クリシャ・ポロゥの憂鬱
「……落ち着かないなぁ、これは」
フィルネンコ事務所から馬車で約三〇分。
小高い丘の上にある大きめの一軒家、ギディオン・ポロゥ氏の自宅兼研究所。
そのリビング。
彼女とすれば実家へ里帰り、と言っても構わない状況ではあるのだが。
そのクリシャの座る椅子の後ろには。メイドが2名、すぐに動けるような体勢で控えている。
「失礼いたします、クリシャ博士。お茶のおかわりなぞ如何でしょうか?」
「え? ……あ、あの。結構です」
「では。わたくしどもは隣の間に控えておりますので、いつでもお声がけを」
思いのほか大きい応接のテーブルの上には、モンスター関連の資料とそして、お茶とお菓子。
それを用意したのは午前中だけ通いで来ている、と先日ギディオンが自分で言っていたメイド達。
クリシャは自分の呼び方が、様。では無く、博士。であることから、多分政府系のだれかが手配したものなのだろう、とあたりを付ける。
「……ま、あの先生を放し飼いにしてちゃ、マズいもんねぇ」
称号の類を一切持っていないとは言え。ああ見えて、帝国屈指のモンスター学者である。
身の回りのこと位、自分でやらないでも文句は言われないであろう立場ではあるのだ。
「――博士、気が付きませんで申し訳ありません。何か御座いましたでしょうか?」
「ん? あぁ、何でも無いよ。こっちの話。今日は時間までゆっくりしてもらって良いよ。……今は世話を焼いてもらうはずの先生が、居ないわけだし」
独り言に気が付いたメイド達が早足で近寄ってくるのに対して、多少慌ててクリシャが答える。
「そうですか。しかしなにもしないというのも……」
「いつもは“あの”先生のお世話をしてるわけでしょ? たまには息抜きの日があっても良いんじゃ無い?」
「実はそれだと、私どももどうして良いか困るんですよ。――正直に言えば午前中にお客様が来る、などと言うこともごくまれですし」
「博士のような素敵なお嬢さんがいらっしゃるなんて皆無。……うふふ。お茶のおかわりなどどうぞ」
すでにもう一人がティーサーバーを準備している。
「あの、……じゃあ、遠慮無く」
彼女たちは午前だけ、と言う契約になっていると以前ギディオンは言っていたが。
――四六時中一緒に居るとか、私以外には耐えられないだろうな。と、そこは半ば本気で思うクリシャであった。
「先週から今日来るって言ってあったのに、いい加減なんだから」
クリシャとしては別に突然来訪したわけでは決して無く、元々今日来る予定ではあった。
完全に休みなったので、時間が二時間ほど早くなっただけである。
だからギディオンが、懸案事項になっていた打ち合わせのみを済ませて――用事がある。と言いつつ出かけてしまったのには、多少憮然としないでもないのだが。
「でもまぁ、先生だからなぁ。仕方ないのかなぁ」
多少の奇行や言動も、その一言で全て済んでしまう。――先生はズルいよなぁ。と思うクリシャである。
「なんて、私がそれですますわけないでしょ! ……はぁ。何考えてんだか、ホント」
もちろん、個人的には納得して居るわけではない。
だいたい、帝国屈指のモンスター学者同士。
お互いデスクワークとフィールドワーク、得意分野の違いはあれど意見の交換はとても有意義である。とクリシャは思っている。
それにもっと単純に。似たもの同士として、事実上の親子として。
話したいことはモンスターに限らずいくらでもあるのだ。
ロミが見た限り、喧嘩をしてるようにしか見えなかったらしいが、それもまた立派なコミュニケーション。
雑に、乱暴に話し合う。
事実上ギディオンに育てられたクリシャは、だからそれが普通だったのである。
ただ、今回は逃げるようにして出かけてしまった。
出かけなければいけない理由はわかる気もするが、そこに至る経緯としていったい何があったのか。
「お金、じゃないだろうしなぁ。……先生を釣るエサってなに?」
もう小一時間、椅子に座って腕組みで。
納得がいかない理由を考え続けているクリシャである。
その間にもメイド達は家中の掃除をし、キッチンではお湯を沸かす音、外では水を捨てる音が間断なく響く。
「……真面目だなぁ。今日ぐらいサボれば良いのに」
「見ていないところでこそ真面目に働きませんとね、先生は意外に細かいところにお気づきになるので」
「このお屋敷に来られる、と言うだけでも結構なステイタスなのです」
「あぁ、なるほど。――プロだからね」
「それほどのものでありませんが、アイツはもう良い。と言われるわけには参りませんから」
みんなプライドをかけて仕事をしているのだな、とそこは納得するクリシャである。
「では、博士。時間になりましたので私どもはこれにて。うるさくして申し訳ありませんでした。先生がお戻りになられるまで、ごゆっくりおくつろぎ下さい」
「先生は普段、ご昼食をお取りにならないのですが、博士のお年頃なればおなかも空きましょう。――あちらに軽くつまむものをご準備しました。お仕事の合間にどうぞ」
「あ、ありがとう。ご苦労様です」
クリシャはメイド達を送り出し、リビングの椅子にかけると大きな掃き出し窓の方に目をやる。
「もう良いのでは無いですか? それとも私にバレているのをわかったまま。夜になって私が帰るまで、そこに居るおつもりですか?」
彼女は完全に元の位置に納まると、本当に落ち着かなかった理由へと声をかける。
いつの間にか窓際にたたずんでいた、銀髪色白で小柄な男性が腕組みを解いてクリシャの座るテーブルへと近づく。
何某かの方法で気配を完全に消していたのだが、クリシャはそれに完全に気がついた上で。ここまであえて無視をしていたものらしい。
「白エルフのヘシオトール・タラファスベルンさん。子供の頃に一度お会いしたことがありましたね」
ゆっくり近づいてくる彼の耳は大きくとがり。エメラルドブルーの瞳はわずかに発光して見え、人外である雰囲気をいやます。
「子供の時、か。キミが4歳の時だぞ。そこまで詳細に覚えているとは流石だな。……しかし成長が早い。人間なら年相応に見えるな」
「そのせいで常に気苦労が絶えませんよ。実際には見かけが全く年相応では無いですから。……生物学上の“お父さん”。人の仕事の邪魔をして、先生を追い出してまで。いまさら一体何のご用ですか?」




