表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第12章 2016年度春季団体戦2日目(2016年5月15日日曜)
60/496

59手目 第一の関門

帝大ていだいも書き換えられてた?」

「先輩、声が大きいです」

 私が注意すると、風切かざぎり先輩はあたりを見回した。

 ここは、電電理科大学の校舎。

 団体戦2日目とあって、気合いの入った学生が集まっていた。

氷室ひむろがそう言ったのか?」

 まるで聞き耳を立てられているかのように、風切先輩は極端な小声でたずねた。

「はい」

「つまり、うちと聖ソフィアと帝大の3校で……解決した?」

 風切先輩は、慎重に言葉を選んだ。

 私も周囲に気をくばりつつ、声を落とす。

「それがですね……氷室くんは、なにもせずに帰りました」

「帰った? じゃあ、帝大は今日で失格……」

 私はふたたび、くちびるに指を添えた。

 意外な情報が飛び出したせいで、風切先輩も困惑しているようだ。

「帝大のものは、問題がなかったんです」

「問題がなかった?」

 私は、帝大のオーダー表が書き換えられていなかったことを、遠回しに伝えた。

 風切先輩は大きくタメ息をついて、椅子をうしろにかたむけた。

「意味が分からないぞ。氷室のウソか?」

「私たちが来るまえに処理しておいた、とも考えられるんですけど……ただ……」

「ただ?」

「一連の行動が意味不明で……」

 風切先輩は、あきれたように肩をすくめてみせた。

「あいつが意味不明なのは昔からだ」

 えぇ……そうなんだ。っていうか、風切先輩と氷室くんって、付き合いが長いの?

 氷室くんとの対局が奨励会引退のきっかけだって言ってたから、てっきりワンポイントで接点があるだけかと思っていた。だって、普段からつきあいがあったなら、そんな一回の負けでクヨクヨしないだろうし……んー、謎が深まる。

「で、うちと聖ソフィアは大丈夫なのか?」

「はい……まあ……なんとかしてきました」

 あのあと、松平まつだいらたちと合流して、オーダー表を差し替えておいた。

 バレないと思う。明石くんの用意してくれたオーダー表は、パッと見じゃ本物にしか見えなかった。それに、書き換えられていたオーダー表のほうが、むしろ偽物っぽい感じのする代物だった。つまり、幹事はそこまで熱心にチェックしてないってこと。

「で、もとの紙は、どこへやった? 捨てたのか?」

「ちゃんと持って帰りました」

 風切先輩は、あとで見せて欲しいと言った。

 もちろんだ。筆跡鑑定して、犯人を捕まえないといけない。

「そろそろ2日目の1回戦を始めますので、代表のひとは集まってください」

 入り口のほうで、幹事の呼びかけがあった。

 三宅みやけ先輩が立ち上がる。

「それじゃ、行ってくる」

「私たちも行きましょうか?」

 私の提案に対して、三宅先輩は首を横に振った。

「うちは7人並べるしかできないからな。準備だけしといてくれ」

 

  ○

   。

    .


 チェストーッ!

 

【先手:笹川(國文學) 後手:裏見(都ノ)】

挿絵(By みてみん)


 隙ありぃ!


【先手:裏見(都ノ) 後手:田村(東ア)】

挿絵(By みてみん)


