燃える理想
黴臭い臭気が空気を漂い、鼻の奥をツンと刺した。城の前に落ちていた木の枝に布を巻いて火を付けただけの即席松明を片手に俺は蜘蛛の巣を払いのけながら前へと進む。
「蜘蛛の巣が掛かってるって事は冒険者はこっちに来てないって事だな」
「なら好都合だね。いちいち彼らに関わっていたら面倒だからね」
いつのまにか口元に白い布のマスクを着けているイオンが、除去しきれなかった蜘蛛の巣を避けながら答える。仮面の上から巻いているので効果はあるのかわからないが、本人は臭いを気にしている様子は無い。
「あー、防護マスク持ってくりゃ良かったよ」
化学兵器などから身を守る防護マスク。その性能は確かだが、間違っても黴臭いからと言って着ける用途では無い。
(今の東条隊長が聞いたら説教してくんだろうな)
頭の中で東条隊長が顔を真っ赤にして怒鳴りつけてくるのが容易に想像でき、俺はクスリと笑みをこぼした。案外、異世界も悪くはないのかもしれない。冗談も通じない頭の固い上司がいないという点では。
「ん? イオン。止まってくれ」
廊下の突き当たり、丁字路になっている場所の床で俺はなにかを見つけた。イオンに松明を持たせて俺は床にかがみ、ジッとソレを見た。元は高級な絨毯だったのだろうがその面影は既に無く、真紅に染められていた生地は色褪せ黒く乾いた血の色にも見える。手で叩けば舞うほど埃が溜まり、放置され続けた年月が伺える。
埃まみれの絨毯の中に一つの足跡が付いていた。大きさから見て人間、それも女性と思われる。
俺はその足跡を指でなぞり、指先に付いた埃を揉み潰した。
「足跡はこっち側に来てない。このまま奥に向かったみたいだな」
「だね。どうするんだい?」
そんなの、決まっている。俺はそう言わんとばかりに一度だけ肩を揺らし足跡が向かっている方向へと歩き出す。
「やれやれ、君は本当に面倒ごとに好かれているね」
文句を言いつつもイオンは俺の前に出て松明の灯りで廊下を照らし出してくれた。
しばらく歩いて行くと足跡は一つの部屋の前で途切れていた。外開きのドアで開いた痕跡として床の埃が半円状に取り除かれている。
イオンと顔を見合わせ互いに頷き、俺は小銃の安全装置が掛かっていない事を指で確認する。ドアノブに手を掛けゆっくりとドアを開く。木製のドアは軋む音をギリリと立てながら開き、床の半円状の跡をなぞる。
顔を半分だけ覗かせて室内を伺ってみると、まず最初に目に飛び込んだのは暖炉だった。海外ドラマを見るたびに金持ちの家には決まって暖炉があり、俺は将来暖炉がある家に住みたいと何度も思っていた。部屋の中の暖炉は、駐屯地の寮暮らしでは到底叶えられない理想、それをそのまま形にしたような代物だった。
作りは奥に暖炉、中央には長いテーブルがあり、壊れた家具が散乱している。その左右には、ふかふかそうだったソファーの残骸があり、中の綿が飛び出していた。そして周りの壁際には中に皿が入った棚や壊れた茶器が置いてあった。
「雰囲気から見るに、応接間みたいな感じか?」
構造的には王都で幻想調査隊の面々と顔合わせした部屋とそんなに変わりは無いのだが、荒れた室内と建物が放つおどろおどろしい雰囲気、何処と無く不快な臭いが立ち込める城内のせいで同じには思えなかった。
「誰かがいるかと思ったんだけど……誰もいないね?」
「うーん、足跡を見落としたかな?」
いくら部屋を見渡しても部屋の中に人がいる様子は無い。ドアの前にある足跡は俺とイオンと誰かの足跡だけだ。入ってきた足跡はあっても出た足跡は無い。嫌な黴臭さとは別のなにかと、沈黙だけが残っていた。
「なぁハジメくん。こんな話を知ってるかい? 昔々あるところに魔族のお姫様が……」
「お前それ怖い話だろ? どうせ悲恋のお姫様の幽霊が〜ってやつだろ?」
わざとらしく声のトーンを一段落としたイオンの声に間髪入れず俺は解答を言う。まさか直ぐに言われるとは思っていなかったのか、イオンは表情こそ見えないが少し不貞腐れている風にも見えた。
「なんだよつまらないな。話の腰を折るようでは女の子にモテないぞ?」
「悪いな、こちとら怖い話は事あるごとに聞かされまくってんだ。大体のオチも分かんだよ」
一年前の真夏の夜。
仲間内で順番に語られた、笑えないほど出来のいい怪談話の記憶が脳裏に浮かぶ。
俺の幽霊嫌いやホラーが苦手なのを治そうと荒療治として毎日のように怪談話を聞かされれば当然話の流れやオチもなんとなく想像できる。結果として、幽霊嫌いは治らなかったが話のネタとして怪談話は大量に俺の引き出しに入る事となっていた。
