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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第10章 2016年度春季団体戦1日目(2016年5月8日日曜)
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48手目 助っ人参上!?

裏見うらみ、そっちはどうだ?」

「オッケー、足りてる」

 私はチェスクロの確認を終えて、そう答えた。

 松平のほうは、盤と駒をかぞえていた。

 歩がそろっているかどうかまで、入念にチェックする。

「やっぱ自分たちで持ってくるのは、めんどくさいな」

 松平はそう言って、薄い茶髪のあたまを掻いた。

「しょうがないじゃない。高校のときも持参だったし」

「大学の集まりのほうが、金はありそうだけどなあ」

「それは偏見。大学生になっても、私の生活は楽になってないわよ」

 一理あると思ったのか、松平は「ふむ」とつぶやいた。

「そこは俺が将来稼いで……いてッ」

 そういうネタを出すなと言うに。もう。

 会場には、多くの学生が集まっていた。団体戦だけあって、各校とも総力戦でのぞんでいるようだ。個人戦のときには見かけなかった面子もいた。

「あら、あなたたちもここに陣取ったのね」

 盤駒もならべ終えたところで、速水はやみ先輩に声をかけられた。

 いつものように、ストライプのネクタイをしていた。

 さっきまではいなかったのに、あいかわらずのステルス具合。

「先輩、おはようございます」

「おはよ……このまえは、おつかれさま」

「はい、個人戦ではお世話になりました」

「そっちもだけど、メインは今週のイベントよ」

 いきなり聖ソフィアの話題が出て、私は警戒した。

「その節は……まあ、お世話に……」

「そこいてるじゃな〜い」

 私は、とびあがりそうになるくらいおどろいた。

 ふりかえると、小さな女の子――火村ほむらさんが立っていた。

明石あかし、ここがいいわ。ここに荷物を置いて」

 細目の明石くんは、両手に持った荷物をテーブルのうえにおいた。

 私たち都ノみやこのの、ちょうど真横だった。

 せまい通路一本しかはさんでいない。

 松平も動揺したのか、こちらをちらちらと盗み見た。

 挨拶する? 無視する? 三宅みやけ先輩に通報する?

「もっと都心でやってくれればいいのにねぇ」

 火村さんはそう言いながら、椅子を引いた。そのまま後ろにかたむける。

 明石くんは荷物の整理をはじめた。

「ほかのメンバーは、すこし遅れるそうです」

「遅刻したら500円だからね。MINEでそう送っときなさい」

 け、けっこう厳しい。

 っていうかこれ、となりが都ノだって気付いてない?

 揉める気配がないのは、いいことよ。

 私は安心して、対局の準備をはじめた。まずはDクラスの名簿を――

「あんた、このまえの月曜日、うちの大学に来てたわよね?」

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………

 ちらり。私は視線をあげた。

 火村さんは、後頭部に両手をあてて、椅子をおもいっきりうしろに倒していた。

 まっすぐ前のほうを向いていたけど、雰囲気で分かる。

 こちらに話かけてきている。

「近くまで行ったから、ちょっと寄っただけで……」

有馬ありまと指したんでしょ?」

 アリマ? だれ? ……あの黒髪の少年のこと?

 ユウイチくんだったかしら?

 私はうっかり、下の名前を確認しかけた。

 危ない危ない。訊いたら白状しているようなものだ。

「構内で話しかけられたけど、だれがだれかは……」

 火村さんは、ようやくこちらを向いた。

 親ゆびとひと指しゆびで輪っかをつくり、右目に当てた。

「あたしは、な〜んでもお見通し」

 なにそれ、こわい――なんて怖じ気づくと思ったの? どうせハッタリでしょ。

 こういうマウンティングをしてくるタイプは、殴り返しておくに限る。

「私たちのこと、ストーキングでもしてたの?」

千里眼せんりがんって言って欲しいなぁ」

 確定。この子、厨二病だわ。

 不幸な生い立ちによって封印された、将棋の神に導かれし邪眼とか持ってそう。

「へぇ、だったら、私とそのアリマくんっていう子と、どっちが勝ったの?」

 火村さんは、不敵に口の端をほころばせた。長い犬歯がのぞく。

「あんたと有馬じゃないんだなあ。もうひとり、生意気そうなやつがいるでしょ?」

 ぎくり――穂積ほづみさんのこと知ってる?

 え? どうやって? 個人戦には来てなかったのに、変。

 私は混乱した。よくよく考えてみると、あのときのユウイチくんのナンパは、まったくの素だったと思う。穂積さんと指したことに、気付いている様子はなかった。

 てっきりユウイチくんから告げ口されたのかと思ったけど……どういうこと?

