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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第16章 フレッシュ大学将棋:前日(2016年5月27日金曜)
76/496

75手目 圧倒

 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!


「8六歩ッ!」


挿絵(By みてみん)


 なけなしの歩を打って打開。

「ほほぉ、同歩、9五香、同香、9七角、6八玉、8六角成か」

 一瞬で見抜かれた。でも、見抜かれたということは悪手じゃない。

 悪手なら、もっとべつの反応をするはず。

「ひとまず同歩じゃ」

「9五香です」

「取らんぞ。9八歩」


挿絵(By みてみん)


 受けられてしまった――けど、大丈夫。8五歩の継ぎ歩がある。

「8五歩」

 土御門つちみかど先輩は6八玉とあがった。

 8六歩、8八歩、3六角。

「やや狭くなってしもうたな」

 先輩は、そう言って顔をあおいだ。

「とはいえ、後手は手があるまい。反撃じゃ。6一角」


挿絵(By みてみん)


 厳しい……こっちはうまい手がない。

 受け切られてしまった感。

「どうじゃ? 次の手があるか?」

 むむむ、ひねり出す。

 

 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!


「5五歩ッ!」

 角の展開に切り替える。

 5四角〜7五歩〜9八香成だ。

「盤全体をみる指し方、悪くないぞ。2二歩」

 同金、3七歩、5四角、2五飛、3二金、2二歩。

 あうあう、さすがに止められない。2筋は放棄する。

「5一金ッ!」


挿絵(By みてみん)


 角を退かせて右に逃げる。

「切るのはまだ早いのぉ。7二角成」

 私は7五歩と突いた。当初の狙いを実現してみせる。

「2一歩成」

「7六歩」

「こちらに跳ねられると、困るのではないか? 6五桂じゃ」

 それはさすがに読んである。女子準決勝進出をみくびらないでくださいな。

「8五桂です」

 跳ね違える――と同時に、扇子を閉じる音がした。

「それを待っておった。7六銀」


挿絵(By みてみん)


 ……え? 悪手では?

 7四飛で馬銀両取りに……あッ、7四飛、6二馬、同金、8五銀なら2枚換えだ。

 

 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!

 

「な、7四飛」

「6二馬」

 同金、8五銀――この局面で、私は飛車切りを決意した。

「7八飛成」


挿絵(By みてみん)


 一見、無謀に思える……けど、3四角が王手飛車なのよッ! 覚悟ッ!

「荒々しい手も好きじゃぞ。同玉」

「3四角ですッ!」

「おっと、うっかりしたわい。4五桂じゃ」

「2五角」

 私は意気揚々と、飛車を回収した。

 先輩はパチリと扇子を閉じて、私のほうに先端をむけた。

「とでも言うと思うたか、5三桂打」


挿絵(By みてみん)


 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………あ、無謀だった。

 同金は同桂左不成以下で詰み。

 4二玉は4一飛、5二玉、6一銀、同金、同飛成、4二玉、4一龍まで。

 5二玉は……ん? 5二玉は詰まない?

 詰まないけど……それ以前の問題だ。詰めろ詰めろで迫られて終わり。

 

 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!


「負けました」

 私は頭をさげた。

「ありがとうございました、なのじゃ」

 土御門先輩は、扇子をひらいてパタパタと扇いだ。

 完敗――どこから感想戦を始めようかしら。

「最後、詰んでますか?」

「5二玉のパターンが、詰んでいないのではないか?」


【検討図】

挿絵(By みてみん)


「4一銀、5一玉、9一飛、6一金打、同桂成、同金、5三桂左成くらいで寄っておると思うが、詰ます場合は2五の角が邪魔じゃ。例えば、6一金打、同桂成、同金に5二金とするのは、同銀、同銀成、同角という具合にな」

