柄にもないこと
〜〜一年前。冬。演習場にて〜〜
白い大地に雪が舞う。身動きの取れぬ樹木は、枯れた皮膚に真っ白な化粧を施したようだった。足元の盛り上がりを蹴れば、湿り気のある雪を被った路傍の石ころが顔を出す。
吐き出した息は白い。それが寒さのせいなのか、それとも二本目の煙草の煙なのか。どちらの割合が多いのかは、学者ではない俺には判断できない。ただ分かるのは、立て続けに吸った煙草はそれほど美味しくないということだけだ。
「やっちまったよ。マジでさ」
二本目の煙草を地面の雪へと投げ捨て、その痕跡を足で踏みつけ、なかったことにする。
「ポイ捨てとかマジ最低。三百回ぐらい死んだ方がいいよ」
「チッ」
俺は自分より低い目線にいる相棒へ悪態を吐く。
仕方なしに、今しがた踏みつけた跡を手で掘り返し、雪の塊を掌に乗せて指でほじくり返す。指先に引っかかったそれは、頭を黒く焦がした吸い殻だった。誰が見ても、役目を終えた成れの果てだ。
「いいだろたまにはさ。悪いことしちゃってもよ」
煙草の吸い殻を携帯灰皿に押し込み、俺は小銃を持ち直して相棒の横へ降りる。
「柄にもないこと言うね。何だかんだ、口だけなんだもん」
「悪いことはしないに限る。俺が口だけの人間で良かったぜ。なぁ、由紀?」
隣に立つ相棒の由紀に同意を求める。
由紀の姿は、普段の迷彩服とは違っていた。口元まで白い布で覆い、ケブラー製のヘルメットに装着されたセンサーコードを避けるように、白布で偽装されている。着ている防寒外被は、冬山に溶け込むような暗い茶色の迷彩柄だ。もちろん、俺の服装も似たようなものだった。
「歩哨をサボったら南野班長に怒られるからね〜。あの人、意外と寒さに弱いからこの訓練中ずっとイライラしてるんだよね」
「うん、雪見るだけでタケさんイライラするもん。カルシウム足りてないんじゃないかな?」
「あはは! それ聞かれたら殺されるね!」
この場にいない人間の話題で笑い合いながら、俺と由紀は警戒のために掘られた歩哨壕の中に立っていた。
陸上自衛隊の中でも、実戦的であり、なおかつ過酷な訓練の一つだ。レーザー照射装置を用いた、実弾を使わない実戦訓練である。不幸なことに、俺たちの部隊がこの訓練に参加する時は、決まって真冬の雪が降り積もる中で行われることが多い。マイナスの気温が当たり前となる富士山の麓での訓練は、本当に死を覚悟するほど過酷だった。
「んで、ハジメは何をイライラしてんだっけ?」
由紀は不機嫌な理由を知っていながらそんな質問をする。防寒マフラーに遮られて口元は見えないが、乾いた笑いが白い息と共に漏れているのが俺には分かる。
「お前、分かってるくせによぉ?」
愉悦の滲んだ由紀の声に、俺は怒りを通り越して自分の情けなさを再認識していた。分厚い防寒手袋越しに足元を指差し、俺は大きく失意の息を吐き出す。
「防寒靴忘れて、普通の戦闘靴で来ちゃった……」
由紀の足元には、白い毛で覆われた大きな防寒靴があった。雪景色に溶け込む色合いだ。それに対して俺の足元は、暗い気持ちを映すかのような真っ黒な戦闘ブーツ。白地の中で黒だけが浮き、震えているように見えた。
「寒い……クソ。凍傷になったら労災申請してやる……」
誰に向けるでもなく吐いた悪態を、由紀は楽しそうに聞いていた。
―――――
カーテンを開くと、そこには人の顔があった。
突然の出来事に思考が止まり、背筋に冷や汗が走る。
「おはようございます。お客様、遅いお目覚めですね」
「ふぇっ!? あ、宿の人か」
呆然とする俺をよそに、宿の従業員らしい男は、モップで外壁を掃除していた。身体はほとんど宙に浮き、足先がわずかに壁に触れているだけだ。命綱らしきものも身につけておらず、汚れ防止の作業着を着ているだけだった。
「心臓に悪いって。すげぇビックリしたぞ」
冷静さを取り戻した俺は胸に手を当て、呼吸を整えながら外の男を見る。俺のことなど気にも留めず、口笛を吹きながら壁を磨いていた。その動作は、毎日の習慣であるかのように淀みがない。
