517.そしていつかまた……
「理由なんかないわ。手紙に書いてある通りよ。」
数日後、王宮のとある会議室に呼び出されたアリアンヌに、ライザリアは手にしていた書類から顔を上げもせずにそう告げた。
「無罪はともかく、貴族籍の復活は他の貴族たちも黙っていなかったはずです。魔人族がいつ攻めてくるかわからないこの時期に貴族との間に溝をつくるのはまずいのでは?」
「貴族といっても、当面は領地はなし、住居はパーソンズ領に置いてもらうことになるわ。」
「パーソンズ領?」
素っ頓狂な声をあげたのは、アリアンヌの後ろで、部屋に置かれたソファーでお茶を飲んでいたリリーサだった。
「そう。将来的にパーソンズ領に港ができたら、それに伴って町も増えるはず。そうなったら町領主をもう1人増やそうと思うの。で、それをアリアンヌにまかせようと思ってるわ。」
ライザリアに指で指示され、あきらめ顔でお茶を淹れるリルフィーナ。なにせこの部屋には自分たち以外人はいない。つまり、王女の侍女はいない。リリーサがライザリアのためにお茶を淹れるわけもなく……
「そんなのいつになるんですか?」
呆れた顔のリリーサ。
「3年から10年の間くらいかしら……」
「お婆さんになって死んでしまいますよ。」
「あの、リリーサさん、わたしまだ10代半ばなんですけど……」
「まぁそんなことはどうでもいいです。いいかげん状況が落ち着いたなら、わたしとリルフィーナは出発したいと思うんですけど。」
「そうよね。待たせてすまなかったわね。速やかに行動に移ってちょうだい。」
「大事なことです、聞いてください!わたし、まだ10代です!」
「無理だよお嬢、そもそもここには10代しかいないんだ。誰も聞いてないよ。」
「もう、プンプンです!」
頬を膨らませるアリアンヌ。それを見て、ちょっと微笑みを見せるユイ。アリアンヌからは以前のような張りつめた佇まいが少しずつだが減ってきて、年相応の子どもに見えるのがユイにはうれしかった。そして、それはユイにも言えることだった。
心の片隅に沈んでいた重い胸の内が、仇を討つことでいくらか軽くなっていることに自身も気づいていたわけで、それはアリアンヌも同様なのだろう。
それぞれが心にいろいろな想いを秘めつつも、エルリオーラ王国は暫しの平穏を送れそうだった。
いつまた魔人族が攻めてくるかもしれないという不安要素を残しながら……
対する魔人族も、すぐに人族への再攻勢というわけにはいかなかった。
なにせ問題が山積しすぎて、問題の山崩れで王宮が機能を失う寸前までの事態となってしまったのだから。
問題。魔王が死んでしまった……
とりあえずこれは魔人族にとって一大事だった。割とマジで……
なにせ脳筋の集まりにすぎない魔人族だ。リーダーがいないと、自分たちの進む進路すらわからない。
魔王死亡の報を受け、集まった有力な魔神たちがまず考えたのは、魔王の仇を討つことだったのだが、問題は前(今となっては)魔王が、飛行魔法を含む天空城に関する情報を割と内密にしていたため、誰に倒されたのかという肝心な情報すらわからないのが現状だった。
「人族の領地に向かっていたのではなかったのか!?」
「それがどの国だと聞いているのだ!」
話し合いはまともに進むわけがなかった。
なにせ、敵討ちが終われば次こそは自分が魔王に、という有力者たちの集まりだ。話し合いの内容よりもマウントとりに必死だったのだ。
生き残りの人魔もそれなりにいたのだから、事情を聴くことから始めるべきなのだろうが、他の魔神より上位に立てるように振る舞うことに忙しい魔神たちは、そこに思い至るまでにもうしばらくかかりそうだった。
そして、そうこうしている間に、すべての魔人族にとって驚天動地な出来事が起こったのだった。
暦の上ではまだ冬である。柔らかな朝日で輝く青空が広がる北の地は、その光陽とは裏腹に、その日の朝も寒さが大地を覆っていた。
エアという仮名を再度ガルバルに戻さねばならなければならなくなった1人の女性(それすらも偽名であるのだが)は、その朝日をベッド上で毛布に包まれながら忌々しそうに睨みつけていた。
魔王が死んだとか、人族と戦闘中だとかで何人もの魔神たちが魔王城内で連日騒いでいるという噂は北の地にも届いていたが、エアは一切無視した……いや、しようとした。
そんなある日、魔王城に1人の人魔が戻った時から風向きが変わった。
今は亡き魔王の従者である人魔の女性が、魔王城に戻った。それ自体は噂にも上らないほどの小さな事件であった。
それが王都や近辺の町まで巻き込んだ騒ぎになったのは、その人魔が城に戻るなり告げたのだ。
曰く……『魔王様はお亡くなりになりました!ですが、前魔王様は生きていらっしゃいます!』と……
「殺しておくんだった……」