 ふむふむ、たしかにそっちは詰まなさそう。

「6一金打、同桂成、同金に同飛成と切って、同玉、5三桂右不成は、どうですか?」

「7一玉で足らんじゃろう。7二歩、8一玉のとき8二歩と打てん」

 なるほど……どうやら、きわどく詰まないようだ。

「まあ、どのみち詰めろの連続で勝てんがの」

 おっしゃるとおりで……とほほ……。

裏見うらみさん、そっちは終わった?」

 シートのむこうから、矢追やおいくんが身を乗り出した。

「ええ、ちょうど終わったわよ。今は感想戦中」

「こっちも終わったから、そろそろ交代しようか」

 了解。組み合わせは矢追くんに丸投げ。

「それじゃあ、土御門先輩と火村ほむらさんは決まりだから……」

 矢追くんは、ちらっと全体をみまわした。

「僕とつとむ、氷室ひむろくんと裏見さんかな」

 うわぁ……連続でキツいあたり……もうちょっと手加減してちょうだい。

「裏見さん、よろしく」

 土御門先輩と氷室くんが、座席をチェンジした。

 氷室くんは、薄目の色を主体にしたアメリカン・カジュアル。

 おしゃれに気をつかっているのか、気をつかわないための流行りものなのか。

「結果は、どうだった?」

「ボロボロ」

 氷室くんは、くすりとした。それ以上はなにも言わない。

 んー、どうコミュニケーションをとったものか。

 治明おさまるめいでの支離滅裂さを思い出して、私はげんなりした。

「僕たちは、携帯用のマグネット盤を使ってたけど、裏見さんは?」

「目隠しでやってたわ」

「じゃあ、今回も目隠しでやろうか。じゃんけん」

 私と氷室くんは、じゃんけんで手番を決めた。

 私がグー、氷室くんがパー。

「僕の先手だね。よろしくお願いします。7六歩」

 氷室くんは、静かにチェスクロを押した。

 私は2手目に悩む。相手は男子個人戦優勝者。棋力差は自明。

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………

 あんまり考えても、しょうがないか。胸を借りるつもりでいきましょう。

「8四歩」

 6八銀、3四歩、6六歩、6二銀、5六歩、5四歩、4八銀。

 氷室くんは、すなおに矢倉に受けてくれた。

 4二銀、5八金右、3二金、6七金、4一玉、2六歩。

「7四歩」

「7七銀」


挿絵(By みてみん)


「裏見さんが好きな早囲いだよ」

 むッ……なぜそれを。

 不審に思ったのが顔に出たのか、氷室くんはほほえんだ。

帝大ていだいだって、戦力分析はちゃんとやってるよ。特に昇級候補はね」

 なるほど、今回の団体戦は無我夢中だったから、気づかなかった。

 

 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!

 

 おっと、3三銀。

 以下、7九角、3一角、3六歩、7三銀、2五歩、6四銀と進んだ。


挿絵(By みてみん)



「裏見さん、変わった指し方をするね」

「部室だと、矢倉の勝率が先手でも後手でもよくないの。いろいろ試してる感じ?」

「だろうね。これからもっと悪くなる」

「え? そうなの?」

 氷室くんは、なにも答えずに4六角と出た。

 私は4四銀とあがって、プレッシャーをかける。

 6五歩、7三銀、6八玉、6二飛。


挿絵(By みてみん)



 ちょっとした新構想。あんまり自信はない。

 大谷おおたにさんたちと、小一時間ほど検討しただけの手順だ。

 普通の矢倉とちがって、早囲いは6八玉とあがる。

 この王様に狙いを定めたのが、6二飛。

「いいね、常に新たなものを創り出す姿勢は、すばらしいよ」

 なぁに達観したようなこと言ってるんですか。私と同年齢のくせに。

「僕はね、将棋がほんとうに好きなんだ。単純なルールから無限の真理が生じる……」


 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!


「7八玉……そして、それは数学も同じ」

 はいはい、ちょっと静かにする。考慮中。


 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!


「6四歩」

「裏見さん、数学は嫌い?」

 ああ、もう、将棋に集中できない。

「数学は、まあまあ得意だったわよ」

 控えめに言っても得意科目かな。高校時代は、ほぼ満点だったし。

「そう、そしてその数学において、僕を上回る先輩がいるんだ……あ、同歩ね」

 なんですか。帝大の内輪ネタはお断りよ。


 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!

