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31話『出会いがあって別れがあるから青春だ』

「昨日は本当にごめん。あれは本心じゃない。あなたを傷つけることを言ってしまって、心の底から後悔している」


「いいさ。誰だって間違いの一つや二つは起こす。だけど……君とこうして話すことは、もうないと思っていたよ」


 そう言って彼女は屋上へ繋がる扉を開けた。


 ここは夏野(なつの)と初めて会った場所だ。ある意味思い出深い所だが、他意があったわけではない。

 文化祭の準備でどこもごたごたしている中、二人で話せる場所を考えた結果ここしかなかったというだけ。

 本当にただ、それだけだ。


 けれど何かしらの意図があると思われても仕方なかった。

 今から俺はこの場所で――彼女に別れを告げるのだから。


「君が何を考えているのか、その顔を見れば分かる。……馬鹿だな私も。こうなることくらい理解していたはずなのに。けれどね、私はロマンチストなんだよ。織姫なんて名前をつけられたんだ。当然だろう?」


 風に揺れる黒髪を抑えながら、背中を押されるようにして織姫は歩き出す。


 普段立ち入り禁止となっている屋上を悠々と踏み荒らす彼女は今、全生徒の模範であるべき生徒会長ではなく、風見織姫という一人の女の子としてここに居る。


 そして言うのだ。無防備でもなければ純粋でもなく。遠くにそびえるビル群、さらにその先にある山、海、目の届かないどこかを指して――。



「私は今、すべてを放り投げて君と逃げられたらと思っている」


 

 冷たい風が吹き抜けた。

 織姫の声は、言葉とは裏腹にどこか軽い。

 この風のように軽く――それこそ、冷めている。


 本来あるべき感情が、剥き出しの心を優しく包む温もりが感じられない。


「あの日からずっと、何かの奇跡か間違いが起きて君と美原夏野(みはらなつの)が破局し、私と君が結ばれたら――そんなことを考えて支えにしてきた。君と彼女が仲良くしているのを間近で見るのは、とても辛かったから」


 まるで一度片付けたものを同じ手順で広げているような、どこか機械的な流れだ。

 

 そのうえ視線は、いつまでも重ならない。

 俺がどれだけ真正面から向き合おうとしても、織姫はそれを避けるように顔を逸らしてしまう。


「初恋なんだ。君に恋人ができたくらいで諦めきれるわけないだろう。そして今、君の隣に彼女はいない。……こう考えてしまう私は病気なのかな? なあ答えてくれ、冬馬白雪。――私に、君と恋人になれる未来はあるのかな」

 

 届く言葉は、以前彼女が人生を賭して放った問いかけと似たもの。

 だが違う。決定的に。込められた想いが違う。

 ここまでされて、分からないはずがないだろう。


「あなたは……っ」


 吐き出しそうになった声をぐっと飲み込む。

 駄目だ。俺はこれから慎重に言葉を選ばなければ。


 疑心ではない。

 偽心ではない。

 それは叶わぬ願いを抱きながらも信じ託した恋心。


 織姫はとっくに選び終わっている。最後の一手を詰めるのは俺なんだ。


「……俺はあなたを、とても尊敬しているよ。だけど」


 刹那――織姫は表情を、否、目の色を変えた。

 目は口ほどに物を言う。

 俺にはそれで充分すぎた。織姫の瞳は、涙を湛えて何かを乞うものだ。

 叶わない夢を見て、その名残りに"もしも"と想いを馳せるものなんだ。



 ああ――――なんて悲劇。なんて悲恋。

 


