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御当主様の資質。あるいはおっぱい

「髪を洗って差し上げますわ、ターニャ。後ろを向いてしゃがんで頂けます?」

「……? 別に良いよ、自分でやるから」

「洗って差し上げますわ」

「いや、だから。自分ででき……」

「洗って、差し上げます、わっ!」

「あの、……お願いします」



「あぅ……。目立たないとは言え、跡は残ってしまったのですね……」

 頭を洗うはずのルカの指先は、ターニャの背中に残った火傷の跡をなぞる。

「仕事柄、まぁその程度の覚悟は、な。お前が気にすることじゃない」


 ターニャは、どうして髪を洗うことにルカが固執したのか理解する。自分のせいだと感じている彼女の背中の火傷、その予後を見たかったのだ。

「肩出しのドレスでも上手く隠れる位置ではありますが、女性の肌に、傷を……」

「ま、あたしはそう言う服は着ねぇから」


「あなたという人は! 着る着ないの問題では無いと何回言ったら……」

 語気を強めたルカは、しかしターニャの背中にそっと抱きつく。

「それに、あなたが女性だと言う事は。……それは努々(ゆめゆめ)忘れてはなりませんわよ?」


「仕事柄、それは邪魔なときだって有るんだよ。わかんだろ?」

「そこで上手く折り合いをつけるのがプロの矜持なのではなくて?」

「あぁ、もういい! わかったわかった。お前はウチの常識担当だものな。――そこまで言うなら、普段から多少は気にするようにするよ」


「全面的に気にしろ、といっていますの。……それにターニャも、もう十八におなりでしょう? 帝国貴族たる男爵家当主として、夜会や舞踏会にも正式に招聘されますのよ? 背中が開いているかどうかは別にして、ドレスは着ることになるのですわよ。おわかりでして? フィルネンコ卿(レディ・ターシニア)

「でも、そう言うのは断っても良いんだって、別にマナー違反じゃ無いって聞いたぞ……」


「わたくしの名乗っている家銘かめいは十年以上前に没落した侯爵家、もう家銘自体が宮廷から剥奪されています。だから名字ファミリーネームのファステロンが偽名であっても誰も文句は言わないし、当然夜会のお誘いも来ない。それは至極当然ですわね。――ロミ君も家銘自体は残っているとは言え、事実上は同じ様なもの。でもフィルネンコ家のドミナンティス男爵は違うのですわよ?」


「形だけの爵位だって、みんな知ってる事だし……」

「褒美や称号としての騎士ナイトならばそう言う事もあるでしょう。但し帝国において男爵バロンは免責事項があろうとなかろうと、立派な貴族です。貴族には貴族としての義務が生じます。十八ともなれば、誰もが当然、ターニャを正当な貴族家の御当主として見なすことでしょう」

「当主の権限でもって、正式に断りを入れないといけないって事か?」


「全てを断るわけには参りませんのよ? 例えば皇家とは言いませんが、太公家や公家、法王様の主宰される舞踏会を断ってご覧なさい。……どんなことになるか,流石にターニャでも想像は付きますわよね? 貴族家の御当主様ともなればそこまで仕事なのですわよ? ――高貴なる(ノーブル・)義務の強制(オブリゲイション)、と言う言葉はご存じ?」


「何もなさぬ者は帝国貴族にあらず。汝、成せることを成せるように成せ。それが臣民のためなり。……三世皇だったっけ?」

 領土や臣民までをも預かる侯爵は別にしても。

 帝国で爵位を受ける者は、当たり前だが軍事はもちろん政治、経済その他。何かで功績を挙げた家系である。

 帝国貴族は皇家も含め、贅沢な暮らしの裏側で規則上の義務の他、たくさんの暗黙の了解に縛られていると言う事だ。


「そこまでご存じならば、普段の言動もそのようになさいませ」

「はぁ、全く。――ま。色々と、……ありがとうな」



「な……、だ、だいたい、髪の毛だって。普段からもっときちんとお手入れをしなさいな! せっかく人より綺麗で、色だって素敵なのですから」

 ルカは照れ隠しのようにワシャワシャとターニャの頭を洗う。

「お前程じゃないさ」


「わたくしは。……この、自分の白髪頭よりはターニャの髪色の方が好きですわ。お世辞ではなく、綺麗な金髪。――皇帝陛下ちちうえさまだって皇太子殿下おおあにさまだってブロンドなのですし」


太皇姫陛下おおきさきさまはプラチナだろ? お前は皇家おうけの血が濃く出てる。初代のシュナイダー皇だって肖像画は白髪じゃ無い、プラチナだ。目の色もお前とおんなじだし、正当な高貴なる(インペリアル・)姫様プリンセスって事なんだろ? そこは自信持って良いんじゃ無いか?」


「わたくしは、どちらかというと宮廷内では要らない人。なのですけど……」

 意外にもルカが自分を卑下ひげし始めると止まらない。と言うのが最近わかったので、ターニャは持ち上げたところで話を変える事にした。

 ルカが落ち込むと事務所中の雰囲気が暗くなってかなわない。


 さらに。落ち込み始めると、自分をけなしておとめるのがどうしてそんなに好きなのか。と問いたくなるほど饒舌に、自分の悪口をまくし立てるのだ。雰囲気が暗い上に空気まで悪くなる。

 彼女がムードメーカーとして必要である以上、彼女のご機嫌取りも所長であるターニャの仕事と言えた。


「そんなことより、だ。――さっきから、お前のおっぱいが背中に押しつけられて、大きさを誇示されてるみたいで不愉快なんだが?」

 ルカはお湯で上気した顔を更に赤くしてターニャに怒鳴りつける。

「そ、それについては、体制的に胸を押しつけざるを得ないわたくしの方が百倍不愉快ですわっ! そもそも……!」


 話はターニャの予定通り、明後日の方向にそれた。



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