スライムスライサー
「この辺で良いか。どうせあっちから見えるわけじゃ無し、そもそも目がねぇんだ。気にしなくても良い。……ロミ、遠眼鏡」
「はい」
馬車から早足で約十五分。スライムの群れを見下ろす位置の小高い丘についたターニャとロミ。周りは鬱蒼とした茂みで、頂上付近だけがほんの小さな草地になっている。
ターニャはそこにどっかりと腰を下ろして、遠眼鏡を覗きながらロミに問う。
「なんでそいつを持ってきた?」
「スライムスライサーの善し悪しはわかりませんが、一番良いモノに思えたんです。むしろ、なんでターニャさんがこれを使わないかなって」
彼の腰にはターニャがルカと会った朝、納屋から持ち出したスライサーが下がっている。
「答えは、もっと良いヤツを使ってるから。だ。――おまえも確認しとけ」
ターニャは隣で片膝を付いたロミに遠眼鏡を渡す。
“紅い河"は、太い木の幹を少しずつ削り取り押し倒すが、当然スライムは木に潰されたくらいで死ぬような“やわ"な生き物では無い。倒れた木は後続のスライムが樹皮を少しずつ剥ぎ取り、枝をもぎ取り、木の葉を取り込んでいく。
列の最後尾が到達するころにはもはや何も無くなり、彼らは残された切り株はおろか、草の根、枯れ葉や虫、腐葉土、ミネラルを含んだ地表表面の軟らかい土まで。それらを根こそぎにし、後には固い地面だけが残される。
そして排泄されるのは栄養素はおろか水分さえ残っていない、ほぼ砂のようなもの。お陰で表面のデコボコが埋まり、馬車が通るにはうってつけの道が出来上がる。
暗いうちから走ってきたターニャ達の馬車は、一旦大回りした後、このプロセスで出来た“紅い河の流れた痕"を追ってきたのである。
究極の雑食生物スライム。その頂点の一角を占めるベニモモスライムは、だから何かの化学薬品と言っても良い様な強力な消化液を持つ。それが列をなしているのでこんな事になるのだ。
ターニャが喰われるのはおすすめしない。と言ったのは、この消化液のせいで人が取り込まれると悲惨を極めるから。
ベニモモスライムにほんの三十秒取り込まれたら、取り出されてももう生きてはいないし、その時点でもはや人の形を成してさえいない。しかもそのサイズから、まとめて数人を取り込んだりもするのである。
「こないだからどうなってんだ、……また目算を間違えちまった。五〇〇匹は居るだろアレ。三〇〇のつもりで突っ込んだら即座に喰われるトコだった」
「三〇〇でも突っ込みませんっ! ……縦に並んでるのに後ろから見ていきなり三百って推測が出る事すら無いですよ。ターニャさんもクリシャさんもスゴいです」
ロミは渡された遠眼鏡に目を付ける。
「その辺はただの経験値だよ、たまには有るだろ、ってな。……さて、おまえは現状、どう見る?」
「列の幅は五m強、約三匹分の幅、長さは二百mを超えてますね。まさに紅い河だ。フルサイズだけで……一〇〇、メーター越えも合わせれば三〇〇以上、リーダーはやや先頭よりの普通のフルサイズより更に一回りデカいヤツ、ですよね。こっちも想像よりはるかに大きい、二m以上確定。――状況は、事前の予想よりはるかに悪いと思います」
遠眼鏡から目を外したロミの顔に冷や汗が滲む。
「あぁ、多分悪いな。――リーダーも修正だ。2メーターは楽に超えてる。アイツは本当にヤバ……。ロミ、気が付いてるな?」
「……ですよね、やっぱり」
ターニャは静かに立ち上がると。腰に履いたスライムスライサーを何気なく抜きながら、小声で話しかける。
「静かに遠眼鏡置いて、カバンも降ろせ。奴ら、目はねぇが震動には敏感だ。気をつけろ?」
荷物を置いたロミも腰のスライムスライサーを抜刀する。
「あたしのコレは特別製でな、魔道火が封じてあるから種火も油も要らんのだが、結局、魔道師のババァに七万もふんだくられたあげくに刃はたいした事が無い。と言う本末転倒の代物だ。刀匠の仕事を看破するおまえの目は正しい。……ロミ、油は入ってるな? 直ぐに火を付けろ」
ロミは無言で頷くと、左手に持った種火を柄に近づける。
「……ロミ、相手は?」
「メータークラス、正面やや左の茂みに一匹のみ」
ロミがそう言った瞬間、がさっ。と正面の茂みが揺れ、木々の隙間からピンク色の“何か”が迫る気配。
「甘い、そいつは陽動。後ろにもう一匹、こっちが本命だ。――正面任せる、後ろにも目ン玉! 付けとけっ!」
ターニャはそう言い放つと、まるで後ろが見えていたかのような動きで、後ろから飛んできたピンクの棒のようなものに向き直って剣を振る。
「モンスター相手に、生き延びたかったら、なっ!」
