表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第18章 フレッシュ大学将棋:2日目(2016年5月29日日曜)
88/496

87手目 バランス感覚

「おはようございまーす」

 早朝の編集部は、てんやわんやだった。

 電話対応にあたふたしているスタッフたち。

 それを尻目に、私たちは例の応接室へと向かった。

 ドアを開けると、西日本陣営が先に待っていた。

「遅かったな」

 藤堂とうどうさんそう言って、私たちをひとにらみした。

「30秒遅れただけじゃろう。カップラーメンも作れんぞい」

 土御門つちみかど先輩は、扇子で自分の顔をあおいだ。

 緊張感が走る。

 それを打ち消すように、索間さくまさんはパンと手をたたいた。

「それでは、本日のスケジュールを確認したいと思います。まず、午前中に第3局、昼食休憩を挟んで、午後に第4局と第5局。全体の感想を聞いて解散……ということで、よろしいでしょうか?」

 とくに異議は出なかった。

 索間さんは、昨日とおなじように、盤駒チェスクロを用意した。

 カメラマンさんが写真を2、3枚撮りなおして退室した。

 こちらからは大河内おおこうちくんが、西日本からは磯前いそざきさんがまえに出た。

「大河内くん、がんばってね」

 私の声援に、大河内くんはちらりとふりかえって、

「善処します」

 とだけ答えた。緊張はしてないみたい。それならいい。

「振り駒をお願いします」

 おたがいにゆずりあって、磯前さんが振った。

「歩が0枚、あたしの後手」

 盤面をもどして、磯前さんはひざのうえに手をおいた。

「準備はよろしいですか?」

 索間さんは、ちらりとふたりをみくらべた。ふたりとも首を縦にふった。

「では、対局開始ッ!」

「よろしくお願いします」

 磯前さんがチェスクロを押した。

 大河内くんは一回メガネをなおした。そして、7六歩と角道を開ける。

 3四歩、2六歩、8四歩、2五歩、8五歩、7八金、3二金。

 横歩っぽい。

 2四歩、同歩、同飛、8六歩、同歩、同飛、3四飛、3三角。

「3六飛」


挿絵(By みてみん)


「横歩になりましたね」

 私は土御門先輩に話しかけた。

 先輩は扇子で口もとをおおった。

「だいたい予想しておった展開じゃの」

「ふたりの得意戦法ってことですか?」

「昨日、大河内から最新の横歩について質問を受けたのじゃ」

 なるほど、事前に用意してきたわけか。

「とはいえ、わしも深くは答えておらん。大河内のほうも、ただの確認じゃった」

 ふむふむ、土御門先輩らしい。放任主義。

 いっぽう、磯前さんの手も速かった。

 8四飛、2六飛、2二銀、8七歩、5二玉、6八玉。


挿絵(By みてみん)


「6八玉型か……」

 磯前さんは、はじめて手をとめた。

 けど、それも10秒くらいの間だった。7二銀とすぐにあがった。

 流行形になっていく。

 大河内くんは4八銀とあがってから、7四歩に1六歩と突いた。

「この1六歩は攻めですか?」

 私の質問に、土御門先輩はうなずいた。

「2五桂と跳ねる順を狙っておるようじゃ」

 えぇ……あんまり見たことのない攻めだ。大丈夫かしら。

 7三桂、1七桂――ほんとに攻めるっぽい。

「2三歩」

 後手は手堅く受けた。

 見抜かれてる感じかしら。それとも、打たせるのが大河内くんの作戦かも。

「5九金」

「6二……いや、こっちのほうが安全か。4二玉」


挿絵(By みてみん)


 美濃模様だったにもかかわらず、磯前さんは逆サイドに囲った。

「6九玉」

 こっちもめずらしいひとマス引き。

 でも、この手は狙いがすぐにみえた。5六歩と突くつもりだ。

 6八玉のままだと、8八角成、同銀、3五角の王手飛車になってしまう。

 6四歩、9六歩、6五歩、5六歩。


挿絵(By みてみん)


