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「今月は各所へのお支払いが済んでも、まずは安泰ですわ」
ルカが耳に挟んでいたペンを机に置く。
「計算上、皆の給金も完全に確保できているぞ」
ルカのデスクの隅に置かれた、さらに小さなデスクの上でソロヴァンをはじいていたパムリィが、ソロヴァンの珠を見つめる。
「パムリィ、組合費の集金が今日来るのでしたわね?」
「昨日のうちにターシニアに用意してもらってある」
「今月は逃げ切りましたわねっ!」
ルカが人差し指をあげ、パムリィが右手でそれをたたく。
聞こえるような音はもちろんしないが、フィルネンコ事務所経理チームのハイタッチである。
ブルーのエプロンドレスを着た“大小メイド”がほぼ同時に自分の机から顔を上げると、腕抜きを外して放り出す。
「ここしばらく、そんなに大きな仕事はしなかった気がするんだけどなぁ」
「所長様がそういう考えだから、毎度々々月末にバタバタするのですわ。小さな仕事であろうが数をこなさなければ当然、売り上げは積み上がりません!」
「話はわかるけどな、――ロミ」
「はい!」
急に話を振られたが、大体何の話なのか想像が付いたロミは、ターニャの心証を害さないように努めて明るく答える。
「足りないもの、何かあるか? あんまり高いもので無ければ買えそうだぞ」
「超細目の研石がほしいです。……仕上げがこう、満足できないので」
ロミの給金がそもそも安いとはいえ、その半月分である。確かにおいそれとかえるものでは無い。
そして彼の刃物研ぎは最近さらに磨きがかかり、完全に趣味の領域に入りつつある。
「ほぼ趣味の買い物じゃ無いのか、それ……。あの、ファステロン事務長?」
「そういう呼び方はおやめなさいターニャ、気持ちの悪い。……他ならぬロミ君のお願いですもの、べらぼうに高いものでも無いですし良いですわ。――後で私のダガーのお手入れもお願いしますね」
「時にアクリシア」
「なぁに? パムっち」
こちらは特に欲しいものの無いコンビ。
「例のスライムの研究はどうなっている」
その件は先日来、気にしている様子のパムリィである。
「先生が帝国学術院に出向いて調査中。魔道を使った痕跡を見つけたらしくて、シュミット大公国から学術院に魔道の博士を招聘することになるみたいだよ?」
「何やら大事になっているのぉ」
但し。答えたクリシャにしても、彼女がどこまで理解してそう言っているのかは見当が付かないのだが。
「ところでルカ、経費としてはどれくらい使えそうだ?」
「また無駄使いするのでは無いでしょうね? ……緊急用の蓄えを引いても、四,〇〇〇前後までなら。……確認しますが、本当に経費で落ちるものなのでしょうね?」
「別に無駄使いじゃ無い、経費だっつったろ? お前とロミに冒険者章のシルバーと2種リジェクタ免許を取ってもらおうかと思ってな」
試験を受けるためには、結構な予算が必要だと言う話である。
建国以来領土の拡大を続けるシュナイダー帝国ではあるが、それは別に他国を侵略するばかりでは無い。
むしろイメージに反して、現領土の実に七割は未開の地に開拓団を送り込み、伐採や整地の末、農地を開墾、街道を開拓し街を作っていったのである。
当然に開拓団には野獣に遭遇し、野盗と食料を巡って戦い、モンスターと命がけで戦闘し、畑に害をなす獣を追い払う。そういう事象が発生する。
それを先頭に立って専門家として処理する能力がある、と認められたものに帝国政府から発給されるのが冒険者章である。
リジェクタも仕事の内容がかぶるうえ、状況によっては対人戦闘も発生するので、この免許は保有しているものがほとんど。
ノービスから始まり、アイアン、カッパー、シルバー、ゴールドとクラス分けされており、クラスゴールドなら宮廷の騎士とも同等に渡り合える、とさえ言われる。
