第935話 堕天
「ど、どうして……?」
「過去のソラ様から、離婚できないよう婚姻届に明記があったからです。この婚姻はソラ様でも解消できず、私達からの届け出でのみ離婚が成立すると……」
「過去の僕は……随分と未練がましいんだね」
最高権力者相手に権力の弱いものの立場から離婚を提示するなどあり得ない。
たとえ締結されたとしても、僕の方から再婚を迫られたら断れないだろう。
未来の僕はこんなにも自分勝手なのか。
まさか、あの姉や母の影響が、お父さんにまで行ったと思ったら、ついに僕にも……!?
「違います。ソラ様が御自身のためにこんなことなさるはずがございません。あくまでも私たちの不安を取り除くためでございます」
「いくらソラ君だとしても、過去のソラ君を侮辱することは許さない」
「違う、僕は……あなたたちのことを助けようと……っっ!」
「救われる」
「ぐああああっ!?」
「ソラ様っ!?」
言葉に詰まったわけではなかった。
負の感情が、僕の羽の色を黒く染め上げていく。
「ソラ様、大丈夫ですか!?」
「うぐっ、頭が……」
僕のやろうとしていることは、余計なお世話なのだろうか?
頭がいたくなってくる。
でも早くみんなの知らないところで自分を死ぬほど傷付けなければならない。
立ち止まってはいられない。
メルヴィナさんの言う通りなら、僕が自爆して死ねばいい。
どうせ天使の神力で僕は不死身だが、そのときの死ぬほどの痛みが僕の心に傷をつけるのは容易だろう。
だから、僕が堕天して……
『連れてきたわよっ!』
バンッと開けた扉が戻りそうなくらい勢いよく開かれたドアの方へ顔を向けると、僕たちの女神様は後ろに男性を連れていた。
まるで辛気臭い気分も吹き飛ばすほどの勢いに驚きを隠せずにいたが、そんなことは些末な事柄だった。
「おい、たいした説明もなしで連れてくるなんて、どういう了見だ。クライアントならガチギレ案件だぞ……結局ここはどこなんだ?」
「っ……!」
膝をついて立ち上がれない僕の目の前には、かつて僕を悩ませた小太りの男性がいた。
そして僕の前世で止まっている記憶の内から一気に掘り起こされ、まるで走馬灯のようにその男性との思い出が甦っていく。
「おと……う……さん……?」
久しぶりに呼んだそれに、ひどく違和感を覚える。
「お前……天か……?」
ここ数日でたまっていたストレスが、いろいろな感情が、脳のコントロールを失わせていた。
そして同時にやってきた、ストレスの元。
『――お前なんか、生まなきゃよかった――』
「いやっ…………」
人はよくない記憶というものほど、よく覚えて忘れないものだ。
「いやああああっっっ!!!!」
拒絶が頭痛となり、鼻から血が垂れ、そして翼はついにまっ黒になる。