「ま、負けました」

「ありがとうございました」

 快勝――初戦で明石くんに負けてから、4連続白星で盛り返した。

 ほかの席も、次々と勝ち星をあげていた。

「どこが悪かったかな?」

「この局面で、一回金を上がって……」

 ふぅ、疲れる。全勝条件だから、心理的プレッシャーが結構ある。

 私は感想戦もそこそこに切り上げて、席を立った。

裏見うらみ、どうだった?」

 外の自販機でお茶を選んでいると、松平に声をかけられた。

「勝ったわよ。松平は?」

「俺もだ。これでまた6−1だな」

 松平も150円を放り込んで、コーラのペットボトルを購入した。

 すぐに一口飲んだあと、

「聖ソフィアに負けたときはどうなるかと思ったが、なんとかなりそうだな」

 と、楽観的なコメントをつぶやいた。

「ふっふっふ、それはどうかしら」

 女性の声――私たちは、あたりをさぐった。

 すると、自販機のうしろから、カメラを持った春日かすがさんが姿をあらわした。

「あなたたち、大学将棋を甘く見過ぎ」

「ず、ずっとそこにいたんですか?」

「そうよ……ちょっとタンマ」

 春日さんは、自販機でミネラルウォーターを買った。キャップを開けながら、

「自販機のうしろって、機械熱で暑いのよ。汗かいちゃった」

 と額をぬぐった。あのさぁ……アホの子ですか。

「ふたりとも、Dクラス下位に勝ったくらいで浮かれてるようじゃ、昇級はムリよ」

「Dクラス下位?」

「帝仁、首都農業、國文學、東ア……8位から5位の大学でしょ」

 あ、そういうことか。たしかに下位校だ。

「今回の都ノみやこのは、対戦表が偏ってるわね。取材のしがいがあるわ」

 結局、記者根性ですか。私はあきれて、

「聖ソフィアのほうが記事になるんじゃないですか」

 と嫌味を言っておいた。

 春日さんは「分かってないわねぇ」といった感じで、

「そっちも取材してるに決まってるじゃない。次の公報のトップは聖ソフィア特集よ」

 と答えた。

 それはそれで、なんだかなぁ。火村ほむらさんのドヤ顔が目に浮かぶようだ。

「だったら、聖ソフィアだけ追っかけてればよくないですか?」

「復帰した都ノと聖ソフィアがダブル昇級……こっちのほうが記事になるわ」

「春日さんは、うちと聖ソフィアが昇級候補だと思ってるんですか?」

「んー、聖ソフィアは決まりだと思うけど、もう1枠はどうかしら」

 むむむ、聞き捨てならない台詞。

 思ったことが私の顔に出たのか、春日さんは先を続けた。

「聖ソフィアと都ノじゃ、勝ちの勢いが違うわ。都ノには風切くんがいるけど、それ以外の席の安定度は、聖ソフィアのほうが上ね。あそこは7人ちゃんと揃えてる印象」

 うちが負けたからそう判断してるだけじゃないの?

