分かり易い人達
パチパチパチパチパチパチパチパチ……。
朝の事務所の中。
ペンを咥えて渋い顔で報告書とにらめっこをするターニャ。
エプロンドレスに黒い腕抜きをして耳にペンを挟んだルカの操るソロヴァン、その音だけが響く。
ロミとクリシャは早朝からそれぞれ別の用事で出かけて、当分戻らない。
「そう言えば。一昨日のワームの件、組合はなにか言ってきたか?」
ターニャの問いにソロヴァンの手は止まらずルカが返す。
「二、五〇〇。それ以上は絶対に出さないそうですわ」
「貴族のお屋敷なのに、シケてやがんなぁ。慌てて対処してやったのに」
帝都に戻った後。ターニャの髪の痛んだ部分。それをクリシャが事務的に切り、その後ルカがだいぶん頑張って、おかしくならないように更に切り揃えた結果。
今や相当に短くなった。実際にロミよりも短くなってしまっている。
これについてはもう既に割切ったターニャ自身は、どうせまた延びるし、命が残っているだけマシ。
実際にはその程度にしか考えていなかった。
しかしながら、
「なんか、男みてぇだな」
と。わかっていたのにも関わらず口を滑らせ、ルカが本人よりも数段心を痛めてしまい。――なのでターニャ本人が鏡を見ながら、
「ありがとうルカ、なんか宮廷騎士時代のお妃様みたいでカッコイイよっ!」
と言ったことで一応収まっている。
前線に出立する前の晩、シュミット大公国の第一大公女であった現皇帝妃は、
――騎士として陛下と民を守るには、この髪は邪魔になりましょう。そう言って腰まであった美しい碧の黒髪、それを剣でばっさり切り落とし側近達の顔色を奪った。
そう言う逸話を持つ皇帝妃である。
何処まで本当かは良く分からないが、それでも宮廷騎士時代の肖像画は騎士の正装はもちろん、例えドレスを着ていても。
前髪さえも切り詰め、今のターニャよりも更に短い少年のような髪にティアラの姿である。
そして人間不信の塊でありながら、母親でもある皇帝妃のみは尊敬の対象として見ているルカであるので、ターニャの髪の件は一応そこでお終い、となった。
事務所の中、ソロヴァンの音が止まる。
「所長様。書き物のついでで結構なのですが、伺いたい事が御座いますの」
「……ん? なんだ?」
チャ、ジィイイイ。ソロヴァンの数字がご破算になり、ルカは手元の用紙に目を落とすとペンを持つ。
「スライムの件、収入のみでよろしいのですが。……もう一度、覚えている分だけで結構です。教えて頂けませんか?」
ルカは視線を下に落としたまま。……明らかにターニャの顔色が悪くなる。
「き、基本五十五万。えーと、そのほか……、MRMから報奨金として五万、標本作製の経費として帝国学術院から三万。……リンク皇子個人からなんだか良く分からない経費が五万、それと例の村からも謝礼として二万来てたな」
「何故そんなわかりきった事を再度聞いたのか、おわかりでして? ターニャ。……この案件単体としてみても、ハッキリわかる範囲で七十万からの収入があるというのに。――なんですのっ? この収支は! わたくしが数字上のやりくりをしなければ、完っ全に“アカ”ではありませんかっ!」
七十万あればそこそこの家が建つレベルである。
古いとは言え帝都内、宮廷までさえ歩いて行ける距離。結構作りもしっかりしていて、納屋や中庭も含めて結構広いフィルネンコ事務所全体の家屋敷。その現状の価値が二〇〇万であることを考えれば、ほんの1週間でとんでもない金額を稼いだことになる。
「なにか言いたいことはございませんの? ……しょ、ちょ、お、さ、ま?」
白く陶器のような額に青筋を立てつつ、目は数字のびっしり書かれた表を睨んだまま動かないルカを見て、
――これはヤバい。とターニャは思う。
毎回仕事の度に、経費としてクリシャやロミにも内緒で、結構関係のないものを買い込んでいるターニャである。
