472手目 Only Handle It Once
※ここからは、香子ちゃん視点です。
4月。桜が散る風景のなかで、私は新歓ブースにいた。
あれだけフラグを立てたこともあり、白須くんが入部して──くれるわけもなく。
都ノ大学、有名なダンス部がないから、まったくの候補外だった模様。
あのあと、八千代先輩に地元で会って、そう言われた。
まあ、そんなうまい話があるわけもなく。
ブースにだれもこないし、私はだんだん暇になってきた。
ふわぁ、と背伸びをしたところで、影がさした。
「こんにちはぁ」
おっと……と、なんだ、粟田さんか。
「あ、今、なんだ粟田さんか、って思ったでしょ」
ぎくッ。
とりあえずごまかす。
「粟田さん、どうしたの? 今日は3年生の行事なくない?」
「本の返却」
おつかれさまです。
私は粟田さんに、椅子を勧めた。
部員じゃないからダメじゃない?、って訊かれたけど、まあよし。
にぎわってない感があるブースは、ひとも来にくいと思う。
私は粟田さんに紙コップのジュースを出して、雑談。
「香子ちゃん、前期の履修科目、どうする?」
「とりあえず、五十嵐先生の上級ゲーム理論は、取る予定」
「そうだね、ゼミの先生の授業は、取るよね。あとは……」
「こんにちは」
あ、はい。
私たちは会話をやめた。
ふりむくと、春向けのジャケットに、スポーツキャップをかぶった少年が立っていた。
すらっとした、プロポーションのいい男子で、どこか距離を置くような雰囲気のある面持ちだった。それは、生河くんのような、他人への不安から生じるような距離ではなく、白須くんのような、じぶんにしか興味がないような距離でもなかった。どこかこう、説明のつかない、春の朧月のような、あいまいさがあった。
……………………
……………………
…………………
………………六連くんッ!
私は思わず、腰を浮かせた。
「六連くん……よね?」
「はい……裏見さんですよね?」
「え、知ってるの?」
「日日杯のとき、解説だったので、おぼえてますよ」
「そ、そっか……なんでここにいるの?」
「なんでっていうか、新入生ですし」
うおおおおおおおッ!
私がガッツポーズしかけたところで、六連くんは、
「もうひとりいますよ」
と言って、うしろをふりむいた。
春ものの、白いワンピースを着た少女が立っていた。
前髪がすこし目にかかった、ちょっと存在感が薄そうな女の子。
……………………
……………………
…………………
………………だれだっけ?
少女は、もうしわけなさそうに、
「越知です」
と言った。
……………………
……………………
…………………
………………あッ!
「日日杯に出てた越知さん?」
「そうです。出てただけみたいなものですが」
うおおおおおおおッ!
将棋部へようこそッ!
私は六連くんたちに、書類をさしだした。
「はい、これ、入部届」
「まだ他の部と迷ってます。このあと、テーブルゲーム同好会へ行く予定で」
そんな選択肢はないです。
ものども、出あえ出あえ。
左右から、新2年生たちがサーッと出てきた。
愛智くんは背後から、六連くんの肩に手をおいた。
「将棋部へようこそ」
○
。
.
いやあ、あっさり解決したわね。
と思っていたら、風切先輩からのコメントは、
「足りないな」
だった。
「足りない、って、どういうことですか?」
風切先輩は、部室を見回した。
今は、私と先輩と、松平、それに愛智くんしかいなかった。
それでも声を小さくして、
「スタートラインまで、あと半歩足りない。他大はもっと増強してる」
と返した。
「ほんとですか?」
「八ツ橋は事前情報通り、県代表クラスがふたり入ってる。一番痛いのは、白須が慶長に入ったっぽいことだ」
マジかぁ、それは痛い。
王座戦の関東出場枠は、ふたつしかない。
晩稲田がほとんどぶっちぎりだから、他が強くなられると困る。
近くにいた松平は、
「風切先輩からみて、棋力はどうでした?」
と訊いた。
風切先輩は、一局ずつしか指してないが、とことわったうえで、
「全国レベルの中堅……とまでは、いえないと思う」
と、からめに評価した。
松平は、
「ふたりとも、全国大会は初戦敗退なんですよね。出たこともない俺が言うのは、よくないと思うんですが、客観的にみれば、風切先輩が言ってることもわかります」
と返した。
うむむ、私は、愛智くんに話をふった。
「テーブルゲーム同好会のほうは、どうだった?」
