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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第14章 2016年度春季団体戦3日目(2016年5月22日日曜)
66/496

65手目 黒

「それでは、着席をお願いします」

 椅子を引く音。事前相談のひそひそ話。会場は喧騒に包まれた。

 今日は団体戦3日目。最後の3連戦をまえに、私はすこし緊張していた。

 理由は、ふたつ。ひとつはもちろん、昇級が掛かっているから。聖ソフィアはあいかわらずの全勝街道で、うちは1敗もできない状況。

 そして、もうひとつ――首都しゅと電気でんきは黒だった。【田】の字が一致したのだ。

裏見うらみさん、あまり緊張しないほうが、よろしいですよ」

 となりの席の大谷おおたにさんに話しかけられた。

 顔をそちらへ向けると、お遍路さん姿の大谷さんが、いつもの澄まし顔で私のほうを見ていた。年端に似合わない、玲瓏れいろうとした雰囲気が感じられる。彼女のオーラに癒されて、私の緊張もすこしほぐれた。

「そうね、ありがと」

「ところで、裏見さんのお相手は?」

「まだ来て……ああッ!」

 ようやく現れた対戦相手に、私は思わず声をあげてしまった。

 相手のメガネ男子も、私のほうを見てアッとなった。

「工学部棟の玄関で会ったな。将棋部だったのか?」

「それはこっちの台詞よ。あなた、パソコン部かなにかじゃないの?」

 メガネ男子は、小馬鹿にしたような鼻息をもらした。

「ふん、工学部でパソコンをいじるのは、仕事みたいなもんだ。遊びじゃない」

 私は参ってしまった。将棋関係者は避けたつもりだったのに。

「そもそも、他大に来といて挨拶のひとつもないってのは、どうなんだ? ん?」

 そして、この態度。もうすこし礼儀ってものをわきまえなさいよ。

 私が憤っていると、4番席の穂積お兄さんが、

「おーい、しんちゃん、もうすぐ始まるよ。はやく準備しなきゃ」

 と呼びかけてきた。メガネ男子は「あ、はい」と言って、すぐに着席した。

 あれ? 穂積お兄さん、意外と権力者?

 私がちらりと4番席をみると、穂積お兄さんはこちらに手を振ってウィンク。

 どうやら助けてくれたらしい。感謝、感謝。

「1番席、振り駒をお願いします」

 先頭で振り駒のゆずりあいがあって、八花やつかちゃんが振ることに。


 カシャカシャカシャ パラ

 

都ノみやこの、偶数先!」

首都電しゅとでん、奇数先!」

 私が先手か――気合をいれなおす。

「チェスクロは?」

「俺の右で」

 チェスクロの位置を調整して、私は両手をひざのうえにそろえた。

「対局準備の整っていないところはありますか?」

 会場はシーンと静まり返った。

「それでは、対局を始めてください」

「よろしくお願いしますッ!」

 朝一で、みんなヤル気は十分。

 相手の西原にしはら慎二しんじくんがチェスクロを押して、対局スタート。

「7六歩」

 私は角道を開けた。

「8四歩」


挿絵(By みてみん)


 矢倉のお誘い。3四歩のときはどうしよっかな、と思っていたから助かる。

 最近取り入れた新戦法を試すときだ。

「6八銀ッ!」

 3四歩、6六歩、6二銀、5六歩、5四歩。

 速い速い。おたがいに準備してきたかのようなスピード。

 4八銀、4二銀、5八金右、3二金、6七金右。


挿絵(By みてみん)


「早囲いか……4一玉」

 西原くんは、すぐに王様を寄った。

 この感じだと、矢倉は指し慣れてるっぽいわね。

「2六歩」

 飛車先を打診。5二金で急戦を放棄するかどうかをたずねた。

「5二金」

 放棄した。私は7七銀と上がって、3三銀に7九角と引いた。


挿絵(By みてみん)


 早囲いの準備は整った。後手がどう出てくるかよね。

 西原くんは10秒ほど考えて、7四歩と突いた。穏当。

 3六歩、3一角、3七銀、8五歩、2五歩。

「6四角」

「4六角」


挿絵(By みてみん)


