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アイテム士ジッパの不思議なダンジョン  作者: 織星伊吹
◆第六章 戦火を交えて

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第45話

【封印のダンジョン B5F】



 未だモンスターに遭遇もせず、何らかの“ダンジョン特性”を発見できたわけでもない。

 ジッパを先頭に立たせ、トラップなど仕掛けが無いか、慎重に確認しながら『心許ない爪元』は静かに歩みを進めていた。


「どうだ? 何か違和感は無いのか?」とカイネル。

「……いや――何も……」


 ジッパがそう返事をした瞬間だった――突然自分の耳に何の情報も届かなくなる。カイネルの口元が上下するが、その音を判別する術をジッパは失ってしまったのだ。


(聴覚を封印された……?)


 瞬時に【封印のダンジョン】の“ダンジョン特性”を連想したジッパは、静寂と化した無音の世界で様々な思考を巡らせる。目の前のカイネルは焦点の定まらない瞳で何やら声を上げ、隣のコーラルは身体に異変を感じているのか、しきりに自分の身体を見回しながら、目を点にさせている。


 一方のクリムは特に異変を感じていないらしく、外套を纏った男に縛り上げられたまま不服そうに顔をしかめ、その横でラーナを担いでいた男も消失した視力に驚き、ラーナを手放し、仲間たちに何かを訴えかけているようだった。


(……ここしか無い。行くなら、今だ)


 ジッパは、あらかた緩めていた手首の縄から完全に抜け出し、コーラルの手を引いた。やがて自分の胸に寄せると、彼女の両耳を塞ぎ、声を大きく張り上げた。


「――クリム、アレいくよッ!!」


 青年がそう叫び、自らの歯を打ち鳴らす――ジッパの奥歯に仕込まれた《金切り蟲の羽音打石》がその効果を発動させた瞬間であった。


 ジッパの口内を発生源とし、立っていられなくなるほど不快な音が辺り一面襲う。


「うぅ……ッ……な、なにこれぇ……」


 耳を塞がれているコーラルでさえ、眼を閉じて顔を歪めることしかできない。


 周囲も同様の反応をしており、心の準備の出来ていなかった『心許ない爪元』に関しては相当の苦痛を与えることに成功しているようだ。


 ジッパはその一瞬を見逃さなかった。押収された《異界への鞄》を取り返し、ラーナを連れて飛んでくるクリムを確認すると、鞄から取りだした《ゆめかまぼろしの珠》を地面に投げつける――珠は地面で破裂すると、辺り一面に靄を発生させた。


「走るよ!!」と、ジッパの声が辺りに反響し――やがて靄は消え去ったが、既に彼らは姿を消していた。


 逃げ込んだ廊下に腰を据え、各々の縛られている縄をジッパはダガーで切って回る。


「ふう、何とか……逃げられたみたいだね、……あの珠も結構苦労して手に入れた物だったんだけどね。あそこで使われてきっと本望だよ、きっと。因みにあの珠の効力は――」


 息を切らしながら壁にもたれ掛かったジッパが、饒舌な口を開こうとするが、


「馬鹿者め、そんなこと聞いている場合では無いわ。まったく……先ほどの状況――我がいないと成立しない場面であったことは間違いない。さっさと崇めよ」


 クリムは小さな身体を反らして上を向いた。


「…………あー、ごめん。どうやら、今僕は耳が聞こえないみたいなんだ。クリムの言っていることはわからないけど、どうせ「さっきの場面の我は凄いんだ、褒めろー」とか何とか言ってるんでしょ?」と、クリムの腹を突きながらにジッパは言う。

「…………うそ、ジッパ耳が聞こえてないの?」


 驚愕した表情でコーラルが詰め寄る。声は聞こえなかったが、何となく彼女の言いたいことは表情からでも直ぐにわかった。


「……突然聞こえなくなったのはついさっきだけどね。コーラルも……きっと皮膚の触覚が無くなっているんでしょ? どうやらここの“ダンジョン特性”はランダムで五感を封印することみたいだね。いやあ、凄く厄介な特性だね、これは。ちなみに聞こえてる?」


「皮膚……だからわたしさっきから変な感じなの? なんだか自分の身体じゃないみたいなの」


 コーラルが思い詰めた表情で、自分の肌の感触を確かめるため指で突く。その弾力性のある柔肌を見ながら、ジッパが口を開く。「……コーラルってさ、本当にお姫様なの?」

「……あー、うん……そうだよ、い、一応……」とコーラルは声をおとしながらに言う。

「…………」


 場の沈黙を破るようにクリムが口を開く。「…………そんなことは今どうだっていいだろうが、そんなことより今をどうするかだろう。このちびだって寝たままだ。彼奴らから逃れたのはいいが、この後はどうするんだ」


