ルカ・ファステロンの本職
「せっかく綺麗にしたお部屋です。無意味に汚すこともありませんでしょう。二人共、中庭に参りますわよ?」
そして特になにもない空間へ向け、ルカが凜と張った声で告げる。
「――天井の方もお仲間へお伝え下さいましな? 中庭でお待ち致します。皆様全員で来られますよう」
そう言うとルカは何事も無いかのように、すっ。と立上り部屋の出口へと向かう。
パリィとエルも慌ててその後を追い、立派な彫刻の成されたドアーが静かに閉まった。
「お嬢、なんで中庭ぁ? あの気配。五人以上は確定だぞ……?」
「居たからなんだというのです、パリィ。お客様がいらっしゃるなら最大限のおもてなしを。ただそれだけのことです」
中庭へ向かう廊下。
エルが前に出て、その次にルカ、最後尾はパリィ。
先頭に出ようとするルカを二人が止める。複数回にわたる無言の論争の後の結果である。
「ルカ様、ただの賊とも思えませんが」
「……多分。あなたたち、つけられましたわね。――いや、つけさせられた、の方が的確でしょうかしら」
「まさか……! 宮廷内で我らの動きをリークしていると!?」
――もっと直接言っても良いのですのよ? どうせ聞くものもありません。涼しい顔でルカが続ける。
「お兄様が、不穏分子のあぶり出しにわたくしを使った。それが一番しっくりくるのでは? ……ならば、わたくしに期待される働きは一つのみ。行きますわよ?」
ふっ、とルカは不敵に笑うと今度こそ前に出て、中庭への扉を押し開けた。
中庭には既に、剣を持った男が七人。中庭の入り口に向いて立っている。
「まさか放蕩姫が帝都でリジェクタをやっているとは、確かに誰も気がつくまいな!」
ルカは右手をパリィに差し出す。
パリィは反射的に、彼女の手に豪奢な鳥の毛の飾りがついた扇子を渡した。
「なるほど。騎士なれば思い当たる名も有りますね、して、わたくしになに用でありますか。ナイト・バルドフ」
ごく自然にルカの背筋が伸び、くいっ。と顎が上がると。扇子を開いてルカは口元を隠す。
「…………」
「わたくしをルケファスタと知ってなお、名乗ることさえしませぬか。貴族の従僕としてまっこと不躾の極みなりや。まさに騎士の名折れ、帝国の恥でありましょう」
「ゴモリア子爵家の侍従長がなんの真似か! 殿下は全てお見通しです。剣をひきなさい無礼者!」
「まもなく皇太子殿下の御世となる。その時あなたは、皇太子殿下のみならず、リンケイディア殿下にとっても邪魔になるのだ!」
ルカはここで完全に。リンクがあえてエル達の行動を、目の前の男にリークした理由がわかった、
「そうなれば。わたくしのすることは、リンク殿下と共に全力で大兄様をお支えすることのみ。既に準備は万事に渡り整っておるところ。わたくしが兄二人の邪魔となることなど、万に一つもありえません」
扇子で口元を隠したルカがきっぱりと言い切る。
「あなた方の主の邪魔になる、とはっきり仰ったら如何か? 往生際の悪いのにも程があります」
「勿論そう仰るでしょうが。……ならば今ここで! まずはあなたに! 留学などではなく、完全に“行方知れず”になって頂きましょう!」
ここでメイド服の二人が帽子を脱ぎつつ、一歩前に出る。
「姫に手を出す? ……私達二人がいるのに? 本気でバカなの? メイドに殺された最低の騎士として後世に名前、残っちゃうよ? 子供、いじめられちゃうよ?」
「たかが女二人、七人相手になにができるか!」
「さて我らになにができるものか。どう考える?」
「……時間稼ぎで死にたいのなら、止めぬ!」
「こうなっては。あなたの主人も、家銘召し上げ程度では済ませるつもりはありませんが。そこは当然、覚悟の上なのでしょうね?」
仮にも皇族と知って、貴族の護衛に付く筆頭騎士が手を出すのである。
ことが公になれば。一族郎党、老若男女の分け隔てなく粛正されるのはほぼ間違い無い。
「我が主よりの命令だ!」
「エル、パリィ。我が帝国に仇成す逆賊です。ただいまを持ってこの者達、全てを粛正の対象とします」
「はぁい。……で。エル、どうすんの?」
「左三人、パリィに任せた。――私は右三人」
「はいよー、わかった。――姫様、殺っちゃって良いんだね?」
「構いませんが。……エル。一人程、数が足りなくはないですか?」
「首領は殿下がよろしいように。我らでは加減ができません故、皆殺しになってしまいます。そうなれば後々、事情を聞くとなっても適いませぬでしょう?」
「全て粛正せよと言いつけたはずですが。……なるほど、一理あります。暫し会わぬ間に賢くなったものですね。――心得ました、ではわたくしもその通りに」
「さて、話は終わりましたかな姫君。……では、そろそろ」
「誰が先に動いて良いって言った!」
パリィは言うが早いか相手に正面から真っ直ぐ突っ込む。その後ろ、姿を隠される格好になったエルが右手を振り上げるように見えた。
次の瞬間、キン! と金属音がして、向かって右に居た男三人のうち二人が首に針を突き立て崩れ落ちる。
「くそ! 一動作で三本だと!?」
かろうじて針を剣で弾き飛ばした男はそう言った次の瞬間。