「図星みたいね」

 このままだとバレかねないので、私は強気に出た。

「『もうひとり』とかもったいぶらないで、名前を言ってみたら?」

「いいのかなぁ……その子の名前は……」

「お兄ちゃんッ! こっちだってばッ!」

 廊下で大声が聞こえた。

 私たちだけじゃなくて、ほかの将棋部員も一斉にふりむいた。

八花やつか、そんなに急ぐと危ないよ」

「お兄ちゃんが電車をまちがえるから、ギリギリになるんでしょッ!」

 ケンカっぽい口調で、穂積さんが入ってきた。

 そのうしろに、いかにも普通と言った感じの、平凡な男子がついていた。

 手にはビニール袋を持っている。

 穂積さんは教室内を見回して、私たちの存在に気付いた。

「よかった。会場はまちがえてなかったみたい」

 穂積さんはそう言って、都ノのメンバーと合流した。

 さっきの男子もついてくる。

「おはよ」

「おはよう……こちらのひとは?」

 穂積さんは、やれやれと言った感じで、男子を紹介した。

「あたしのお兄ちゃん」

 少年は髪に手をあてて、照れくさそうに笑った。

「こんにちは。八花の兄です。重信しげのぶって言います」

「は、はじめまして……裏見うらみ香子きょうこです」

 おたがいに挨拶するなか、穂積さんはドカリと正面の席に陣取った。

「お兄ちゃん、袋」

「はい」

 穂積くん(穂積先輩かな?)は、ビニール袋を穂積さんに手渡した。

 穂積さんはイチゴオレを取り出して、チューチューやり始めた。

「というわけで、7人そろえたわよ」

「『なんでも言うこと聞いてくれるひと』って、お兄さんのことだったの?」

 あ、しまった。我ながら失礼な言い回しを……ちらり。

「いやぁ、八花の頼みだと断れなくて」

「このイチゴオレも、お兄ちゃんのおごりだもんね」

「そう言えば、このまえ貸した1万円、はやく返してね」

「次の仕送りが余ったら返すわ」

 シスコンかい。

 この兄にして、この妹あり。

 とはいえ、私は一人っ子だから、うらやましくもあった。

「今回は、助っ人ありがとうございます」

「いえいえ、単なる人数合わせですけど、なにをすればいいんですか?」

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………

 は?

「なにって……将棋です」

 穂積先輩は、また照れ笑いした。

「将棋かぁ。小学生のとき以来ですね」

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………えぇ?

「あ、言い忘れてたけど、お兄ちゃんは将棋指せないよ」

「指せないって……それじゃ出場できないでしょッ!」

「大丈夫。駒の動かし方は知ってるから」

 いやいやいや、そういう問題じゃない。

「ところで、八花、けっこう人が多いけど、おっきな大会なの?」

「んー、じつはあたしもよく分かってない」

「そっかぁ。八花はカワイイから、知らない男のひとについて行ったらダメだよ」

「あ、思い出した。お兄ちゃん聞いてってば。このまえ、ナンパ野郎が……」

 だーッ! この兄妹、常識がなさすぎィ!

 私が悶絶していると、三宅先輩がもどってきた。

「せ、先輩、ちょっと聞いてください」

「どうした? チェスクロでも忘れたか?」

 私は、穂積兄妹の事情を説明した。

 三宅先輩はタメ息をつきつつ、

「そんなことだろうと思った」

 とだけ答えた。

「マズいですよ。どうするんですか?」

「安心しろ。穂積の性格からして、最悪連れて来ないパターンまで考えてある」

 なんと、名采配。

 最初はどうなるかと思ったけど、三宅部長で正解だった。

 チャラチャラした見た目とは大違い。

「ってことは、もうオーダーは決定してますか?」

 三宅先輩は、シッとあたりに目配せした。

 私も慌てて口を閉じる。

 聖ソフィアのほうを確認すると、火村さんは明石くんとなにやら話し込んでいた。

 向こうも聞かれたくない会話らしく、ずいぶんと距離をとっている。

「で、オーダーは?」

 私は小声でたずねた。

 三宅先輩は、スッと胸ポケットから紙切れをとりだした。

「こんな感じで考えている」


穂積 松平 風切 穂積の助っ人 大谷 裏見 三宅


 ふむ……人数ギリギリだから、そこはどうしようもないとして……。

「この並びで大丈夫ですか?」

 三宅先輩は苦虫を噛み潰したような顔で、

「他校の昔のオーダーも調べてみたが、Dクラスの分は完全には再現できなかった」

 と答えた。

「さすがに隠蔽されてます?」

「もっと単純な話だ。最下位のクラスを律儀にチェックするやつがいない」

 うむむ、そういうことか。

「と言っても、傾向は見つかった。Dクラスは上位校とちがって、部員不足に悩んでいるところが多い。だから、動かせる幅も少なくて、のっぺりとしたオーダーになる。ただ、比較的中央を厚くする癖があるみたいだ」

「そこを風切かざぎり先輩と大谷おおたにさんで撃破するわけですか」

 三宅先輩は、こくりとうなずいた。

「その風切と大谷を避けてきたところで、裏見、おまえに取ってもらう」

 むむむ、責任重大。

「分かりました。ベストを尽くします」

「頼んだぞ。正直、穂積は実力を出し切れないと思う。大会慣れしてないからな」

 三宅先輩が本音をぶっちゃけたところで、幹事のひとが教室に顔を出した。

「組合わせの抽選をおこないますので、代表者は213号室に集まってください」

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