王族としての務め
涙を拭いて歩く僕は、さっきの待合室とは別の部屋に案内される。
それは僕がこの城で18年間過ごした部屋だった。
「こちらでお待ちください」
そう言って男が出ていくと僕は部屋に一人残された。
懐かしみながら中を見渡し、思い出深い家具に手を触れる。
「何にも変わってないや」
掃除こそされているものの、18年前に僕が部屋を出た時のままだ。
机についている傷も、ほんの少しがたつく椅子も、本棚に並ぶ書籍さえも僕の帰りを待っていたかのように何も変わっていない。
まるでいつ僕が帰ってきても大丈夫なように、保存されてるようだ。
思い出に浸っていると、扉を叩く音がした。
「入るぞ」
言葉と同時に開かれた扉の向こうには、国王のみが纏うことのできる真っ赤な衣に身を包んだ兄上が立っていた。
「久しいなエトゥス」
「久しぶりです、マデウス兄上。いえ、国王陛下。挨拶が遅くなって申し訳ありません」
「ははは。ここは謁見の間ではない、弟として接してくれた方が俺も楽だ。しかしエトゥスは15年も経つというに若々しいな。秘訣でもあるのか?」
「ゆったりとした平和の中で暮らしているからですかね。忙しく働かれる兄上には申し訳ない気持ちですよ」
「その代わり未知の生活となる異種族との結婚は色々と大変だっただろ? エトゥスはエトゥスで立派に王族の務めを果たしているさ」
兄上も椅子に座ると王位についたことや、他の兄弟の話をしてくれる。
父上や母上も言っていたが異種族と結婚した兄上、姉上達も数年に1度は城に来ては愚痴をこぼして帰るらしい。
理想の夫を手に入れたはずのミルカ姉上でも例外ではないと。
夫となったルシアハムアさんには文句がないが、植物中心の食生活に不満があるらしく、大量の肉を食べて帰るそうだ。
「そういえばエトゥスの住む場所はベイカル伯爵領の近くだったな?」
「えぇ、そうですよ。ベイカル伯爵領から東に行った場所で、道もないような森の中ですが」
「ベイカル伯爵領からどのくらいかかるんだ?」
「蜥蜴人族と一緒なら半日くらいでしょうか」
竜人族の身体能力を説明せず、僕は曖昧に答えた。
実際には僕一人でベイカル伯爵領に行こうとすれば10日かけても到着しないだろう。
隠すつもりはないのだが、蜥蜴人族の姿でしか人の前に現れない掟があるくらいだ。軽々しく里のみんなの事を話してはいけない気がする。
そんな何気ない会話に兄上は言葉を止めて、何かを考えるような仕草を見せた。
「ふむ。そこまで近いとなると……話さないわけにもいかんな」
兄上は自分に言い聞かせるように呟くと、真剣な顔つきを見せた。
「エトゥス。婿入り先は蜥蜴人族だったな? 帰ったらすぐに東の地のさらに奥、人が出入り出来そうもない所まで一族ごと住処を変えるように進言してくれ」
「兄上?」
「簡単なことではないだろうが、それが蜥蜴人族にとって最良のことだと思ってくれ」
「兄上どうしたのですか?」
突然の兄上の申し出に僕は戸惑った。
流石に国王としてでもおかしなことを言っている。
何か特別な事情があるようにしか思えない。
「エトゥス。王都の様子をどう見た?」
「正直に言えば、活気がなくなったような。衛兵の姿をよく見かけましたし、軍の増強へ政治転換されたのかと」
「概ねあっている。厳密にいえば戦争の直前だ」
僕が思うままに感じたことを伝えると、兄上は淡々とあらましを僕に語った。
兄上が国王の座を引き継いだ頃、王国の北東に位置するガンザニル帝国でも皇帝が代替わりした。
ガンザニル帝国は大きな力をもつ国だが、王国とは同盟を結び友好的な関係を続けている。
互いに世代交代したこともあり北のフェリシア国で会談の場が設けられたが、その時に同盟は破棄され敵対されたそうだ。
「会談でなにがあったんですか?」
「ガンザニル皇帝が一つの要求をしてきた。アスタレイアに住む全ての亜人を滅ぼせと」
「——なっ!?」
「もともと帝国は人間至上主義の国だ。それ故に亜人がアスタレイアに移り住んだ歴史がある。それでも今までは帝国が口出すことはなかったが……」
会談を思い出したのか、兄上の顔に怒りが現れる。
「やつはこう言った。下賤な種族と繋がりのある者など信用出来ん。同盟を破棄されたくなければ全ての亜人の亡骸を帝国に届けよと! そんな馬鹿な要求飲めるはずがない」
あまりのことに僕の頭は混乱する。
兄上は自分を落ち着かせるように大きく息を吐きだした。
「すまん。少し感情的に話してしまったな。いいかエトゥス、東の土地は広大だ。簡単では無いだろうが、一族ごと更に奥地に移り住み危険から遠ざかってくれ」
「……兄上はどうなさるのですか?」
「何度も書状や使者を送ったが返事はない。説得は続けるが……最悪、戦争になる」
戦争。
もし帝国と王国が戦争になれば、王国は敗北するだろう。それほどに帝国は大勢の人の住む大国だ。
たくさんの人々が犠牲になる。
だけど僕は亜人を差し出せばいいとは言えない。言えるはずがない。
「すまんな、15年ぶりの帰郷にこんな話を聞かせてしまって。なぁに心配するな。600年の歴史を誇るアスタレイアを俺の代で滅ぼすような事はしない」
「……兄上」
「そろそろ時間だ。執務に戻らねばならん。エトゥス、元気で暮らせよ」
僕は何もいえないまま、最後に肩を抱きしめてくれた兄上を見送った。




