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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第13章 潜入捜査(2016年5月17日火曜)
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64手目 Shoちゃん

《8四歩》


挿絵(By みてみん)


 ほぉ、矢倉をご希望ですか。

「6八銀」

 受けて立ちますよ。ちょうど新しい構想を温めていたところだし。

 練習台になってもらいましょう。

 3四歩、7七銀、6二銀、2六歩、4二銀、2五歩。

 私が符号を言うと、デスクトップの盤が勝手に動く。楽でいい。

裏見うらみさん、変則的だね」

 長尾ながおさんはそう言ってほほえんだ。

 このひと、将棋に詳しいのね。

 将棋のプログラムを組んでるから、当たり前かもしれないけど。

《これは飛車先を受けないといけません。3三銀です》

 Shoちゃんは、わざわざコメントをしてくれた。

「これって、どんな会話でもできるんですか?」

「いやあ、さすがにそれは無理だね。特定の状況下でしか反応できないよ」

 ま、それもそうか。私は指し手を進めた。

 3八銀、5四歩、3六歩、5二金右、3七銀、4四歩、5六歩、4三金。

「7九角」


挿絵(By みてみん)


《藤井流早囲いですか? 3二金です》

 へぇ、こっちの狙いが分かるのね。これはスゴい。

「ここから変に指すと、コンピューターはどんどん弱くなるわけですか?」

 私は、長尾さんの解説を再確認した。

「そういうことだね。今のところ、Shoちゃんは裏見さんを高く買ってるよ」

 藤井流早囲いができる程度には棋力がある、って評価をしてもらってるわけね。

 あんまり変なことをすると長尾さんに悪いし、まじめに対応しましょう。

「6八玉」

 早囲いを目指す。

 4一玉、7八玉、3一角、5八金右、7四歩、6六歩。

《6四角です》


挿絵(By みてみん)


 牽制してきた。

「この矢倉は、長尾さんがプログラムで入力したものですか?」

 私の質問に対して、長尾さんは「ノー」だと答えた。

「将棋ソフトのプログラムは、『この局面ではこう指せ』と命令するわけじゃないんだ。あくまでも、ソフトが自分で学習する環境を作ってやることなんだよ」

「学習する環境?」

「裏見さんは、将棋を習うとき、一手一手指し手を覚えていった?」

 私は、おじいちゃんと指し始めたばかりの頃を思い出した。

 小学校低学年だったかな。

「いえ、まずは駒の動かし方を覚えて……それから、細かいルールを勉強しました」

「そう、それと同じだよ。基本的なルールを覚えたら、あとは実践。『7六歩、3四歩、2六歩、8四歩と指せ』なんてコマンドは受け付けていない」

「でも、『初手3六歩は指さない』みたいな方針はありますよ」

「それは経験則から分かるわけだよね。初手に3六歩と指すと、駒組みがやりにくかったりして、最終的に勝率が落ちる。将棋ソフトは、そういう形勢判断と勝敗の結果から、いい手の傾向と悪い手の傾向をあらわす関数を生成するんだ。いわゆる評価関数だね。これが人間の大局観に該当している」

 長尾さんの説明に、私は疑問を感じた。率直に質問してみる。

「コンピューターに大局観ってないんじゃないですか?」

「そう言うひともいるけど、僕はまちがいだと思うね。未知の局面を評価関数に放り込んで評価値を出す、というプロセスは、未知の局面を視覚野から受け取って脳内で処理する、というプロセスと類似しているはずだ」

「んー、分かったような、分からないような……」

 長尾さんは、テーブルのうえにあるコーヒーカップを手にとった。

「まあ、ただの仮説だよ。脳の研究は、まだまだこれからの分野だからね」

 そう言って、長尾さんはコーヒーを口にした。

《裏見さん? どうしましたか? お手洗いですか?》

 おっとっと、相手を待たせてしまった。

「6七金」

 私は金を上がったあと、3一玉に4六角とぶつけ返した。


挿絵(By みてみん)


「裏見、早囲い始めたのか?」

 松平まつだいらは画面をのぞきこんで、不思議そうな顔をした。

 それもそのはずで、私はこのかたちを滅多に指さないからだ。

「最近ちょっと研究してるの」

「ふぅん、大会用ってことか……ところで、長尾さん、ひとつ質問していいですか?」

「どうぞ」

「そこにある装置って、なにに使うんです?」

 松平はそう言って、部屋のすみにあるシンプルな機械を指差した。

 シルバーのボディで、なんと言ったらいいのだろう、勉強机みたいな外観。

 興味を持ってもらえたのがうれしいのか、長尾さんは笑顔になって、

「あれはオートライティングしてくれる装置だよ」

 と答えた。松平の目が光った。

「オートライティング? ……自動筆記機ってことですか?」

「関心があるの?」

「工学部なので、機械には興味があります」

 松平がそう答えると、長尾さんはすすんで解説を始めた。

「これも将棋ソフトと一緒で、基本的には機械学習の成果なんだよ。例えば……」

 私は聞き耳を立てる。

《裏見さん、いらっしゃいますか? 5三銀と指しましたよ?》

 っと、また呼ばれた。

 私もオートライティングに興味があったけど、あやしまれないように続きを指す。

「6八金上」

《天野矢倉ですね。2二玉です》

 1六歩、6二飛、2六銀、7三桂。

 後手も積極策をとってきた。このあたりは、いかにもソフトらしい。

「そろそろ攻めようかしら」

《おお、怖い怖い》

 なんか演技っぽいわね。コンピューターに恐怖心があるとは思えない。

「3五歩」


挿絵(By みてみん)