「お客様。朝食の準備は終わっています。お仲間の方々も食事中かと」
言われて鼻を利かせると、確かにどこからともなく良い匂いが漂ってくる。楽しげな話し声も聞こえてきた。
「ありがとう。これ、チップとか置いといた方がいいのかな?」
従業員のサービス精神が旺盛な日本では馴染みがないが、海外では親切にしてくれた相手に小金を渡す習慣があると聞く。俺は海外に行ったことはないが、良好な関係を築くためには悪くない文化だと思っている。何より、俺自身がそういうことをやってみたかっただけだ。海外ドラマのワンシーンのように。
壁の掃除をする従業員は無言ではにかみ、こちらを見る。どうやら貰えるモノは貰う主義らしい。
「あ、やべ」
踵を返して荷物を探るが、すぐに気づく。
(俺の金。ルチアが管理してるんだった……)
この世界の貨幣価値を理解していない俺は、給料や支払いをすべてルチアに任せていた。物価も通貨も分からない環境では、それが最善策だったのだ。この世界に来てからほぼ毎日一緒に行動しているので気心も知れているし、信頼もある。ジェリコに任せなかったのは、あいつは遊ぶ金に使いそうだという逆の信頼があるからだ。
「あー、あ、うん。これで良いや」
当然、ルチアが持っているという事はお金は女子部屋にあるという事。女の花園に入り朝っぱらから変態呼ばわりされたくない。適当なものを取り出して窓の外の従業員に渡した。
「……? えっと、ありがとうございます?」
チップとなるモノを受け取り、怪訝な顔で礼を言う男に満足し、俺は部屋を出る。
(まぁ、撃ち終わった薬莢なんか貰っても礼に困るよな?)
元の世界では廃棄物でも、この世界では珍しい代物だ。金色だし、チップ代わりとしては及第点だろう。
「それよりも飯だ飯。早くしないとルチアに全部食われちまう!」
俺は階段を降りる足を早め、一気に食堂のある一階へと駆け下りた。食堂へ辿り着くと鼻腔を優しく包む仄かな香りが漂ってくる。
「あ、ハジメ! 遅かったね?」
食堂は賑わっていた。視線を巡らせると、端の方から声が聞こえてきた。そこでは仲間たちが談笑しながら食事をしていた。
「悪い。空は何故青いのか考えていたら遅れちまった」
「ちょっとなに言ってるか分かんないや」
他の食事中の人々を避けて席に着いた俺の言葉にルチアはそんな言葉を返す。言語は通じていても、言葉が通じないこともあるのだと俺は惚けた頭で理解した。
「ん、あれ? ジェリコは?」
席に着き、ルチアから渡された水を喉に流し込み一息つくと、普段ならば俺に軽口を言う男がいないことに気付く。
「ん、ジェリコは朝ごはんは食べないんだよ? なんか昔からそうらしいの」
ルチアは焼かれたパンにバターを塗りながら俺の疑問に答えた。一口齧るとサクッという音が鳴り、香ばしい匂いが吐息と共に俺の方へ流れてきた。
「おお〜、良い匂いだな」
「朝食はあっちから自由に取ってくる形式だよ。美味しいから行ってきな」
「バイキング形式か、ちょっと行ってくるよ!」
席を立ち近場にあったお盆を手に俺は向かった。
「何食うかな〜。ん? んん?」
テーブルの上には色とりどりの料理が並んでいた。適当に肉や野菜や魚のフライを皿に盛り付け、お目当てのパンを探しているところであるモノを見つけてしまった。
「こ、これはッ!?」
信じられない気持ちでそれを自分の皿に盛り付け、席に着く前につまみ食いをする。指先に伝わるネチャリとした粘り気。噛めば噛む程に甘みが湧き出てくる。この世界で、久しぶりに味わう懐かしい味だ。数日ぶりであっても、涙が出るほどに。
「ハジメ? どうしたの神妙な顔してさ?」
いつのまにか横にルチアが来ていた。お盆の皿には追加の料理が並んでおり、色取り取りの野菜にプラスして骨付き肉にカットされた果物と、朝食にしてはご機嫌な重さだ。
しかし、そんな事は感動の前には霞む。
「ルチア。まさかコレがあるなんてよ。この世界にあるってなんで教えてくれなかった?」
「はい?」