「朝から物騒ですね、お姉様は。で、誰をヤればいいんですか?わたしがヤッておきますよ。」
自分が包まっている毛布から、なぜか顔を出している妹を冷えた目で見つめて、エアはため息をついた。
「なぜここにいる?」
「お姉様を起こしに来ただけです。ただ、あまりに寒かったので、つい……」
「わかった。起きる。」
「もう少しいいじゃありませんか。人肌は暖かいと言いますよ。」
「ジューリーが待っている。」
「なるほど。いなくなればいいんですよね。」
「わたしの立場が悪くなるからやめろ。」
こいつ、わかって言ってるんじゃないか、と疑いたくなる自分を押さえ、エアがベッドから出る。
「あぁ、お姉様、寒い……」
「表を走って来い。」
エアは甘えた顔つきのシャラルをベッドに残し、部屋を出た。
「おはようございます、魔王様。」
居間では、ソファーに腰かけることもなく、ソファーの横に立って待っていたジューリーが、入ってきたエアを見て頭を下げる。
「毎朝ご苦労だな。」
「いえ、魔王様が北のお屋敷から城に通うというのなら、送り迎えは当然です。」
半分の嫌味をそうとは受け取らず、ジューリーはうやうやしく礼をする。
領地の屋敷にエアが戻って数日後、数十人の魔神が押しかけて来た。無論、エアの生死の真偽を確かめるために。
その後、再度魔王に、という声をあげる魔神の閥と、いまさら戻らないというエアに賛同する魔神の閥との間で、数日間言い争いが起こった。王座を拒むエアを後押しするのが、今さらエアに戻られては困るというフィールド家と対立する家の者ばかりという、敵味方のあやふやな言い争いは、騒ぎに我慢できなくなったシャラルが敵味方問わず半殺しにしたため、場の雰囲気にやるせなくなったエアが折れるという予想外の展開を描いて終結した。
問題は、公務のために、王城に住居を移してほしい、と依頼された時にシャラルが一言。
「なら、わたしもついていきますね。」
先の騒ぎを知る者たちの、誰がその言葉に異議を唱えることができただろうか……
こうしてエアは、魔人族の平和のために実家から王都に通うこととなり、そのための空間移動魔法を使える魔神が、ジューリーとともに毎朝夕、エアを送り迎えすることになったのだ。
「わたしも空間移動はできるのだが……」
「2日目から道に迷ったとか言い出して、王宮に来なかったといったような暴挙がなければ、それも認められるのですが。」
「迷子だぞ。可哀想だろう。暴挙とはなんだ……」
「朝食の用意はお願いしてあります。顔くらい洗ってくださいね。」
グチるエアに作り笑顔で答えるジューリー。
「待ってください!なんですか、その新婚さんみたいなやりとりは!?それはわたしの役目です!」
バンッとドアを蹴破りそうな勢いでシャラルが飛び込んでくる。
「魔王様、妹君が怖いです。」
エアの背中に隠れるジューリー。
「なに調子乗ってますか!家ごと粉砕しますよ!!」
「家を壊すな……」
睨みあう2人に頭を抱えるエア。
わたしの威厳はどこに行ったんだろう……
ため息が漏れる……
とにかく、面倒事は適当にかたづけて、ヒメを探しに行かなくてはいけないのに……
天空城に使われていた飛行魔法は、大なり小なりにこの世界に問題を残していた。
使用する大量の魔力と発動した規模の大きい魔法陣の影響は、天空城の周囲での魔法の使用を困難にした。
それが墜落した現在でも、集められた魔力の大きさと墜落時の魔力の大規模拡散の影響で、一部の魔法の使用が一部の地域でできなくなっていた。
近距離の破壊魔法などはそうでもないのだが、天空城破壊の際に散らばった膨大な魔力が、遠距離に作用する魔法の発動の邪魔をしているようだというのが調査結果だった。
いい例が空間移動魔法で、エアはこの障害により登城初日から3日ほどの間、1度で王宮に通じる門を開く事ができずに、地方をさまようこととなり、面倒だからとそのまま登城しなかったためにお出迎えつきになってしまったわけなのだが……
そして今も、魔王城到着には移動魔法を何度か使わざるを得ない日が続いていた。
席の後ろでジューリーとシャラルが睨みあうのをよそに、エアはお茶を1口飲む。
面倒はいつまでも終わりそうもなかった。
「だから、ここはどこなのよ!!」
わたしは心の限り叫んだ。
気がついたら、目の前には見たことのない色をした海が、後ろには鬱蒼と生い茂った森が広がっていた。
周囲に人の気配はなく、まるで誰もいないかのよう……
そう、わたしたちは城が瓦解する寸前に空間移動の門を開いて脱出したのだ。ちなみに出口の詳しい設定はしていなかったのはちょーっとまずいかもしれなかった。よく海の上とか地面の中とかに出なかったものだ……
で、この見知らぬ土地に飛び出てしまったのだが、問題はここってどこ?この景色からしてまさか無人島!?
