08 変わった未来
僕は仲間の中で一番木登りが得意だった。だから油断していたんだよ。それは認める。
あっ、と思ったときにはもう手が枝から離れていた。仲間たちの悲鳴が聞こえる中、僕は地面に落ちて、運悪く右の太ももに尖った石を刺してしまったんだ。
それは大事な神経を傷つけたらしい。医者は僕にもう歩けないだろうと言った。
母はヒステリックに叫んで医者や一緒に遊んでいた僕の仲間を責め立て、父は僕の体にハンデができたことで将来にどのような影響があるかを冷静に計算して、弟のダレンは自分がケガをしたかのように泣いてくれた。
──そして、僕は。
それまで活発に動きまわっていた僕は。
すべてがどうでもよくなってしまった。右足が動かなくなったことで世界に見捨てられたような気がした。
でも怒鳴っても泣いても時間はもどってこなかったから、やがてすべての感情を捨てることにした。
泣かない。怒らない。笑わない。傷つかない。
そうしているのが一番楽だった。僕は病院のベッドの上でぬけがらのように時間を過ごした。
そんなある日。
『彼』が、僕のもとに現れてこう言ったんだ。
「リハビリをしろ」
『彼』は僕と同じ金髪でアイスブルーの瞳をしていた。年は三十代前半くらい。
彼は僕のベッドの横に立って、おそろしく冷たい顔で僕に言いつのった。
「肝心なときに右足が動かなかったせいで私は大切なものを失った。いいか、エリック・レイベリー。よく聞け。未来を変えられるのはおまえしかいない。大切なものを守りたいなら、明日からリハビリをして右足を不自由なく動かせるようにしろ」
「……どうして?」
「目の前で妻が死んだんだ!」
個室の壁がびりびり震えるくらいの大声だった。
びくっとした僕の両肩を『彼』はつかんで揺さぶる。
「孤児院の子供が妻を刺したんだ。妻を私から奪うために。私はそれに気がついていたが、足が動かなかったせいで彼女を守ることができなかった!
リハビリをしろ、エリック・レイベリー! 右足を動かせ! おまえが変わればこのくそったれな現実も変わるんだ! いいな! 大切なものを守りたかったら──どんな痛みにも耐えてみせろ!」
僕は唾を飲みこむ。「妻……」
「そうだ。シェリル・サマドーア。こんな私を愛してくれた素晴らしい妻だ。私は命をかけて彼女を守らなければならない」
「シェリル……サマドーア……」
「忘れるな。彼女は歌が好きで、嘘をつくときは右手をにぎりしめるくせがあって、リクニスの花が好きで、そして────」
彼の姿が薄れていく。消えてしまう直前、彼は言った。
「そして、私の生涯の妻だ」
……変な夢だった。そう片づけるには、彼の存在はリアルで、つかまれた肩は明け方までじんじん痛かった。
正直、意味がわからなかったけど。
痛いことからも苦しいことからも逃げだしたかったけど。
ここで逃げたら、自分はなくしてはいけない大切なものを失う。そんな確信があった。だから。
まだ顔を知らない未来の妻のために、僕は、死に物狂いでリハビリをはじめたのだった。
「ほんとうによろしいのですね?」
亡くなった妻の幼馴染で親友。パティから『時戻りの魔女』の話を聞いた私は、ブランニュー地方の村に住んでいる彼女の大祖母に会いにいった。
代償を捧げて。自分の過去を変えて。
妻を失った現実を、変えるために。
「ええ。よろしくお願いします」
「では私の手をにぎって」
「……その前に。私はあなたになにを捧げれば?」
パルマという老女は欠けた歯を見せてにやりと笑う。
「それでは、あなたの表情をもらいましょうか。あなたがなにを感じ、なにを想っても他人にはけして伝わらない。まるで無表情の仮面をつけているよう。
あなたを過去へと送るかわりに、そんな代償を支払っていただきますよ」
彼は自らの過去を変えた。彼女が過去を変えようとする前に。
すべては最愛の妻を守るため。
彼女はいまもレイベリー邸の庭に立って空に左手をかざし、
──その薬指から、結婚指輪が外れる日を待ちわびている。
【終】
※リクニスの花言葉……『私の愛は不変』




