伝えきれてないよ
子が生まれると時間の流れが加速するとはいうが、アルマが生まれてからすでに3年が過ぎた。
最近では拙いながらも一人で歩くようになり、「とー」とか「まー」などの言葉を話し始めている。
日に日に我が子の成長が実感できるのは楽しいものだ。
あれからもアルマのことでたまに喧嘩はするが、ファブニルが引きずらない性格なのもあって、大抵すぐに元の生活に戻っている。
そろそろ二人目をなんて話もするが、アルマを生んで以降ファブニルに排卵期は訪れていないらしい。
ファブニルはもちろん、僕もまだまだ若いので焦る必要はないだろう。
その年の雨季が終わると、やけに里の雰囲気は沈んでいた。
いつもならようやく外に出れるとみんなの表情が明るいのに、僕がアルマと広場で遊んでいても住処から出てくる者は少ない。
もしかしたらまだ僕の知らない風習でもあるのかもしれないと、家に戻ってファブニルに聞いてみた。
「ねぇ、ファブニル。何かあった? みんな気分が落ち込んでるように見えるけど?」
「うむ……ヒュドがもうすぐ開魂する」
「かいこん?」
聞いたことがない言葉だった。
「あぁ、人族でいえば天に召されるといったものだ」
「そんな! 死ぬってこと? ヒュドは病気だったの?」
「病気ではない。ヒュドは自らの終わりをきめた」
「自分で決めたって……意味が分からないよ。僕は何も聞いていない。ちょっと話をしてくる」
確かにファブニルの叔父であるヒュドは住処から出てくることは少ない。
それでも僕に僕の祖先である奥さんを重ねているのか、よく気にかけてくれたし、アルマだって可愛がってくれている。
つい最近だってアルマと一緒に日向ぼっこをしていたんだ。
ヒュドに会おうと立ち上がったが、ファブニルは僕の肩を掴んで静かに首を横にふった。
「もうヒュドはこの里にはいない。眠りの地で開魂の時を待っている」
「僕はまだ何もしていない。感謝の言葉も、別れの言葉も伝えられていないんだ」
手を離さずに口を一文字にするファブニルの顔を見れば分かる。
竜人族の習わしであり、僕が口を出すことではないのだと。
そして感情のままに動けばまたファブニルを苦しめることも。
僕は力なくその場にへたり込んだ。
部屋に沈黙が訪れると、ぽつりぽつりとファブニルは話し始めた。
「竜人族の寿命は2000年だと言ったのを覚えているか?」
「うん。覚えているよ」
「確かに竜人族の寿命は2000年だ。だが、寿命を全うする者は少ない。そうなる前に自ら星に還る」
「星に?」
「うむ。それが竜人族の務めだからだ」
「どうして? 死ぬことが務めなんておかしいよ」
まるでどこかの国にあった人身御供が頭をよぎる。
務めだからと生きることを放棄するなんて、僕には理解できない。
ファブニルは少し困った顔をして、僕の横に腰を下ろした。
「竜人族は1500歳を超えると少しづつ自我をなくすと言われている。自我をなくせばただの獣だ。それも世界を滅ぼすほどのな」
「だから自ら命を絶つっていうの?」
「命を絶つのではない。ゆっくりと眠るように星と一体になる。我が父も、母もそうだった。我の成長を見守り、星に還っていった。我もまたアルマの成長を見守ったのちに星に還ることになるだろう」
「そんな……そんなのって」
ファブニルの両親が亡くなっていたことは知っていたが、その理由までは聞いたことがなかった。
でもそれならばファブニルの結婚やアルマの姿を見てからでも良かったはずだ。
それは遠い未来の話だし僕は間違いなく先に死んでいるけれども、ファブニルはアルマの子供や、そのまた子供と一緒に生きていくものだと思っていた。
「ヒュドには子がいなかったが、本来は我の成長を見て開魂するはずだった。生きていてくれたのはエトゥス。お前のお陰だ」
「……僕の?」
「うむ。我とエトゥスの婚姻は300年前から決まっていた。ヒュドは自分でなせなかったものを見たかったのだ」
ファブニルは答えを示すようにベッドで眠ってしまったアルマの頬に触れた。
竜人族と人族の子。
ヒュドと僕のご先祖様とが叶えられなかった夢がここにいる。
「……ヒュドの思いは叶ったのかな?」
「うむ。ヒュドはとても感謝していたぞ。自分の息子が出来たようだと。そして見たかったものが見れたと」
「もっと早く教えてくれれば。もっとたくさん話したいことがあったのに」
僕のご先祖様の事、ファブニルの事、アルマの事。
聞きたいことはいっぱいあった。
「うむ。ヒュドが言っていた。もし開魂を話せばエトゥスは止めるだろうと。可愛い息子に止められてはまた先延ばしにしてしまうと」
「止めただろうけど……それでもお別れくらいは言いたかったよ」
ファブニルは僕の頭を撫でて、寂しげに笑った。
「エトゥスの気持ちは十分にヒュドに伝わっていたぞ」
「僕は伝えきれてないよ」
僕はどこかでこの里にいる限り誰もいなくならないと感じていた。
でも当たり前のことだけど、変わらないものなどない。
今は今でしかないのだから。
僕はヒュドが望んでいた我が子を見て、頬を濡らすのだった。
僕が開魂を知った5日後。
いつも以上に星が輝く空の下、森を抜けた草原に竜人族が全員集まっていた。
「エトゥス」
「……うん」
草原の先の、多分ずっと遠くで光の渦が天に舞い上がり空に溶け込んでいく。
みんながその光を眺めていた。
僕の腕に中にいるアルマは光に手を伸ばす仕草をしながら「じー」と何度も呼びかける。
きっと本能的に別れを察知したんだろう。
やがて細くなった光が空に消えると、一人、また一人とその場を去っていく。
「さようなら、ヒュド」
最後に残った僕とファブニル。そしてアルマは光が消えたあともずっと空を見ていた。




