耐えられない! =地下二階・クリシャ編=
「そしてトラップエリアにはこんな沼は無かった」
「詳しくないけどさ、どう考えてもこれは無いよね」
人工的に整備された地下迷宮の中、複数の通路をつなぐ大広間。
その中央部分。行く手を阻む様に、そこだけ違和感を醸し出す沼があった。
地下一階、モンスターエリアを突破した先。地下二階はお宝エリアとも呼ばれるトラップエリア。
各種の検定試験にも使われる関係上、盗賊やいわゆる悪の組織、そのアジト攻略を想定した各種トラップを配置したエリアである。
一番奥にはいかにもな宝箱があり、試験合格となるためにその中身を地上へと持ち帰るのが、ここを利用する人間の最終目標。
一応地下三階まで階層はあるのだが、三階は機材置き場と管理人の自宅となっている
宝箱の中に紛れるミミックや大ネズミ、勝手にわいたスライムや虫系モンスター以外、モンスターは意図的にはあまり配置されて居ない。
地形はあくまで迷宮風であり自然な造形物はあからさまにおかしい。
まして潜るのは初心者に限定されているのだ。通路を塞ぐ形で沼など、そこまでトリッキーな配置はあるわけが無い。
「泥沼、ね。底がまるで見えないが深さは結構ありそうだな。底なし沼、って訳でもないだろうが……」
「ヴィスカスフロッグぐらいは居るんだろうね、あれ」
「ベトベトガエルで済みゃあ良いがな」
彼女達の会話の終わる前には、極彩色の巨大な蛙たちが沼から上陸してくるが、ターニャとクリシャは、彼らが何かをする前には火の付いたこん棒で片っ端から叩き潰して回った。
「まだなんか、居ると思う?」
「むしろベトベトガエルは勝手に住み着いたんだと思うぜ?」
ターニャの言葉が終わらないうちに手足の付いた2メーターを超えるナマズが、鋭利な牙を見せつつ沼から上がってくる。
「帝国内でプロムナマズ!?」
「誰かが放流したくさいが、後で考えろクリシャ! その後ろだ!」
通路を塞ぐ形で不自然に“配置”された、ほぼ広間いっぱいの沼の中央が盛り上がり、徐々に人の形になっていく。
「嘘、あり得ない! 人類領域で泥人間!!」
泥人間。
泥沼に潜み、近づいた人間に襲いかかり窒息させる。
元が泥なのでそれだけでもやっかいなのだが、ここからがこのモンスターの真骨頂。
襲いかかった人間の見た目をまねて、街へと自発的にでてくるのである。
しかし人間なのは見た目だけ。
当然見た目以外の言動は全てがおかしいので、結局は排除されてしまうことになる。
なぜそのような習性があるのか、人間の来る確率の極端に低いモンスター領域で、普段は何をしているのか。その辺は全くわかっていない。
当然危険度は、上級リジェクタ以外の関与が禁止される最高レベルのⅳであり、クリシャの言うとおり人類領域に居るはずの無い危険なモンスターである。
それを想定した装備など、もちろん二人は持ち合わせが無いはずだが。
「なんでももらっておくもんだな」
しかしターニャは全く慌てた様子も無く、上着から真っ赤なボールを取り出すと沼の中央へと無造作に投げる。
ぽちゃん。と、音を立ててボールが沼の真ん中に落ちる。
それを全く無視して沼の上を泥人間(スワンパ-)が一歩踏み出した瞬間。
沼の真ん中が唐突に砂に変わって落ちくぼみ、その変化は一気に沼全体に広がる。
真ん中に立っていた泥人間(スワンパ-)も、そのまま砂の塊に姿を変えて砂場と化した沼の中へ崩れ去り、まだ半身が泥の中にあったナマズたちやカエルの死骸もそのまま干からびていく。
「今の、なに?」
「乾上がり玉。さっき、魔道士の人にもらったんだ。中が水没していたら困るだろうからって」
巨大蟻地獄の巣の様になった“元沼”を迂回しつつ二人は大広間を抜け奥へと進む。
「沼以外、普通のトラップしか無いみたいだな」
ほぼ全てのトラップが、動作した状態で放置してあるのを見ながらターニャ。
「地下一階のモンスターの分布だけ改ざんした、って言うことなのかな? アカリゴケもランタンフラワーも普通に生きてるし」
「さっきの沼はどうすんだよ。――それに、気にくわねぇのは沼からこっち側は、普通のランプも点いてるってことだ。管理人がメンテをしてるってことだぞ」
二階の最深部へは向かわず、二人は地下三階の管理人の管轄地へと向かう。
「立ち入り禁止・この先管理エリア」の看板の先、見た目は人工の迷宮から、自然の洞窟へと変わっていく。
この辺りには特殊なモンスターも、おかしなトラップも元々無いし、現状も何も無いように見える。
「あの、……ターニャ?」
「どうした? ――あぁ、飯にしようか。もうお昼だもんな」
「そうなんだけど、そうじゃなくて、あの」
多少内股で、もじもじしながらターニャをじっと見るクリシャ。
「……ん?」
「あのぉ、ちょっと“お花摘み”に行きたいんだけど」
「あのなぁ、今だって何が出てくるかわかんなくて……」
と言いながら、ターニャは頭の中のマップをもう一度細かく思い出す。
この近所はすでに管理エリアなので通常の地図には地形も載っていない。
「しょうがねぇな、あそこの岩の陰いけ。良い感じのくぼみになってるし、横にきれいな水があっち向かって流れてるから、まぁ、なんだ。流れるし洗えるし、いろいろ、なんだ。……まぁそういう用途には都合が、良い」
「ありがとう……!」
クリシャはゆっくり歩いているのに急いでいる、と言う矛盾した動きでターニャが指さした岩場に向かう。
「わ! なにこの乗馬ズボン、これベルトとボタンが……」
岩の上から、あからさまに慌てた顔だけが出る形になったクリシャ。
「落ち着け! 何かあっても最悪あたししかいないから問題ない!」
「無くは無いでしょ! あ、外れた……!」
「……全く」
「ま、……間に合ったぁ~」
あからさまにほっ、とした表情になるクリシャ。
「あーあ、その顔――。ロミを連れてこなくて良かったよ。こんなの、見せられねぇや……」
「だって、本気で危なかったんだからぁ」
「あのさ、女なんだから一応音も気にして……。まぁいいや」
色々言っても無駄、と悟ったターニャは弛緩したクリシャの顔からスタートして、ぐるりと周りを見渡す。
「しかし、管理エリアには興味が無い、か……。純粋に帝都付近でモンスターを増やすだけのつもりだったのか?」
「このまま進むと危険だぞターシニア」
いきなり名前を呼ばれたターニャは、左の腰に下がった二本の刀のうちスライムスライサーでは無い方の、細身の剣を即座に抜刀、声のした方へと切っ先を向ける。
「……! ヘルムット! お前、生きてたのか! 今まで何してた!?」
「逃げ回っていたよ。……今のところ地下三階だけがセーフエリアだが、ここから降りるためのメイン階段はアウトだ。アクリシアが動ける様になったら人間でも通れる裏口に案内しよう」
ターニャの向けたサーベルの先には、このダンジョンの管理をしていたはずの壮年の男性がいる。
特に変わった様子は無い普通の男性だが、身長、と言うよりはサイズが60センチ前後しか無い。
彼は、このダンジョンの管理を任されていたコロボックルであった。




