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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第74章 2度目の新歓(2018年4月5日金曜)
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472手目 Only Handle It Once

※ここからは、香子きょうこちゃん視点です。

 4月。桜が散る風景のなかで、私は新歓ブースにいた。

 あれだけフラグを立てたこともあり、白須しらすくんが入部して──くれるわけもなく。

 都ノみやこの大学、有名なダンス部がないから、まったくの候補外だった模様。

 あのあと、八千やちよ代先輩に地元で会って、そう言われた。

 まあ、そんなうまい話があるわけもなく。

 ブースにだれもこないし、私はだんだん暇になってきた。

 ふわぁ、と背伸びをしたところで、影がさした。

「こんにちはぁ」

 おっと……と、なんだ、粟田あわたさんか。

「あ、今、なんだ粟田さんか、って思ったでしょ」

 ぎくッ。

 とりあえずごまかす。

「粟田さん、どうしたの? 今日は3年生の行事なくない?」

「本の返却」

 おつかれさまです。

 私は粟田さんに、椅子を勧めた。

 部員じゃないからダメじゃない?、って訊かれたけど、まあよし。

 にぎわってない感があるブースは、ひとも来にくいと思う。

 私は粟田さんに紙コップのジュースを出して、雑談。

香子きょうこちゃん、前期の履修科目、どうする?」

「とりあえず、五十嵐いがらし先生の上級ゲーム理論は、取る予定」

「そうだね、ゼミの先生の授業は、取るよね。あとは……」

「こんにちは」

 あ、はい。

 私たちは会話をやめた。

 ふりむくと、春向けのジャケットに、スポーツキャップをかぶった少年が立っていた。

 すらっとした、プロポーションのいい男子で、どこか距離を置くような雰囲気のある面持ちだった。それは、生河いがわくんのような、他人への不安から生じるような距離ではなく、白須くんのような、じぶんにしか興味がないような距離でもなかった。どこかこう、説明のつかない、春の朧月のような、あいまいさがあった。

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………六連むつむらくんッ!

 私は思わず、腰を浮かせた。

「六連くん……よね?」

「はい……裏見うらみさんですよね?」

「え、知ってるの?」

日日にちにち杯のとき、解説だったので、おぼえてますよ」

「そ、そっか……なんでここにいるの?」

「なんでっていうか、新入生ですし」

 うおおおおおおおッ!

 私がガッツポーズしかけたところで、六連くんは、

「もうひとりいますよ」

 と言って、うしろをふりむいた。

 春ものの、白いワンピースを着た少女が立っていた。

 前髪がすこし目にかかった、ちょっと存在感が薄そうな女の子。

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………だれだっけ?

 少女は、もうしわけなさそうに、

越知おちです」

 と言った。

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………あッ!

「日日杯に出てた越知さん?」

「そうです。出てただけみたいなものですが」

 うおおおおおおおッ!

 将棋部へようこそッ!

 私は六連くんたちに、書類をさしだした。

「はい、これ、入部届」

「まだ他の部と迷ってます。このあと、テーブルゲーム同好会へ行く予定で」

 そんな選択肢はないです。

 ものども、出あえ出あえ。

 左右から、新2年生たちがサーッと出てきた。

 愛智あいちくんは背後から、六連くんの肩に手をおいた。

「将棋部へようこそ」


  ○

   。

    .


 いやあ、あっさり解決したわね。

 と思っていたら、風切かざぎり先輩からのコメントは、

「足りないな」

 だった。

「足りない、って、どういうことですか?」

 風切先輩は、部室を見回した。

 今は、私と先輩と、松平まつだいら、それに愛智くんしかいなかった。

 それでも声を小さくして、

「スタートラインまで、あと半歩足りない。他大はもっと増強してる」

 と返した。

「ほんとですか?」

八ツ橋やつはしは事前情報通り、県代表クラスがふたり入ってる。一番痛いのは、白須が慶長けいちょうに入ったっぽいことだ」

 マジかぁ、それは痛い。

 王座戦の関東出場枠は、ふたつしかない。

 晩稲田おくてだがほとんどぶっちぎりだから、他が強くなられると困る。

 近くにいた松平は、

「風切先輩からみて、棋力はどうでした?」

 と訊いた。

 風切先輩は、一局ずつしか指してないが、とことわったうえで、

「全国レベルの中堅……とまでは、いえないと思う」

 と、からめに評価した。

 松平は、

「ふたりとも、全国大会は初戦敗退なんですよね。出たこともない俺が言うのは、よくないと思うんですが、客観的にみれば、風切先輩が言ってることもわかります」

 と返した。

 うむむ、私は、愛智くんに話をふった。

「テーブルゲーム同好会のほうは、どうだった?」

「哲学科の友だちにいるんで、ちょっと訊いてみたんですが、団体競技はほぼないらしいんですよね。すくなくとも、都ノのサークルでは出場してないって言ってました。個人競技のスケジュール管理もしてなくて、大会に出る出ないは、部員の勝手だそうです」

