マジェスティック・プリンセス
「ふぅ。ターニャ殿、クリシャさん。ごちそうさまでした」
「どう致しまして。……オリファさん、お茶もありますのでどうぞ?」
食事が終わり、お茶を入れるクリシャ。ロミと、意外な事にルカが後片付けをしている。
「姫、……では無く、ルカお嬢様。それくらい私が」
「お黙りあそばせ。……騎士殿は食後のお茶でも飲みながら、我が所長様と談笑しておれば良いのですわ。なんと言ってもわたくしは、お家を追い出されたあげくに偶々(たまたま)、幸運にも帝国男爵位を預かるフィルネンコ家のご当主、レデイ・ターシニアのご厚意によって“拾って頂いた”身の上なのですから!」
「ゴメン、オリファさん。……ルカ、完全に拗ねちゃった」
「偶には良い薬です。――それにあぁ見えて家事全般、実はその辺の洗濯女などよりもよほど綺麗にやってのけるのですよ」
過去に何度か家出をした内に何度かは、下働きや下女として炊事洗濯に赤子の世話まで。全てキチンとこなしていた時があるらしい。
「場に溶け込むために何をしなくてはいけないか、計算では無く感覚でわかってしまうのでしょうね。しかもまた、嫌みなくらいに何でも出来てしまう方ですから」
更には大袈裟なお嬢様言葉のイメージが強い彼女だが、実は相手によっては蓮っ葉な下町言葉や、乱暴な職人言葉でそのまま喋り通す事さえ出来るらしい。
「器用貧乏とはよく言うが、器用で金持ち。もう、無敵だよ」
「ターニャ、少し言葉の意味が違ってない?」
その上ターニャの見立てでは剣士としての腕も一流。ターニャの元で助手など、する必要がそもそも無い。
一般的な知識と教養も百科事典並みで、更には周りの人間を使うのもうまい。
宮廷から降りて自分で事業を興せば、きっと業種はなんであれ、大成功するだろう事はほぼ間違い無い。
周りの人間を引きつけ、ターニャでさえ放っておけなくなる。それは皇家の血のなせる業なのかも知れないが。
「問題はあるんです。……ご存じの通り。なんと言うか、ルカお嬢様は自分で“やりたい事”以外は一切しないお方ですので」
元々器用な上に頭が良く、応用も利く。だから。――“家出”をするたび、大概お嬢様を拾う事になった家では重宝されて、意外にも大事にされて居るのが普通でした、そう言うとオリファは微笑みながらため息を一つ。
「もっとも。世界最大にして最強の国家、大帝国シュナイダー王朝連合。その世界に名だたる帝国の皇帝陛下がご息女にして、世界でもたった二人しかそう呼ばれる者の無い高貴なる姫君達。わけてもお嬢様は帝国第一皇女。そう言ったお方が家事の腕を磨いて一体何をどうなさりたいのか、私にはさっぱり理解の出来ないところですが」
「潜入捜査とか向いてるかもね。お姫様のやる事かどうかは別にしてさ」
「そんな話、絶対にリンク殿下の前ではしないで下さいよ?」
オリファとしてもリンクがそのアイディアに興味を示しそうだ、と言う認識はあるものらしい。
――どんだけ兄妹でお付きの連中に迷惑かけてんだよ。とこれは口には出さずにターニャは思うにとどめる。
ルカに聞こえて更に拗ねられると、これ以上は流石に収拾が付かない。
「そこまで抜けて無いつもりですよ。――オリファさん、時間ってありますか?」
「何も無いなら明日中に宮廷に戻れば良いのですが。……殿下からは、ターニャ殿が必要ならサポートをするよう言われてきておりますので、気にせず何なりと」
「なら、まずは小一時間程。クリシャとルカを見てて欲しいんですけど」
ターニャはテーブルから立ち上がる。
「ターニャ殿、いったい何を……」
「群れの先頭を見てくる。――ロミ! 一緒に行くから支度しろ。道具、出してくれ」
ロミは馬車からターニャの背負いカバンと、帯剣ベルト、ターニャのスライムスライサーを引っ張り出し、自分用の背負いカバンの中身の点検を始める。
「ちっちゃい方の地図を持っていくぞ。それとおまえの分も“装備”が必要だからな?」
「でも僕は……」
「相手はベニモモだ。喰われたいならそれ以上は言わんが、出来れば他の死に方をおすすめする。知ってるはずだな? スライムに喰われると、悲惨だぞ」
