15年ぶりの帰郷へ
「だぁぁ!」
アルマに背中を押された僕は、頭から二回、三回と広場の草の上を転がる。
6歳になったアルマはやんちゃ盛りだ。
見た目は人族で言う2歳くらいなのだが、僕はそろそろ身を守る術を見つけなくてはならない。
すでにアルマの腕力は僕を越えているのではないだろうか?
可愛い娘と遊んでいるはずなのに、僕に体には生傷が増えていくばかりだ。
「こい、アルマ」
「まーまー、だぁぁ!」
ファブニルの呼びかけに右へ左へと体を揺らして駆けるアルマ。
胸に飛び込むアルマを受け止めたファブニルは、両手で娘を空高く放り投げた。
「きゃはは、うーあー!」
初めて見た時は驚き慌てたものだが、これは竜人族の子供のあやし方の一つらしい。
大人の身の丈の3倍ほどの高さに舞うご機嫌なアルマは、もはや僕の高い高いでは満足できなくなってしまっていた。
「エトゥス。いくか?」
僕が広場で座りながらファブニルとアルマを微笑ましく見ていると、後ろからジョルグが声をかけてきた。
「うん。そろそろ行こうか。ファブニル、行ってくるね」
「うむ。気を付けてな」
ファブニルの腕の中に戻ったアルマも僕の真似をして手を振っている。
僕は今から里を出て15年ぶりに帰郷する。
ジョルグにベイカル領まで送ってもらい、ベイカル伯爵と一緒に王都に顔を出す予定だ。
ベイカル領から王都までは馬車で4日。王都の滞在も合わせれば10日程の小旅行になる。
帰郷はヒュドの開魂の時からファブニルと話していたことだ。
父上ももう70歳に近い。
ベイカル伯爵に聞いたのだが、去年国王の座を長兄であるマデウス兄上に譲ったらしい。
気が付けば父上や母上が亡くなっていたなんてこともありえるのだ。会える時に会わなかった悲しみは、味わいたくない。
本当ならファブニルとアルマを連れていきたいところだが、国王が変わったばかりで邪魔をする可能性もある。
だから今回は僕一人で行って、孫の顔を見せる日取りを決めてくるつもりだ。
ジョルグには10日後に迎えに来てもらえるようにお願いし、僕はベイカル伯爵の元を訪れる。
テレシーヌが結婚してからも年に1、2度は訪れているため、入口の衛兵も僕の顔を見ただけで丁重に領主のもとへと案内してくれた。
執務室に入るとベイカル伯爵は顔をほころばせる。
「エトゥス様、お待ちしてました」
「ベイカル伯爵。今回は色々とすいませんね」
本当なら僕一人で王都に行くべきなのだが、15年も経てば簡単に父上や母上に会うことは出来ないだろう。
元第6王子の顔など誰も覚えてはいないのだから。
最初はベイカル伯爵の書状を持っていくつもりだったが、ベイカル伯爵が同行を買ってでてくれたのだ。
「伯爵も忙しいでしょうに、本当にいいんですか?」
「ははは、10日程領地を離れるくらい大丈夫です。私の息子もいますしね。そろそろ楽隠居に備えて任せませんと。私の息抜きに都合が良かったのですよ」
伯爵の子息が次期領主として補佐についてると聞いたことがある。世代交代を視野に入れているのだろう。
最近の伯爵は平穏な隠居生活を楽しみたいと口にしているが、優秀な彼を王国が放っておくことはないと思う。
現に彼の机の上は整理されており、書類が数枚きれいに並べられているだけだ。
大きな領土を治める領主は山のような書類に囲まれる常識を考えれば、いかに彼が物事を迅速に処理しているかが窺われる。
子息に譲るとしれたら兄上が役職を用意して待っていると思うのだが。
少しばかりの雑談の後、僕は王都に戻るための服を見繕われ豪華な食事を用意された。
寝るベッドは我が家のベッドとは比べようがなく、柔らかすぎて落ち着かなかったくらいだ。
いや、横にファブニルとアルマがいないからかもしれない。
翌朝、屋敷の前には豪華な馬車が用意されており、僕はベイカル伯爵と乗り込んだ。
馬車に揺られながら、王家の近況を聞いてみた。
「どうですか、兄上、いや国王陛下は大変そうですか?」
「即位されて1年ですからね。各国に顔を出したりと忙しくされてますが、エトゥス様にお会いできる事を楽しみにしてましたよ」
マデウス兄上は僕の15歳年上。
僕が生まれた時には兄上は帝王学を学ぶために忙しく、一緒に過ごす時間は少なかったが、誰にでも分け隔てなく優しい人だった。
きっと良い国王になると思っていたものだ。
「それはありがたいですね。でも15年ぶりですから、僕の顔なんて忘れているかもしれませんよ」
「大丈夫ですよ。それにエトゥス様は驚くほどお変わりがない。うちの女中達が何か秘訣があるのかと噂していましたよ」
「平穏な毎日が秘訣ですかね?」
「では私も早く隠居せねばいけませんな」
愉快そうに喉を鳴らして笑うベイカル伯爵は白髪の混じり始めた頭をかいた。
昔、ベルテに聞いた竜人の祝福。
自分ではあまり分かっていないが、その効果は外見にも現れているらしい。
僕はもう33歳になるが、見た目的には20代半ばだとか。
むしろ里で成長が見て取れるのがアルマだけなので、僕にとってはおかしな感覚だ。
ファブニルなんかは出会った時のままの姿だし。
「そういえばテレシーヌは元気ですか?」
「えぇ、元気にやっておりますよ。エトゥス様が王都に行かれると手紙を出したところ、絶対に会いに行くと言っておりましたが今は出産したばかり。公爵に怒られたと恨み言が書かれておりました」
「はははっ。きっとまた頬を膨らませてそうですね」
ベイカル伯爵とテレシーヌは頻繁に手紙のやり取りをしているらしく、僕が訪れる度に近況を教えてくれる。
すでに3人の息子と1人の娘がいるらしいが、さらにもう一人増えたようだ。
僕宛の手紙もいくつかベイカル伯爵からもらったが、多少の愚痴は書かれていたものの幸せを感じさせる内容だった。
「伯爵も数年に一度しか会っていないんでしたっけ?」
「えぇ、そう頻繁には会えませんからね」
「やはり会えば嬉しいものですか?」
僕の不安を察したのだろう、ベイカル伯爵は優しい笑みを浮かべてくれた。
「親とはどれだけ年をとっても子は可愛いものですよ。親になられたエトゥス様もご存じでは?」
「そうだけどね」
結婚してから15年も顔を出さなかった息子だ。
父上と母上は温かく迎えてくれるだろうか?
少しの不安を抱えたまま、馬車は王都に向けて進んでいくのだった。




