78手目 超5分前行動
後手から仕掛けた。
これはありかな、と思う。先手はまだ7八金と締まっていない。
「それでも俺のほうが速いね。同歩」
3二飛、2四歩、同歩、同飛。
「ここでジャパニーズ・ファッキン・ウェポン、手裏剣ッ! 3六歩ッ!」
ん? これは4五桂で無意味じゃない?
……あ、同銀と食いちぎって3七歩成だとマズいのか。
となると放置? 火村さん、一本取ったのでは?
「さあ、どうするの? あたしは4五桂でもいいんだけど?」
「ひとまずこれだよね。2一飛成」
火村さんは5二飛と逃げた。
桂馬に歩が当たっている状況は変わらない。
「1一龍」
少年は桂馬を放置して、香車を回収した。
「んー、3七歩成でもいいってことか……じゃあ、3七歩成」
「同銀」
「これでどうすんの? 4五銀」
中央に殺到できそう。次に5六歩が決まれば崩壊だ。
少年よ、どうする。
火村さんも優勢を確信しているのか、テーブルに寄りかかった。
「女だからって、ナメてたんじゃないでしょうね?」
「まさか」
「素で実力負け?」
少年はくすりと笑った。
「なにがおかしいの?」
「いや、だってさ……」
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! パシーン!
「これでほとんど俺の勝ちみたいなもんだよ」
え? なにこの角打ち?
銀当たりなのは分かる。けど、4四歩で完全に止まって……あれ?
……………………
……………………
…………………
………………
4四歩で止まってるけど、5六歩も止まってるってオチ?
「しまった、こんな空中角が……」
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「4四歩ッ!」
「7八金」
「ろく……いえ、こっちが先ね。5三飛」
これは大事な手だ。
飛車を浮いておかないと、4一角成、5三飛(5四飛は6三馬、同金、6一龍で後手の負け)、4二馬、5四飛(2三飛は2四歩で飛車が死ぬ)、4三馬と迫られて、後手がいきなり敗勢になる。
少年は、帽子をもちあげた。
「やるね。2四歩」
「6九角ッ!」
4六歩、5六歩、同歩――ここで火村さんの手がとまった。
選択肢は多い。有力なのは3六銀かしら。5四銀はちょっとないかなぁ。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
パシリ
ほほぉ、そうきましたか。遊び駒を活かす一手で、いかにもって感じ。
少年は4八銀と下がった。そこは4五歩じゃないのかしら。
この子の棋力、イマイチ分からない。
「か、角が思ったより狭いわね」
火村さんは歯ぎしりした。するどい犬歯がのぞく。
「切るかい?」
「今考えてるとこ」
7八角成は、いくらなんでも続かないのでは。
私は心配になった。こういうときの暴発は敗着になりやすい。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「2三飛ッ!」
ふわぁ、そっちを切りましたか。
飛車を突破させるのはムリと読んだらしい。
「なるほど……なんとなく読めたかな。同歩成」
火村さんは4六銀と進出した。
少年は6八金引。角を撤退させにかかった。
「前進あるのみッ! 3六角打ッ!」
むッ、これが飛車切りの狙いでしたか。
あるっちゃあるけど……うーん……どうだろ……とりあえず6九金はない。それは同角成と突っ込まれたあとがツラすぎる。ひょっとして、いい手だったかも。
ところが、少年はクスリと笑った。
「それ、『角が取れない』以外のメリットは薄いよね。3二飛」
「ぐッ……」
火村さんはくちびるを噛み締めた。
2枚飛車をまえにして、表情はかたい。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「5一歩」
一回受けた。
2二龍、5二歩、3一飛成、6四桂。
「それじゃ、こんどこそ死んでもらおうか。4七歩」
これは……切らざるをえない。
4七銀成、6九金、4八成銀は、7九金寄と固めながら回避できる。
「な、7八角成」
「同金」
4七銀不成、1一龍上、4八銀成、6一龍(切った)、同金、同龍、7一金。
「それも切るよ。同龍」
「え?」
火村さんは、一瞬眉をひそめた。けど、30秒しか考える時間がない。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「同銀ッ!」