「……別にそういうつもりでは」
「あたしの手が回らん可能性がある以上自衛手段は持て。専門家として今まで約半年、スライムと付き合ってきたんだ。そう言う視点で武器を選べ。おまえのベルトも前に作ってやっただろ。もってきてるよな?」
「クリシャさん、ターニャは何故ロミ君を連れて行ったのでしょう? 単純に見に行くだけならむしろわたくしの方が……」
――お嬢様、お恐れながら。お茶のカップを置いたオリファが、クリシャより先に答える。
「彼が、スライムの専門家であるご自身の弟子であるから。では無いでしょうか」
「騎士殿、貴方に何かがお判りになって?」
「もちろんリジェクタ、しかも帝国広しと言えど七名しか居ないプロ中のプロ、A級の方のお考えなど私の様な素人には到底判ぜません。ですが相手がスライムであれば、お嬢様の剣技よりロミ君の知識の方が有用。さらに行動前の事前の偵察であれば、前線に参謀であるクリシャさんは出せない。……判断自体は妥当である気が致しますが」
「え? ……ルカさんの、剣技?」
最初の設定は剣技に才能が無くて城を逃げ出してきた我が儘姫。少なくてもクリシャ自身は今のところ、ルカに剣が扱えるとは思って居ない。
そしていずれはバレるにしろその設定を変更する、というのは説明やその他諸々が面倒なので、今はルカもやりたくない。
「た、嗜み程度ですわ。一応宮廷騎士ですのでその、形だけの……」
「その宮廷騎士のリイファ殿下がいらっしゃらないもので、代理人閣下がお二人とも、路頭に迷っていらっしゃるのですが。そこはどのようにお考えでしょうか」
「アエルンカ、パリンディ。……伝える手段がなかったとは言え。双方に要らない苦労をかけてしまっている、と。――わかっております。今回、それだけは本当に痛恨の極みなのですわ」
飲み干したお茶のカップをもてあそびながら、彼女にしては珍しく目を伏せて小さな声で話すルカ。
「ルカさん、その名前……」
「それこそお笑いぐさですわ、クリシャさん。わたくしは我が配下らの方が女性として大事な何かを持っている気がしているのです。だから名前を一部、借りては見たものの、やはり表面上だけではそんなもの、意味が有りませんでしたわ。――我が父上、皇帝陛下より栄えある騎士の称号を受けし者。皇家の守り刀、近衛たる親衛騎士、ナイト・オリファント!」
「はっ! 我らが帝国の誇り、高貴なる姫君、ルケファスタ=アマルティア皇女殿下。――何なりとお申し付けを」
オリファは空気が変わったのを察し即座に立ち上がると、片膝を付いて低頭する。
「宮廷に戻り次第。兄上、リンク殿下の許可を取った上で我が代理人、エル、パリィの両名に事の顛末を添えて、あなた方の主人リイファは無事である。と、伝えて欲しい」
ルカもそれを見て元から良かった姿勢を更に良くして、わざとらしいお嬢様言葉から一転。いかにも帝国皇女の口調になる。
「それと彼女等に伝えるべきはもう一つ。皇女リイファは当面宮廷に戻らず、なれば、現帝国第一皇女が担うはずの第三位宮廷騎士、並びに第五親衛騎士団長は事実上空位となり。故に当面代理人は不要となる。両名共、家は帝都内。よって宮廷よりは一時降り、帝都の自宅にて待機せよ。……これはリンクの殿下の許可は要らぬはず。さればオリファントより間違いなく両名へと伝えなさい」
「しかし姫様、それでは……」
「もちろん。宮廷騎士の名と、証の剣は何処へ行こうと必ず携える事、きっと言いつけます。……彼女等は二人共、わたくしの代理人へと自ら志願したのです。故に当然わたくしの命運尽きしその時まで代理人。このわたくしの承認も無く、役目を降りるなどはギロチン刑に値する重罪。帝国皇女ルケファスタの代理人を名乗るものが、主人の意向に背きそのような勝手な立ち居振る舞いをするなど言語道断、断じて許しません!」
「はっ! 両閣下とも、お喜びになるものと存じます。このオリファント、しかとお二人へお伝え申します!」
「……自分で振っておいてなんですけれど、もう良いです。なおりなさいオリファント。ノリが良いのも結構ですが疲れませんか? ――いずれこの件が一段落したら、フィルネンコ事務所へ顔を出すよう二人に伝言を願いますわ。騎士殿」