ルカが今、計算しているのはスライムの一件だけでは無い。過去の分も含め、一年分の税金申告用の資料を作っているのだ。
こう見えて経理全般はルカの専門分野。プロが見れば無駄遣いは一発でバレる。当たり前だ。
「ターニャ、居るか? 荷物が来てるぜ!」
だから。運び屋の声は渡りに船であった。
「開いてる、入ってくれ!」
「ちょっと、ターニャ! ……全く」
「お前宛にデカいのが来てる、研ぎ屋のオヤジからだ」
「おう、もう仕上がったのか」
「それと、宮廷からルカちゃん。……ファステロン卿宛だ。――よぉルカちゃん、おはよう、今日もかわいいなぁ。えーと、これはサインを貰ってかえさねぇといけねぇんだが、なんか高級品なのか?」
気さくなお嬢様ルカは、実は没落貴族の娘。と言う設定はもはや近所中に知れ渡った。
だからルカ宛に宮廷から荷物が届けば、それはむしろ不審なのである。
「ありがとうございます。――あぁこれは、宮廷内に懇意にして下さる方がおりまして、わたくしの境遇を不憫に思って、偶に破格でアクセサリーやお洋服の修理を依頼して下さるのですわ。……大事に運んで頂き、ありがとう存じます」
そしてあっという間にすっかり地域に溶け込んだルカである。
彼女が嘘を吐くとは誰も思わない。
「ま、ルカちゃんは器用だからな。頑張って小遣い稼げよ?」
「はい、お気遣い感謝致します。 ――よろしければお茶などいかがですか?」
運び屋の男は、――残念だけど朝の内に廻る所があるんだ、今度ごちそうになるわ。お茶の誘いを断って外へと出て行った。
「スライサーとは言え、流石にプロにやって貰うと良い仕上がりだなぁ。……ロミが喜んでくれると良いが」
ルカは包みを開けると、同じく包みを開けていたターニャに声を掛ける。
「ターニャ、仕事では無いのですれど。……ちょっとよろしいですか?」
「ん? なんだ」
ターニャはスライサーを箱の中に戻す。
ルカの机の上、大袈裟な包みの中には小さな宝石箱。
「宮廷から送って頂きましたの。装飾品の類が日の目も見ずにただ置いてある、と言うのも可哀想な話ですからね」
そこから取りだしたのは、焼き物をあしらった、青く輝く髪飾り。
ルカのプラチナブロンドにはよく似合いそうだった。
「これはわたくしが十歳の折に、帝国王朝連合の良心、シュレンドタウゼン法国の法王様より頂いた霊験あらたかで、由緒正しい髪留めですわ」
――国宝級でしてよ? 無理矢理値段をつけるなら百万はくだりませんわ。パチン。ルカは手の中で金具を開ける。
「ふうん。値段はともかく、綺麗な青だなぁそれ。お前のプラチナにはよく似合うだろうな……」
「わたくしではありません」
「ん?」
「ターニャが以前使っていたものは、お兄様にあげてしまったのでしたわよね?」
「え? ……あぁ、髪留めの話か? まぁ、……そうだが」
以前彼女の使っていた銀の髪留めは、現在。リンク皇子の襟元でスカーフを止める役目を果たしている。
「美しく、ものも良いのも間違いが無いのですが。ちょっとわたくしには似合わないので、使わずにとっておいたものです。――これはターニャに差し上げます。……何をしていますの? わたくしより背が高いのですから、ちょっと頭をお下げになるのが当たり前でしょう!」
ルカは思わず背をかがめたターニャの前髪をわけると、パチン。青い髪留めを付ける。
「思った通り、金と青のコントラストが素敵ですわ! ……髪の色も含めて、わたくしよりもお似合いでしてよ!」
「でも今んとこ要らな……」
「髪はいずれ伸びましょう。そしてそうなって先、ターニャが結った髪をただのピンで止めて宮廷にあがるなど。……それこそ所長を何だと思っているのか。と、配下であるわたくしどもが疑われてしまいますわ」
どこから取りだしたのか、手鏡を見せられターニャは、――意外にも似合うじゃないか。と、つい思ってしまった。
