第三王子と小さな悪女
屋敷の中に戻されたフローレンスは、自分の私室へと侍女達と向かった。
嘘泣きとはいえ、涙を流した為にほんの少しだけ目の周りが赤みを帯びている。
久しぶりの私室は、何だか空虚に思えた。
2年ほどしか過ごしていないとはいえ、人の住んでいなかった部屋というのはまるで抜け殻のように感じられたのだ。
掃除は行き届いているし、空気の入れ替えもされているだろう。
特に朽ちたところもなければ、汚れたところもない。
それでも、ここで過ごした日々はもう遠い過去になっている。
侍女から渡された濡れた布を目に当てていると、誰かがやってきたのが分かった。
お姉様かしら?
布を外して見てみれば、第三王子のフランシスが入り口に立っていた。
「失礼。フローレンス嬢と少し話がしたいんだ」
「はい」
立ち上がろうとフローレンスが身体を起こすと、フランシスが手でそれを制した。
「君は目を冷やしていていい。礼の必要は無い」
とことことフローレンスの座っている長椅子の横に立つと、心得た様に侍女と護衛が後ろに下がる。
護衛騎士は部屋の外に出て待機をし、侍女は一人を扉の近くに残して部屋を退出した。
何を話すのかしら、と思いつつフローレンスは言われた通りに目を冷やし続ける。
「君は、コーブス伯爵令嬢に、何を言ったんだい?」
「何の事でしょう?」
まさかフランシスにそれを訊かれるとは思わなかったが、誰が訊こうともフローレンスの答えは同じだ。
目を冷やしながら、口だけで微笑む。
「突然コーブス伯爵令嬢が君を突き飛ばしたのには訳があると思っただけだよ」
穏やかに耳に届く声に、フローレンスは少しだけ間を置いた。
相変わらず口には穏やかな笑みをのせたまま。
「わたくしの事を嫌っているだけでございましょう。以前のわたくしは彼女に酷い事をしてしまいましたから」
「……そう。君がそう言うのならそうなんだろう。けれど頻繁に事件が起これば、例え被害者とはいえど問題になるから気を付けるんだよ」
ほんの少しの心配と、それから注意にフローレンスはくっきりと微笑んだ。
フランシスが心配しているのは、フローレンスの評判よりもシヴィアの評判だろう。
「はい。お姉様の足を引くような真似は致しません。だって唯一の肉親なのですもの」
言い切るフローレンスの言葉に、僅かにフランシスが逡巡した。
レミントン公爵家には、フローレンスとシヴィアにとっての家族が数人いる。
領地で療養中のエルフィアと従兄のカッツェ。
この二人はフローレンスにとって縁遠い人間なのだろう。
更にディアドラという評判の悪い祖母は、フローレンスに酷い怪我を負わせたことを考えれば家族というのを否定したいのは分かる。
が、実の両親である父のディーンと母のリアーヌは健在だ。
「君にはご両親がいると思ったが」
フランシスの問いかけに、ゆっくりとフローレンスが目を冷やしていた布を取り除けて真っすぐに視線をフランシスに向ける。
その目には悲しみや怒りよりも、呆れや諦観といった光を宿していた。
「その両親は例えばわたくしが命を失いかけていても、眉一つ動かさないでしょう。わたしの存在よりも今晩の晩餐の献立の方が気になる位でございましょうね」
あまりの言い様に一瞬フランシスは眉根を寄せるが、ふむと一息ついた。
「そうか、それは残念だ」
「いいえ、幸運でございました。たった一人でも、気にかけてくださる優しいお姉様がいらっしゃるのですもの。ですから、わたくしは、お姉様の立場を危うくするような事は致しません」
そう言ったフローレンスの眼差しは強く光り輝いていて、フランシスは頷いた。
確かに頼れず愛してもくれない家族の中で、唯一愛してくれる存在がいたのなら、拠り所にするだろう。
そして、決してその人を害したいとは思っていないと信じるに足る。
「分かった。けれど、手に余る事態が出来たらきちんと相談をして欲しい」
「身に余るお言葉を頂戴いたしまして、恐縮に存じます」
頭を下げたフローレンスを見つめていると、部屋の入口に王妃イレーヌが現れた。
「あら、どうしたの?貴方まで園遊会を抜け出して」
「祖母上、戻る時に同行が必要かと思いまして、迎えに来たのです」
「まあ、気の利く事。どうかしら?フローレンス、目の腫れは引きまして?……ああ、大丈夫そうね」
言いながら近づいて、イレーヌはフローレンスの頬を撫でて目を覗き込んだ。
フローレンスはにっこりと微笑んで答える。
「はい。王子殿下と王妃殿下と共に会場に戻りとうございます」
姉だけを家族と認識している悪女(予定)フランシス王子とは多分、今後も悪友の様な関係、かなぁ?