 まあ、否定のしようがないんだけど……実際負けてるし……。

 どう返したものか迷っていると、松平が割り込んできた。

「春日さんは、残りの1枠の候補をどこだと考えてるんですか?」

「んー、企業秘密」

 まあまあそう言わずに、と、松平はなだめた。

「そうね……ライバルを教えて煽るのも、記者の役目かしら」

 んなわけないでしょ。とはいえ、教えてくれそうなので、突っ込みはひかえておく。

南陵なんりょう房総ぼうそう商科しょうかと都ノの三つどもえだと思うわ」

「南陵と房総商科……ようするに、上位2校ですか?」

 私の質問に、春日さんはそうだと答えた。

「そんなに戦力がそろってるんですか?」

「純粋に戦力の話をすると、都ノが若干抜けてるんじゃないかしら」

「じゃあ、うちが筆頭候補?」

「というわけじゃないのよねぇ。順位差があるでしょ」

 なるほど、そういうことか。最後は順位差で頭ハネになる。

 10位の都ノは圧倒的に不利だ。

「私の予想だと、都ノは1敗キープなら昇級、2敗はアウトね」

「つまり、うちが房総商科と南陵の両方に勝たないといけない、と?」

 春日さんはうなずいて、カメラの調整を始めた。

「ま、私としても盛り上がったほうがうれしいから、がんばってちょうだい」

 春日さんはそう言い残して、会場の校舎へと消えた。

「裏見、俺たちもそろそろもどろう」

「そうね」

 私たちは、会場へもどった。三宅先輩たちは、すでに控えテーブルに集まっていた。

「すみません、遅れました」

「いや、開始まで15分ある……松平、裏見、ちょっといいか?」

 三宅先輩は、すこし声を落とした。どうやらミーティングタイムらしい。

 私たちは壁際に寄って、顔を突き合わせた。

「次の南陵戦だが……かなりの山場だと思う」

 やっぱり――私はうなずいて、

「春日さんも、そう言ってました」

 と伝えた。

「春日? 東方とうほうの春日か?」

「はい、都ノと房総と南陵の争いで、うちが順位の差で不利だと分析してました」

 三宅先輩はアゴに手をあてて、しばらく虚空をみつめた。

「そうか……他校も同じことを考えてるんだな」

「でも、戦力はうちがひとつ抜けてるって言ってましたよ」

 三宅先輩は、「そこなんだが」と切り出した。

「じつはな……オーダーが微妙に悪い」

「どう悪いんですか?」

「南陵に有利だ。南陵は風切を避けることができて、俺と穂積ほづみ妹のところがキツい」

「穂積さん、けっこう勝ってくれてませんか? もうちょっと信頼しても……」

 三宅先輩は、穂積さんのほうをチラ見して、

「信頼したいのはやまやまだが、相手は元県代表なんだ」

 と添えた。

「Dクラスに県代表がいるんですか?」

「うちも大谷おおたにがいるだろ」

「そ、そうですけど……南陵は復帰組じゃありませんよね?」

 三宅先輩は、南陵の特殊性について語り始めた。

「南陵は医科大なんだ。将棋部の強さよりも職業を優先した学生は、当然いる」

 ふむ、納得。

「穂積お兄さんは負けだと思いますし、3敗ペースってことですね」

「そうだ……だから、裏見と松平のところは拾って欲しい」

 拾って欲しいと言われましてもですね、はい。団体戦なわけで。

「俺と裏見のところは強いんですか?」

「ふたりとも、ちょうど同じくらいの相手だと思う」

「俺と同じくらいってのは分かりますけど、裏見と同じくらいって県代表レベルですよ」

 三宅先輩は、私の相手が元県竜王だと答えた。

「裏見も県代表経験なしの元県竜王だから、ほんとうに同じ棋力だと思う」

 私は、どこの県なのかとたずねた。

「S岡だ」

 ほぉ、東海地方ですか。

「棋風は居飛車党。資料はすくないが、振り飛車にはしないほうが……いや」

 三宅先輩は、そこで言葉を区切った。

「俺がアドバイスしてもしょうがない。裏見に全部任せるぞ」

「分かりました。全力でぶつかります」

「頼んだ」

 ミーティングが終わったところで、八千代やちよ先輩が教室の入り口にあらわれた。

「3回戦を始めます。スケジュールが押しているので、選手は会場へ集まってください」

 八千代先輩は、それだけ言ってすぐに姿を消した。

 私たちのほうは見向きもしなかった。意図的に避けてる?

「よし、ここを乗り切ったら、昇級の芽が出てくるぞッ!」

 三宅先輩の号令に合わせて、私たちは会場へ移動した。

 南陵のメンバーは、すでに集合していた。

 オーダー交換もさくっと終わって、私は北里きたざとくんという子と当たった。

「こんにちはぁ、北里です」

 ちょっと野暮ったそうな男の子だった。

 私もあいさつを返す。

「こんにちは、よろしくお願いします」

「おなじ1年生ですし、まったりやりましょう」

 お医者さんっぽ……くはないかな。それとも偏見かしら。

 着ているものはかなり清潔感があるし、身だしなみもきちんとしていた。

 ただ、オーラがゆっくりまったり系。顔もずっとニコニコしている。

「それでは、対局の準備をしてください」

 駒を並べて、1番席の振り駒を待つ。

「振り駒をお願いします」


 カシャカシャカシャ パラリ

 

「都ノ、奇数先ッ!」

「南陵、偶数先ッ!」

 穂積さん、奇数先を引いた。私は6番席だから後手だ。

「裏見さん、でしたっけ?」

「はい」

「右利きでいいですか?」

 私は、チェスクロを右に置いてもらった。

「対局準備のできていないところは、ありますか?」

 返事なし。

「それでは、対局を始めてください」

「よろしくお願いしますッ!」

 私は一礼して、チェスクロを押した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
cont_access.php?citi_cont_id=891085658&size=88
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