 

「5五歩」

 角筋を遮断する。常識の一手。

「そのひとの名前、聞きたくない?」

「んー、あとにしてもらえる?」

 氷室くんは、残念そうな顔をした。

「このネタ、盛り上がると思ったんだけどな」

 んなわけないでしょ。スモールトークのいろはを勉強しなさい。

 

 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!

 

「将棋に集中しようか、6三歩成」


挿絵(By みてみん)


 ……あんまり研究していないルートに入った。

 大谷さんとメインに考えていたのは、5七銀だ。

 

 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!

 

「同飛」

「5七銀」

 ん? けっきょく合流した感じ?

 でもそれだと、先手は手番を放棄したことになる。なにかありそう。

 私は慎重に読み進めた。

 6四銀、6六銀右、7三桂、6八金直、6五桂。


挿絵(By みてみん)


 開戦――王様の位置が悪いかなぁ。ちょっと気になる。


 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!

 

「同銀」

 氷室くんは、桂馬を食いちぎった。

 同銀、6六歩、5四銀。

「そろそろ反撃するよ。3七桂」


挿絵(By みてみん)


 ここ数手で、私は進行がマズいことに気づいた。

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………

 こちらの攻めは、完全に止まっている。


 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!

 

「1四歩ッ!」

 手がないときは端歩。ただ、突き返されたときに困るかも。

「へぇ、そこか……突き返してもいいけど……2四歩」

 攻めてきた? それとも、2四同歩、同飛、2三歩、2八飛の手渡し?

 私は後者で読んだ。

 

 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!

 

「同歩」

「手渡しはしないよ。1六桂」


挿絵(By みてみん)


 うむむ? ……2四桂、2二金、2三歩、同金、1二桂成か。

 これは後手陣が崩壊してしまう。

「2二金」

 先受け。

「ふぅん、わざわざ2三歩と叩かれにきたね」

「叩く歩がないでしょ」

「ここに落ちてるよ。5五歩」

 ムリやり補充された。でも、これは角当たりになる。

「同銀左」

 2三歩、同金、5五角(切ってきた!)、同銀、2四桂。


挿絵(By みてみん)


 あう……かなりキツい……金を退くと桂捨てで終わる。

 

 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!

 

「6五歩ッ!」

 同歩、6六歩の反撃に賭けるしかない。

「さすがにこっちのほうが速いよ。3二銀」

 4二玉、3一銀不成、同玉、3二桂成、同玉。

「2三飛成」

「!?」


挿絵(By みてみん)


 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………

 しまった。同玉からの王手飛車……まさか、あの6三歩成が、ここで……。

「すべては因果だよ。将棋に偶然はない」


 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!

 

 私はあきらめて同玉と取った。

 4一角、3三玉、2三金、4四玉、6三角成。

 こっちも駒をもらっている。凌ぎきれば、あるいは。

「5四銀ッ!」

「5三飛」

「……6三銀」

「同飛成」


挿絵(By みてみん)


「三面必至」

 私はくちびるを軽く噛んだ。

 チェスクロを確認する――77手目だった。

 

 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!


