人と異種族は分かち合えない
衛兵に囲まれながら僕たちは謁見の間へと案内された。
いや、連れていかれたというべきだろうか。まるで罪を犯したものを護送するかのように、周りを取り囲む衛兵たちは無言の圧力を発していた。
そんな空気のせいか帝国の城は王国のものと比べると重々しい気配を感じさせる。
人を迎え入れる装飾はなく、強固に積み上げられた石壁は厳格さを漂わせていた。
まるで牢獄の奥へと続くような通路を進むと重厚な扉が待ち構え、不気味な音を立てて開かれる。
謁見の間に入り、僕たちは頭を下げて皇帝を待った。
沈黙を保つ部屋にコツコツと石畳を歩く足音だけが響く。
「して、亜人たちの亡骸は用意できたのか?」
音が前方で止まると、挨拶もなく男の太い声が用件のみを伝える。
「初めまして。私はアスタレイア王国の」
「お前の名などどうでもいい。俺が聞いた質問にのみ答えろ」
「それにつきましては、今一度皇帝陛下に話を聞いて頂きたく参上致しました。王国内にいる異種族には害はなく——」
「もういい!」
兄上の言う通り会話にもならなかった。
不敬とは知りつつも僕は顔を上げる。
「皇帝陛下。戦は何も生みません。今一度お考え直しを」
「なぜ俺がお前と会ったか分かるか? 噂に聞いた蜥蜴と夫婦となり子を作ったという珍妙な生き物を一目見たかっただけだ。人間の恥め。こいつらの首を王国に送り届けよ。開戦の準備だ」
皇帝の腕を上げる仕草で周りの衛兵は乱れ無く一斉に槍を構えた。僕の体がびくりと震える。
あの腕が振り下ろされれば迷いなく襲い掛かってくるだろう。
「人と異種族は分かり合えないと?」
「考えただけで吐き気がする。——殺れ」
皇帝が手を下ろした瞬間、鎧の塊が押し寄せ槍を突き出す。
だが何かが弾けるような甲高い音と鈍い衝突音が響き渡ると、周りの衛兵の姿は消えていた。
いや、原型を留めていない鎧が謁見の間の壁にめり込んでいる。
それが衛兵だと認識出来ても何が起きたのかは誰も理解できていない。王国の使者達を除いては。
「エトゥス。もういいのか?」
「うん。ファブニル。もう話し合いにはならないみたいだ」
「うむ」
払った手を下ろしたファブニルは小さく頷いた。
「貴様ら! 一体何を、何をした!」
異常な光景を前に、皇帝の怒声が響く。
だけどその震えを帯びた大声は、恐怖を打ち消そうとしているようにしか見えない。
「皇帝陛下。あなたが力で王国に害をなすのなら、こちらも力で抗うしかありません」
「なんだとっ! 何をしている! 早くこいつらを始末しろ!」
取り乱す皇帝に、ファブニルは一歩足を前に踏み出した。
「だまれ人族が!」
ファブニルの威圧感を持つ声に、その場にいる全ての人間の身が竦む。
何せいつも一緒にいる僕の足も身の危険を察して震えたくらいだ。
「我の領域を侵すものはどうなるか、その身をもって知るがいい」
一瞬ファブニルが消えたように見えた。
金属がひしゃげる音が続き、壁に模様を刻んでいく衛兵達。
その場で身動き一つ出来ない者、叫びをあげてこちらに向かってくるもの。
分け隔てなく平等にこの世で最も巨大な力を持つファブニルに蹂躙されていく。
一部の天井が耐えきれずに崩れ落ち、空が顔を覗かせると周りに立つ者はいなくなっていた。
もう誰もこちらに敵意を向けようとはしない。
部屋を埋め尽くすのは恐怖と怯えだけだった。
腰が砕けたようにへたり込む皇帝を、ファブニルは見下ろした。
「どうした? 亜人を滅ぼすのであろう?」
「うぐっ、うぁぁ、あぁぁぁ」
体を震わせ後ずさる皇帝は何度も首を振った。
「うむ。何を言っているか分からんな」
ファブニルは踵を返し、崩れた天井の真下へと歩いていく。
そして体から溢れ出る光の螺旋が天に上った。
突如として太陽の光を遮る巨大なものが上空に現れ、その長い鎌首をもたげる。
緋色の竜の睨みで謁見の間で立つものは僕しかいない。
涙を流し股を濡らし、恐怖で逃げることも出来ない皇帝に視線を向け、僕はもう一度問いかけた。
「さて、皇帝陛下。今一度お考え直しを。帝国の存続はあなたの返答次第です」
ただ首を縦に振るしか出来ない皇帝を見て、僕は同じく腰の抜けてしまったベイカル伯爵に手を差し出した。
ベイカル伯爵の主導で行われた取り決めは、驚くほどスムーズだった。
いや、人の姿に戻ったファブニルがひと睨みするたびに二つ返事でことが進んだというべきか。
「しかし」「ですが」などの否定的な意見は会談において使用禁止となったようだ。
だからといって王国は無茶な要求を通したわけではない。
王国と帝国は再び同盟を結ぶこと。
今後一切、異種族に対し敵意を向けないこと。
大きく提示したのはこの二つだけだ。
他に細々とした取り決めはあったが、明らかに不平等なものはない。
兄上曰く、戦争抑止のためにファブニルの力は借りるが、それは王国の力ではない。
ここぞとばかりに付け入れば、いつか王国を滅ぼすことになると。
調印を済ませるとファブニルは念を押すように「次は無い」と声をかける。
あれだけの惨劇で多数の怪我人がでたものの死者が一人も出なかった意味を考えれば、次は帝国が滅ぶことになる。
皇帝は青ざめていたが、あれだけ怯えているのだから王国にちょっかいを出してくることはないだろう。
「さぁ、帰ろうか」
「うむ。しかし馬車に揺られるのは我は好まぬ。我が飛ぶとしよう」
「ちょっ、ファブニル!?」
城の前に現れた竜は、馬車を手に大空高く舞い上がる。
馬は気絶し馬車の中では護衛兵が白目を剝く大騒動だったが、僕にファブニルを止める時間はなかった。
その日、緋色の竜が飛ぶ姿が各地で目撃され、人々に恐怖をもたらした。
改めて実感する。
僕の妻はその気になれば瞬く間に世界を滅ぼす力を持っている。
だけどその本質はものぐさで、横柄で、だけど真っすぐで優しくて。
そんなファブニルが僕は大好きだ。




