ。
駆け引きも何もなくただ一方的に――。
「彼女は一昨年のホワイトクリスマスに死んだ。けれどそれは偽りだった。彼女こそが事件を起こした犯人なんだ。八月三十一日、さくらは夏野を攫い、それを餌に俺を教会に呼び出した。おそらく近くには涼子さんがいたはずだ。彼女はさくらの協力者だから。まずは俺の言ってることを信じてもらうために涼子さんの行動を調べてほしい。無論、一人で。さくらは教団にも関与していて、教団は警察内部に信者を飼っている。どこから情報が洩れるか分からない」
「ちょ、ちょっと待ちなさい……! そんなことをいきなり言われても!」
軽く眩暈を覚えた。真偽を疑う以前に、あまりに妄言じみている。
理解の段階までいかずに頭がパンクしそうだ。
「ああ、俺も戸惑ったよ。そして散々醜態を晒した。けど今は違う。宮下近衛さん、力を貸してほしい。俺を疑い続けた貴女だからこそ信用できる」
この二十一世紀に今さら天動説を唱え始めたかのような荒唐無稽な言葉の羅列。
それを大真面目に語っている彼は、果たして正気なのだろうか。
今の彼を正常だと判断した自分の眼まで疑わしくなってきた。
「そんな話が信じられるとでも?」
「少なくとも、謹慎中だか有給消化中の涼子さんが今行方知れずであることは確かだよ。貴女は嫌でも調べるしかない。そしてその間に俺は――」
そう言いながら彼は、ティーカップの隣に置かれていた折りたたみの鏡を広げた。
「学生の本分は勉強だからね。十七夜月さくらについて復習して、予習をするよ」