オリファは、ズボンの膝をポンポンとはたきながら立ち上がる。
「私からお話しして良いものかどうか、いずれリンク殿下にお伺いを立ててみます、ファステロンの御令嬢」
「代理人であっても、例えばターニャのように、必ずしも宮廷に居る必要は無いと思うのです。それにわたくしの代理人では。……この状況下でまだお役目に殉じて宮廷に居るというのなら。二人共、いずれ神経がすり減るばかり。むしろそれが気がかりですわ」
「――ところで、今回の“家出”に関して親衛騎士団はともかく、何故故にお嬢様の腹心でもある代理人のお二人にまで内密にされていたのですか?」
どうやら今まで家出に関しては、腹心の二人は知っていたらしい。きっと近所に潜んで彼女を護衛していたのであろう。
「お二人が完全に戸惑っておいでだったので、そこからいつもの気まぐれでは無く出奔では無いか? 等と言う噂が立ったのですよ?」
「例え意図が丸見えであろうとも、立場上話せない事と言うのはあるものですわ。貴方は誰がどう言おうともリンクお兄様の近衛であり、わたくしの侍従では無いのですもの。わたくしが貴男に出来ない話も必然あるでしょう。詳細をお兄様が御教示下さると言うなら、そうして頂くと良いですわ。……ところで話を戻して、クリシャさん」
高貴なる姫君の凜とした表情から、不運にも近所に居合わせた者達をブンブン振り回す我が儘お嬢様の表情に戻ったルカがクリシャを振り向く。
「あ、うん。……ロミの件、だよね?」
「そうですわ。ターニャは、彼に関してはバックアップ要員として前線に出ない。その事を容認していたようにも見えていたのですが。……そこにもってきて、ベニモモスライムですもの。先ほど道すがらお話を伺った新種のイーターの件、素人の意見ではありますけれど、わたくしにはそれらよりも単純な危険度は高いようにも思えるのですわ」
「書類の上でならイーターは危険度Ⅱ、スライムはⅠ、なんだけどね」
特別な扱いは無し。スライムだから危険度Ⅰ。ちなみに先日のブラックアロゥに関して言えば、再度現れた場合は危険度判定はⅣとするよう、MRMから保全庁に勧告が出ている。
「いかにも宮廷の仕事ですわね」
「それをルカお嬢様が仰いますか……」
「わたくしなりに考えれば、危険度は、B級以下が関わる事は禁止されるⅢ等級相当以上だと思うのですが」
「その通り。実際に組合経由で依頼を回すときは、そう言う割り振りにしてるよ」
「そう言うものの前に実戦向きで無いロミ君を引っ張り出す」
「実戦向きで無いかどうかはおいといて。――あぁ見えて、ロミの事は心配してるんだよね。ターニャなりに」
「まぁ、それはなんとなく」
「ターニャが連れてきたんだし、気にかけてもらわなきゃ困るんだけどね。……ある日。ターニャが死にかけてる彼を。それこそ犬猫みたいに拾ってきたのよ?」
道ばたで今にも死にそうな彼に、死にたくないならついてこい。そう言い放ったターニャは、ロミを連れて一緒に事務所へ戻ってきた。
もちろんいきなり雇おう、と考えたわけでは無く。アリネスティア伯爵家の御曹司は出来物だ。と言う噂を聞いていたターニャは、だから行き倒れて死ぬ前に本人に会ってみよう。くらいのつもりで早朝から出かけたのだった。
そして思いの外、本当に死にそうだったので。だから放っておけなくなった彼女は彼を拾ってきた。
「そして拾ってきた猫をかごに入れる見たいに、あっさりと彼を納屋の二階の部屋に放り込んだ」
――なんて非道い事を。とルカが相づちを打つが、プライドを打ち砕かない限り、道ばたで死んでいたのは確定だった彼に食事とベッドを与える事は出来ない。
ロミの噂を聞いたターニャが、いつも通りに考え無しでそうした行動を取ったのだが、それはそれで正しかったのはルカには良く分かった。
今は命を賭してまで、絶対の信頼を誓ってくれている自分の二人の代理人。彼女等もまた、似たような境遇から拾い上げたのだから。
「初めはあんまり話してくれなくってね。黙ってスライムの世話をしてた。……今だって、仕事以外はそんなに口数の多い方じゃ無いけれど」