一瞬で燃え上がった剣がそれを切り落とすのを確認もせずに、そのまま茂みへと突っ込む。
「お前ら如きに、このあたしがぁ、……喰われるかぁっ!」
1メーターはある巨大なマカロンのようなものを、燃え上がった剣で正面から両断、ターニャは体液が飛び散るのを避けて後ろに飛び退く。
ぐちゃ。と言う音と共に中身を吹き出しながらピンク色の巨大な塊は動かなくなる。
「ロミっ!」
振り返ったターニャが見たのは。
自分に向かって延びてきたピンク色の板のようなものを最小限の動きで躱しつつ、一気に前に踏み込み、炎の剣を横に一閃したロミが、ピンクのゼリーの詰まった丸い物体を、周りの灌木ごと一刀のもとに切り捨てるところだった。
「さすがにあたしよりも刃物の扱いは鮮やかだ。スライサーで立木ごと切ってるのに、刃こぼれもしねぇとは」
肩で息をしながらロミが答える。
「剣が、……良いんですよ。並みの、ロングスォードなんかより、よほど良い」
「かつての刀匠の逸品ものだ。――良い道具は使い手を選ぶ。そんなの分かりきった話だよな。……そいつはおまえにやる。手入れの仕方は後で教える」
「良いんですか?」
――良くない道理が無ぇ。ターニャは自分の剣を鞘に収める。
「父様が使っていた剣だ。物は間違い無く良いが壊れて直せなくなったら捨てろ。プロは道具に拘るもんだ。使えないものを後生大事に抱え込んでると、それこそ比喩で無く、早死にするぞ?」
「……はい」
「何を喰ってるか、一応検分する。そっち頼む。……情報通りならしばらく人間は喰ってないはずだけど、な。――わかってるだろうが消化液、気をつけろよ?」
「はい」
「どうだ?」
切り口からあふれるピンク色のドロドロしたものを、木の枝でかき回す二人。
「だいぶ消化が進んでますけど草と土ばかりですね。虫を食べた形跡も無い。……この二匹、列の後尾だったんじゃ無いですか? 食生活が嫌になって逃げ出してきた、とか」
――中身はこっちも同じだな。木の棒を突き立てながらターニャが答える。
「クリシャも言ってたが、そんな考えを持って仲間と一緒に逃亡するってんなら、それはもう、スライムじゃねぇ何かだ。――列は今、どうなってる?」
ロミは、左手に持っていたスライムスライサーの火を消し腰の鞘に戻すと、遠眼鏡を拾い上げて顔に付ける。
「そのまま進んでます。多分山の向こうの村まであと、一日半くらい……。うん? ――ターニャさん、地図、見て下さい。ここから東、約500m!」
「どうした?」
「スライムの先頭の、その先。経路と直行する形で結構立派な、馬車でも通れそうな道があります!」
「なんだって?」
ターニャは多少慌てて地図を開く。――地図にはそんなもん、載ってねぇぞ!
「山越えじゃ無くて、山に沿って回りながら山の向こうの村に行く道みたいです。村の人達が最近作ったんでしょうね。距離はかなり延びますけど真っ直ぐ進むよりもそっちに曲がった方が丸一日は早いでしょう。スライムの最後尾通過までは二時間強と言ったところです」
「あのスライム達、道を曲がると思うか?」
「ないですね。真っ直ぐです」
ロミは即答。
「ほぉ。……んで、根拠は?」
「三つあります」
「聞こう」
「先ず第一に、ここまでどうしても避けられない大岩や沢以外は全て真っ直ぐのルートで帝都に向かっています。何故かは判りませんけど、彼らには真っ直ぐに進みたい何かがあるんだと思います」
「ふむ。……次は?」
倒したスライムの皮を二匹分。切りとり伸ばして布で包み、中身を瓶に詰めて簡単にメモを書きながらターニャが促す。
「はい。そもそもアクティブな生き物で無い以上、前進し続ける限りはかなりのエネルギーを使う。だからとにかく、木だろうと腐葉土だろうとミミズだろうと食べ続けていないと体が維持出来ない。だったら森を進むのは好都合です。道に入ったら砂利と砂しか無いから消費するばかり。大きなモノならともかく小さい個体も意外に多いし、どうしても隊列は維持したい様に見える。ならば、道に入ったらあっという間に栄養失調です」
ターニャは採取したスライムの一部を詰め込んでバックを背負い直し、遠眼鏡を覗くロミの分のバッグを持って立ち上がる。
「理由は三つ有るっつったな? 最後は?」
「通過する場所に村があるから襲うだけ。道を進んだ先に集落があって人や家畜が、獲物が居る。そこまで考えて行動する程には、賢く無い」
「合格だ。……よし、一度戻って馬車で村へ先回りするぞ」
「はい!」
「……ロミ、おまえも来年は一五になる」
がさごそと。馬車へ向かって、ロミを先頭に茂みをかき分けつつ丘を下る二人。
