第14話
翌日のランチタイム。
『月待ち食堂』は、開店と同時に戦場のような賑わいを見せていた。
「店主! こっちも『生姜焼き定食』追加だ! マヨネーズ多めで!」
「承知しました! そちらのテーブル、ご飯のおかわりお持ちしますね!」
店内を埋め尽くすのは、非番の騎士たちと、休憩中の魔術師たち。
本来なら水と油の関係にある彼らが、肩を並べて定食をかきこんでいる。
今日の店内は、醤油と生姜が焦げる、とてつもなく食欲をそそる香りに支配されていた。
ジュワアァァァ……!
私は鉄板の上で、タレに漬け込んだ豚肉を豪快に焼く。
脂の乗った豚肩ロース。そこに、すりおろした生姜、醤油、酒、みりんを合わせた特製ダレが絡みつく。
甘辛い香りが爆発し、肉の縁がチリチリと焦げていく。
どんぶり飯の上に、千切りキャベツを敷き、その上から熱々の肉をドサッ!
タレがキャベツとご飯に染み込み、えも言われぬグラデーションを描く。
『豚の生姜焼き丼』の完成だ。
その時だった。
バンッ!!
またしても、入り口の扉が乱暴に開かれた。
店内のざわめきが一瞬止まり、全員の視線が入り口に集中する。
「ジュリアン様! ここです! ここが私を侮辱した悪の巣窟ですわ!」
入ってきたのは、鬼の形相をした聖女リナ。
そして、彼女に腕を引かれ、気まずそうに入ってきたのは王太子ジュリアン様だった。
「……あー、リナ。本当にここなのか? なんだか騎士団の連中が大勢いるようだが」
「関係ありません! 殿下の権威で、全員追い出してください! そしてこの店を営業停止処分にするのです!」
リナは鼻息も荒く、カウンターの中でフライパンを振る私を指差した。
「そこにいる元公爵令嬢シェリルが元凶です! 私の『聖なるクッキー』を家畜の餌呼ばわりした挙句、殿下のことも悪く言っていましたのよ!」
あることないこと(大体合っているが)を喚き散らすリナ。
ジュリアン様は渋々といった様子で前に進み出たが、その鼻がヒクヒクと動いた。
「……くんくん。なんだ、この匂いは」
彼の視線が、客たちが食べている『生姜焼き丼』に釘付けになった。
甘辛いタレの光沢。豚肉の脂。
ジュリアン様の喉が、ゴクリと音を立てる。
「う、美味そうだ……」
「殿下!?」
「い、いや、すまない。……コホン。シェリルよ。リナから話は聞いた。聖女に対して無礼を働いたそうだな」
ジュリアン様は必死に威厳を保とうとしているが、視線は私の手元のフライパンにロックオンされている。
「事実を申し上げたまでです。それに、営業妨害をしているのはそちらでは?」
「生意気な! ジュリアン様、早く命令を! この女を捕らえて、王宮の地下牢へ!」
リナが叫ぶ。
ジュリアン様は私と、そして生姜焼きを交互に見て、苦渋の決断を下したように口を開いた。
「……わかった。シェリル、貴様を捕縛する。……ただし!」
彼は声を張り上げた。
「牢屋に入れるのは忍びない。俺の『専属料理人』として、離宮に軟禁することとする! そうすれば、リナの顔も立つし、俺も毎日この料理が食べら……ごほん、監視ができる!」
「はあ?」
「なんですって!?」
私とリナの声が重なった。
この期に及んで、この男は「愛人兼料理人」として私を囲おうとしているのだ。どこまで図々しいのか。
「殿下! おっしゃることが違いますわ! この店を潰す約束でしたでしょう!?」
「いや、しかしリナ。この料理を失うのは国家的損失だ。お前の健康料理もいいが、たまにはこういう……」
「言い訳無用です! もういいです、私がやります!」
リナは激昂し、店内で食事をしている騎士たちに向かって叫んだ。
「そこの騎士たち! 貴方たち、王家に仕える者でしょう!? 今すぐこの女を取り押さえなさい! そして店を破壊するのです! これは未来の王妃としての命令ですわよ!」
シン……。
店内が静まり返った。
騎士たちはスプーンを止め、ゆっくりと顔を上げた。
だが、誰一人として立ち上がろうとはしない。
「な、何をしているのです!? 聞こえなくて!?」
「……聞こえているさ。うるさいほどにな」
ドス、と重たい音がした。
カウンターの特等席に座っていた大男が、ジョッキを置いて立ち上がったのだ。
口元についた生姜焼きのタレを拭い、ゆらりと振り返る。
王宮騎士団長、ライオネル・バーンズ。
「だ、団長……?」
「おい、リナ。そしてジュリアン殿下」
ライオネル団長の瞳には、明確な殺気が宿っていた。
「俺は今、至福の時を過ごしていた。甘辛いタレが染みた米をかきこみ、豚肉の脂をエールで流し込む……。一日の激務の疲れを癒す、神聖な時間だ」
彼は腰の剣には触れていない。
だが、その全身から放たれる威圧感だけで、リナとジュリアン様はビリビリと震え上がった。
「それを『破壊する』だと? ……俺の飯を奪うつもりか?」
「ひっ……!」
さらに、その隣で静かに食事をしていた魔術師ルーカスも、眼鏡を光らせて立ち上がった。
「同意しよう。私は現在、この『生姜焼き』に含まれる成分が、魔力回復に及ぼす影響をデータ収集中だ。店主の身柄を拘束されれば、研究は頓挫する」
ルーカス様は冷徹な瞳でジュリアン様を見据えた。
「殿下。貴方は『国家的損失』とおっしゃったが、認識が甘い。この店を潰すことは、騎士団の士気を下げ、魔術師団の研究を妨害することと同義。すなわち、『国家反逆罪』に値すると私は判断しますが?」
「な、な……っ!?」
ジュリアン様が狼狽える。
まさか、自分の腹心中の腹心である二人が、完全に敵に回るとは思っていなかったのだろう。
「そ、そんな馬鹿な! たかが飯屋一軒のために、騎士団長と筆頭魔術師が王家に弓引くというのか!?」
「たかが飯屋?」
ライオネル団長が吠えた。
「笑わせるな! 俺たちにとって、こここそが王宮だ! 味のしない草ばかり食わせる城なんぞ、こっちから願い下げだ!」
「そうだそうだー!」
「俺たちの食堂を守れー!」
店中の騎士と魔術師たちが一斉に立ち上がり、シュプレヒコールを上げた。
その熱気と殺気は凄まじい。
多勢に無勢。リナとジュリアン様は、入り口の扉に背中がつくまで後ずさりした。
「くっ……お、覚えておけ! このような謀反、父上(国王陛下)が許すはずがない!」
「そうだわ! 国王陛下に言いつけて、貴方たち全員、クビにしてやりますから!」
二人は捨て台詞を吐いて、逃げるように店を出て行った。
その背中を見送りながら、私は深いため息をついた。
「はぁ……これで完全に、国を敵に回しちゃったかしら」
心配する私に、ライオネル団長は生姜焼き丼の最後の一口をかきこんで笑った。
「案ずるな、シェリル嬢。国王陛下? ふん、あの御方も『美味いもの』には目がないからな」
「そうですね。……そろそろ、真打ちの登場というわけだ」
ルーカス様が意味深に呟く。
そう。
この騒動は、私の予想を超えた方向へと転がっていく。
「食」を軽んじた王太子と聖女には、最大のしっぺ返しが。
そして私には、最大の味方が現れることになるのだ。