「哲学科の友だちにいるんで、ちょっと訊いてみたんですが、団体競技はほぼないらしいんですよね。すくなくとも、都ノのサークルでは出場してないって言ってました。個人競技のスケジュール管理もしてなくて、大会に出る出ないは、部員の勝手だそうです」
自由放任系、か──つまり、将棋の大会とテーブルゲームの大会でバッティングしたとき、同好会自体は口を出してこない、と。
愛智くんは、
「あと、これはちょっと蛇足なんですが……」
と前置きしてから、
「越知さんと六連くん、ふたりとも、この界隈だと有名なんですね。その友だちは、名前を出したらおどろいてましたよ。ぜひ入って欲しい、とは言わなかったですけど……とくに越知さんは、女性プレイヤーでは、かなりの強豪だって聞きました。関東でも、みんな知ってるって言ってましたね」
うわーん、どんどんマイナスな情報が入ってくる。
こ、ここは冷静に対処する。
私は、
「とりあえず、入部してもらうのが最優先なので、スケジュール管理については、そのあと話し合いません?」
と提案した。
これには、風切先輩も同意した。
「だな。もうすぐ個人戦が始まる。そこで来ないって言い出すようなら、団体戦もキツイだろう」
愛智くんは、
「一応、ふたりとも入らない可能性があるという前提で、新歓は続けてます」
と補足した。
ジェットコースターみたいな浮き沈み。
あのときは、神引きだと思ったんだけどなあ。
私は嘆息しつつ、次の新歓のシフトを作成した。
そして、次の日の夕方──松平といっしょに、学食でうどんを受け取ったあと、越知さんと六連くんを見かけた。サンドイッチに飲み物という、軽食スタイルだった。
私は声をかけようか、迷った。
おたがいに面識はある。
でも、過去の大会で、ちょっと顔見知りなだけだ。
10秒ほど逡巡した挙句、声をかけることにした。
「こんにちは」
ふたりは、あ、こんにちは、と返した。
「ここ、いい?」
越知さんは、どうぞ、と勧めてくれた。
私たちも腰を下ろす──なんとなく、気まずい感じもする。
けど、コミュニケーション不足のほうが怖かった。
私は、
「サークルの件、どう?」
と、率直に尋ねた。
越知さんは、
「そうですね……テーブルゲームは、和気あいあいっぽい雰囲気でした」
と、遠回しに、こちらと比較してきた。
六連くんは、なにも言ってこなかったので、私から、
「六連くんは、どう?」
と確認を入れた。
六連くんは、そうですね、の枕詞から、少し考えた。
「……愛智さんと、話はさせてもらいました」
うッ……すでに説得失敗ってオチ?
はらはらする私をよそに、六連くんは先を続けた。
「王座戦を狙ってるそうですね」
「……ええ」
「裏見さんは、どうして王座戦を目指してるんですか?」
どう答えたものか──正直に言うしか、ないか。
私は、風切先輩の入部の条件だった、と説明した。奨励会をやめて云々のあたりは省いた。伝える必要がないとも思った。
すると、六連くんは、
「風切さんは、どうして王座戦に行きたいんですか?」
と、重ねて質問した。
私は、はたと困ってしまった。
「それは……ちょっとわからない」
「訊いてみなかったんですか?」
「そうね……変な話かもしれないけど、プライバシーにかかわるかも、と思って、確認しなかった」
六連くんは、リラックスしたようすで、足を組んだ。
私はその動作に、イヤな予感がした。
返事はもう決まっている──決断して納得したあとの、緊張感のなさだった。
「愛智さんも、知らないって言ってました。じゃあ、愛智さんはなんで王座戦を目標にしてるんですか、と僕から訊いたんです」
六連くんは間をおいた。
松平は、真剣に聞き入っていた。
越知さんは……もうすでに、答えを知っているかのような表情。
私は……私はわからない。じぶんの表情は、じぶんが一番知らない。
「愛智さんは、こう言ってました。理由はとくにないんだよね……だけど、目指さない理由も、とくになかった、って。たしかに、そうなんです。する理由はみんなさがすけど、しない理由は、普通考えない。裏見さんは、そういう経験、ありません?」
私はしばらく固まって──こう答えた。
「授業で……OHIOっていうルールを聞いたわ。請求書を手にしたら、払わない理由がない限り、その場で処理する、っていうルールなんだけど……例えば、お金がないとか、急病だとか、そういうのでない限り、請求書を握ったままコンビニへ行くほうがいい、っていう……」
六連くんは、クールにほほえんだ。
日日杯のとき、いちども見せなかった表情だった。
「すごく卑近な例ですね……でも、その通りです。僕にも、王座戦を目指さない理由は、とくにありませんでした。入部します」