但しターニャもゴールド免許保有者であり、言われているだけでそこはあまり信憑性が無いともいえるのだが。
「わたくしは経理係で……」
「ルカにも2種免許くらいは持ってて欲しいんだがな? いつまで腐れスライムにびびってるつもりだ?」
見た目を裏切り、皇族でもきっての武闘派である皇家のルケファスタ=アマルティア第二皇女。
彼女が当然ゴールドの冒険者章を持っているのはともかく。
フィルネンコ事務所のルンカ=リンディ・ファステロンが持っている免許は上級計理士と税務会計士、それにソロヴァン免許皆伝。
あまりモンスター退治に向いているとも思えない。
腐れスライムが大の苦手であるのも今や有名である。
「僕は冒険者章は一応……」
「ロミ。お前はお前でずっとクラスアイアンで誤魔化してるだろ? 貴族のお坊ちゃんはいらない。リジェクタはいる。それだけの話だ。……リジェクタだってそうだ。免許も無しにいつまで見習いしてるつもりだ?」
「なれば我も必要では無いか?」
「うん、パムは駆除される側だからリジェクタ免許はとれんよ」
「同族殺しの免許は不味いのやも知れんが、冒険者章、というのは興味がある」
「初っ端に標準の大きさの剣を振り回す試験があるんだよ」
パムリィがそういう反応を示すのは、ターニャとしては織り込み済みであった。
「物理的に無理なら無理と、初めからそういったらどうなのだ。ぬしはルンカ=リンディ以上に性格がゆがんでおるな」
「さすがにルカには敵わんさ」
「お二人とも! いちいち悪口を言うたび、なに故わたくしを引き合いに出しますの!」
「説明など要らぬと思うが?」
「むしろパムは会計士を本気で目指せ。こないだ帝国両替商連合の頭取に聞いてきたんだよ。お前が試験を受けても問題ないつってたぜ?」
「本当か! それは朗報!」
――だからそういう妖精は見たことが無いっつーの。ターニャはそれは口には出さない。
「あの、クリシャさんは……」
「私、準1種リジェクタは持ってるんだよね、アカデミー卒業するときにもらったやつ」
「冒険者章はちょっと無理だろうしな」
各リジェクタチームはAからDのクラス分けがなされている一方、各個人にもリジェクタとしての力量を示す免許がある。
こちらは1種と2種の二種類しかないのだが、クリシャの持つ準1種は、特に試験は受けていないが1種に準ずる技能と知識を有すると認められた、と言うことである。
モンスターの知識については帝国一。とさえ言われるクリシャが持っていることには何の不思議も無い。
何よりモンスター学で次席博士の称号を受けている彼女である。リジェクタではこれ以上の肩書きはそもそも必要が無い。
「まぁ、わたくしとロミ君の手続きは明日にでも行くとして。どうした風の吹き回しですの? むしろわたくし、ターニャはそういう権威的なものは嫌っているのでは無いかと、そう思っていたのですけれど」
「別に嫌いってわけじゃ無いさ。……うん、みんなあたしが選んだ優秀な奴らだという証明を、形として持ってた方が良いと思ってさ」
「うむ、なにかしら持って回った表現だのぅ」
ターニャの言葉選びが慎重なのには、それなりにわけがある。
今回については断られると困る事情があるのだ。
主な理由はここしばらく、あまり気乗りのしない仕事も受けるようになったこと。
具体的には貴族からの、内容的に“たいしたことの無い”仕事。これを報酬のために受けることにしたから。なのだ。
彼女自身はA級リジェクタのリーダーであり、スライムの専門家として名をはせ、個人自身も1級のリジェクタ免許とクラスゴールドの冒険者章を持つ。
さらには妙齢の女性にして男爵家現当主でもあり、その容姿は男性貴族間で話題になるほど。
しかも第二皇子に仕える宮廷騎士代理人でもある。
