生存率は逃げ足の速さに比例する
「――次。A材が残り一瓶の半分。B材が残り二瓶半。……ちゃんとメモしていますか? なにかしらフラついているようにもみえますわよ?」
「大丈夫だ、心配には及ばぬ。Aが半分、Bが二つと半分で良いのだな?」
「ロミ君、お忙しいところごめんなさいですわ。――なんで減りが違いますの? 一緒に混ぜて使うのに」
クリシャとロミがポロゥ氏の屋敷より戻った次の日。フィルネンコ事務所の納屋。
出かけていないなら、ロミが一人で道具の手入れをしている時間であるが。
ルカが読み上げ、パムリィが極小のメモ用紙にさらに小さなペンで書き付ける。
道具の手入れをする彼の周りで、“事務員大小”が備品の在庫確認をしていた。
「効きが悪いとAの濃度を上げるんです。だからAは少し減り方が多めになるんですよ。三〇倍以上に薄めて使うので、在庫は基本三本あれば十分なはずです」
「ふむん。なるほど、聞いてみるものですわね。――パムリィ、発注はAが3、Bは1で良いですわ」
「Bは一瓶だな、わかった」
「パムさんは特にAは絶対、瓶も触っちゃだめですよ? 原液じゃ妖精系はてきめんに“駆除”されちゃいますから。ルカさんも不用意にBを触るとかぶれますよ?」
ロミは机の上で機械をいじりながら、顔は上げずに二人に注意を促す。
「さっきから目にしみると思っていたは、これであったか! きちんと蓋が閉まっていないのでは無いか!?」
ルカの言うとおり、心なしか飛び方に精彩を欠くパムリィである。
「Bもあまり体に良いものではありませんのね? ――パムリィ、在庫の確認は以上でよろしくて?」
「うむ、今朝方ぬしと二人でリストアップしたものは以上だ」
二人は終了を確認すると、多少慌てたように棚から距離をとる。
「では、ちょっと早いですがお茶の時間としましょうか。……あぁ、ロミ君は動かないで結構ですわ、ここへお道具を持ってきます。――あぁ、パムリィもそこで待っているように」
ルカは、ついて行こうとしたパムリィに人差し指を突きつけ動きを静止する。
「しかし、ルンカ=リンディ」
「一息つけるはずのお茶の時間が命がけ。そうなるのは間違っていると言っているのです。あなたがなすべきはまた別にあるはず」
カップやお湯のポット。スプーンにいたるまで。パムリィのサイズで考えれば、その全ては凶器と言って良い。
「ならば我は何をすれば良いと……」
「それこそわたくしは存じません。ご自身でお考えになることですわ」
「我のなすべきこと、なぁ。我が“お姉様”はどこまでも厳しいのぉ」
空中で首をかしげ腕組みのパムリィ。
「家事だけがパムさんの仕事ではない、と言うようなことを言いたい、のかな?」
「事務仕事などはルンカ=リンディの足を引っ張るのみだろうしのぉ。どうしたものやら」
「それを考えろ、ということなんでしょ? パムさんにしかできないこと、って」
「ぬしも厳しいの、ロミネイル。……妖精の類いが町に住まぬは。人間が皆、一様に妖精に厳しく当たる故ではないのか?」
そこにお盆を持ったルカが帰ってくる。
「何を莫迦なことを。厳しく管理されつつ事務を執る妖精なぞ、そもそも聞いたことがありませんわ。――さ、お二人とも。お茶にいたしましょう」
フィルネンコ事務所のある一角は帝都でも職人が多く住む地域である。
そして最近、近所の木工職人やガラス職人たちの間では、面白半分でパムリィのサイズでかつ、実用に耐える食器や調度を作るのがはやっている。
お盆の上に乗った小さなカップとソーサーも、焼き物職人が先日作って持ってきたものだし、スプーンはアクセサリー職人の作である。
カップにはご丁寧に花の絵までついて、さらにはコンビであるルカ。彼女のカップとソーサーもおそろいで作ってある。
スプーンも細かく彫金が施されたものがやはり大小一セット。
双方、金はいらないから使ってくれ。と言っておいていったものだ。
一応。彼らとしても遊び半分ではあるものの、パムリィが普段から使っている。と言えれば細かい細工も出来る職人として、それなりに宣伝にもなる。
妖精としては珍しく、自身の家の者のみならず、近所の人間と親しく知己となる。そういうパムリィならではの現象である。
