研究者
「こんにちは、お久しぶりです!」
「クリシャか。聞いていたからお茶の準備はしてある、奥に入ってこい」
クリシャの声に家の奥から答えが返る。
小高い丘の上に建つ結構大きな一軒家。
周りには草むら以外になにも無い。
いくら人が嫌いとは言え、これでは普段の生活があからさまに不便じゃないか? ロミはその家の建つ立地条件に舌を巻く。
これではクリシャやターニャがなかなか顔を出せない、と嘆くのも無理はない。
「失礼します……」
「こっちだよ?」
「……ここにはいつまで居たんですか?」
「一〇歳ちょっと。博士になったんだから肩書き使って自分で稼げ、命の恩人のテルも忙しいようだし手伝ってこい。って言われて。体よく追い出された」
「テルって、テオドール・フィルネンコさん、ターニャさんのお父上ですか?」
「そう。リジェクタの仕事はお父様仕込みなの。仕事については、ターニャとは姉妹弟子って言う感じなのよね」
「ターニャさんと師匠が同じ。――道理で現場の動きが無謀なところが共通してるわけだ……」
「お久しぶりです先生、こっちはフィルネンコ事務所の同僚でロミだよ」
「お初にお目にかかります。ターニャさんの弟子でロミネイル=メサリアーレ・センテルサイドと言います。いつもクリシャさんにはお世話になっています」
「センテルサイド……? 剣技の至高と呼ばれた、アリネスティア伯爵家の御曹司ではないのか? そんなお人がなぜリジェクタなど、しかもあのテルの娘、ターニャの元で。などと思ったのか、聞いても。よろしいかな?」
痩せぎすで眼光鋭く、髭を蓄えた老人がギロリ、とロミと目を合わせる。
但し、とっつきにくい。とクリシャに聞いていたのに、意外にもその本人から話を振られてしまったロミは、多少慌てて返事をする。
「アリネスティアの家銘は事実上召し上げになりまして、その後。……行くあてのない僕をターニャさんが拾って下さった。……と言う感じになります。――でもリジェクタはやらされているわけでは無く、自分からやらせて頂いているものです」
「なるほど、アイツも良い拾いものだったな。……クリシャも含めて今後ともよろしく。アレも私から見ればある意味、娘のようなものだ。知ってのとおり手のつけられん莫迦だから、キミに支えて貰えると嬉しい。私がクリシャの師匠にあたるギディオン・ポロゥだ」
ごく普通にモノ扱いされたロミは、しかしその老人に悪意はないのだ。と気が付いて差し出された手を握り返す。
「で? 帝国きってのリジェクタが儂なんぞになんの用事だ?」
「要件、伝えてあるじゃないですか。……そう言う言い方しないで下さいよぉ」
「既にお前はワシを超えとるだろうが。お前にわからんものが儂にわかると思うか?」
「超えてるかどうかは知りませんし、まだもうちょっと超えてないと思ってます。――そしてターニャは先生ならわかるかも知れない。そう思ってるし、私も個人的に別視点からの意見が必要だとは思ってます」
「ターニャの影響か? 全く、理屈をこね回すようになりおって。お前にゃ敵わん。……まぁ茶でも飲め」
「入れろってことですね。――あぁ良いよ、私やるから」
クリシャの言葉に反応して、即座に立上りかけたロミを押さえると、クリシャはお湯を沸かしにキッチンへと行く。
「先生。……お水、今日のなんでしょうね!?」
「最近は毎朝メイドが来るようにした、そこは心配要らん」
「お茶の準備ができてて少し驚いたんですけど、そういう事だったんですね」
――身の回りちゃんとしておかないと、病気になっても知りませんからね!? キッチンからさらにクリシャの声が届く。
「うるさい! お湯ぐらい黙って沸かさんかっ!」
「あの、……僕も先生。と呼ばせて頂いても良いでしょうか?」
「好きにして良いが、そう呼ばれるほど立派な人間ではない。年寄りなだけだ」
「では僕のこともロミ、とお呼び下さい。そして先生、リジェクタとして調査的な質問を、良いでしょうか?」
「なんだ?」
「きっとこの場所にお屋敷を構えたのは、モンスター的影響が少ない。と言うのが当然に考慮されていることと思います」
怪物駆除業者やモンスター学者は当然だがモンスターを扱う。
そしてモンスターは、そのモンスターというカテゴリ。そこに括られるものの気配を敏感に察知してそこに寄ってくる。
当然モンスターの好む環境でそのような商売をしていれば、いずれはモンスターに襲われることになる。
例えばフィルネンコ事務所はそもそもモンスターが集まりにくい場所にあり、その場所の決定には地形学やモンスター学のみならず、占い的要素や呪い的要素も介在している、とロミはターニャから聞いている。
更にモンスター避けの香が敷地の四隅に設置され、出かける度に妖精の女王、パムリィから不興を買っているところだ。
「ほぉ、わかるものかね」
「それについては、僕のようなリジェクタになったばかりの青二才が何かを言うところではないでしょう。丘に上がるまでの一部で草刈り跡と、一部に草花を植えたと思しき跡もありました」
「良く、見ているな。流石はA級業者筆頭フィルネンコ事務所、ターニャの愛弟子。というところか……」
当然地形のみならず、モンスターの好む草花。などと言うものもあるので、それは除草していかにも自然な、もしくはあからさまに人間が好みそうな。そのようなものに入れ替える。
現状この家に関して言えば、少し草丈が高いためにオオカミやコヨーテなどの心配はありそうだが、モンスターについては心配なさそうに見えた。
「それで? キミの質問はなんだね?」
「まずは一般論です。怒らず聞いて欲しいのですがこの環境ならウォーキンググラスは出ませんよね?」
「なんの話だ? ……はぐれなら話は別だがな」
「後でクリシャさんからお話しがあると思いますが、植生が似ていたのでちょっと気になったんです」
「思わせぶりな話し方は好かん」
言葉にあからさまな怒気が籠もったのを見てロミは慌てる。――この人は沸点が低い!