 はい、ぶつけ合い。

 これをやり始めて最初の頃は怖かったけど、いきなり交換は成立していない。

「4四歩」

 後手も囲いを急いできた。

 私は6八玉、4三金右、7八玉、3一玉、6八金直で天野囲いを完成させる。

 西原くんも2二玉と入城して、今度は攻めを構築する番だ。

「2六銀」

「7三銀」

 おたがいに銀の活用か……端も突き合っておきましょう。

「1六歩」

 西原くんはこの手をみて、メガネを光らせた。

「7五歩」


挿絵(By みてみん)


 え、もう攻めるの?

 私は不審に思った。仕掛けのタイミングはさておき、決断が早すぎる。

 それとも、ここは当て馬で捨て局ってこと?

 学生棋会で早囲いなんて、そんなに経験値が豊富とも思えない。

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………ん?

 ちょっと待って。なんでShoちゃんのときと同じ戦型?

 Shoちゃんは5三銀からの守勢で、今回は7三銀からの攻勢。

 負け試合を反省したかのような方針転換に、私は真相を見抜いた。

「あ、あなた、Shoちゃんとの対局データを見たわね?」

 爪をいじっていた西原くんは、ふと視線をあげた。

 そして、いかにも嫌味ったらしいほほえみ方をした。

「大会中は私語禁止だろ」

 くぅ、こいつ、絶対私とShoちゃんの対局結果を知ってる。

 なんで? 長尾ながおさんが見せた? でも、長尾さんって大学院のひとで……ああッ!

 私はそこまで考えて、とんでもない見落としをしていたことに気づいた。首都電気大学の大学院生なら、学部も首都電だった可能性がある。しかも将棋が指せる=将棋部OB! 全部つながってるじゃないですかッ! 敵に手のうちを見せちゃったッ!

 私は歯ぎしりしながら、続きを考えた。こうなったら、ぼこぼこにしてやる。

「同歩」

 西原くんは4六角と交換して、同歩に6四銀と出た。

「7四歩」

「5五歩」


挿絵(By みてみん)


 ほんとに指し手が速い。

 ここまでは研究と見て、まちがいなさそうだった。変化もそんなにない。

 とりあえず、5五歩は取れないから……3五歩の反発よね。

 5六歩、3四歩は私のほうが速いから、3五同歩、同銀、3四歩、2四歩……3五歩、2三歩成、同金の展開は、4一角で先手の攻めが炸裂する。


挿絵(By みてみん)


 (※図は香子きょうこちゃんの脳内イメージです。)

 

 これは2三飛成、3一玉、3二金、同飛、同角成までの詰めろだから、当然3二銀。

 そこで6三角成とひっくり返せば、先手が優勢になる。

 つまり、2四歩に3五歩とはできない。2四歩、同歩、同銀、同銀、同飛、2三歩、2八飛……どうなんだろ、これ……2八飛に5六歩、4一角(いずれにせよこれが急所)、7六歩と叩いて、同金なら5七歩成、同金、3九角。これは先手が潰れだ。同銀なら……同銀は後手が続かなさそうね。歩の枚数が足りていない。

 私はひと息ついて、お茶のペットボトルを手にとった。キャップを握りしめ、盤を見つめる。ボトルのひんやりとした感覚とはうらはらに、手のひらは熱を帯びていた。

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………

 2八飛に5六歩、4一角、7五銀のほうが自然かしら。


挿絵(By みてみん)


 (※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)

 

 7五銀は7三歩成、同桂、7四歩があるから危ないと思ったけど、そのまま8六歩、同歩(さすがに取らない選択肢はない)、同銀、同銀、同飛、8七歩、8三飛、7三歩成、同飛(王手)、7七歩あるいは7六歩……んー、先手が若干好ましくないかなぁ。最初の7三歩成、同桂に6三角成として、8六歩、同歩、同銀、同銀、同飛、8七歩、8三飛に7二馬とイジメる順はあるわね。こっちのほうが良さそう。っていうか優勢っぽい。

 私はお茶を飲んで、大きく息をつく。

 この順でいいのかしら? なにか見落としてない?

