第932話 空虚
「エルーちゃん、僕、男だってば……!」
まさか性別を知らずに婚姻したわけじゃないよね……?
「存じております。ですが、もう妻でございますから。お背中、流しますね」
「妻って言われても、僕には記憶ないし……それにお風呂までお世話する必要はないんじゃないかな!?僕、さすがに一人で入れるよ」
前を隠そうともしないエルーちゃんにドギマギしていたが、ふと僕も隠さなきゃと思い出し、両手でガードする。
「隠さないでください。記憶はなくとも、お身体は覚えていらっしゃるのですね」
やがて手では隠せなくなると、エルーちゃんは僕の弱々しいガードをはね除けてきた。
「また、お会いできましたね」
ちょっ、どこに言ってんの……!?!?
まるでそうするのが礼儀とばかりに、くんくんと嗅いでから吐息をかけると、そのまま先っぽにキスをする。
その仕草のすべてが、僕の琴線に触れていた。
粗雑に扱われてきた反動か、そうやって大事にされるの、あり得ないくらい弱いんだって~~~っ!!
「では……」
「ちょっと待って待って待って!」
掴んで口を大きく開け舌が先っぽに触れたとき、僕は条件反射で突き放した。
が、ただでさえ力が抜けるようなことしてるのに、その上エルーちゃんの力が強すぎて引き剥がせない。
怪我させたくないし、どうしようと唸っていると、もう一人ガラガラと音を立てて入ってきたのだ。
「は……?」
「まあっ♥️私も混ざっても?それとも、壁になった方がよろしいですか?」
包容力のあるお姉さん天使が、その胸を揺らしながらそんなことを言うのだ。
「ど……」
「「ど……?」」
「どうしてみんなっ、僕の話聞いてくれないのっっ!!」
まるで捨て台詞のようにそう言うと、全身に過剰な限りの身体強化を施して、全力疾走で出ていく。
去り際にドアを貫通しただけでなく、その前にペチンとエルーちゃんの頬を叩いてしまった気がするが、僕はそれどころではなかった。
確かに僕の妻と言われた皆さんは可憐で正直僕の好みかと言われるとその通りとしか言えないんだけどさ。
身に覚えのない人たちに妻だと言われ、当たり前のように男女の距離になろうとするのは、正直に言うと怖い。
怖すぎるんだよ……っ!
「ううっ、ぐすっ……もうおむこいけなぁい……」
なんかデジャヴが……こんなことあったっけ?
「ソラ様はもう既にお婿さんでいらっしゃいますでしょう?」
「ひぃっ……!?」
そんな、「おじいさん、晩御飯はもう食べたでしょう?」みたいに言われても……。
「もぅ……どぉしてここがわかるのぉっ……!!」
別の部屋の隅っこの棚の裏で一人情けなく泣いていると、エルーちゃんはすぐさま部屋を特定して入ってくる。
こんな情けない泣き顔なんて誰にも見られたくないのに。
「申し訳ありませんでした。私達は過去のソラ様をばかり考えていて、今のソラ様と向き合っておりませんでした」
「ぐすっ、そうだよぉ……いまのぼくをみてよぉ……」
きっと記憶を取り戻せば用済みの存在だとしても、だ。
皆が僕を通して見ているのは過去の僕でしかない。
誰も彼も今のなんにもない、空っぽの僕を見てくれてはいなかった。