つまり。単純に帝都でモンスター関連のトラブル、と聞いて貴族達が真っ先に思い出すのが彼女、と言うことだ。
当然指名で来る仕事も多くなる。
但し、当たり前だがターニャは一人しか居ない。
そして貴族達は体裁を気にする。
モンスターの対処に当たるために他のものが出向いた場合。
他のメンバーと言えば。博士であるクリシャならまだしも。
例えば没落貴族の息子であったり、妖精を連れたお嬢様メイドであったりするわけである。
ロミは公式には今でも事実上は貴族であるし、ルカが身分証代わりにダガーを引き抜けば、周りはモンスターどころでは無くなってしまうのだが、それはさておき。
だから、所長であるターニャの信頼する優秀なスタッフである。
と言う裏付けのために免許を取らせよう。
と、ターニャが思ったのはそうおかしな事では無い。
むしろ所長としては断られては困る。と言うことだ。
パムリィについても、真摯に経理の仕事をしている以上は責任を持たせても良いのではないか。
と、これはいつものいたずら心半分でターニャは考えていた。
現状では徹夜で計算をしようが、どんな複雑な書類を作ろうが、最後はルンカ=リンディ・ファステロンの署名で終わる。
これがクィーン・パムリィ・ファステロンの署名になったら。官吏の連中はどんな顔をするだろう。
と言うのが、免許を取らせようと言う主な理由ではある。
それに妖精が経理を仕切るリジェクタ事務所というなら、それはそれでいい宣伝になる。
「試験には計算があるんだがソロヴァンの持ち込みは良いそうだ」
「うむ、ならば試験代は無駄にせぬ自信があるぞ」
「ターニャさん、冒険者章は国土開発院で良いんですよね?」
「開拓団随行許可も要るならな。単に冒険者章で良いなら開拓移民団の帝都事務局でも良いんだが」
「そこは開拓団随行許可がないとハクがつきませんわ」
「ハクって。……ルカさん、マフィアじゃ無いんだから……」
「ロミ君、とりますわよ、いきなりゴールドを!」
「シルバーとって実務が三年必要なんですよ!」
一応、全員免許取得に否は無いらしい。
そこは多少ほっとするターニャである。
「ところでターニャ。リジェクタ免許の発給元は、もしかするとMRMだったりしますの……?」
そうだった場合、ルカが願書を取りに行ったりはできないが。
「うんにゃ、組合で良いはずだ。……まぁ環境保全庁でも受け付けてくれるはずだし、事情説明したりするのがめんどくさいから、今度あたしが総督とこに行ったときにでも……」
ドアの呼び輪をたたく音で、ターニャの言葉は途切れる。
「自分は第四親衛騎士団のアリアネ・マルチナ・ヴィーグマンと申すもの! 所長であらせられるフィルネンコ卿、そしてポロゥ博士のお二人は御在所でありましょうか!」
ドアの呼び輪をたたく音の後、良く響く女性の声。
「帝国政府、環境保全庁よりの特使として参りました! 自分は急ぎお二人に謁見させていただきたい所用が御座います故、どうか扉を開けて下さいますようお願いをいたします! ……重ねて申しますが、自分は帝国政府の特使なのであります!」
第四親衛騎団は、MRM議長でもあるリンク皇子の事実上の近衛部隊。
オリファでは無いにしろ、それが環境保全庁の特使としてくると言うことは。
つまりモンスター絡みで結構なやっかいごとが起きた、と言うことに他ならない。
良く事務所に来ているイメージのオリファであるが、その近衛部隊の事実上の長であり、リンク皇子の事実上の最側近でもある。
初めてのケースではあるものの、彼が普通にメッセンジャーとして来ている方がおかしいのであって、直接来ないのはむしろ当然ともいえた。
「環境保全庁に用事、できたみてぇだな。……親衛騎士だから、ルカは顔が割れてるだろうし、ちょっと外しておいた方が良いな。――ロミ、開けてやれ」