少年は手のひらサイズの駒を持ち上げて、7二においた。
……あッ、ハマってる。私は、火村さんの持ち駒を確認して直感した。
同銀なら7一金と打つ。銀を守る適当な駒がない。金があれば8二金でまだがんばれるけど、8二飛は7二金、同飛、6一角と打たれて崩壊する。
「そ、そんな……穴熊が一瞬で……」
火村さんは悶えた。眉毛をぴくぴくさせる。
「投了する?」
「ま、まだまだぁ、7六桂ッ!」
同銀、6九角成、7一香成、7八馬、同玉。
「5八飛ッ! 王手ッ!」
「ハハハ、将棋は王手するゲームじゃないさ。6八桂」
終わった。8八金から送れなくはない。でも、そのあとが続かない。
8九の桂馬が仕事をし過ぎている。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「8八金」
「へぇ、ここまで指すんだ。そうとうな負けず嫌いとみた。同玉」
6八飛成、7八歩、8二銀、7二銀、7一銀、同銀不成。
火村さんは、悔しそうに盤面を見つめた。
8二香は7二角で必至。8二飛は攻め駒がなくなって終了。
先手玉は詰まない。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「負けました」
「ありがとうございました、っと」
少年は帽子をかぶりなおして、ポケットに手を突っ込んだ。
そして、すぐにその場を立ち去ろうとした。
「ちょっと、感想戦は?」
「感想戦をやるって約束はしてないよ。アイスをおごってもらおうか」
こうして、火村さんのO阪デビュー(?)は失敗。
冷凍ケースのなかで一番高いやつをおごらされて、幕引きになった。
一緒に食べようという誘いも断られてしまった。
「レディにおごらせるとか最悪」
いや、そういう約束だったでしょ。レディなら約束を守る。
私はチョコモナカを頬張った。冷たくて美味しい。
「火村さんはアイス買わなくてよかったの?」
「お腹空いてないから」
ほんとかなぁ。ダイエットしてるだけじゃないかしら。
もうすぐお昼なんだけど。
男子と待ち合わせたU田の駅前は、人通りが激しくなり始めていた。
「男子ふたりは、まだもどって来ないの?」
私に訊かれても困る――っと思ったところで、向こうに矢追くんたちがみえた。
「おーい、裏見さん、火村さん」
矢追くんたちは横断歩道を渡った。私たちと合流する。
「ごめんごめん、やっぱり観光名所だけあって混んでたよ」
「私たちも、さっき来たばかりだから」
「お昼はどこで……あれ? 火村さん、なんかキゲン悪そうだね?」
矢追くんは、火村さんにそう話しかけた。
「べつにぃ」
「その様子だと、将棋で負けたのかな?」
「な、なんで知ってるの?」
「え? 冗談で言ったつもりなんだけど? 将棋してたの?」
火村さん、自白してしまいました。
まあ、他人に言って問題のあることじゃないからOK。
むしろ熱心でよろしい。
矢追くんも照れ気味に、
「いやぁ、まいったな。女子が練習してたなんて、先輩たちに知られると」
と苦笑した。これには大河内くんが、
「息抜きも必要です」
と弁明した。
それから私たちは、軽くお昼ご飯を食べて、デイナビのビルへ移動した。
U田駅から歩ける距離だった。
雑居ビルの3階で、まずは受付。矢追くんが代表して声をかけた。
「すみません、3階のデイナビに用事があるんですけど」
アルバイトっぽいお姉さんは、用事の中身をたずねた。
矢追くんは、『将棋ワールド』の取材だと答えた。
「担当者のお名前は?」
「担当者……えーと……」
矢追くんは、大河内くんのほうをふりかえった。
「担当者って、だれ?」
「サクマさんだったと思います」
矢追くんは、その名前を受付のひとに伝えた。
「デイナビのサクマさまですね。しばらくお待ちください」
すこし待たされて、ようやくエレベーターのとびらが開いた。
なかから、スーツ姿のメガネの女性が出てきた。すごく若かった。
「すみませーん、まちがって地下駐車場に降りちゃいました」
記者の女性は、そう言って笑った。
だ、大丈夫ですか。社会人しっかり。
「はじめまして、索間と申します。東日本代表の方々ですよね?」
サクマさんは、私たちに名刺を配ってくれた。
佐久間かと思ったら漢字がちがっていた。
「あなた、新人?」
火村さん、なんという聞き方をするんですかッ!?
