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【第4章開始!】断罪令嬢の飯テロ食堂  作者: 九葉(くずは)
第4章

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第5話

ゴロゴロ……ドォォォンッ!!


 窓ガラスがビリビリと震えるほどの轟音が、夜の静寂を切り裂いた。

 季節外れの嵐だった。

 雨粒が弾丸のように屋根を打ち叩き、風が唸り声を上げている。


 私は寝室のベッドの上で、重たくなったお腹を抱えて寝返りを打った。

 予定日はまだ二週間先だ。

 医者からは「順調ですね」と言われているし、何の心配もいらないはずだった。


「……うっ」


 下腹部に、鋭い痛みが走った。

 最初は、お腹の子供が元気に蹴ったのかと思った。

 最近の彼は――魔力感知で男の子だとわかっている――とても活発で、私の肋骨を内側からノックするのが日課になっているからだ。


 けれど、今回の痛みは違った。

 波のように引いては寄せ、徐々に、しかし確実に強くなっていく。

 そして、何かが体の中から弾けるような感覚。

 温かい液体が流れ出る感触があった。


 破水だ。


「……ライオネル様」


 私は隣で眠る夫の肩を揺すった。

 反応は早かった。

 彼は騎士団長としての本能で、瞬時に覚醒した。


「敵襲か!?」


 バッ! と布団を跳ね除け、枕元の剣に手を伸ばす。

 殺気立った瞳が、暗闇の中を鋭く巡る。

 窓の外の雷光が、彼の鍛え上げられた背中を一瞬だけ照らし出した。


「違います……敵じゃありません」

「シェリル? どうした、顔色が悪いぞ。……まさか、刺客か? どこに潜んでいる!」

「落ち着いてください。……生まれそうです」


 一瞬、時が止まった。

 ライオネル様は剣を構えたまま、ポカンと口を開けた。

 私の言葉の意味を脳が処理するのに、数秒の遅延が発生したようだ。


「う……う、うま……?」

「産まれます。陣痛が来ました」

「な、なんだとぉぉぉッ!?」


 彼は剣を取り落とした。

 ガチャン、と床に金属音が響く。

 さっきまでの歴戦の猛者の顔はどこへやら、今の彼はただの狼狽する新米パパだった。


「ま、まだ予定日じゃないだろう!? どうすればいい!? 湯か!? いや、医者だ! 俺が走って連れてくる!」

「待って! 外は嵐ですよ! それに、産婆さんは一階の客間に泊まってもらっています!」


 臨月に入ってから、父・ガラルド公爵の手配で、王都一番の産婆さんと治癒術師が店に住み込みで待機してくれているのだ。

 ライオネル様は「そうだった!」と叫び、ドアに向かって突進した。


「おい! 誰かある! 産婆を呼べ! 妻が、シェリルが!」


 廊下に響き渡る怒号。

 すぐにドタドタと足音がして、熟練の産婆さんが飛び込んできた。


「団長様、落ち着いてください! まずは奥様を楽な姿勢に!」

「ど、どうすれば楽なんだ!? 俺が支えるか!? それとも逆立ちか!?」

「逆立ちはダメです! 邪魔ですから下がっていてください!」


 産婆さんに一喝され、国最強の騎士がシュンと小さくなる。

 私は痛みの中でも、その光景がおかしくて、少しだけ口元が緩んだ。


   ◇ ◇ ◇


 そこからは、時間の感覚が曖昧になった。

 痛みは波のように押し寄せ、私を飲み込もうとする。

 腰が割れるような激痛。

 脂汗が全身から吹き出し、シーツを濡らす。


「ふぅーっ、ふぅーっ……!」


 呼吸を整えようとするけれど、痛みがそれを許さない。

 雷鳴が轟くたびに、お腹の中の子も呼応するように暴れる。

 なんて元気な子なの。

 まだ出てきていないのに、これだけのエネルギーを持っているなんて。


「シェリル……! 頑張れ、シェリル!」


 私の手を握り締める、大きな手があった。

 ライオネル様だ。

 彼は私の枕元に座り込み、蒼白な顔で私の手を握り続けていた。

 その手は小刻みに震えている。

 彼の手のひらは汗ばんでいて、私の手よりも熱い。


「ごめん、な……。俺は、何もしてやれない……」

「い、いいえ……。いてくれるだけで……」


 言葉を紡ぐのも辛い。

 彼は無力感に苛まれているようだった。

 ドラゴンとも戦える彼が、妻の痛み一つ取り除いてやれないことに、歯痒さを感じているのだ。


 その時。

 窓枠に、白い影が降り立った。


『みゃう(騒がしい夜だ)』


 聖獣シロだ。

 彼は濡れた毛をブルブルと震わせ、音もなくベッドの上に飛び乗った。

 普段なら「不潔です!」と産婆さんに怒られるところだが、今のシロは神々しい光を纏っていて、誰も文句を言えない。


「シロ……?」


 シロは私の膨らんだお腹に、そっと前足を乗せた。

 温かい。

 そして、柔らかな光の波紋が、お腹を中心に広がっていくのが見えた。