スカートをたくし上げながら目の前に現れたエルが、そこから取りだした剣で自分の首を跳ねようとする。その光景が彼の最後の記憶になった、
そしてそちらに一瞬気を取られた左側の男達。
パリィにとっては、いつの間にか右手に持った刃渡りの長い肉切り包丁。
その間合いに入る一瞬。
エルがそこまでの分、気をひいてくれれば良かった。
そしてそれだけの時間は十分以上に稼げてしまった。
背が低い上に俊敏。見た目通りの彼女は一度も剣にかすることさえ無く、三人の首と股を深く切りつけ、そのままエルの横、ルカの斜め前へと戻る。
正面では三人の男が血しぶきを吹き上げて倒れ込むが、返り血を一切浴びて居ないパリィ。
彼女は既に包丁を何処に仕舞いこんだのか空いた両手を開いて、いつでも動けるようにさげている。
その右隣ではエルが右手に剣を持ち、左腕を伸ばしてルカを庇う形で立つ。
「さて。どうしますか? 名を名乗る事さえも適わぬ、さもしきものよ」
既に立っているのは彼一人。男は剣を握りなおし、切っ先をルカへと向ける。
「皇女殿下と知ってなお、剣をひかぬどころか向けるというか! 貴様の騎士の称号は、一体どなたより賜ったのだっ!? 皇帝陛下のご息女、その御前であるのだぞ、不敬であるにも程がある!」
「エル、お待ちなさい。……この期に及んで逃げぬというは感心である。――ふむ。パリィ、エル両名。これより手出し無用にて、良いですね?」
「わかってる」
「……御意に」
ルカが一歩前に出るのと同時。二人は同じタイミングで一歩引く。
これで男とルカの一騎打ちの構図ができあがった。
「時間を無駄にするは愚か者の所業。迷うくらいなら、今すぐ何処へなりと逃げてみては如何か?」
「うわぁああああああ!」
男は剣を大上段に振りかぶって突っ込んでくる。
ルカは扇子を閉じつつ最小限の動きで男の懐に潜り込むと、すれ違い様。
つぅっ。男の首を閉じた扇子でなぞった。
再び距離の空いた二人。
「フフ……。望みとあらば、わたくし手ずから卿の その首、おとして差し上げましょうや」
「ふざけやがって、次はそうはいかん!」
男は再度剣を構え直す。
「その意気やよしっ! ……意気だけですが」
ルカは扇子をパリィに投げ渡した。
「汚れても困ります。持っていなさい」
「リィファ皇女! そのスカしたツラも、これまでだあぁあああ!」
先程と全く同じ構図で交錯する二人だが、違いがあるとすればルカが右手に持つのが扇子ではなく、いつの間にかとりだした金色に輝くダガーであったこと。
すれ違い様。
カラーン、カンカン。握りに右手が付いたままの剣が地面におち、地面が瞬く間に朱に染まる。男は右腕を押さえてうずくまる。
「パリィ! 自害をさせてはなりませんっ、拘束なさいっ!! エル! しんでしまっては元も子もない、大至急止血の処置をとりなさい!!」
ルカが指示を出すさなか。
突然、町娘が三人。腰に長剣を携えて中庭に飛び込んでくる。
「面目次第もありませぬ、殿下っ! 遅れました!! ご無事でしたかっ!?」
「特になにもありません、アリアネにも心配をかけたようでありますね。礼を言いましょう。……お役目、ご苦労様です。此度の件、兄上より何か聞いておりましょうや?」
「いえ、わたくしはなにも。…………えーと。リィファ殿下、これは一体?」
「ならば、騎士様に責のあることでは御座いませんわ。悪いのは若君様です」
いつもの口調に戻ったルカが、右腕を押さえてうずくまる男を見る。
「騎士様にはご苦労をかけますが、この場の収拾をお願いします。――そして、見てのとおり。若君様のところまで持って帰って頂きたいお土産が出来ましたの」
「土産の品……。いえ、それにつきましては間違い無くお預かりし、我が主のもとまで我が責任を持ってお届け致します! それと、片付けものは我らにお任せ頂き、その間皆様方には暫時、お休みを取って頂きたく……」
「やれやれ。……もう一度お茶を入れ直すことになりましたわ。――騎士様も片付けものが終わったら応接へどうぞ。ごちそう致しますわ」
そう言うとルカは配下二人を引き連れ、先頭に立って建物内へと戻っていく。
「は! 喜んで! こちらが片づけば、すぐにお嬢様の元へ伺います! ――外の班も全員こちらへ呼べ! リンク殿下に至急伝を送る、デイブに準備をさせよっ!」
「でもさすがは姫だねぇ、私もだいぶ早くなったつもりだったけど。やっぱり本職に本気出されちゃ敵わないや」
「なにを言っていますの? 私の本職は経理係でしてよ」
にっこりと微笑んでルカは二人に振り向く。
「今までなんだかんだと逃げられていましたが。わたくしの部下としてフィルネンコ事務所に就職する以上は、今度という今度こそ、経理のお勉強をしてもらいますからね?」
「げ! 逃げ場無し、とか……」
「私は、その、ご存じのとおり数字が苦手で……」
――その辺の事情は知りませんっ。そう言ってルカは再び前を向いて歩き出す。
「いずれ人間がパムリィに負けるわけには参りませんでしょう?」
楽しげに肩をふるわせる主の後ろ姿を見ながら、侍従二人は肩を落として後に続くのだった。