 自由放任系、か──つまり、将棋の大会とテーブルゲームの大会でバッティングしたとき、同好会自体は口を出してこない、と。

 愛智くんは、

「あと、これはちょっと蛇足なんですが……」

 と前置きしてから、

「越知さんと六連くん、ふたりとも、この界隈だと有名なんですね。その友だちは、名前を出したらおどろいてましたよ。ぜひ入って欲しい、とは言わなかったですけど……とくに越知さんは、女性プレイヤーでは、かなりの強豪だって聞きました。関東でも、みんな知ってるって言ってましたね」

 うわーん、どんどんマイナスな情報が入ってくる。

 こ、ここは冷静に対処する。

 私は、

「とりあえず、入部してもらうのが最優先なので、スケジュール管理については、そのあと話し合いません?」

 と提案した。

 これには、風切先輩も同意した。

「だな。もうすぐ個人戦が始まる。そこで来ないって言い出すようなら、団体戦もキツイだろう」

 愛智くんは、

「一応、ふたりとも入らない可能性があるという前提で、新歓は続けてます」

 と補足した。

 ジェットコースターみたいな浮き沈み。

 あのときは、神引きだと思ったんだけどなあ。

 私は嘆息しつつ、次の新歓のシフトを作成した。

 そして、次の日の夕方──松平といっしょに、学食でうどんを受け取ったあと、越知さんと六連くんを見かけた。サンドイッチに飲み物という、軽食スタイルだった。

 私は声をかけようか、迷った。

 おたがいに面識はある。

 でも、過去の大会で、ちょっと顔見知りなだけだ。

 10秒ほど逡巡した挙句、声をかけることにした。

「こんにちは」

 ふたりは、あ、こんにちは、と返した。

「ここ、いい?」

 越知さんは、どうぞ、と勧めてくれた。

 私たちも腰を下ろす──なんとなく、気まずい感じもする。

 けど、コミュニケーション不足のほうが怖かった。

 私は、

「サークルの件、どう?」

 と、率直に尋ねた。

 越知さんは、

「そうですね……テーブルゲームは、和気あいあいっぽい雰囲気でした」

 と、遠回しに、こちらと比較してきた。

 六連くんは、なにも言ってこなかったので、私から、

「六連くんは、どう?」

 と確認を入れた。

 六連くんは、そうですね、の枕詞から、少し考えた。

「……愛智さんと、話はさせてもらいました」

 うッ……すでに説得失敗ってオチ?

 はらはらする私をよそに、六連くんは先を続けた。

「王座戦を狙ってるそうですね」

「……ええ」

「裏見さんは、どうして王座戦を目指してるんですか?」

 どう答えたものか──正直に言うしか、ないか。

 私は、風切先輩の入部の条件だった、と説明した。奨励会をやめて云々のあたりは省いた。伝える必要がないとも思った。

 すると、六連くんは、

「風切さんは、どうして王座戦に行きたいんですか?」

 と、重ねて質問した。

 私は、はたと困ってしまった。

「それは……ちょっとわからない」

「訊いてみなかったんですか?」

「そうね……変な話かもしれないけど、プライバシーにかかわるかも、と思って、確認しなかった」

 六連くんは、リラックスしたようすで、足を組んだ。

 私はその動作に、イヤな予感がした。

 返事はもう決まっている──決断して納得したあとの、緊張感のなさだった。

「愛智さんも、知らないって言ってました。じゃあ、愛智さんはなんで王座戦を目標にしてるんですか、と僕から訊いたんです」

 六連くんは間をおいた。

 松平は、真剣に聞き入っていた。

 越知さんは……もうすでに、答えを知っているかのような表情。

 私は……私はわからない。じぶんの表情は、じぶんが一番知らない。

「愛智さんは、こう言ってました。理由はとくにないんだよね……だけど、目指さない理由も、とくになかった、って。たしかに、そうなんです。する理由はみんなさがすけど、しない理由は、普通考えない。裏見さんは、そういう経験、ありません?」

 私はしばらく固まって──こう答えた。

「授業で……OHIOっていうルールを聞いたわ。請求書を手にしたら、払わない理由がない限り、その場で処理する、っていうルールなんだけど……例えば、お金がないとか、急病だとか、そういうのでない限り、請求書を握ったままコンビニへ行くほうがいい、っていう……」

 六連くんは、クールにほほえんだ。

 日日杯のとき、いちども見せなかった表情だった。

「すごく卑近な例ですね……でも、その通りです。僕にも、王座戦を目指さない理由は、とくにありませんでした。入部します」

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