「ちょっと休憩するか」
「僕は別に平気だが?」
「いいからしようぜ?」
思えばここに来るまで歩き通しである。視界が悪い中での行動とは自分でも思っているより疲労が溜まるものなのだ。それが馴染みのない土地や建物ともなれば、尚更疲労は溜まりやすいし、ここに来るまでの間で一方的だったとはいえ、戦闘を行いさらに警戒しながらの探索も行なっている。
【休める時は休め。戦士には、休息が必要だ】
二十四時間三百六十五日。一時も休まず戦える人間なんてこの世にはいない。いたとしたらそれは規格外の化け物か馬鹿だけだ。
「丁度いいのもあるしな。俺こういう暖炉使ってみたかったんだよな!」
俺はまるで子供のように胸を弾ませ、高鳴る鼓動を胸に暖炉に近寄る。
凝った装飾は何をテーマにしているのかは分からないが、龍の装飾や甲冑を身につけた騎士の姿はどこの世界でも男心をくすぐるものだ。
すでに薪が大量にくべられていてあとは火を点ければいいだけとなっていた。
「そんなに一気に燃やすのかい?」
薪の一つを手に取りいじくる。乾燥しきった薪は俺が力を入れると容易く折れてしまうほど脆くなっていた。
「平気平気! 念願の暖炉なんだ、ちまちま燃えるのは見栄えが良くないさ」
俺は言いながらリュックの中からマッチを取り出し火を点け薪に投げ捨てる。
マッチの小さな火は薪へと移り、ゆっくりと紅を増やしていった。俺はそんな火の行く末を満足そうに見守っていた。
「そんな小さな火よりこっちの方がいいだろう?」
ゆっくりと燃える薪にイオンの松明が差し込まれる。すると火の勢いは新たな種火が加わったことにより増し、紅の範囲が広がっていく。
「待て待て!? あぁ、そんなんやったら情緒が無えんだよ! も〜、男心も童心も分かって無いんだから!」
煌々と燃える暖炉の前でイオンはちょこんと床に座り、俺の方を悪びれもしない態度で見上げる。
「ちまちま燃えるのは見栄えが良くないんじゃ無かったのかい?」
「ゆっくりと大火になってく過程が大切なんだよ! 分かる!?」
「いや、全然分からんのよ」
「ぐぬぬ……価値観の違いよ」
しれっとした様子で暖炉の火を調節するイオンから火掻き棒を取り上げ、薪を掻きわける。
爆ぜる火の粉が俺の顔に掛かり、思わず仰け反ってしまう。それを見たイオンが仮面の口の部分を押さえて笑みをこぼす。
「ふふ、何をやっているんだいハジメくん?」
「アチチ、にゃろうめッ!」
思わぬ失態を見られた恥ずかしさを誤魔化すために、俺は腕に力を込め力任せに火掻き棒を薪に突き刺した。
「痛いッッ!?」
「「はっ?」」
不意に聞こえてきた女性の声に俺とイオンは同時に困惑の声を上げる。お互い見合ってから声が聞こえた方向を見る。
火の勢いが増した暖炉、熱風が俺の身体を熱し歩き続けて汗ばんでいた皮膚を乾かす。その熱源である暖炉の中から声が聞こえてきたのだ。
(まさかね?)
聞こえてきた声がどこか聞き覚えのある声であることに一抹の不安をよぎる。
(ま、まさか……だよな?)
俺はその不安を振り払うように、もう一度火掻き棒の先端を火の中へと軽く差し込んだ。
「ちょ、ちょっと! 痛いですってばッ!?」
入れた瞬間、燃え盛る火の中から一人の人間が飛び出してきた。ゴロゴロと転がり俺とイオンの間を抜けると壊れたソファーにもたれかかるように立ち上がる。
黒を基調とした修道服に身を包み、煤と灰にまみれた布で口元を覆い、手には汚れた白手袋をはめている。その人間は、いや、彼女は頭を左右に小刻みに振ると金髪の髪の毛についていた灰を落とす。最後に口元を覆っていた布を外すと俺を指さしてきた。
「は、ハジメさん!? 男の人が女性に棒を突き刺すなんて……だ、駄目ですよッ!」
「その言い方は誤解を招くからやめてくれ!?」
神官エレットは眉間に皺を寄せ、美しい顔を困惑の色に染めた。その反応の意味が俺は分からず戸惑っていると、横のイオンが肩を叩いてきた。
「彼女には、まだ通じてないよ?」
イオンは黒いコートの首元から蒼い宝石を取り出し、左右に軽く揺らした。
「そうか、そうだったな」
言われてみれば彼女は幻想調査隊ではなく教会の人間だ。ウェスタの魔力が込められている宝石を持っていないので俺の言葉は通じない。ルチアやイオンと話すのとは訳が違うのだ。
俺はうっかりしていた自分の頭を軽く叩き、それから――何はともあれ、目的の人物が生きていたことに安堵した。