「あ、はい、14年度入社です」
ってことは、ストレートなら24歳か25歳ね。
「それでは、西日本代表のかたがたもお集まりなので、ご案内いたします」
……………………
……………………
…………………
………………え?
「集合は1時半ですよね?」
私は思わず尋ねてしまった。
「はい、ミーティングは1時半からです。みなさんお集まりです」
ちょっと待ったぁ! まだ1時なんですけどッ!? 超5分前行動ッ!?
「速水先輩と土御門先輩はいらしてますか?」
私の質問に、索間さんは「いいえ」と答えた。
あーのーふーたーりーッ! 許さんッ!
ほかのメンバーも困惑していた――火村さんをのぞいて。
「べつにこどもじゃあるまいし、あたしたちだけでよくない?」
「まあまあ、とりあえずお茶を出しますので、3階へどうぞ」
索間さんは、私たちをエレベーターに乗せた。ボタンを押す。
「それでは、うえにまいりまーす」
スーーーッ
ドアがひらいた。薄暗い空間に、何台もの自動車がならんでいた。
「アハハハ……こんどこそ、うえにまいりまーす」
場所:御堂筋
先手:謎の少年
後手:火村 カミーユ
戦型:先手左美濃vs後手ゴキゲン穴熊
▲7六歩 △3四歩 ▲2六歩 △5四歩 ▲2五歩 △5二飛
▲4八銀 △5五歩 ▲6八玉 △3三角 ▲3六歩 △4二銀
▲3七銀 △5三銀 ▲4六銀 △4四銀 ▲7八玉 △6二玉
▲5八金右 △7二玉 ▲6六歩 △8二玉 ▲6七金 △9二香
▲9六歩 △9一玉 ▲9七角 △8二銀 ▲8六歩 △3二飛
▲8五歩 △5二金左 ▲8八玉 △5一角 ▲3八飛 △6二金寄
▲7八銀 △1四歩 ▲8七銀 △1三桂 ▲3七桂 △4二角
▲同角成 △同 飛 ▲2八飛 △3五歩 ▲同 歩 △3二飛
▲2四歩 △同 歩 ▲同 飛 △3六歩 ▲2一飛成 △5二飛
▲1一龍 △3七歩成 ▲同 銀 △4五銀 ▲2三角 △4四歩
▲7八金 △5三飛 ▲2四歩 △6九角 ▲4六歩 △5六歩
▲同 歩 △2五桂 ▲4八銀 △2三飛 ▲同歩成 △4六銀
▲6八金引 △3六角打 ▲3二飛 △5一歩 ▲2二龍 △5二歩
▲3一飛成 △6四桂 ▲4七歩 △7八角成 ▲同 金 △4七銀不成
▲1一龍上 △4八銀成 ▲6一龍 △同 金 ▲同 龍 △7一金
▲同 龍 △同 銀 ▲7二香 △7六桂 ▲同 銀 △6九角成
▲7一香成 △7八馬 ▲同 玉 △5八飛 ▲6八桂 △8八金
▲同 玉 △6八飛成 ▲7八歩 △8二銀 ▲7二銀 △7一銀
▲同銀不成 △8二香 ▲7二角
まで111手で謎の少年の勝ち