「…………へ? 何か言った?」

「お主……いつにもなくムカつき度が増すな、その反応は」


 次の瞬間だった――ジッパの耳は周囲の音を再び取り戻し、各々の息づかいから、ダンジョン特有の禍々しい不思議な音まで蘇ってくる。


「あ――今耳治ったみたいだ。これは……今度は嗅覚がダメになったみたい。なるほどー、そうか。ランダムでありつつ一定時間で状態異常が変わるみたいだね、これは怖いな」

「あっ、ホントだ。わたしもみたい。んー、匂いがしないかな……ふんふん、ちょっと」

「わっ……なにして……」


 コーラルはジッパの服に自らの鼻を押し当てると、直ぐに身体を離した。

「……やっぱり匂いがしないよ。お鼻がダメになったみたい」

「……じ、自分の服で嗅げばよかったじゃん……なんで僕のを」

「……あ、ほんとだね。ジッパの匂いするかなーって思って嗅いでみたかったの」

「……僕の匂い……?」

「むふふ。しなかったけどね! 今度改めて嗅いでみたい!」


 コーラルはくすくすと笑うと、途端に表情を落としてジッパの腹部に目を向ける。


「ジッパ……だいじょぶ?」

「はは、平気だよ、こんなの。他のダンジョンで一度片腕無くしたことあるんだから」

「か、片腕っ!?」

「うん。油断してたらそこのダンジョンの主に噛みちぎられちゃってさー、あれは痛かったなあー、あはは」

「あははじゃないよ! えっ!? じゃあその腕どうしたの!?」

「これは《遡行液》ってアイテムを試しに腕に垂らしてみたらしっかり負傷前の腕に治ったよ。いやーあれは焦ったなー。流石に」

「……そ、そんなのもあるんだ……すごいね」


 コーラルは血の気が引いた顔でジッパを見下ろした。


「まあでも少し治療すべきだね。あまり身体に無理はさせない方が良いんだ。当たり前のことだけどね。少し自然治癒効力向上の草をすり潰すから待っていてよ」


《異界への鞄》へ手を入れ込むジッパの横で、ラーナがようやく目を覚ました。


「あ、ラーナ……起きたの」

「…………ん」


 目を擦りながら、ラーナは「…………匂いしない……なぜ」と寝起きに発言した。

 それから少し時間がたった頃――ジッパは切り出すことにした。


「……ラーナ。カイネルとなにかあったの?」

「…………なにもない。でもすべて……あのひとがわるい」

「それは……どうして?」


 聞いてはいけない一言だったかも知れない。人には踏み込んでは行けない領域というものがあることをジッパは理解していた。だが――それでも、無表情の彼女から、一筋の涙が流れたとき、青年はラーナの懐に入り込んででも、何かをしたいと心からに思った。


「……ラーナのなかまは……みんな……死んじゃった。あのひとたちにころされた。おとうさんも。おかあさんも。村のみんなも。そしてラーナは独りぼっちになった。……さびしいし、かなしい。だから、おなじ風にしてあげようと思ったよ。でも……なんか、できなかった…………どうしてかな」


 小首をかしげてラーナは上の空だった。

 酒場での出来事を思い出す。この『狼人』のハーフ娘は、きっと人間からも『獣人族』からも忌み嫌われるような存在だったのかも知れない。それも、たんに血が混じっているというだけで。ジッパはそれをとても悲しいことに思った。


「……ラーナは、ぼうけんかなんてきらい……大きらい。このしけんに来たのも、あのひとたちが何かを狙ってぼうけんかしけんを受けに来るっていうじょうほうを聞いたから。それで……ラーナは……まほうをべんきょうしてきて……それで、それで……」


「もういいよ、ラーナちゃんっ」


 コーラルは頬を伝う流線を自分の胸に押し当てて、ラーナをぎゅっと抱きしめた。


「…………ぐるしい」


 ラーナはコーラルの膨らんだ胸で涙を拭くと、すぐにうなりを上げた。


「……ラーナ、コーラルと僕は何があっても君の味方だから。今の君にこんなことを言うのはさじ違いかも知れないけど、僕にとって君は初めての仲間なんだ。そして――それはカイネルも一緒だ。君たち二人は……ほんの一時でも、ダンジョンを共にしたとても大切な仲間だ。だから……僕に少しだけ任せてみてくれないかな」


 ジッパはラーナの頭を撫でながら、心の中で一つの疑念が芽生え始めていた。

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