「そういうつもりではありませんでした。失礼しました。――先日、街道沿いにウォーキンググラスが大量発生したのです。ウチの事務所で処理したのですが、その街道と、ここ。草の種類が似ているんです」
そう、さっきの話の通りにロミにはわかっていた。
この丘は結構な手間暇をかけて。わざと“雑草”の種類を選んだ上で繁殖させているのである。
「この環境下で大量発生? 有り得ん話だ」
「そう言ってターニャさんも首をひねっていました」
「ロミとやら。街道と言ったな、何処か? ――ふぅむ、ならばここで発生していてもおかしくは無いな」
先日の仕事の場所を聞いた博士があからさまに顔をしかめる。
「しかし、……そうなると不味いな」
「え? 僕、何かおかしな事を言いましたか?」
「そうでは無い。今日はもう一組、客人がある予定なのだ」
――儂になに用なのか、さっぱりわからんのだが。そう言って老研究者はため息を一つ。
「少なくともモンスター以外ならば、放っておいても良いのだろうが」
「どのような方ですか? よろしければ僕がお迎えに上がりましょうか?」
これから行われるであろう、専門用語の飛び交う研究者同士の会合。
当然内容的には、専門家としては聞いておかなければいけないものも含まれるだろうが、一方。
そんな頭が痛くなる、と初めからわかっている話に首を突っ込むのはそれはできれば避けたいので、何か言い訳が欲しいロミである。
「とは言え、いつ何時、どうやって、何をしに来るかさえわからんでは迎えにも出ようがない。しかも相手は暇を持て余した貴人、気まぐれだ」
研究者だってご飯は必要。ロミは馬車の中のクリシャの言葉を思い出す。
――貴人、と言ったし。ならば来るのは“スポンサー”なのかも知れないな。ギディオン氏だって変わり者ではあるものの、霞を喰って生きていく、と言う訳にも行かないだろうし。
そこまで考えてロミはため息を一つ。
世の中は、いかにもな外見と生活様式の目の前のギディオン・ポロゥでさえ。なにをするにも資本が必要になる。と言う、ごく当たり前の結論に達してしまったうえ。
「当たり前ですわ」
と言うルカの声、それが聞こえた気がしたからだ。
「それにお前もお客人には違いない、センテルサイド卿。そうしたお方にそのような事をさせては。……特に今日は日が悪い。口うるさい行かず後家が来て居る。アレに怒られる」
「最終的にそう言われる自信はあるけど、それはまだ数年先の話ですうっ! ――お湯が沸いたから、一旦お茶にしましょ。二人共」
いつの間にかポットを持ったクリシャが、リビングの入り口で口をとがらせていた。
「……行かず後家、って呼ばれる予定なんですか?」
「呼ばれたくないけどさぁ。私一人じゃ、どんなに頑張ったってできないもん。……結婚って相手、必要でしょ?」
帝都では女性の平均結婚年齢は十九才強。既に地方ならターニャはそう呼ばれても文句の言えない歳であるが、クリシャは確かにまだ数年の猶予があるのだった。
「ところでなんの話してたの?」
「例のウォーキンググラスの件です。ここと植生が似ていたので聞いてみようと思ってたんですよ」
「雑草の種類までよく見てたね、すごいや。私、ノーマークだった」
クリシャはそう言いながら、お湯のポットを置いてメモ帳とペンを取り出すべく荷物をまさぐる。
「とっとと茶を入れて話を始めんか。儂も暇ではないのだ!」
「はいはい、お忙しいのは初めから存じてますよぉ。……濃いめで良いですか? ――ロミも」
「あの、……はい」




