零点
天から振り撒かれる陽光を背に受け、俺は視界の先にある丸い点を見る。伏せた姿勢の所為なのか、春の陽光は背中全体から太腿の裏までじっくりと暖める。油断すれば眠ってしまいそうな暖かさだが、ここで寝るわけにはいかない。
怠惰への誘惑を振り切り、意識を集中した目で見つめた的は距離にして約三百メートル。慣れてない者では草地に立つモノは何なのか分からないだろう。
丸い木の板に二重の円が描かれ、その中心は黒く塗り潰されている。立て看板のように草地の中でポツンと佇んでいる。その的めがけて弾丸が三発放たれる。曳光弾の光の道筋は僅かに木片を散らし、後に残ったのは黒丸の真ん中に開かれた三つの空洞。双眼鏡越しに覗くその小さな窓からは奥の景色が微かに見える。
「命中。ジェリコ取ってきてくれ」
「……あいよっと」
若干疲れた返事をし、気怠げな様子を見せながらもジェリコはそばに繋いでおいた馬に乗り軽く拍子を取ると、俺が先ほど撃った的に向け馬を走らせる。馬は無駄な体力を使う気も無さそうな足取りで走っていく。
「ハジメ〜。私にもそれ見せてよ〜」
のどかな春風にも勝るとも劣らないのんびりとした声が俺のすぐ後ろから聞こえる。
健やかな風に桃色の髪をたなびかせ、欠伸混じりに潤んだ目を俺へ向ける。我慢しきれなかったのか、ルチアは大きく口を開いたまま、何の遠慮もなく欠伸を曝け出した。
「デカい欠伸だな? 恥ずかしく無いのか?」
「別にー、ハジメだしいいかなってさ?」
また大きく欠伸をし、乙女の恥じらいを微塵も感じさせない。男として信頼されているのか、男として見られてないのかは俺が知る由は無いのだが。
「ほらよ。こっちの小さい方に目を当てるんだぞ?」
ルチアに双眼鏡を手渡し、指で目を当てる場所を指示する。以前、イオンに双眼鏡を渡した時は逆側から覗いていたので今回は予め注意を促した。見た目はともかく中身はしっかりとした大人のイオンですら初見で正しく使えなかったのだ。現代人ならば見れば分かる代物であっても異世界ではきちんと丁寧に説明する必要がある。
「こう? うわっ! すっごく見えるね!」
双眼鏡を受け取ったルチアは縦に持ち、そのまま縦に構え片目で覗き込みもう片方の覗き口は柔らかいほっぺに当てていた。
「その使い方は予想外だわ。いや、いいんだけどさ?」
本来の使い方ではないが、遠くを見るという意味では間違っていない。
「わぉ、馬のお尻がくっきり見える!」
「どこ見てんだよっ!」
予想外の使い方に足してさらに予想外の言葉が飛び出てきて思わずツッコミを入れる。
俺の言葉を聞いてるのか聞いてないのかルチアは双眼鏡を単眼で使い、辺りをしきりに見回しては笑みをこぼしていた。まるで玩具を与えられた子供のようだ。
「上向けるなよ? 太陽は見ちゃ駄目だからな?」
「うえ?」
初めて聞いた言葉のように声を高く上擦らせ、そのままルチアは上を向いた。あまりにも自然な動きに俺は静止の言葉を出すことすら出来なかった。
「あっふァ!? 目がっ!! 目がァァっ!?」
「ちょっとルチア!?」
上を見た瞬間、ルチアは叫ぶように声を出し手に持つ双眼鏡を地面に落とし、続いて自分も地面に倒れる。右目を押さえ、転げ回り悶絶する。
「太陽見ちゃダメって言ったよね? あれ、今言ったばかりだよね!?」
俺は慌てて立ち上がり、転げ回るルチアの身体をがっしりと掴んで止める。しかし尚も暴れ牛が如く動き回られ、万力を込めた手は振りほどかれる。俺が呆然とした面持ちで立っていると少し落ち着いてきたのか動きがゆっくりになる。
「目が、目が眩しいよ……ひ、ヒーリング……」
弱々しい声で詠唱すると手には淡い光が集まり右目を覆う。すると徐々に痛みは引いてきたのかルチアはゆっくりと立ち上がり押さえていた手を離し瞬きを何度かする。
涙が溢れている目を俺が覗き込むと特に異常は見られなかった。左右共々綺麗であり、青みがかった瞳の中に浮かぶ瞳孔の黒は、深い夜の海を思わせ神秘的な雰囲気を俺に感じさせる。
「お前それアレだぞ? 良い子は真似しちゃいけませんって奴だぞ? 悪い子もダメだけど」