 あらかじめデータを取ったうえでこの流れは、お粗末なような……あ、5四角。

 

挿絵(By みてみん)


 (※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)

 

 そっか、4一角よりも先にこの角を打てる。

 後手は5六歩の補充から8六歩の攻めが成立してそう。

 あともうひとつ気づいたのは、銀を渡すと5二銀で角を殺す順ができることだ。最後に5二飛と移動するから、有効かどうかは分からない。でも、用心が必要。

 私はふたたびお茶を飲んで、じっくりと考えた。

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………

 3五歩、同歩に同銀とせず、4一角かなぁ。

 これなら5四角よりも先着している。ただ、そこで5四角だと困るかも。

 今度の5四角は、6三の地点を防御してるだけじゃなくて、3五銀、3四歩、2四歩、同歩、同銀に対する2七歩も用意している。これは角換わり棒銀の対抗策で有名だ。

 5四角……5四角……6五歩が効く?


挿絵(By みてみん)


 (※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)

 

 同角なら3五銀以下の攻め。同銀なら5五歩と突ける。金が崩れない。

 私は残り時間を確認した。20分ジャスト。ちょっと考えすぎた感がある。

 ペットボトルのキャップを締めて、3五歩と突き出した。

「同歩」

「4一角」


挿絵(By みてみん)


 滑るように角を打ち込む。ここで西原くんは初めて長考した。

「先打ちか……」

 西原くんは、すこしイヤそうな顔をした。

 どうやら、深く研究していないほうに飛び込んだらしい。うまく行った。

 私は続きを考える。

 ここからいきなり5四角が有力だけど、気になるのは8六歩だ。

 以下、同歩、8五歩、同歩と継いでから5四角。このとき後手は歩切れだから、3五銀と突っ込みたくなる。でも、3五銀、5六歩、2四歩、同歩、同銀、2七歩がある。3五銀のまえに6五歩を入れた場合も、同銀、5五歩、3六角、3五銀、3四歩、2四歩、同歩、同銀、2七歩。


挿絵(By みてみん)


 (※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)

 

 これがめんどうなのよね。ただ、先手は3三銀成、同金寄、1八飛と冷静に逃げといて、特に問題はないと思う。焦って2三歩は、3一玉のあとが続かない。3二角成、同玉、3三銀成、同桂のとき、金銀だけで繋ぐのは困難だ。


 パシリ

 

 ぐッ、もう指してきた。盤上は8六歩。

 私は30秒ほど考えて、同歩とした。

「8五歩」

「同歩」

 西原くんは手持ちの角を空打ちして、5四に置いた。


挿絵(By みてみん)


 予想どおり。私は6五歩を敢行する。

 同銀、5五歩、3六角、3五銀、3四歩、2四歩、同歩、同銀。

 問題の局面になった。ここで西原くんはふたたび長考。

 この2回の長考で、持ち時間はだいぶ私に接近してきた。

 のこりは私が18分、西原くんが20分。

「……こっちだな」


 パシリ

 

挿絵(By みてみん)


 ん? 2七歩じゃない?

 私は眉を一瞬もちあげて、それから背筋を伸ばした。

 チャンスな気がする――けど、具体的にどうすればいいのか分からない。

 2四同飛、2三歩、2八飛?

 これは5二銀で角が死んでいるのが気になる。今回は5筋がすでに通っているから、5二飛と回られたときのインパクトが大きい。割り打ちが効くかどうかの勝負。

 むしろ2六飛と角に当てて、4七角成、6三角成としたいわね。

 これってけっこう痛いんじゃないかしら。だって、次に7三歩成、同桂、同馬がある。これはさすがに許容できないから、なにかしてくるはずで……うーん、飛車と馬の交換に持ち込むくらいしか、ないんじゃないかなぁ。例えば、6三角成に8五飛と一回歩を補充して、8六歩、8三飛、7三歩成、同飛、同馬、同桂とか。

 

挿絵(By みてみん)


 (※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)

 

 ここで7一飛とするくらいで、行け……る……? ん?

 私はそのとき、盤面が暗くなるのを感じた。

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