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503 天空城の死闘 -天翼-


 それは不意に訪れた。


 心臓が体から飛び出しそうなくらい激しく鼓動する。

 目の前が暗転して見えなくなり、目からは涙があふれ出る。

 体中から汗が噴き出す。

 そしてなによりも……体中をナイフで切り刻まれているのではないかという……あるいは、体中に焼かれた鉄の棒か何かを押し付けられているかのような……頭の先からつま先まで体全体に痛みが走る。

 「ガッ!ウグッ……ガァァ!!」

 体を走る痛みのあまり、体を海老ぞらせたり丸くしたりしながら床を転げまわるファリナ。


 「おい……大丈夫なんだろうな?」

 あまりのファリナの様子にエアが気色ばむ。

 「多分……としか言えない。」

 「いい加減だな!以前のデータではどうなっているんだ?被験者全員が同じような反応をおこしているのか?」

 数年前から中断している研究だとはいえ、それまでの積み重ねはあるはずだ。

 「わからない……としか言えない……」

 「おい!」

 ムッときてゴボルの襟首を引っ張ったところで、エアもゴボルの様子が少しおかしいことに気づく。

 「貴様……怒らないから言ってみろ。過去の被験者のデータはどうなっている?」

 「……ない……」

 「は?」

 「100に限りなく近い死亡率の実験に、被験希望がいると思うか?」

 「バカかーっ!?」

 エアの右ストレートがゴボルの顔面にヒットして、ゴボルがしりもちをつく。

 「被験者ゼロだとっ!?さっきまでの数字はなんだったんだ?」

 「理論的に推測される数値だ。計算上だがほぼ間違いはないはずだ。」

 腫れあがった頬を魔法で治しながらゴボルが立ち上がる。エアの勢いに負けて、殴られたことを怒っている余裕はなさそうだ。

 「そんな根拠のない推論で実験を行ったのか!?」

 「実験ではない。これは完成された理論の確証なのだよ。」

 「言いたいことは……」

 さらに大声を上げかけて、エアは大きくため息をついた。

 「これだから天人族は度し難いというんだ……言っておくが成功しても失敗しても、ヒメからは怒鳴られることだけは間違いないからな。」

 「え!?」

 いきなり飛び出たヒメの名前にゴボルの顔色が変わる。

 怒鳴られるだけで済めばいいけどな……目の前でのたうち回るファリナを見守るしかできることがないエアが心の中でそう思い、もう1度大きくため息をついた。



 観客は劇の内容や演出を好きに評論していればいい。この際、脚本及び演出担当も今となっては観客の1人となっていることはとりあえず保留にしておくとしてだが……

 だが、その3文芝居を演じることをいきなり押し付けられた役者は、身内を含めた内外からの非難も感想も気にしている余裕はなかった。


 いきなり体を激痛に襲われたファリナには、横にゴボルやエアがいることなどすでに知覚の外となっていた。つまり、他人の目など気にしてる余裕などなく、体を襲う痛みと呼吸ができない苦しみに、ただただ床を転がりまわること以外できなかった。

 ひたすらこぼれ出る涙、とめどなく流れるよだれ……体中の肌からは汗が吹き出し、着ていた衣服は川に落ちたかのようにビッショリと濡れていた。


 苦しい……痛い……わたし、このまま死ぬの……?