「ターニャは彼に、何を期待していますの?」
「仕事の宣伝、馬の世話に馬車の手入れ、宮廷に上がる時の礼儀作法やしきたり、正式な手紙や書類の書き方、道具の手入れ、納屋の整理、スライムの養殖。ロミが居るだけで普段の仕事は嘘みたいに廻るようになった。……別に戦士や戦略家として目覚めて欲しいわけじゃ無いと思うよ」
「今だって期待通りの仕事はしているのでしょう? だったら、わざわざ危険な現場に連れて行かなくとも宜しいのでは?」
――多分だけれど。クリシャはお茶のポットをもって、たき火にかけたケトルへと歩く。
「貴族でも、参謀家でも無く。リジェクタになって欲しいんだと思う。スライムの養殖を任せたのも多分、自分の知識を継承したかったんじゃないかな」
ルカは下の兄が、ターニャをさして"彼女は私と同じく面倒くさい人間だ"。と笑顔で話していたのを思い出す。
――この世の中でわたくしが気に入るタイプは、面倒くさい人間しか居ないのかも知れませんわね。と呟くと苦笑する。
「あちっ! ……でも、ロミは剣士としての鍛錬も怠ってない。毎朝早起きして、誰も見ていないのを確認してから素振りしてるくらい。……まぁ私が知ってるくらいだから当然、ターニャにもバレてるはずだけどね」
「かつての帝国軍第二軍団長、アリネスティア伯センテルサイド卿の御曹司は、少年ながら将来を渇望される剣技を誇った。……聞いた事がありますわ」
クリシャはテーブルに戻ると一旦ティーポットをテーブルに置く。
「そう、それ本人だよ。ロミはセンテルサイド家の一人息子だもの。……朝から“粉砕槌"とか“牛切り包丁”を振り回している時だってある。――やっぱあの辺は男だな、単純な腕力はそろそろ敵わねぇや。ってターニャも言ってたくらい。もう十五だし、普通に男性の身体になってきたとも言うけれど」
「ならば……」
「リジェクタに必要なのはモンスターの生態、行動に関する正確な知識。そしてそれを仕留めるために罠を操り、薬を撒き、香を焚き、剣で切り裂く行動力。ターニャは今のロミは、もう両方もっている、そう判断しているんだと思う。彼女は出来ない事は人に絶対にさせない。……だって自分がやった方が結果が良いなら、人には触らせないもの。仕事は特に」
――ドミネントの養殖はライフワークだ。なんて言いながら、ロミに任せきりにしてあるのもそういう事なんだろうね。クリシャは、ルカとオリファのカップにお茶を注いでいく。
「ロミ君に今一番必要で一番足りていない、しかも自分で気が付いていないものがありますわ。……わたくしも母上様やお兄様によく言われる事です」
「はい?」
「足らないものは、……自覚。ですわね。――笑って良ろしいところですのよ、騎士殿」
「……お嬢様」
「ルカさん、あの……」
「かつての家出を繰り返していたわたくしは。皇帝の娘として。帝国の姫として。宮廷や臣民に自身の言動がどれほど影響を与えているものか。と言う視点が完全に抜け落ちておりましたの。――きっとロミ君もターニャにどれだけ頼りにされているか、本人は全く気が付いていないことでしょうね。……それどころか、当時のわたくしのようにむしろ、誰も自分なぞ気にもかけて居ないのだ。などと思って半分ふて腐れて居るのやも知れませんわ」
――ふむ、良い香りです。こんな場所で、良くもこんなにお茶がおいしく入るものですわね。素晴らしいですわクリシャさん。そう言いながらルカがカップを傾ける。
「どうも。――ロミが気が付いてない……。そうなのかな?」
「ならばわたくしに母上様、皇帝妃陛下がそうしてくださったように、ロミにもターニャが教えてあげればよろしいだけなのですけれど。……フィルネンコ卿。普段はともかく、仕事については厳しい方のようですからね」
「まぁ、ねぇ。……自分で語るのは、苦手なんだよね。ターニャ」
「師匠の背中を見て学ぶ、そうで無ければそこで脱落。誰かに答えを聞くようなズルは無し。……まさに職人の世界ですわね。――クリシャさん、そう言えばスコーンがありましたわよね?」
おすまし顔で姿勢良く座った“ルカお嬢様"は、そう言ってカップをテーブルに置いた。