道具を正しく使わせる為の謳い文句をルチアに伝える。まさかこの言葉を右も左もわからない幼子ならまだしも、俺の中では一応大人として扱っているルチアに伝えなければならないとは思ってもいなかった。
「うぅ、まさかあんなに眩しいとは思わなかったよ」
「見りゃ分かるだろ。いや、見なくても分かるだろ?」
「ごめんなさい……」
流石に己の軽率な好奇心を反省したのか、ルチアは双眼鏡を拾い申し訳なさそうに目をうつむかせながら俺に返す。受け取る間際に俺は優しく肩を叩いて励ました。
「さて、ジェリコはどうかな?おっ、ちゃんとやってくれてるな?」
俺は気を取り直し、返してもらった双眼鏡を覗き込むとジェリコが木の板を脇に抱えて馬をこちらに走らせているところだった。そのまま緩やかに速度を保ち、俺の前まで馬を走らせるとゆっくりと止まって俺に木の板を差し出して来た。
「ふぃ〜疲れたぜ。ご注文の品だぜハジメちゃん!」
ジェリコは俺にモノを渡すと汗をかいてないのにさもそこに汗があるように額を拭う。あまりにわざとらしい動作に笑いそうになったが、ジェリコは至って真面目だった。
「……」
黙ってジェリコがとって来た木の板を見つめる。穴が三つ空いていて、三点を結ぶとちょうど良い三角形が作れる。
「どうだいハジメちゃん? ウェスタの銃の使い心地は?」
ジェリコの長い爪が俺の持つ小銃を指差す。
それは一見して特に変わった様子は無いが、デュラハンとの戦闘で折れた銃床部分が折り曲げ式の銃床では無く固定式の銃床になっていたのだ。
「やっぱり西野……じゃなくてウェスタの銃は細かい所が違うからな。あと照準規正がめちゃくちゃだ。あいつが射撃下手糞だった理由がわかったぜ」
俺は自分の物では無い小銃を指で触り、同じ形の筈なのにどこか感じる違和感に溜息を吐いた。
首無し騎士との激戦の後、俺達は無事に王都へ帰還した。
エレットとは組織のしがらみもあり帰路は行動を共にしなかったが、村での別れ際の際にどこか充実したような顔で俺を見送ってくれた。イオンは素顔を見せた後も結局いつも通りだった。あれは友愛であり、甘酸っぱさは俺の勘違いだったのだろう。
問題は一つ。俺の武器となる小銃が壊れてしまったことだ。銃床が折れ、肩付けが出来ず、正確な照準が取れなくなった。修理は考えたが、この世界には戦闘に耐える部品も手段も無い。
だが、解決策は二つあった。
一つはよく考えてみれば装甲車の中には弾薬と武器はまだ残っており、その中には西野が使用していた小銃があったのだ。王都に帰還し装甲車の中から探し出し、動作を確認すると問題無く動いた。これにより多少の違和感を排除すれば今まで通り戦える筈である。
もう一つは幻想調査隊の隊員。テッドの存在だ。
彼は最初の自己紹介でも言っていたのだが鍛治をしており、幻想調査隊の隊員に装備されてる武器や防具は殆どが彼が作ったものらしい。伝統的な武具は勿論のこと、革新的な発想で新たな武具を作るなど一部の界隈ではかなり名が売れてるらしい。
そんな彼が俺の持つ銃に興味を示すのは当然の事とも言えた。曰く、ウェスタの話から銃自体は何となく形を掴んでいたのだが実在するものが無く製作は難航していたという話だ。
俺が一縷の望みをかけて修理を頼むと、無骨な職人肌の大男はまるで悪戯小僧の無邪気な笑みを浮かべて引き受けてくれた。
後者は何やら含みがありそうな印象だったが、ひとまず前者があれば問題は無い。
そして、西野が使っていた銃の規正を俺に合わせるために、現在この場所を借りている。
広大な草原地帯の一角。短く刈り揃えられた土地に点々と存在する的。所々には深く掘られた壕があり人どころか馬、その気になれば俺が乗っていた装甲車すら隠せるほど深い。
目の前の光景だけではない。振り返り後ろを見るとそこには現代ではテレビの向こう側でしかお目にかかれないと思えるほど大きな屋敷がそこにはあった。それも豪邸という言葉だけで表して良いのか迷うほどの荘厳さだ。
ここは王都から数キロ西に位置する幻想調査隊本拠地。通称、西方領地
幻想調査隊隊長であるウェスタの私有地である。この馬鹿げていると思えるほどの広大な土地を俺は幻想調査隊の一隊員として使わせてもらえることになっていた。
「さて、行くとしようかね」
ここが、俺の零点だ。




