雇用者責任
「そういや、ルカはヴァーン商会から組合本部と東支部廻るはずだよな? それにしちゃ、やたら荷物がデカい様な気がするんだが。あと何処行くか聞いてるか?」
朝食の皿を片付けながらターニャ。
「あぁ、ごめんね。片付け。――帝都商業中央会議と農業者連絡会までは今日中に廻って今月の請求額、決めてくるって」
「皿洗いくらいやるよ。――例の男爵家に廻らないんだから今日は集金は行かないんだな? 現金の受け取りはあたしとロミで行く、ってのはきちんと守ってんならそれで良いんだが」
「そうみたいだね。持ってったカバンもお金入れる用じゃないし」
単純に強さだけなら、ルカはそもそも戦士で剣士で、しかも暗殺者。実際に手をかけた人数としても五十人は下らないし、しかもその相手はほぼ戦場に立つ兵士なのである。
ルカ一人でも対人戦闘なら、正面からの打ち合いだろうが、陰に潜んでの不意打ちだろうが。ロミとターニャ二人会わせたより数段強い。
しかも着ているエプロンドレスには全身に刃物を仕込んである上、有事となればそれらを行使して人を殺す。これに一切の躊躇が無いのは明白。
そう言う意味では彼女には護衛などいらないし、集金係には本来うってつけの人材と言えた。
但し、所長であるターニャは彼女に集金はさせない。
「意味も無く目立っても、それはそれで困るしなぁ」
ターニャが言うのは、事後が面倒なのと、彼女が超一流の剣士で、一線級の暗殺者であること。
そして皇族、わけてもシュナイダー帝国の皇位継承権第三位を持つルケファスタ・アマルティア第一皇女であることは絶対に隠しておきたい。と言う話である。
襲われた上で返り討ちにしたのだとしても。人を殺す様なことになれば、それはいくら何でもなぁなぁで済むわけが無い。
事後処理に親衛騎士団や宮廷の力を借りれば、なし崩しに彼女の出自やらなにやら、一気にバレる可能性が出てくる。
彼女の兄であるリンク皇子からしばらく面倒を見てくれ。と言われれば彼女の出自は隠すより他に無い。
いくらフィルネンコの四代目が変わり者でも、帝国の皇女を会計係兼給仕係として雇うわけには行かないからだ。
何よりプラチナブロンドをなびかせて良家の女中頭然としたエプロンドレス姿の、妖精を連れた少女。
襲うというならこれほど襲いやすく見える標的も無い。
但し襲ってしまえば、その賊は間違い無く地獄を見ることにはなるのだが。
もちろんそんな事は見た目でわかろうはずも無く。
ならば当然、大金などは持ちあるかない方が良いし、持っているかも知れない。と思わせる様な仕事をさせるのも不味い。
パムリィと行動する様になってからはあからさまに目立つので“お金を持っていない落ちぶれ貴族のお嬢様メイド"、と言う設定はなにをする事も無く強調されている。
しかも宮廷騎士代理人であるフィルネンコ事務所の所長、これが彼女を直接雇っている以上当然、後ろ盾には宮廷が居るのも暗黙の了解の範疇。
落ちぶれ貴族の元お嬢様。けれど実は少々訳ありで、おかしな手出しをすれば宮廷までが敵に回る可能性がある。と言うわけである。
当然、“落ちぶれお嬢様設定"を知っている人間が、手を出すはずはない
そして、設定を知らない人間にはただのメイドにしか見えない。となれば大金も貴重品も持っていないと見えるはず。
おそろいのメイド服を着たピクシィを連れて歩いているところなど、必要以上に微笑ましく。有り体に言えば、脳天気な女の子に見える。
これに大金を持たせる主人は居ないだろう。
何もしていない無い様に見えて、いろいろと見えないところで腐心しているターニャではある。
「何しろ女の子が一人で大金なんざ、持ち歩かない方が良いさ」
「まぁ、ねぇ」
「あれ? そういやロミは? 朝飯食って以降、見てない気がするぞ?」
「出かける前に納屋で刃物調整だって。予備のスライサーが気になるって言ってた」
「自分で研ぎたいってか。……あそこまで行くとマニアだな」
「そういう言われ方は心外ですね。……使う道具は絶対の信頼が必要だから、出来る限り自分で手入れをしろ。って言ったの、ターニャさんですよ?」