「しかし、ロミ君がルゥパとそこまで近しい仲であったとは。それならそれと言ってくだされば良ろしいのに」
「それこそ僕の口から何かを言うわけには行きません。宮廷の姫様が没落貴族の息子と知り合いだ、などとそんな話が皆の知るところになれば……」
「それがあの子のいけないところなのです。ロミ君の役に立ちたいはずなのに、結局周りに流されてしまう。皇家の影響力というのは、それは恐ろしいほどに大きいのですわよ。アレももう十二です。十分に大人となった今、わかった上で使わないのはどうかと思いますわ」
「僕のことはともかく、今の殿下はいろいろ考えがおありのように見えました。……立場上、各方面にも気を遣わなきゃいけないんでしょうし。――ここしばらくは姉姫様、“リィファ殿下”も宮廷にいらっしゃらないことですし、ね」
「あら、まぁ。……ロミ君も、最近は手厳しいんですのね」
末姫様は皇家のまごう事なき高貴なる姫君にして、皇帝妃の再来たる帝国最強の魔法剣士。
今まで彼女を押しつぶそうとしていた肩書き。むしろそれにふさわしい人間になって全て背負ってみせる、もう逃げない。彼女はロミにそういった。
「今の殿下は。……ルカさんの言うほど、頼りないお姫様ではないですよ?」
「まぁ、わたくしの妹だけあって、もとより頭は切れますからね。あの子は生まれてくる順番を間違ったのです。将来的に兄妹のなかでも、かの大兄様さえ超えて一番の逸材になること請け合いでしてよ」
「ぬしの妹であることはこの際関係あるまい。人間なのだから遺伝的にも皇帝の娘、という部分の方が重要であろ?」
「お黙りなさい……!」
「まぁまぁ……」
「いずれロミ君のお話を伺う限り、ルゥパも変わりないようで何よりですわ」
「むしろ敬愛する“姉上様”のことを、これ以上無く心配なさっておいででしたけど? たまに手紙でも書いてあげたらどうですか」
「わたくしだって。……気にならぬ訳ではないのですよ? けれど。そんなことをしようものなら、むしろわたくしの方が。心配で、いてもたってもいられない様になってしまいますわ」
「実の妹はやはりぬしでも心配するのよの」
「あらパムリィ。……何が、おっしゃりたいのかしら?」
「妹分なれば我のことも。同様に心配してくれるものかどうか、ちょっと気になってな」
「あなたについては、何をどう心配したものか、さっぱりわかりませんわ」
――せいぜいがさっきの薬に触らないように、くらいなものですわよ。と言い放つルカではあるが。
外出するときは、わざと目立つように。服は自分とおそろいのものを着せて一緒に出歩き。
『経理係の弟子』であるところの『フィルネンコ事務所のパムリィ』。それを彼女がことあるごとに喧伝して、帝都に彼女の“居場所”を作って広げていることをロミは知っている。
おかげで今や、近所の人間ではフィルネンコ事務所に経理係を目指す変わったピクシィが居る。ということを知らぬものはない。
「冷たいものよの。そう言わず表面上だけでも、心配して居る。と言うも人間の言うところの方便、というやつではないのか? ――時にロミネイル」
「はい? ……僕、ですか?」
「例のスライムは、やはり体に人為的な改変があった、ということだったのか?」
クリシャは帰りの馬車の中ではそう言っていたし、事務所に帰って後。ターニャにもそう報告をあげた。
但し、詳しい話を聞こうにも。今日も朝から出かけてしまってる。
「確定ではない様子ですが、クリシャさんとギディオン先生で意見の一致は見たようですね。行動はともかく、リーダーの表皮の標本、アレに人為的に手を入れた痕跡が見られると。二人とも、継続して調査は続けるそうですが」
一応。陸生モンスター全体の女王として気にしている様子のパムリィに、だからロミは努めて真面目に答えるが。
「我が言うのも何だが、スライムとて、あぁみえて一筋縄ではいかん。むしろ洗脳などと言うことになれば普通の動物よりやっかいだ。何しろ脳が無い」
「……パムさん、ちょっとぉ!」
「ふふ……。お上手ですわね」
「真面目に答えて損した気分です!」
「話の大筋は真面目なままであるぞ? それに冗談を交えつつ話すは、知性の高さの証左であろ?」