『暴れん坊め。……母親をいじめるでない』


 シロが念じると、不思議なことに、鋭く突き刺さるような痛みが和らぎ、代わりにどっしりとした重みのある力強さに変わった。

 お腹の中の暴風雨が、一定のリズムに整えられていく感覚。


「痛みが……引いた?」

『我の魔力で、赤子の魔力を中和したのだ。……こやつ、生まれる前から魔力が強すぎる。このままでは母体が持たんからな』


 シロはライオネル様をジロリと見た。


『おい、父親。震えている暇があったら、妻の汗を拭いてやれ。……新しい命が来るぞ』


 その言葉に、ライオネル様がハッと顔を上げた。

 彼の目に光が戻る。

 彼はタオルを手に取り、私の額の汗を丁寧に拭ってくれた。


「ああ。……そうだな。俺がしっかりしなくてどうする」


 彼は私の手を握り直し、力強く頷いた。


「シェリル。俺はここにいる。お前と、子供と一緒に戦う。……だから、安心して産んでくれ」


 彼の覚悟が伝わってくる。

 私は深く息を吸い込んだ。

 もう、怖くない。


「はい……! 来ます……!」


 最大の波が来た。

 産婆さんが叫ぶ。


「頭が見えました! 奥様、次の波でいきんでください!」

「んんんんーーーーっ!!」


 私は全身の力を下腹部に込めた。

 雷が一際大きく鳴り響き、世界が白く染まる。

 体が引き裂かれるような感覚の直後、何かがつるりと滑り落ちた。


 一瞬の静寂。

 雨音が遠のく。


 そして。


「まんまぁぁぁぁぁぁぁッ!!」


 オギャア、ではない。

 明らかに自己主張の激しい、野太い咆哮のような泣き声が部屋中に響き渡った。

 窓ガラスが再びビリビリと震える。


「う、生まれた……! 元気な男の子です!」


 産婆さんが抱き上げた赤ん坊は、生まれたてとは思えないほど手足をバタつかせていた。

 産湯を使わせるために侍女たちが駆け寄る。


 私は全身の力が抜け、ベッドに沈み込んだ。

 終わった。

 産んだんだ。


「……シェリル」


 ライオネル様が、私を覗き込んだ。

 彼の頬には、涙の筋が何本も走っていた。


「よくやった……。本当に、よく頑張った……」

「ライオネル様……赤ちゃんは……?」

「ああ。……こいつだ」


 産婆さんが、綺麗に拭かれた赤ちゃんを連れてきた。

 白いおくるみに包まれた、小さな命。

 ライオネル様譲りの金色の髪が、うっすらと生えている。

 瞳はまだ開いていないけれど、元気よく真っ赤な顔で泣いている。


「ふぎゃあ! 飯だぁぁ! 飯をよこせぇぇ!」


 ……気のせいだろうか。

 泣き声が、「メシ」と言っているように聞こえる。


 私は震える手で、我が子を受け取った。

 ずっしりと重い。温かい。

 私の胸に抱かれると、赤ちゃんはピタリと泣き止み、鼻をヒクヒクと動かした。

 そして、私の胸元に顔を埋め、一生懸命に匂いを嗅ぎ始めた。


「……お腹、空いてるのね」


 私は自然と微笑んでしまった。

 さすが、私とライオネル様の子だ。

 食いしん坊の才能は、すでに開花しているらしい。


「名前は……決めていたな」


 ライオネル様が、私と子供をまとめて抱きしめるように腕を回した。


「レオン。……レオン・バーンズだ」

「ええ。獅子のように強く、そして……美味しいものをたくさん食べて育ちますように」


 レオンは私の指を小さな手でギュッと握り返してきた。

 その力は驚くほど強い。


 シロが枕元に近づき、レオンの頬をペロリと舐めた。


『ようこそ、小さき同胞よ。……我の加護をくれてやる』


 レオンの額に、一瞬だけ白虎の紋章が浮かび上がり、すぐに消えた。

 最強の聖獣による祝福だ。


 ドタドタドタッ!

 階段を駆け上がる音がしたかと思うと、ドアがバーンと開かれた。


「シェリル! 生まれたか!?」

「孫は!? 私の孫はどこだ!」


 びしょ濡れの父・ガラルド公爵と、魔術師ルーカス様が転がり込んできた。

 どうやら、一階で待機していたらしい。

 父はレオンを見るなり、「おお……おおぉ……!」と崩れ落ち、男泣きを始めた。


「可愛い……。なんて可愛いんだ……。ライオネルに似なくて本当によかった……」

「いや、髪の色は俺に似てますが」

「黙れ! この高貴なオーラはシェリル譲りだ!」


 騒がしい。

 けれど、なんて温かいんだろう。

 

 窓の外では、いつの間にか嵐が去り、雲の切れ間から朝日が差し込み始めていた。

 新しい朝。

 新しい家族。

 そして、これから始まる、もっと賑やかで美味しい毎日。


 私はレオンの温もりを感じながら、心地よい眠気の中で目を閉じた。

 まずは、体力回復のためのご飯を食べなくちゃ。

 夢の中で、ふっくらと炊き上がった『鯛めし』の香りがした気がした。

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