ロミが鞘に収まった短めのブロードスォードを片手に、事務所へと入ってくる。
「確かに言ったけどさ……」
「まぁ、刃物の類を研いだりするのが好きだ、と言うのは否定しませんけど」
「好きこそものの上手なれ、ってな。研ぎ物の看板も出したら意外と儲かるかもな。やるか? 研ぎ物屋。――ところでマニア。スライムの方も良いのか?」
「大丈夫です。――なにか用事ですか?」
「あぁ。なら予定変更だ、出かける用意しろ。……クリシャの荷物持ちな」
ロミは、持ってきた剣をそのまま腰にぶら下げると、コート掛けから上着と帽子を掴む。
「はい」
「え? 私なら一人で……」
「馬車が来るとは言え。ホントに一人でどうにかするつもりだったのか? それ」
クリシャの足元には大きな鞄が二つと、結構な大きさの木の箱が二つ。
「ロミ、あたしは日のあるうちにこの書類を全部あげておかないと、ルカに殺されかねない。今日こそは命の危機だ」
ターニャは、自分のデスクに積み上がった書類の束を指さす。
「……ターニャさん。また、大袈裟な」
――来週末に組合からMRMへの報告会があるんだとさ。ターニャはため息をひとつ。
「でも報告事態は組合長さんでしょうし、報告書の作成自体もクリシャさんの仕事の範疇なのでは?」
「いくらなんでも、見てもいない書類にサインするわけには行かねぇだろーよ。あたしの所見だってつけなくちゃ行けねぇしさ。それに報告書までが仕事だから、提出しねぇと請求が出せねぇだろ? だからルカにぎっちり監視されてるわけだ……」
仕事が増えた分、事務仕事もキッチリ増えた所長である。
「ホントは久しぶりに顔出し方々、あたしも行くつもりだったんだが、これではいずれ出かけられん、と言う話でな。――と言うわけでパウダーの在庫確認と貴族院への顔出しは明日で良い。クリシャのことは頼んだぞ?」
「わかりました。……ところでクリシャさん、何処へお出かけなんですか?」
見た目に重そうに見える方の鞄を手に取りながら、ロミはクリシャに尋ねる。
「ちょっと、このところ色々あったから。資料もだいたいまとまったし、先生のところに相談に行こうと思ってね」
積極的に人を襲う新種のビレジイーター、隊列を組むスライム、人里に平気で現れるキラービートルや街道の近くで異常繁殖するウォーキンググラス、畑を狙って群れで現れるジャイアントワーム。
そしてフィルネンコ事務所の管轄外とは言え、まるで話の通じない、狂ったとしか言いようのないゴブリンの大集団に襲撃される街……。
フィルネンコ事務所の一員であるだけではなく、モンスター学者としての顔も持つクリシャの元には、組合経由で他のリジェクタからも、次々と情報が集まってくる。
本来は人がモンスターを恐れる様にモンスターもまた、基本的には人間を避ける様に行動する。
つまり。このところ彼女の元に集まった情報、その全てが異常なのである。
これでは出てきたモンスターは全て全滅させる。それ以外に対処のしようが無い。
そんな力技には、モンスターの専門家たるリジェクタやモンスター学者の矜持など何処にも感じようが無い。
クリシャは、資料をまとめつつ、ため息を吐くしか無かった。
但し彼女もモンスター退治屋に籍を置くもの。
視点を変えて外部から見てもらった方が良いのではないか。とターニャに言われたのも大きい。
この件に関しては、意外にも大きく事態を捕まえているターニャであり、そこは無条件でうけいれ、その視点を信頼しているクリシャである。
「先生、……ですか?」
「うん、私のモンスターの先生。――というよりは命の恩人、なのかな……」
「おはようターニャ! 昨日ルカちゃんから朝、夕の二回、頼まれてたんだが、今日のお客は誰だぃ!?」
「や、おはよう。……クリシャとロミだ。夕方も聞いてるよな? ルカで無くて申し訳無いが、頼むぜ」
「か、金さえもらえれば客は誰だって……、は、ははは」
「今度、ルカさんが出かけるとき、近くでも良いから使う様に言ってあげてね?」
「そうだな、なんか可哀想になってきたよ……」