但しそれを言うのがパムリィである以上、果たしてどこまで本当か、ロミには判別がつかない。
「まぁ冗談はともかく。うちのドミネントにしても、今だに人間ではロミ君にしか懐いていませんものね」
――なぜロミだけきっちり見分けて懐いているのか、謎なんだよなぁ。ターニャが首をかしげている。人間嫌いのはずのドミネントスライムである。
「あれらとも。そのうち腹を割って話してみようとも思うが、何しろやつらはやる気が無くての」
そしてそれについてパムリィは、ここまで何もコメントはしていないし、ターニャもいつも通りに何も言わない。
「パムさん。スライムのやる気って、どこで見分ければ良いんですか……?」
そんなことは、スライムの専門家であるターニャでさえ知るわけがない。
「それにことはスライムだけでは無いぞ。ワームやウォーキンググラスの奇行もある。いずれ人間がどうこう出来ることではないはずなのだが」
「あら、意外にも気にしますのね?」
「ぬしがたまに帝国臣民全体を憂うのと、それは大差が無い。我もまた曲がりなりにも女王である故な。……何もせぬ、というのもまたお互い様であろ?」
「何もできないのはお互い様ですわね、確かに」
モンスターも自然の生き物。だから人間と生存権をかけて双方が戦う。というのなら問題は無いが、その存在自体をいじるのはおかしい。
ターニャのその考え方に共感し、なので事実上の“同族殺し”であっても人間サイドに立って、積極的に仕事を手伝うパムリィである。
「何もできぬなりに気にしておるのだ。……ロミネイル同様にな」
「ぼ、僕ですか? 一体何の話を……」
カタン。見た目通りの小さな音を立てつつ、お茶を飲み終わったカップを置くと、パムリィはと音もなく飛び上がり、ついっ。ロミの目の前へと場所を移る。
「ルンカ=リンディの妹御の話だ。一時期は交配相手として……」
「わぁ! 急に何を言い出すんですか!」
「あら。一時期は大本命だったのでしょう? ロミ君はルゥパの旦那様候補として」
「かわいい後輩ではありますけれど、そういうつもりは……!」
「ほぉ、なるほど。さすがはうまいものよな……」
「追い詰めたつもりだったのですが、そう来ますか。……やりますわね」
全くそういうつもりのなかったロミだが、偶然逃げ道が開けた。
「で、出かけてきます! お昼まで帰りますっ!!」
ロミは一気にお茶を飲み干してそう言うと、机上の道具を放り出してそのまま事務所へと小走りで逃げた。
「なぁ、ルンカ=リンディ。ぬしの妹御はどのような人物であるのだ?」
「わたくしにそっくりでかわいらしいですわよ。髪の毛は黒ですが」
「我やぬしのように、……プラチナ、というのであったか。そうではないのか? 人間の姉妹なのに……。いや、違う。そうではないわ。我の聞きたいは、見てくれではなくだな……」
「わたくしの妹ですわよ? 疑問を挟む余地もなく、慈愛に満ちた聡明で賢い少女に決まっています」
「……なるほど、無理に逢わずとも良いようだ」
「それは。どういう意味ですの? パムリィ。返答次第では……」
「おぉ、……我もちょっと出かける用事があったのだ」
そう言いながらパムリィはルカと距離をとる。
「あなたがどこに、どんな用事があると言いますの!? 」
――お待ちなさい、パムリィっ!! といいながらルカが立ち上がる前には、パムリィはもう納屋の出口に居た。
「交配相手に恵まれぬ女性は、平素より気が立つのだと聞いたぞ。せっかく胸が大きいというのに、ぬしもその口か。かわいそうに。……片付けものは頼んだぞ!」
そういうとパムリィは、音も立てずにロミが開けたままだった戸口をくぐる。
「ななな、な! ……ぱっ、パムリィいいっ! 覚えていらっしゃい……!」
納屋には、額に青筋を立てつつお茶の道具を片付けるルカのみが残された。
次章予告
国営ダンジョンの難易度調整のための現地調整。
当番で回るはずのそれは、なぜかMRMからの特命として
フィルネンコ事務所へと持ち込まれる。
皇子の真意を測りかね、いぶかしがるターニャではあったが
結局、クリシャを伴って現地へと向かうのであった……。
次章『地下の管理人』
「ロミを連れてこなくて良かったよ。こんなの、見せられねぇや……」