 同歩、同銀、3四歩に2六銀とバックする。

《4五歩》

 当然の反発。私は3七角とさらにバックして、後手の盛り上がりに身をまかせた。

《4四銀右》

「9六歩」

 私は端を打診した。相手の出方をうかがう。

《意外と手がありません……9四歩》

「2四歩ッ!」


挿絵(By みてみん)


 ここぞとばかりに攻める。

《強気ですね。同銀》

 私は1五銀と上がって、銀交換を催促する。

 ほらほら、かかってきなさい。

《同銀》

「同歩」

《反撃させてもらいます。5五歩》

 殴り合いになった。

 同歩、3六銀、2六角。

《その角は飛車を狙っていますね。9二飛です》

 さすがに見落としはしないか。ソフトだからポカは極小。

 私は3七歩と打って、4七銀成を強要した。これで足が遅くなる。

「8三銀ッ!」


挿絵(By みてみん)


《これは羽生ゾーン!》

 ちゃんとおどろいちゃって、かわいいんだから。

《裏見さん、羽生はぶ名人級ですね》

「こらこら、羽生さんは別格なんだから、あんまり引き合いに出さないほうがいいわよ」

《……》

 拗ねた? それとも、むずかしい文章だと分からないのかしら。

 さっきから手の解説とおべっかばかりだし、そこが機能の上限なのかも。

《9三飛》

 飛車を逃げた。これは予定通りだから、7四銀成で今度は角をいじめる。

《8五桂》


挿絵(By みてみん)


 角は逃げませんでしたか。ジリ貧になると見たのね。

「6四成銀」

 同歩、7一角(4四角行を狙う)、3五歩、2四歩。

 2筋と3筋を同時に絡める。

 2四同歩なら3五角、同銀、同角成で、次に2四馬を狙える。

《これは厳しい……同歩です》

 予定のルートに入った。

 3五角、同銀、同角成。

《カウンターです。7七桂成》


挿絵(By みてみん)


 ん? これは繋がらなくない?

 とはいえ、ソフト相手だから慎重になってしまう。

「同……玉」

《3四銀》

 銀打ち? 2四の歩と連結してないわよね?

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………

 2四馬、2三歩で封鎖するってことかなぁ。

 でも、5一馬で……あ、3九角があるのか。


挿絵(By みてみん)


 (※図は香子きょうこちゃんの脳内イメージです。)

 

 1八飛……いや、2六飛……3五銀打があるのか。

 以下、5六飛、4六成銀、5八飛、4七成銀、1八飛……あれ? 合流した?

 じゃあ、最初から1八飛と逃げたほうが……あ、ダメだ。最初に1八飛と逃げると、2七銀と打たれて飛車が死んでしまう。ぐるっと回って1八飛が正解だ。

「2四馬」

 とりあえず、3九角と打つかどうか打診しましょう。

《2三歩》

「5一馬」

《3九角》

 打ってきた。私はさっきの飛車一回転を実現させる。

 2六飛、3五銀打、5六飛、4六成銀、5八飛、4七成銀、1八飛。


挿絵(By みてみん)


《6五歩です》

 急所に仕掛けてきた。けど、それを逆用する手順がある。

「4八歩」

 後手の角の利きを消す。

 同成銀なら1手稼げるし、同角成なら同飛と切る。

《同角成》

 交換を挑んできた。身動きの取れない飛車と攻めのかなめの角なら、大歓迎。

「同飛」

《飛車を切りましたね。お尻がスカスカです。同成銀》

「おどしても無駄よ。4一銀」


挿絵(By みてみん)


 矢倉最大の急所。このひっかけの痛さは、居飛車党なら誰でも知っている。

《うむむ、苦しくなりました……3一歩》

 3二銀成、同歩、4二歩。

 次に4一歩成が詰めろ。3一角、1二玉、2二金まで。4二歩は2手スキ。

《5三飛》

 2手スキを解除してきた。

 このあたりの速度計算はコンピューターが得意だから、慎重に寄せないといけない。

 私はすこしだけ長考して、6二馬と引いた。

《4二金です。こちらの飛車角も交換しましょう》

 私はちょっと思案した。

 この交換は、どうなの? 私の馬は働いてるけど……うーん……。

「同馬」

《ありがとうございます。同金です》

 感謝される手でもないわよ。3手1組の厳しい順がある。

「4一飛」


挿絵(By みてみん)


 これが初手。詰めろ。放置は3一角、3三玉、4二角成、4四玉(2二玉は3一飛成、1二玉、2二金まで)、5三馬、同玉、5四金、5二玉(6二玉は6三金打まで)で、このときに5一金、6二玉、4二飛成と引いて王手するのがポイント。