「後手は盛り上がる作戦みたいですね」

「どちらも怖いかたちじゃ。角道も通っておる」

「先手は攻めの糸口がイマイチ……」

「5五歩〜5六飛じゃろう。中央を狙いたい」

 なるほど、中央が薄い。

 よくみると、後手のかたちもそんなに良くはないわね。2二は壁になってるし、中央はほとんどスカスカだ。

「6三銀」

 磯前さんは、中央に駒を集め始めた。

 大河内くんは、そのまま5五歩と進める。

 5二金、5六飛、2四歩。


挿絵(By みてみん)


 ここで大河内くんが反応した。じっと2筋を見つめている。

「なんか雰囲気的に攻めるっぽいですね」

裏見うらみなら、どうする?」

「パッと2五歩は思い浮かびましたけど……いいかどうかは……」

 土御門先輩は、扇子で頬をあおいだ。

「10秒将棋なら、ノータイムで2五歩と行きたい」

「放置で2四歩、同角、2五歩は、拠点を作られちゃいますよね。2五同歩しかなくて、同桂、4四角と逃げたとき、4六歩と角にプレッシャーをかける手があります」


【参考図】

挿絵(By みてみん)


「ふむふむ、これは後手の角が翻弄されておる」

「受けるとしたら、2三銀くらいかな、と」

 4五歩に2二角の逃げ道を用意した手だ。

 土御門先輩は首を縦にふりつつも、むずかしそうな顔をした。

「それでも4五歩、2二角、5四歩じゃろうなぁ」

「いったんは同歩と取り返しますよね?」

「8八角成は5三歩成、同金、8八銀の瞬間がつらすぎるからのぉ」

 5一角があるのよね、その順だと。

 5一角、同玉、5三飛成は即死。かと言って5二玉は7三角成だ。

 となると、5四歩には同歩と取るしかない。

「5四歩、同歩、2二角成、同金だと、どうですか?」


【参考図】

挿絵(By みてみん)


「この瞬間、先手にも後手にも手がありそうです。特に後手は2八角があります」

「ふむ……わしはそうならんような気がするが……」

 なんで? 曖昧に答えるの禁止。

 

 パシリ

 

 おっと、指した。


挿絵(By みてみん)


 予想どおりの2五歩だ。

「過激だなぁ」

 磯前さんは帽子のつばをうしろに回した。

 両腕をテーブルに乗せる。

 読んでなかったわけじゃないけど、本命とは思ってなかった反応かな。

 1分ほど読んで、けっきょく同歩とした。

 同桂、4四角、4六歩、2三銀、4五歩、2二角。

「5四歩」


挿絵(By みてみん)


 大河内くんは、力強く歩を突き出した。

「先手が押してる感じですか?」

「どうじゃろうか……伸びすぎな気もするが……」

 たしかに、先手はバランス感覚を問われる。

 角交換のあと、2八角がある以上は、攻め続けないといけない。

「5四同歩、2二角成、同金に継続手があるとすれば、2四歩とかですか?」

「その心は?」

「同銀なら5七角です」


【参考図】

挿絵(By みてみん)


「2四歩に3四銀とかわされたら、2三角と突っ込んで、同銀、同歩成、同金、2四歩ともういちど叩けます。これを同金なら5七角ですし……」

「3四銀、2三角は2五銀で、桂馬を取るのではないか?」

 ん……そうか。根元を取られると続かない。

「すみません、間違えました」

「いやいや、アイデアを出すのは大事じゃ。後手の飛車の位置が悪いのも事実」

 そうよね。5七角があるから、先手は攻めに困らない気がしてきた。

 もうすこし工夫すれば、なんとかなるんじゃないかしら。

「先輩なら、どう指しますか?」

「わしは2二同金に7七桂と跳ねてみたい」


【参考図】

挿絵(By みてみん)