 頭が痛い。吐き気がする。内臓がお腹の中でダンスを踊っているような違和感がする。


 死にそう……なんで、こんな目に……


 苦しさから、すでに原因は頭から抜けていた。


 死ぬ……ヒメ……わたし、ここで……

 「グゥァッ!」

 無理やり叫んで意識を集中させる。


 そうだ……わたし……ヒメと……

 今にも散りじりになりそうな意識を必死にかき集めて自我を保とうとする。


 「会うんだ……絶対……もう1度……そして、一緒に生きるんだ!1人はイヤ!ガァッ……」

 仰向けになり、両手で胸を掻きむしりながらそう叫ぶ。が、体の痛みは想いを蹴散らし、ファリナは再度、床でもがき苦しみ始めた。



 「どういう状況なんだ?」

 「わからん。一瞬意識を取り戻したようにも見えたが……」

 言いたいことは山ほどあったが、エアは黙って心配そうな視線をファリナに戻した。


 だから天人族は……

 さっきから何度呟いたかすでにおぼえていない怨嗟の言葉を打ち消し、エアはふと急に思いついた考えに心をうばわれた。

「これがうまくいけば、ファリナは魔人族と天人族の力を使う事ができると言っていたな?」

 「微々たるものだが人族の力もだな。」

 文句を言われるかと思っていたのに、エアの口から発せられたのは質問だったため、ゴボルは拍子抜けしたように素直に答えた。

 「それはどの程度の力なんだ?ヒメのようになるのか?」

 「受け継ぐ力は与えた者に依存する。力のある天人族や魔人族の血を継げば、それに準ずる力を使えるようになるはずだ。」

 「なるほど。では、わたしとお前の血を与えられたファリナは、それなりの強さを持つ、ということになるわけだ。死ななければ。」

 「なるほど。言われてみればそうなる可能性が高いわけだな。死ななければ。」

 狙ったわけでもなく、たまたまこの場にいたのがゴボルとエアで、尚且つ協力してくれる可能性がある人物もこの2人だけだっただけなのだが。

 「魔人族最強クラスの一族の血と、天人族で1番頭が異端の一族の血か……先が思いやられるな。」

 「待て、エア!今、サラッと我が一族をバカにしなかったか?」

 言い返そうと思ったが、言い合いをするのも無駄に思えたので、エアは聞こえないふりを決めこむことにした。



 ファリナは絶え間なく襲ってくる体の異常、内臓まで吐き出しそうな嘔吐感や、どこが痛いのかもわからない体中を走る痛みに、前後不覚となっていた。

 一瞬取り戻した意識は再度どこかに消え、ひたすら苦しみの叫び声を荒げるしかなかった。

 自分がいま、正気なのか狂っているのかさえわからない。


 そんな中なのに、ずっと消えることなく意識の奥には1人の面影が常にあった。

 自分が誰なのかさえわからなくなる苦しみの中、その人物だけは明瞭に思い返す事ができた。


 苦しい……このまま死んじゃうのかな……ヒメ……やっぱりもう1度会いたいよ……


 ここまでと思った瞬間、死んでも捨てられない想いがファリナの心に宿る。


 違う……会うんだ!絶対に……ヒメに……


 心に生まれた思いは消えることはなく……


 死ねない!死にたくない!絶対に死ぬもんか!会うんだ!ヒメに会うんだ!だから……わたしに力をちょうだい!!


 強い想いは力になる……のだろうか……

 ファリナが床で体を丸くしながら痛みと戦っていたその時。


 ファリナは自分の体の中で何かがはじけたような気がした。同時に自分の目の前で。何かが虹色の光を放ちながら花火の様にはじけた。


 体に力が溢れてくる……ファリナはその力を確かに感じていた。だが、その力は大きすぎた。

このままでは力が溢れて体が破裂する……ファリナは力をどこかに逃がさねばならないと考え……力を体の外に放出した。



 「おい、これはなんだ?」

 エアの声の調子は質問というより詰問であったろう。ゴボルがそれに答えられなかったのは、エアの声が厳しかったからではなく、ゴボルも答えを持っていなかったからだ。


 床で体を丸めるようにしてもがき苦しんでいたファリナが、ゆっくりと背を伸ばしながら体をおこしていく。


 その背中には……1対の白い光の羽を大きく広げながら……



 「天使……の羽……?」


 この世界には万物を司る数多の女神が存在する……人族、魔人族、天人族を問わず信じている宗教観である。

 そして、その女神に付き従う従者、それが天使だった。


 目の前に映るものは、エアにはそうとしか思えなかった。


 「天翼の一族……」

 ゴボルの呟きに、訝し気にそちらに視線を走らせるエア。だが、ゴボルはさらに言葉を続ける気はないようで、エアに負けず劣らぬな厳しい顔で、ファリナを見つめていた。


 「なんかスッキリした。」

 そして当のファリナはそんな2人の様子をまったく意に介していないようだった。

 「そ、そうか……」

 さらに2人もボーッとファリナを見つめるだけだった。








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