僕以外誰が言えるというのだろうか?
「あのさ、ファブニル」
「どうした?」
僕は一度言葉を止めて、続きを話すべきかを逡巡した。
それは妻とはいえ女性に指摘するものではない。
だが、僕以外誰が言えるというのだろうか?
僕は勇気を振り絞り言葉を発した。
「……ちょっと太った?」
「我がか?」
「う、うん。ファブニルが」
結婚して8年。
見た目のまったく変わらなかったファブニルが、ここ最近はなんというか脂肪が増えた。
特におなか回りが。
もちろん極端に容姿が変わったわけではないが、例えば、そう……あの誰もが羨む6つに割れた腹筋が肉に埋もれてしまっている。
別に僕は美しいままでいろとか、弛んでいるとか言いたいのではない。
少し太ったところでファブニルの美しさは変わらない。
ただちょっと心配なだけだ。
「うむ。確かにこの頃はよくお腹がすいているな。食事の量が増えたのかもしれん」
「最近のファブニルは喰うか寝てるかだもんね」
軽い冗談のつもりだったがファブニルに睨まれた。
「それは昔からだ。今までこんな事は無かったのだがな」
「そういえば竜人族のみんなは体型変わらないもんね」
彼らは不思議なことに喰っちゃ寝生活でも引き締まった体つきを保っている。
ファブニルの体の変化は何かの病気じゃないかと心配になるほどだ。
「うむ。そういえばベルテも我と同じように体型変化があった時期があった。一度聞いてみるか」
ベルテは里に住む女性で、ファブニルの600歳ほど年上らしい。だがそこは竜人族。見た目的には30歳で十分通用する。
銀髪の長い髪に白い肌と、ファブニルとは対照的な物凄い美人だ。
「あら族長。今日はどうしたの?」
「うむ。なにやら最近太ったとエトゥスに言われてな。以前ベルテもそうだったと思い出したのだ」
「あらあら」
優雅に笑うベルテは僕をチラリと見た。
「エトゥスも頑張っていたものね。おめでとう族長」
「おめでとう……か?」
その意味を一瞬考えて、僕は嬉しさのあまりファブニルに抱き着いた。
ファブニルはまだ理解していないが、これは歴史的な快挙だ。
つまり、ファブニルが妊娠した!
「ファブニル、妊娠だよ。子供が出来たんだよ」
「本当か!?」
今までに見たこともないくらいの驚きの顔を見せたファブニル。
新しい命を授かったことに、僕とファブニルは抱き合い、顔を見ては笑い、また抱き合う。
正直、人族と竜人族の間には子供が出来ないのではと不安になったりもした。
竜人族特有の3年に一度ある1か月ほどの排卵期には、毎晩励んだものだ。
「ファブニル!」
「うむ」
「やったよファブニル!」
「うむ!」
そのはしゃぎように何事かと里のみんなが集まってくると、理由を知り喜んでくれた。
ヒュドなんかは泣いていた。
それを見て僕も泣いた。ファブニルさえも泣いていた。
この時のために生まれてきたと思えるほど、全身が喜びに満ち溢れる。
夢じゃないかと頬をつねると確かな痛みが伝わってくる。
その日は夜になっても誰も眠らず、里は歓喜に包まれていた。
翌日からの僕は頻繁にベルテのもとを訪れて、事細かに竜人族の出産について聞いていた。
なにせ僕の知識は人族のもので、竜人族のことは何も分からない。僅かな情報も逃すわけにはいかなかった。
最初は「ほっといても生まれるわ」と言っていたベルテも、昔を思いだしながら話をしてくれる。
「族長の排卵期はいつだったの?」
「確か1年半ほど前だったと思う」
「そう。族長のお腹の出をみても生まれるまで半年もかからないと思うわ」
ベルテが言うには竜人族の妊娠期間は2年弱。
出産自体は人間と変わらないそうだ。
子が生まれれば母乳が出始め、しばらくは子の食事になる。
「成長もゆっくりなの?」
「竜人族の成長は早いわ。2年もすれば一人で歩くし、言葉を喋りだすのもこの頃からね」
僕が死ぬ頃にようやく喋りだす可能性も頭にあったので、良かったと本気で思う。
妊娠期間が長ければ、生まれるころには僕はお爺ちゃん、なんて未来も覚悟していたのだ。
ベルテ曰く、竜人族は20年で人間でいう10歳ぐらいまで急激に成長し、そこから緩やかに年を重ねる。
「ほら、グエンガルがいるでしょ? あの子が今40歳くらいのはずよ。エトゥスの血も入るのだから、成長はもう少し早いかもしれないけど」
グエンガルはこの里の最年少の男の子だ。
人間の見た目でいえば10歳くらいに見える。
ちなみに本当の最年少は断とつで僕であるが。
「それじゃ僕はあのくらいまで成長する姿は見られるわけだ」
不意にこぼれ出た言葉に、ベルテは少し驚いた表情をみせた。
「そうだったわね。エトゥスは人族だったなんてすっかり忘れていたわ。でも竜人の祝福を受けたのでしょ。もうちょっと長生き出来るわ。前族長の奥様も120歳まで生きたはずだし」
「竜人の祝福?」
初めて聞く言葉だった。
「えぇ。婚姻の儀で族長から受けたでしょ。あの儀式は結婚相手に自分の命をほんの少し分け与えるのよ。祝福を受けた人族は体が強くなって、病気にかからず長生きすると前族長に聞いたわよ」
僕の脳裏に婚姻の儀の接吻が思い出される。
そういえばここに来てから体調を悪くした記憶はない。
子作りの時の疲労感や怪我はあったが、傷の治りも早かった気がする。
「族長から聞いてない?」
「……うん。ファブニルは何も言ってなかった」
「あの子らしいわね」
とても不思議な気持ちだった。
ずっとファブニルに守られていたんだと思うと、愛おしさが込み上げてくる。
「ごめん、ベルテ。またくるね」
僕は居ても立ってもいられずに家へと駆けだした。
扉を開け、寝ているファブニルを上から抱きしめる。
「……どうした?」
「起こしちゃった? ごめんね。いや、あの、ありがとう。ファブニル」
「うむ」
ファブニルはそのまま目を閉じる。
僕はそのまま横に寝転ぶと温もりを感じつつ、そっとファブニルのお腹に触れるのだった。