「負けました」

「ありがとうございました」

 おたがいに一礼して終了。

 私は大きく息をついた。

「……どこが変だった?」

「壁角の状態で、薄い攻めをしたことかな」

 端的にまとまっている。反論の余地がない。

 全体的に構想が破綻してた、ってことなのかしら。

「そういえば、矢倉は勝率が下がるって言ってなかった? ほんと?」

「プロの動向をみているかぎり、矢倉そのものが減ると思う」

 意外な発言に、私は首をかしげた。

「矢倉が消えるって、ありえなくない?」

「消えるとは言わないよ。ただ、このペースだと、2017年にはプロ棋界でほとんど指されなくなるだろうね。代わりの戦法を探したほうがいい」

 んー、にわかには信じがたい。

 もうすこし詳しく訊こうとした瞬間、車内にメロディが鳴った。


《まもなくN古屋です。お降りのお客さまは……》


 新幹線が減速する。それに合わせて、速水はやみ先輩が顔をあげた。

「ふたりとも、そろそろ休憩にしたら? 疲れると、明日困るわよ」

 ですね。本番前に体調をくずしたら、もともこもない。

 私はお茶のキャップを開けて、喉を潤した。

「あぁ、もうッ! 負けましたッ!」

 向こうがわで、火村さんが悲鳴をあげた。

「2連勝じゃ。調子がよいよい」

「ちょっと、後輩に自信をつけさせなさいよッ!」

「知らんのぉ。陰陽師の教典に【慈悲】の2文字はないぞい」

公人きみひと、2年生でビール飲まない? やっぱり我慢できないわ」

「わはは、もこっち、最初からそう言えば良かったのじゃ」

 このひとたち、後輩のこと考えてなさすぎィ!

場所:のぞみ245号車内

先手:土御門 公人

後手:裏見 香子

戦型:ムリヤリ矢倉


▲7六歩 △8四歩 ▲2六歩 △8五歩 ▲7七角 △3四歩

▲6六歩 △6二銀 ▲2五歩 △3三角 ▲7八金 △3二金

▲4八銀 △4二銀 ▲6八銀 △4四歩 ▲6七銀 △4三銀

▲5八金 △5二金 ▲6九玉 △4一玉 ▲3六歩 △7四歩

▲3七銀 △5四歩 ▲7九玉 △9四歩 ▲9六歩 △7三桂

▲4六銀 △4二角 ▲3五歩 △同 歩 ▲同 銀 △8六歩

▲同 角 △同 角 ▲同 歩 △同 飛 ▲2四歩 △同 歩

▲8七歩 △8五飛 ▲2四銀 △2七歩 ▲同 飛 △3八角

▲2六飛 △2五歩 ▲2八飛 △4九角成 ▲7七桂 △8四飛

▲1六角 △同 馬 ▲同 歩 △9五歩 ▲同 歩 △6四角

▲4六角 △同 角 ▲同 歩 △8六歩 ▲同 歩 △9五香

▲9八歩 △8五歩 ▲6八玉 △8六歩 ▲8八歩 △3六角

▲6一角 △5五歩 ▲2二歩 △同 金 ▲3七歩 △5四角

▲2五飛 △3二金 ▲2二歩 △5一金 ▲7二角成 △7五歩

▲2一歩成 △7六歩 ▲6五桂 △8五桂 ▲7六銀 △7四飛

▲6二馬 △同 金 ▲8五銀 △7八飛成 ▲同 玉 △3四角

▲4五桂 △2五角 ▲5三桂打


まで99手で土御門の勝ち



場所:のぞみ245号車内

先手:氷室 京介

後手:裏見 香子

戦型:矢倉早囲い


▲7六歩 △8四歩 ▲6八銀 △3四歩 ▲6六歩 △6二銀

▲5六歩 △5四歩 ▲4八銀 △4二銀 ▲5八金右 △3二金

▲6七金 △4一玉 ▲2六歩 △7四歩 ▲7七銀 △3三銀

▲7九角 △3一角 ▲3六歩 △7三銀 ▲2五歩 △6四銀

▲4六角 △4四銀 ▲6五歩 △7三銀 ▲6八玉 △6二飛

▲7八玉 △6四歩 ▲同 歩 △5五歩 ▲6三歩成 △同 飛

▲5七銀 △6四銀 ▲6六銀右 △7三桂 ▲6八金上 △6五桂

▲同 銀 △同 銀 ▲6六歩 △5四銀 ▲3七桂 △1四歩

▲2四歩 △同 歩 ▲1六桂 △2二金 ▲5五歩 △同銀左

▲2三歩 △同 金 ▲5五角 △同 銀 ▲2四桂 △6五歩

▲3二銀 △4二玉 ▲3一銀不成△同 玉 ▲3二桂成 △同 玉

▲2三飛成 △同 玉 ▲4一角 △3三玉 ▲2三金 △4四玉

▲6三角成 △5四銀 ▲5三飛 △6三銀 ▲同飛成


まで77手で氷室の勝ち

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