圧倒的不利な状況
「これでさよならなのか?」
「ごめんジョルグ。ファブニルとアルマを頼む」
里から出た僕は、ジョルグに見つかり捕まった。
いつもと違う僕を心配して様子を窺ってくれていたのだ。
里から出る僕を引き留めようとしたジョルグだったが、泣いている理由を知り、最後は人族には人族の思いがあるとベイカル領の近くまで運んでくれた。
「分かった。でも全てが片付いたら戻ってこい。俺はいつでもエトゥスを歓迎する」
「……うん。ありがとうジョルグ」
「またな」
「……またね」
真っすぐ見つめるジョルグの眼差しに心は痛んだが、僕は気持ちを悟られないように顔を作りながら握手を交わした。
きっと里には帰れないだろう。
それだけのことをファブニルに言ったし、おそらく戦争を止められなければ僕は死ぬ。
だけど今さらどれだけ後悔してももう遅い。
僕は覚悟をもってベイカル伯爵の屋敷へと急いだ。
夜も更けているのに、伯爵家を訪ねた僕をベイカル伯爵は迎えてくれた。
人族として戻ったこと、なんの力がなくても役に立ちたいこと。
異種族と共に過ごした僕だからこそ伝えられることがあるのではないかと。
荒唐無稽だと言われてもおかしくない僕の話をベイカル伯爵は真剣な顔つきで聞いてくれた。
「では今から私と王都に向かいましょう」
「いいんですか? 僕の自分勝手な行動ですよ」
「急いで悪いことは一つもありません。それに私には約束があるのですよ」
「約束ですか?」
「えぇ、古くからの友人に弟が困っているときは力になってやって欲しいと。そして娘からも同じようにエトゥス様のことをお願いされてますしね」
ベイカル伯爵は優しく僕に微笑んだ。
マデウス兄上とテレシーヌの顔が頭をよぎる。
僕はいつもそうだ。知らないうちに様々な人から助けを貰っている。
深夜にベイカル領を出て休む間もなく馬車に揺られながら、ベイカル伯爵が自分の知る情報を僕に教えてくれた。
「では、まだ異種族にほとんど知らされていないのですか?」
「えぇ。帝国領付近に住まわれる兎人族、小鬼族、有翼族は幸いにして王家から出られた方がおりましたので極秘に退避の通達は行われています。現状で余計な混乱は起こすべきではないとの判断です。情報が広がりますと戦争を前に国が割れかねません」
「民の暴動が起きると?」
「まず間違いなく。帝国が出した期限は残り3カ月です。目を光らせてはいますが、そのうち帝国の情報員が拡散させるでしょうね」
兵力差以前に圧倒的に不利な状況なのだ。
共存をしているものの身近にはいない異種族は、国民からすれば実感の沸かない存在。
異種族が原因で戦争となれば、排斥の流れが一気に広がるだろう。
その機に乗じて王家に牙をむく貴族が出てくれば、戦争前に国が終わる可能性もある。
「兄上のお考えは聞いているのですか?」
「陛下は第一に帝国との同盟復活をお考えです。周辺同盟国にも協力要請はお願いしていますが、今のところ色よい返事は頂いておりません。もし宗教問題とされればこちらにつく国はないでしょう」
ここまで来ると異種族を切るのが最善だと思えるほどだ。
僕ですらその考えが浮かぶのだから、事情を知る貴族が裏で動き出しているかもしれない。
王都に到着した僕はベイカル伯爵の迅速な働きかけのお陰で、待つこともなく謁見の間に通されていた。
兄上が、国王陛下が席に着くのを頭を下げて待つと、「おもてをあげよ」と声がかかる。
「国王陛下におかれましては」
「挨拶はよい。ベイカル伯爵より話は聞いたが、そなたは此度の戦争を回避するために使者として帝国に向かいたいと申し出たそうだな」
「はい」
淡々と言葉を発する国王陛下は、厳しい顔つきで僕を見据えている。
「そなたが行って何かが変わると申すか?」
「決定的な何かを持つわけではありません。しかしながら異種族との共存の有用性を説いてまいります」
「無駄だな。そもそもそなたにはどんな肩書がある?」
「それは……」
僕は答えられなかった。
王室の血筋ではあるが王族を離れた身。さらに竜人族も離れた僕は異種族の一員でもなく、ただの一個人でしかない。
この謁見でさえもベイカル伯爵の力で取り計らってもらえたが、国王陛下に会うことなど本来なら出来ない存在だ。
「そなたが言うことは自己都合の妄想だ。そのような者を使者にする意味はない」
「しかし、国王陛下」
「国王である私の言葉に不服があるのか?」
後の無くなった僕はベイカル伯爵へ助けを求めるように視線を送ったが、彼は小さく首を振った。
確かに僕は思いだけで動いている。
それでも僕は抗うように真っすぐ前を向くと、国王陛下に意思を伝えるべく視線を合わせた。
それは国王陛下に向けていいものではない。
不敬罪として牢に入れられるかもしれない。
それでも僕は視線を逸らさなかった。
兄上の威圧的な目がほんの僅かに緩む。
「しばらくの間、他の者は部屋を出ろ」
「陛下?」
周りの重鎮たちは戸惑っていたが、国王陛下が手を払う素振りをみせると静かに退室していく。
「まったくお前は。いやその頑固さは王族の血筋か」
「兄上」
謁見の間で二人きりになると、兄上は国王としての仮面を脱ぎ去った。
「死ぬぞ」
「ここで何もしなかったら死んだも同然です」
「俺としては意味なく弟を死なせたくはないんだがな」
「異種族と暮らしてきた僕だからこそ伝えられることもあるでしょう?」
「あの皇帝は聞く耳をもたんさ。言葉での説得は不可能に近い。有益な見返りなしでは事態は好転せんよ」
「それでもこのまま戦争を起こすわけにはいかないでしょう?」
呆れ顔の兄上はため息を吐くと立ち上がった。
「当たり前だ。はっきり言ってもいい。戦争を前に王国は内乱に陥るだろう。すでに帝国と密会している貴族がいると情報が入っている。内乱で力を削がれた王国は帝国支配下に下る。おそらく周辺国の助けもないだろう」
「兄上はそれでも降伏はしないんでしょ?」
「少し前までは選択肢としてはあった。いや、せざるを得ない状況になることは覚悟していた」
兄上の言い回しを考えれば何か道の開ける変化があったということだ。
それが僕だと思いあがるつもりはない。
「少し前までとは?」
「昨日、一つの要求と助力の申し出があってな。現状を打破出来ると俺は踏んだ」
「要求ですか? 内容も知りたいですが、兄上はその人物は信用できると判断したわけですね?」
「あぁ、信用に足る人物だ。いや、実感させられたと言うべきか。お前も会って話をすれば納得するだろう。待たせてすまない。入ってもらって結構だ」
兄上が王族専用の通路に向かって呼びかけると、その人物が謁見の間に足を踏み入れた。