 いいや迷うな。

 彼女の未練を、呪いを、そのすべてを俺が断ち切らずにどうする。


 だってこの苦しみも悲しみも全部――俺と彼女の間で発生する感情は、俺たちだけのものなのだから。


 何人たりとも横入りさせてなるものか。

 根付いた桜など、その花びらなど、摘み取るまで。

 そのために俺は告げるぞ。彼女にとって最も残酷で、最も救いのある言葉を――。



「あなたを好きになることはない」



「……」


「さくらのことは関係なく、あなたの気持ちには応えられない」


「……」


「俺はもう二度と、あなたに近づくことはないだろう。だからあなたも俺を諦めてくれ」


「……うん」


 注意深く見ていなければ気付かないほど微かに、織姫は嬉しそうに頷いた。


「――――――」


 まるで――雪の降り注ぐ真夜中のような静謐さだ。

 隔絶された世界の中で、やっと視線が重なる。


 俺が織姫を見ている。

 織姫が俺を見ている。


 ふと――これが予定調和なんだよ、と言われた気がした。

 たっぷり十秒。

 口づけをするように視線を重ね終えた織姫は、それを最後に屋上を去り往く。



 これが俺と、織姫の最後。



 終わってみればどこかあっけなく、しかし短過ぎたとは言えないほどの余韻があった。 


 こんなこと考えてはいけないのだろうけど、それでも考えてしまう。

 冬馬白雪と風見織姫は――何かもっと別の出会い方をしていれば、違う未来があっただろう。


 想像の未来。それは幻想で、虚実で。現実はもっとねじ曲がって、狂っている。

 俺がそうしてしまった。

 俺と彼女の歩む道が交わることは二度とない。

 手を伸ばすことも、足跡をなぞることも許されない。


 誰も幸せにならない結末こそが、最善の答えだったのだ。


 だとしても本当にこれで良かったのか。後悔や疑問を抱かずにいるのはとても難しい。

 このしこりはおそらく一生俺の心に残り続けるのだろう。

 そしてきっと織姫もそれを望んでいる。

 だったら、背負って生きていくしかない。


「ありがとう。そしてさようなら――風見織姫さん」


 あなたがくれた青春を俺は一生忘れない。


 二日前の夜。

 自室のベッドに体を預け、冬馬白雪という一人の少年のことを想って私――風見織姫はスマホの着信履歴を眺めていた。


 今日の朝、彼に電話をした。明日会えないか、と。

 その返事は未だにない。


「…………」


 彼は私を助けてくれた。私を理解してくれてた。すれ違った家族の関係を元に戻してくれた。


 正直に言って私は、今でも彼に心を奪われている。

 これ以上の恋などこの世に存在するのだろうか、いいやあるはずがない――そう決めつけるほどに運命を感じている。


 運命――そうだな。その通りだった。

 この恋はまさしく、神のような少女によって仕組まれたものだ。


 今となっては、目蓋を閉じれば鮮明に思い出せる。記憶に栞を挟んだように、脳に直接杭を打ち込んだように――。

 二年前、私は十七夜月さくらと再会し、家に案内され、そこで呪いをかけられた。


 ある鍵盤の音を引き金として"伝言"を彼に渡す呪いと、そしてもう一つ。



 ――冬馬白雪という少年を好きになる呪いだ。



 私はこれまで自分に自信を持って、あらゆる選択をしてきた。つもりだった。

 けれど九月一日。十七夜月さくらと再び接触し、そして封じられていた記憶を思い出したことによって、気付かされたのだ。


 私がおこなったいくつかの選択は――特に私という存在を懸けて臨んでいると言っても過言ではない冬馬白雪を好きになるという選択は――彼女によって思考を操られた結果だった。


 無論そのすべてが彼女の意志だったとは言えないだろう。でもそのすべてが私の意志だったとも言い切れない。


 彼と過ごした日々、抱いた感情――それらが他人に演出されたものだという事実は、これまで築いてきた自意識を根底から揺らがせるものだったし、それと同時にこうも思った。


 おそらくは彼も、同じ気持ちを抱いているはずだと。


 そのうえ美原夏野という大切な存在を失ったんだ。


 どうあがいても私は彼にとって恐怖し、拒絶し、傷をつけ合うだけの存在になってしまった。

 十七夜月さくらの駒の一つである以上、これはどうしようもないほど不可逆的。


「…………」


 ずっと考えていた。

 君を愛するこの感情が誰かに植え付けられたものだとして、私はこれにどう向き合うべきなんだろう――。


 この際、すべてを無かったことにとも思った。

 だがやっぱり駄目なんだよ。どんなに考えたって私は彼が好きなんだ。

 この想いの前では、あらゆる理が完成したそばから崩れ去る。


 女は感情論――なんて言ったら、悪いかな。


 それでも私は愛しい彼を忘れられない。

 この心を偽物だと言われたくない。

 この想いを嘘にしたくない。

 この恋を信じていたい。



 ならばどうして私は、彼に会って()()を渡そうとしている?



 美原夏野が少ない自由の中で私に託したストラップ――その留め具の部分に挟まれたメッセージの意味を、私は正しく理解している。


 これを見れば彼は必ず立ち上がる。

 美原夏野を取り戻すためにありとあらゆる知恵を振り絞って、運命に立ち向かうだろう。

 必死に未来へ手を伸ばすだろう。


 そしてその未来に、私は入れない。


 今なら……彼を慰めて、その心を掴めるかもしれない。

 ずるい考えだ。でも仕方ないよ。だって私には彼しかいないんだから。

 でも、でも、でも、でも――。


 それでも……これを明日、いや明日じゃなくてもいつか、いつか渡すことさえできれば、それで彼は光を得る。

 絶望の淵から救い出すことができる。

 たとえ私の想いが報われなくても、それでも彼は彼の幸せを掴むことができる。


「――――――もし」


 救いの見えない二律背反から逃れるように、声を上げた。


「もし彼の未来に私がいないのなら」


 ならばせめて、思い出が欲しい。


 振り返ってみれば、彼からは多くのものを貰ったけれど、その中に形として残る物はなかった。


 すべて目には見えないもの――無論それゆえの価値があることは重々承知しているが、しかし事実として、互いに贈り合ったものや写真など、思い出の証となる物はない。


 一時期は彼の家の合鍵を持っていたこともあるけれど、それも今は返却してしまった。


 だから、欲しい。

 永遠に風化しない。一生残る傷のような思い出が。

 恋が叶わないなら。恋に恋することすら許されないのなら。


 いっそのこと、振られたい――。


 今度はもっと残酷に。

 十七夜月さくらの意志なんて介在できないほど強く、拒絶されたい。

 この想いが途中で無かったことになるのなんて嫌だ。

 どんな形であれ、終わりがあるからそれは一つの出来事として成り立つんだ。

 

 恋をしていた痕が欲しい。

 夢を見ていた証が欲しい。

 だから。



「白雪君は……私のこと、ちゃんと振ってくれるかなぁ。そうだったら、いいなぁ……」

 


 いつか――月の浮かぶ夜が明けることを願って、私は。

 

風見織姫編、了。

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