ただいま
王都の外れでファブニルに開放された僕たちは、少しの休憩のあと報告のために城を訪れていた。
「会談は成功したか」
ベイカル伯爵から報告を受けた国王陛下は安堵の表情を浮かべると、椅子から立ち上がりこちらに歩み寄る。
そしてファブニルの前で腰を折った。
「国を治める者として礼を言わせて頂きます。ありがとうございました」
本来謁見の間にて国王が頭を下げるなどあってはいけないこと。
周りの重鎮達は驚き止めようとしたが、ついには同じように頭を垂れた。
「うむ。礼には及ばん。その見返りも貰ったしな」
ファブニルは僕の頭に手を置いたが、恒例の子供を扱うような仕草に国王陛下は顔を緩ませる。
「だが、国王よ。分かっておるだろうが、我らは国の道具ではない。今後このようなことはないぞ」
「もちろん、そうならぬよう努めるのが私の役目です。強大な力に頼らねばならぬ国など滅ぶでしょう。つきましては——」
「国王よ、我はエトゥスの妻だ。エトゥスはお主の息子になったのであろう? 丁寧に話す必要はない」
確かに僕は今回のことで名目上兄上の養子となっている。
つまりファブニルは兄上の娘に等しい。
とは言え心中は複雑だろう。
兄上は苦笑いを浮かべると一つ咳ばらいをした。
「そうでしたな。ではファブニル殿とエトゥスに提案がある」
「うむ」
国王陛下が目くばせをするとお付きの者が一枚の大きな紙を広げる。
それは王国の地図だった。
「ここベイカル伯爵領の東は広大な自然が広がっている」
「うむ。我らの里のある場所だな」
国王陛下が指で地図をなぞる。こうして地図を見れば国土の2割ほどを占めるほど大きな場所だ。
「王国としてはこの場所を異種族の住む特区とし、人間の立ち入りを禁止しようと考えている」
「国王陛下。それは異種族達を、ここに押し込むという意味でしょうか?」
「そうとってもらっても構わない。強制ではないが、ここに移り住むように各種族には伝える予定だ。そして……今後、王家と異種族との婚姻のしきたりを撤廃する」
国王陛下は異種族と縁を切ると明言した。
「理由が必要か?」
「いえ、国王陛下。お心遣い感謝します」
「うむ」
僕だって子供ではない。
異種族を切り捨てるようにも見えるが、その実、馬鹿な貴族たちや相容れない思想の持主から守るための提案だ。
そして王国は異種族の力を借りないという決意の表れなのだろう。
「ベイカル伯爵。そなたの治める領地はこの特区に隣接する重要な場所となる。もちろん今後決めるべき法や在り方は多岐に渡り模索する必要があるが、国の重要案件と心得よ」
「はっ! 全身全霊を持って当たらせて頂きます」
ベイカル伯爵は自分の役目の重大さに身を震わせた。
兄の信頼も厚く、竜人族の恐ろしさも身をもって知った彼だ。量才録用だと思う。
「して陛下。特区の人間の立ち入り禁止と聞きましたが、一つ困ったことが。私には娘がいます。祖父母や両親、叔父、叔母に会わせてやりたいのですが」
「ふむ。私が禁止するのは特区への人間の立ち入りだ。とはいえ関係を断絶するといった趣旨ではない。しかるべき対策を考えるとしよう」
「ありがとうございます」
兄上の笑みは「連れてこい」と言っていた。
謁見が終わると、僕とファブニルは里に急いだ。
兄上からは「しばらく王都観光でもしたらどうだ」なんて言われたが、なにせ里に残してきた暴れん坊が心配だ。
僕を背負ったファブニルは凄い速さで駆け抜けていく。
役目を果たした安堵感とちょっとした冒険を終えたような高揚感。
これからはまた穏やかな日々が待っているだろう。
僕とファブニルが共に王都を出たのは15年前。
緩やかな時の中で、笑い、泣き、たまには喧嘩もした。
思い返せばそれが幸せなんだとつくづく思う。
そういえば……
「ねぇ、ファブニル」
僕の声が小さかったからか、風音で声が聞き取りにくかったのか、ファブニルに気づいた様子はない。
15年も一緒にいるのに、僕はまだある言葉を一度としてファブニルに伝えたことがない。
婚姻の儀で誓いの言葉としては述べたが、平穏な生活の中では隣にいることが当たり前で口に出すことがなかった。
「愛してるよ」
僕はまだ言えていない一つの言葉を口にした。
今さらな気はするが、ようやく言えた一言だった。
「うむ」
気のせいでなければ、風切り音に紛れてファブニルの声が聞こえた。
凄く恥ずかしくはなったが、僕はファブニルに抱きつく力を少し強めるのだった。
里に到着すると景色は一変していた。
まるで何年もの間里を留守にしていた気分になるほどに。
広場で倒れている竜人族多数。
中心には人間大の緋色の竜が暴れていた。
「アルマ」
ファブニルの呼びかけにこの惨状を作った犯人は目を見開きこちらに突進してくる。
加減を知らない暴れん坊が体当たりをかませば、僕は瞬殺されるだろう。
地響きのような衝突音が目の前で聞こえると、ファブニルがアルマを抱くように持ち上げた。
抱きかかえられ幼子の姿に戻ったアルマは満面の笑みを咲かせ、僕に手を伸ばした。
「とーとー!!」
「ただいま、アルマ。しばらく留守にしてごめんね」
僕の胸に来たアルマが小さな手でぎゅっと抱きしめてきた。
めちゃくちゃ痛いが、それ以上に娘に会えた喜びがこみ上げる。
「いい子にしてたかい?」
「あー!」
純真な笑顔で答える娘の頭を撫でると、僕は周りに目をやった。
死屍累々とはこのことだ。
見なかったことにしておこう。
僕たちの家も崩れ去っていたが、まぁ、また建てればいいだけの話だ。
一家団欒を満喫していると、よろよろと立ち上がりこちらに向かってくる男がいる。ジョルグだ。
心底疲れ切った顔のジョルグは僕の肩をがしりと掴んだ。
「エトゥス、よく戻ってきてくれた」
僕が帰ってきたことの喜びか、天災がおさまったことの喜びか、ジョルグはとても嬉しそうに何度も首を縦に振る。
気がつけば竜人族のみんなが僕たちの周りにいた。
勝手に出て行った僕なのに、歓迎するような笑みを浮かべてくれている。
だから僕も気持ちを顔に出したような笑顔で答えた。
「うん。ただいま」
明日の投稿が最終話となります。
最後までお付き合いよろしくお願いします。