「森の向こうに家らしきものが見える。」
「遠くにあるの、あれって港よね。」
あぁ。ミヤとファリナ2人のおかげで気分が台無しだよ……無人島ごっこなんてそうそうできることじゃないのに……
「しかたないな。わあほんとうだ。だれもいない。」
「ほんと。これはたいへんだわ。」
付き合ってくれてありがと。でも棒読みはやめて……
やる気を根こそぎ奪われたわたしはガックリと砂の上に膝まづいた。
「で、まじめなところ、ここってどこなの?」
どっかの海岸線でしょ。エルリオーラ王国の。
「西方諸国のどこか。」
西方諸国かぁ……って、え?せいほーしょこくぅ!?どこよ、それ!?
「物も知らないにもほどがある。西方諸国というのは……」
それくらいは知ってるわよ。
わたしたちの住んでいた国エルリオーラ王国を含む、大陸の魔人族の領地を挟んで東側を東方諸国、西側を西方諸国と呼んでいる。間に魔人族の土地があるため双方でのつながりはあまりなく、なんとか一番北と南の国同士が貿易を行っている。そう、エルリオーラでは西方のどの国もあまりなじみはないんだ。
そうかぁ……西方諸国のどこかか……って、なんで!?わたし、こんなとこに来たことないもの、空間移動魔法の門が開くはずがないよ!
「あの城が地面に激突する寸前に、異常な暴走を起こしたように見えた。そこから後に起動した魔法は正確に発動しなかったのだろう。」
だからってこんなところに飛ばされるなんて……これからどうしよう……今なら魔法も正確に発動するかな?エルリオーラに帰れるかな?
「別にすぐに戻らなくてもいいんじゃないかしら。」
いや、ファリナ、それは……そうかも……
今戻っても、王宮じゃあの城のことで大騒ぎしているはずだし、魔王を逃がしたことをライザリアに知られたら、魔人族の王宮までとどめをさしに行ってこいと言われるかもしれない。まぁさすがにそこまでは言わないか……
「でも、今は事の大小はあれ、めんどうしか待ってないことは確かよね。」
あぁ……頭痛い……
「まぁおそらくだが、城が落ちた周囲はいまだに魔力が滞留していて魔法がうまく使えない可能性が大きい。門がうまく開けないかもということだな。だから、もし帰るなら、北か南のどちらかから山脈の外側を迂回して戻るのが確実だ。」
何日かかるんだよ、それ……
戻るのも面倒、戻ってからも面倒……か……
しばらくこっちで生活しようか……向こうの金貨が使えなくても、<ポケット>に入っている魔獣を売れば当面暮らせると思うんだ。
「ミヤは何度も言うが、ヒメ様とファリナがいるならどこで暮らしてもいい。」
「わたしもかまわないわ。ここんとこずっと3人だけになれなかったし、逆にいいかもしれない。」
まぁしばらく……そうだな、2,3か月くらいなら行方不明になっても問題ないよね。あの城だって完成まで2ヶ月はかかったみたいだし。
「じゃ、行きましょうか。まずは森の向こうに見える町ね。あちこち移動するなら行く先々で宿を探せばいいし、ここで暮らすなら家を借りた方がいいのかしらね、数ヶ月なら。」
「細かい話はご飯を食べながらでいい。ミヤは食事を要求する。」
そういえばお腹空いたな……
2人がわたしの腕にしがみつく。それを合図にわたしたちは歩き出す。
どこにいたってわたしたちも、わたしたちがやることも変わらない。
そう、これから、この知らない土地で新しい冒険が始まるんだ。
(東方諸国編 完)
いろいろ語り足りないこともありますが、本編はこれで終了です。第1部の……
いや、西方諸国編は、いつかはやりたいなと思っているだけで、今は何も頭に浮かんでいません。
でも、いつかどこかでヒメたちの物語は語りたいと思っています。
何一つわからないまま、勢いだけで初めて書いた小説でしたので、つたないところだらけです。そもそもこんなに長くなる予定ではありませんでした。
最後までお付き合いいただいた方々にはお礼の言葉以外ありません。ありがとうございました。
あ、近々新作始めます。しばらく、『なろう』へのログインはできないと思いますが、もし、気が付いてくれることがあったら、そちらのほうもよろしくお願いします。