挿絵(By みてみん)


 (※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)


 これで詰んでいる。

 7一玉は8三桂、8一玉、9一桂成、同玉、9三香以下。

 7三玉は5三龍、8二玉、7四桂、9二玉、6二龍以下。

《これは詰めろですね……》

 コンピューターにはバレるわよね。

《4三金です》

 ん? そっち? 3一の部分を受けないのか……だったら、これが効く。

「4四歩」


挿絵(By みてみん)


《うーむ、いい手です。同金は3一角から詰み。同銀は4二金が詰めろです》

「どうする? 投了する?」

《はい、投了です》

 あら、これは意外。

「ソフトなのに、引き際があっさりね」

《接待用ですから》

 自分で認めるんかい。

 同銀、4二金は、3三玉、3一飛成、2八飛とガードされるのが若干めんどくさい。

 けど、3六桂で寄るというのが、長考の結論だった。


【参考図】

挿絵(By みてみん)


 これが強烈な詰めろになっていて、ふりほどけない。

 後手は飛車を手放しているから、3二龍を防止する手段がないのだ。

 4二金なら2二角一発で詰む。

「おーい、裏見、終わったか?」

 ひと息ついていると、松平に声をかけられた。

「勝ったわよ」

 私がそう答えると、松平はちょっと驚いたような顔で、

「ソフトに勝つとか、やるな」

 と返してきた。

「ま、接待用だからね」

《その通りです》

 こらこら、そこは「裏見さんが強いんですよ」くらい言いなさい。

 接待としては落第点。

「で、そっちは?」

 私は、さりげなく成果をたずねた。

「ああ、面白い装置だった。一筆書いてもらったぞ」

 松平はそう言って、一枚の紙切れを私にみせた。

 

 こんな夢を見た。六つになる子供を負ってる。たしかに自分の子である。ただ不思議な事にはいつの間にか眼が潰れて、青坊主になっている。自分が御前の眼はいつ潰れたのかいと聞くと、なに昔からさと答えた。声は子供の声に相違ないが、言葉つきはまるで大人である。しかも対等だ。左右は青田である。

 

「これは?」

 松平が答えるまえに、長尾さんが口を挟んだ。

夏目なつめ漱石そうせきの『夢十夜』だ。ずいぶんと達筆だろう」

 なんとも自慢げな調子。私はほんとに感心して、「そうですね」と答えた。

 同時に、この文章のなかに、肝心の【田】の字が入っていることを確認した。

 捏造されたオーダー表のなかで、大谷おおたにさんが指摘した文字だ。

「どうだい、もう一局?」

「あ、いえ、そろそろ戻らないといけないので」

 私の返事に、長尾さんは残念そうな顔をした。

「なにか用事でもあるのかい?」

 んー、風切かざぎり先輩たちが理学部棟で待っているとは言えない。

 私はてきとうにごまかして、大学のレポートがあると答えておいた。

「ハハハ、この時期にレポートとは、たいへんだね。それじゃ、また会おう」

 長尾さんはそう言って、私たちを工学部棟の出口まで見送ってくれた。

 建物から出た私たちは、記念にもらった漱石の一文を手に、理学部棟へと向かった。

場所:首都電気大学 工学部棟 大森研究室

先手:裏見 香子

後手:Shoちゃん

戦型:矢倉先手藤井流早囲い


▲7六歩 △8四歩 ▲6八銀 △3四歩 ▲7七銀 △6二銀

▲2六歩 △4二銀 ▲2五歩 △3三銀 ▲3八銀 △5四歩

▲3六歩 △5二金右 ▲3七銀 △4四歩 ▲5六歩 △4三金

▲7九角 △3二金 ▲6八玉 △4一玉 ▲7八玉 △3一角

▲5八金右 △7四歩 ▲6六歩 △6四角 ▲6七金 △3一玉

▲4六角 △5三銀 ▲6八金上 △2二玉 ▲1六歩 △6二飛

▲2六銀 △7三桂 ▲3五歩 △同 歩 ▲同 銀 △3四歩

▲2六銀 △4五歩 ▲3七角 △4四銀右 ▲9六歩 △9四歩

▲2四歩 △同 銀 ▲1五銀 △同 銀 ▲同 歩 △5五歩

▲同 歩 △3六銀 ▲2六角 △9二飛 ▲3七歩 △4七銀成

▲8三銀 △9三飛 ▲7四銀成 △8五桂 ▲6四成銀 △同 歩

▲7一角 △3五歩 ▲2四歩 △同 歩 ▲3五角 △同 銀

▲同角成 △7七桂成 ▲同 玉 △3四銀 ▲2四馬 △2三歩

▲5一馬 △3九角 ▲2六飛 △3五銀打 ▲5六飛 △4六成銀

▲5八飛 △4七成銀 ▲1八飛 △6五歩 ▲4八歩 △同角成

▲同 飛 △同成銀 ▲4一銀 △3一歩 ▲3二銀成 △同 歩

▲4二歩 △5三飛 ▲6二馬 △4二金 ▲5三馬 △同 金

▲4一飛 △4三金 ▲4四歩


まで105手で裏見の勝ち

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