家庭教師のヴィバリー夫人
王妃と王太子妃の肩入れもあるが、顔を腫らした小さな少女と、それを優しく面倒看る姉は、王宮の使用人達の同情や憐憫を誘うに余りあった。
一度は耳にした事がある、悪女ディアドラの噂を真に受けて、シヴィアはひそひそと悪意ある陰口を叩かれていたのも間近で見てきたのである。
言い返す事も弁明する事もなく、ただ毅然としている姿に誤解を解く人々も増えていってはいたが。
何より第一王子のアルシェンが心を許しているというのが大きかっただろう。
使用人達の中にもディアドラの横暴を体験した古株の者達もいたが、フローレンスが受けた暴力を見れば、彼女達もあの酷い公爵夫人の被害者なのだと、認識した。
色々と波紋が広がる中、姉妹は新しい住処で新しい生活を始めたのである。
朝食は部屋に運ばれ姉妹で仲良く食べ、シヴィアがフローレンスに朝食後の痛み止めを飲ませて、と世話を焼いているのを部屋付きの侍女や小間使いも優しい目で見つめていた。
「それではフローレンス、わたくしは殿下とお勉強をしに参りますから、貴女はお部屋で無理のないようにお過ごしなさい」
「はい、お姉様。でも、フローは大丈夫です。お薬も飲んだので、お姉様がお戻りになるまでお勉強します」
「わかったわ。でも、無理は絶対に駄目よ?」
「はい、お姉様」
姉妹は約束を交わし、姉のシヴィアは王子アルシェンの元へ、妹のフローレンスは姉の続き部屋の自分の部屋へと戻った。
間もなく、侍女に呼ばれた家庭教師がフローレンスの部屋にやってきて、紫色に腫れた顔を見てぎょっとした。
長年王室関係者や高位貴族の子女達の家庭教師を勤めてきたが、こんなに幼い少女のこんなに酷い怪我は見たことがない。
昨日、王妃に事情を聞いてはいたのだが。
「先生、よろしくお願い致します」
「ええ、…よろしくお願い致しますね、フローレンス嬢」
自他共に厳しいと評判のヴィバリー夫人は、思わず優しい声で挨拶をした。
「見た目ほど、酷い怪我ではないのです。痛み止めのお薬もお姉様にいただきました。だから、先生、気にしないでください」
にっこりと微笑む幼女の膨らんだ頬が痛々しい。
こんな怪我を負わされているのに、教師を気遣うなんて、と夫人は声を詰まらせた。
「ええ。……でも、少しでもお休みしたくなったら、遠慮をしてはいけませんよ?王妃様にも貴女の健康が第一と言われておりますからね」
「はい、先生」
ヴィバリー夫人から見たフローレンスは、シヴィアやアルシェンなどの天才肌とは違うが、十分に優秀な生徒だった。
零れそうに大きな瞳を真剣に向けて、ひたむきに文字を書いて。
誉めれば嬉しそうに顔を綻ばせる。
その素直な子供らしさも夫人には愛らしく映った。
貴族の子供達と接する機会はあるが、この国で家庭教師を雇う年齢は大体七歳前後である。
その頃には大抵、高位貴族の子女達は表情管理を心がけていた。
また、その爵位による矜持からか、褒められても当然、としか受け取らない。
家庭教師という立場への扱いも、家ごとに違う。
王宮では基本的に使用人と客人の間くらいであるものの、使用人と扱う家も少なくはない。
未婚の貴族令嬢の働き口という概念もあり、実績の有無によっても左右される。
だからこそ、王宮に雇われるというのは名誉な事でもあった。
どうしても働かなければならない理由は無いが、今後働き口を選ぶ時にも箔となるのだ。
良い条件が揃っていたのもあるが、教える相手が素直で可愛らしい少女というのもヴィバリー夫人にとっては嬉しい誤算だったのである。
フローレンスは常に邪心を持っている訳ではありません。誰かを傷つけたい欲求がある訳でもないですが、敵には容赦ない子です。今は周囲に優しく大事にされているので、大丈夫、多分。