「桂跳ねですか? ……狙いは?」

「裏見と同じじゃ。そのまま6五桂と捨てて、同桂に6六角と打つ」

 あ、そっか。これなら飛車金両取りだ。

「後手はどこかで飛車を引かないといけませんね」

「あるいは、3三歩と打つかじゃな。先手は3筋の歩が伸びておらん。後手から打っても損にはならんじゃろう。むしろ2五の桂馬が目標になってよい」

「3三歩に先手がなにを指すか、ですか」

「そういうことじゃな……ところで、昨晩はどこに行っておったんじゃ?」

 女子会だと、私は答えた。っていうか、昨日の時点で告げてあったんだけど。

「しかし、ホテルにもどったときは氷室ひむろと一緒だったじゃろ?」

 あッ……これはめんどくさいことになった予感。

「帰り道に、たまたま会ったんです」

「帰り道のぉ」

 土御門先輩は、扇子で口もとをおおい、意味深なまなざしをこちらに向けた。

 私は腰に手をあてて、先輩に詰め寄った。

「言っときますけど、氷室くんの監督は先輩たちの責任……」

「裏見さん、シーッ」

 索間さんに怒られた。許すまじ、土御門つちみかど公人きみひと

 私は声を落とす。

「とにかく、氷室くん、今もいないじゃないですか」

「氷室は変わっておるからな……っと、磯前が指すようじゃ」


 パシリ

 

 磯前さんは、5四同歩と取った。

 大河内くんはかるくうなずいて、2二角成とする。

 同金、7七桂(土御門先輩が正解)、3三歩(これも正解)、6六歩。


挿絵(By みてみん)


 ほぉ……これが大河内くんの答えですか。

 ちょっと、というか、かなり意外な手だ。王様の正面を突いている。

 磯前さんの手も止まった。

「ひねり出した手じゃな。磯前も長考するじゃろ」

 のこり時間は、先手が20分、後手が21分。

 磯前さんは椅子から立って、大きく背伸びをした。すぐに座りなおす。

 私は6六歩の意図を、土御門先輩にたずねてみた。

「同歩に6五歩が有力じゃろう。次に8六角と置かれる」


【参考図】

挿絵(By みてみん)


 なるほど、これは激痛。

「2八角は間に合いませんから……飛車をイジメる3四銀ですか?」

「……それくらいしかないか」

「あれ? 現局面から即座に3四銀と仮定しても、6五歩と伸ばされて困りません?」

 けっきょく8六角と置かれてしまうような。

「いやいや、今度は手順が異なる。3四銀、6五歩、2五銀としておけば、8六角のときに拾ったばかりの桂馬を5三に打てば受かるのじゃ。まあ、これはこれで2五の銀が浮いとるから、磯前がどう判断するかは分からんが」

 見た目とうらはらに、細かい局面のようだ。

 一手一手の順番が問われている。

「3四銀以外の応手って、ありますか?」

「3四銀は確定だと思うぞい」

「理由は?」

「先手からは、単に6五歩と伸ばすだけでなく、6五桂と跳ねる手もあるのじゃ。このとき、6五同桂、同歩のあと、9五角と打つ順があって困る」


【参考図】

挿絵(By みてみん)


「それで後手が困るのは分かりましたけど、3四銀との関連は?」

「6五桂、同桂、同歩、4五銀と出れば、先攻できる」

 ふーむ……となると、磯前さんの手は限定されているようだ。

 おそらく、6五歩と伸ばしてくるパターンと、6五桂と跳ねてくるパターンの、両方を読んでいるのだろう。時間を使わせるという意味で、6六歩は有効な手みたい。

「土御門先輩なら、どちらを選びますか?」

「考え中じゃ」

 先輩はそう言って、パチリと扇子を鳴らした。

 それとほぼ同時に、磯前さんは顔をあげた。

 対局中の重苦しい空気をはねのけるように、歯をみせて笑った。

「悩んでもしょうがないや。腹くくるぜ。3四銀」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
cont_access.php?citi_cont_id=891085658&size=88
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