騒動から帝都に戻って二週間。
いまだリンクの下に顔を出していないのは、忙しいせいだけでは無く、髪を気にしているのだ。と言う自覚は自分でも持っているターニャである。
「それに現状でも髪飾りとして十二分にお似合いですわ」
「そ、そうかな……」
「そう。だから明日にでも宮廷に上がって、お兄様に謝ってらっしゃいましな」
「ちょ、おま……」
にやり、と笑うとルカはターニャを見上げる。
「気が付いて居ないとでもお思いでしたの?」
「な、……なんの話だ」
ルカは腕抜きを外すと、後ろに放り投げてターニャに迫る。
「勝手に脱落すると言うなら、それこそ勝手ですから好きにすれば良い話ですわ。だがしかし。わたくしが脱落に荷担した、自信を無くす様に手を出した。といわれれば話は別です! そのような卑劣な手を使った等と言われては心外ですから、全身全霊、全精力を上げてターニャを魅力的に仕上げてさしあげますわ」
「まだ、諦めてなかったのか……」
「諦める? なんの話ですの? ……あとでお洋服も数着届きます。いくら騎士団服とは言え、下がお仕着せの男物のシャツに乗馬ズボンなど、有り得ませんわ」
「……制服を弄るのは不味いだろうよ」
ターニャの言は無視される。
「宮廷へ上がってお兄様に会うのが楽しみになるくらいに、魅力的に仕上げて差し上げましてよ」
更にルカが一歩詰める。
「わたくしには勝てないでしょうけれど。しかし元々わたくしが、ターニャより数段魅力的なだけなのですから、こればかりは仕方が無い事なのですけれどもね」
「……ありがとな」
「は? 別に礼を言われるような事はしていませんわ」
「言うと思った。――だから好きだぜ、ルカ」
そう言ってふざけて抱きつこうとしたターニャが机にぶつかり、スライサーの入ってた箱から紙が一枚、ひらひらと落ちる。
ターニャが顔色を変えて空中で捕まえようと手を伸ばしたが、
――しゅばっ! 風切り音と共に腕を伸ばしたルカが握りしめて、自分の下へと引き寄せる。
「こ、これは……」
その紙を見たルカの顔が、すぅ――。と青ざめ、ターニャはそっと、気が付かれないように距離を取り始める。
「はて、所長様? ……ロミ君のスライサー。請求は来月になると昨日。わたくしに。ご自分で、ハッキリと。そうおっしゃっいましたわよね? わたくしが聞き違っていましたかしら?」
「……お、思ったより早く上がったみたいで」
「こっこ、こここ……」
「……卵でも産むつもりか?」
「こ、この期に及んでこの金額を足してしまったら。……なんたる理不尽。このわたくしが、経理を担当しているというのに。……そ、そんな莫迦なことがあるのでしょうか……。スライムの件、七〇万からの大仕事が、……赤字、確定……?」
「あ! ちょっと用事思い出した! 悪ぃ留守番頼むわ! んじゃ!」
「お待ちなさいっ! 逃がしませんことよ、ターニャ!!」
ヒュン! 気配を感じて動きを止めたターニャの首を掠めたルカの右手には、いつの間に取りだしたのか金色に輝くダガー。
「まてまてまて! それは不味い、お前がそれ使ったら本気で死ぬ! それはシャレになんねぇってばっ!」
ターニャは一瞬の隙を突いてダガーをかいくぐると、逃げた。
「ご安心なさい、ダガーはわたくしの身体の一部! 死なない程度に殺して差し上げますから、男らしくそこに直りなさい!」
「待て、落ち着けっ! あたしは髪型以外は女だからっ!!」
大騒ぎの事務所の中、呆れたように小さな宝石箱がポカンと口を開けていた。
次章予告
組合長の実家、帝国最大の大商家であり
最大のリジェクタ組織でもあるヴァーン商会。
会頭から直接入った依頼は、無許可でフェアリィを狩る密猟者の摘発。
即座に断るターニャだったが、直接密猟者を相手取るわけでは無く……。
次章『花畑の少女』
「いくら何でも、そんなのはウチじゃ手伝えないぜ?」