「はい?」
「そろそろ自分の道を決める頃合だ、っての。――あたしに気を使うこたぁない、辞めて良いんだぞ、リジェクタ。……お家の再興だってな、それも立派な仕事だ」
「僕は……。正直に言えば家の事は気になります、母上や妹たちがどうしているのか、いつか帰ってこられるようにセンテルサイドの家が必要では無いかって」
後ろを歩くターニャは答えない。彼女がどんな顔をして聞いているのか、当然ロミには見えない。
「でもそれはアリネスティア伯爵家の再興では無いです。……僕は爵位や政に興味はありません。嘘やお追従で無く、ターニャさんに拾って貰ったお陰で、かえって進む道が見えたと思ってます」
ロミに聞こえるのは自分の息遣いと、靴が踏みしめる二人分の足音。ターニャはなにも言わない。
「剣の事だってそう。さっきターニャさんは褒めてくれましたけれど、それも師匠である父上有ってのことです。鍛錬をかかしてはいないけれど、現状維持がせいぜい。教えもなしにそれ以上延びる事は無い。天性のものでは無かった。……ターニャさんがそこに目を付けてわざわざ拾ってくれたのに」
ロミは表情を無くすと、なたで藪を払い、足元を確認しながら歩く事は止めずに言葉をつなぐ。――あの日、死にたくないならついてこい。そう言われて死にたくないって思ったんです。
「それはみっともない事なんだって、仮にも伯爵家の長男が口にして良い言葉では無いんだって、家銘と共に死ぬのが貴族の息子なんだって。しばらくそう思ってました」
ロミは更に、目の前の鬱蒼として視界を遮る枝を払う。
「だからせめてターニャさんとクリシャさんの役に立つ人間になろう、ダメなら死のうって、そう思ってました。――でも」
「でも?」
ここで初めてターニャが口を開く。
「ドミネントを任されて彼らを毎日見てて。思ったんです。生きる事、それ自体に勝る意味なんか無い」
「アレは、基本的にただ生きてるだけのスライムの中でも特に極端だからな。本当にただ生きてるだけ。ある意味、植物よりも消極的だぞ?」
「でも、寿命なのか、病気なのか、殺されて、喰われるのか。とにかく死ぬまで生きるのが生き物の役割、自死を選ぶのは生き物としてあり得ない。ドミネントスライムに教えて貰いました」
――ま、死ぬ気が無いならそんで良いさ。ロミの後ろ。ターニャが続ける。
「なぁ、ロミ。……リジェクタのな、役割ってなんだと思う?」
「人に害をなすモンスターの駆除。と言う事では無く?」
「仕事の名前がそもそも排除するものだからな、それで間違っちゃあ居ねぇんだろうけど。……父様がまだ生きてたころに、同じ事を聞いてみた事がある」
ターニャは、なたで太い枝を落とそうとしたロミの横に出てくると枝を押さえる。
「お父上はどのように?」
「答えが出たらリジェクタだって言われた」
――すぱん。ロミがなたを振るうと枝は何事も無く切り落とされた。
「深いですね……」
――答えるお父上だけで無く、それを聞く子供のターニャさんもですけど……。
ターニャが何かを言いたそうにしているのに気が付いて、ロミはそれは思うだけにとどめた。
「あたしが本当にリジェクタになれたかどうかは知らん。けど、さっきの問いにあたしなりに出した答えはこうだ」
ターニャは切った枝を放り投げる
「はい?」
「リジェクタは、モンスターと人間の間に線を引く仕事なんだとあたしは思うんだ」
「……線、ですか」
「そのお互い超えちゃいけない線を越えれば、モンスターだけで無く、当然人間も排除する。それがリジェクタだ」
「人間も、ですか……?」
目の前が開けて馬車が見える。ロミはなたを腰のベルトに挟む。
「人間の街に入ったモンスターは駆除される。だったらモンスターの領域に入った人間もリジェクトされるべきだ。あたしはそう思う」
「犯罪になっちゃいますよ……」
「概念の話だ。密猟者だとしても許可も無く人に手を出したらいかんぜ?」
「当たり前です!」
「ま。おまえが前に出てくれる気があれば、クリシャのリスクが下がって助かる」
――アイツは戦闘向きじゃ無いからな。そう言うとロミの肩をポン、と叩いて前に立って歩き出す。
「えーと」
「それに今ならルカも居る。あたしとおまえでフォワードを張れば、状況次第じゃ二手に分かれる様な依頼だって取れる」
二人を見つけて手を振るクリシャを見やりながらターニャは続ける。
「……それは、つまり」
「意味も無く仕事をセーブしてた訳じゃねぇって話さ。――おーい、直ぐに出るぞ! 片付けを初めてくれ!」
『おっけー! わかったよー!』