俺の低い声に戸惑うルチアは一歩後ずさる。
「米だ」
「こめ?」
鸚鵡返しに答えるルチアはコレがどれほど重要な件なのか理解していないようだった。
「米だよ米、この世界で初めてみたぞ! 完璧に日本のお米と同じじゃん! うわっ、え? 米農家さん転生してんのか?」
「……」
興奮し、まくし立てる俺からルチアは無言で離れていく。だが、逃がさないように腕を掴む。
「うわっ、ちょっと、今のハジメは少し怖い!」
「お前米だぞ!? パンじゃなくて米だぞ! 分かってる!?」
この世界に来てから、食事の主食はほとんど小麦のパンだった。もしくはオートミールだ。
もちろん、それらの食事は決して不味いということは無かったのだが、米食派の俺にとってはどこか不満が残る食事だったのだ。
「お米ぐらいどこにでもあるってば! 高いけど王都にもあるし、屋敷でも頼めばクラフおばあちゃんだしてくれるよ!?」
「なんだと! お前それ早く言えって……うぐぁッ?」
もはやルチアに掴み掛かる勢いでいる俺の後頭部を衝撃が襲う。まるで鈍器で殴られたかのような痛みに蹲って悶えるが、なんとか手に持つ料理は落とさないで済んだ。
「貴様、私の可愛いルチアに何をしている。脳天から食事ができるようにしてやろうか?」
後ろを見上げると、まるで悪鬼羅刹のように険しい顔をしたリーファが俺を睨み付けている。その眼光は気の弱い者ならば息の根が止まりかねないほどの威圧感だ。
「ちょっ、お姉ちゃん! やり過ぎじゃない……?」
「待ってろルチア。今日のメインディッシュはスケコマシの脳味噌だ」
「私はそんなの食べないよ!」
「ツッコミそれじゃねぇよ!」
テーブルの上にあった肉を切り分けるナイフを逆手に持ち、俺の頭に狙いを定める瞳は猛禽類が可愛く思えるほど肉食的だ。
「お〜〜。おっはよー。ハジメェは何遊んでんの〜?」
間延びした声が食卓に良く通る。ポテポテと可愛らしい足音を鳴らしつつ、俺の前を素通りしたのはファムだった。着ているものはパジャマで蔓を思わせる髪の毛は纏まりが無くボサボサ。半分以上脱げかけているスカートからは色気のカケラも無いハート柄のパンツが覗いていた。
「リーファちゃん、おはよ〜」
「おはようファム。今日も可愛いね」
俺に向けた殺気は何処へやら。リーファはファムに満面の笑みを向けて手を振り、見送る。その隙に俺は気配を殺し、そろりそろりと四つ足でその場を離れようとした。
「待て」
「ひゅい!?」
逃げる俺の背中をリーファが掴む。まるで鉤爪が如く掴むその指は抵抗や逃亡を一切許さないと理解できるほど力強い。
「見ただろ?」
「はいっ!? な、なにを……?」
どもる俺の言葉にリーファはニッコリと不釣り合い笑みを浮かべた。
「パンツ。ファムちゃんのパンツ。ハートさんだっただろう?」
「……!?」
サァッと身体中の血の気が引いていくのが分かる。今さっき何気なしに視界に入ってしまった色気の無い子供っぽい下着を脳裏に焼き直す。
「あれは……その……ほら、俺って射手だから視野が広くってさ……」
「問答無用ッ!」
「ゴハァっ!?」
言い訳をしようとした俺の頬にリーファの握り拳が突き刺さる。口内の歯が全て砕け散ったと思えるほどの一撃は、過去にタケさんの胴回し回転蹴りを食らったときと遜色無い威力であった。
「制裁完了ッ! さぁ、食事の続きをしよう」
「うん!」
ルチアは去り際に俺の方に向け、舌を出して目の下を指で引く。そしてクスクスと笑うと席に戻ってしまった。
「あっかんべー……じゃねぇよ」
俺は殴られた頬を手でさすり、歯を何度か鳴らして折れていないことを確認した。
(姉妹揃ってグーパンかよ……)
初対面で殴って来たルチアの姿を思い出す。義理だがこの姉にして妹有りと、あのときのルチアの握り拳の威力を反芻する。
「らしくないことはすべきじゃ無いな」
朝から柄にもないことをしたせいで、調子が狂ったのだろう。頬を抑えながら立ち上がり、山盛りに盛った白いご飯が乗るお盆を手に席へと向かった。




